第4話 モスバーガー
目を覚ますと午前十時をわずかに過ぎていた。
大学は春休みに入り休み。
休日の起床時間としては早すぎず遅すぎず、俺的にはベストな目覚めである。
パジャマから着替え、歯を磨き、リビングへと向かう。
すでにリビングにはミユとエレノワの姿があった。ミユは結局いつものドレス姿。やはり王女として相応しい衣装を身に着けることにしたのだろうか。
ミユとエレノワはふたりで向かい合い、なにやら真剣な表情。
「テラワロス」
「テラワロス」
「ググレカス」
「ググレカス」
「通報しますた」
「通報しますた」
「胸熱」
「胸熱」
エレノワの手には何枚かの紙が握られており、それを音読し、エレノワの言葉をミユが復唱している。
真剣な顔の割に言葉の内容が……。
「なにやってるの?」
「異世界語の勉強でございます」
エレノワが答える。
「我々があちらの世界で習った言葉は、やや古風なようじゃからの。いわゆるスラングも学ばねばのう」
なるほど。確かにミユの話す言葉は古い日本語だ。とはいえ、いま練習していた単語もすでに古くなっている気がしてならないのだが……。
「そっか、すごい勉強熱心なんだね」
気の毒なので勉強した言葉がすでに古いことには触れずにおく。
「うむ、幼き頃よりこちらの世界に憧れておったからの」
朝早くからレッスンをしていたのか、ミユは少し疲れた様子で「ううん」と、小さく声を上げながら伸びをする。
……そうか、やはり異世界とこっちの世界では言葉が違うのか。
当たり前と言えば当たり前だが、ふたりがあまりにも流ちょうな日本語を話すので、気にしていなかった。
「ふたりとも日本語が上手いね」
「
エレノワは嬉しそうにはにかむ。
「いずれは成彦殿も我々の言語を学んでもらわねばの」
ミユはそう言うと、突然言語を切り替える。
まったく聞いたことのない響きの言葉。歌っているかのような不思議な抑揚。
もちろんなにを言っているのかまったく理解できない。
ミユの端正な顔立ちと透き通った声も相まって、なんだか神秘的な印象だ。
「なんて言ったの?」
「姫様は〝早く結婚を受け入れないと、さらうぞ〟と申しております」
「怖いわっ!」
澄ました顔でなにを言ってるんだ!
ミユはなおも異世界の言葉で話し続ける。
優しい笑顔を浮かべながら、歌うように俺に語りかける。
相変わらず、なにを言っているのかさっぱりわからない。
「姫様は〝毒殺対策として、幼き頃より毒に関しては学んできた。仮死状態にして、そのまま異世界に連れ去ったろか〟と申しております」
「表情とのギャップ!」
まったく! かわいい顔して、なに言ってるんだ。
俺の困惑は伝わっているはずだが、それでも異世界の言葉で話し続けるミユ。
「姫様は〝ジョーク、ジョーク、異世界ジョーク〟と申しております」
「知らない言語でジョークを言うんじゃない」
……それにしても本当にジョークなのか? もしかしたら本気なんじゃないのか? そんな気がしてしまう。
ミユはまたなにごとか異世界の言葉で俺に語り掛ける。
先ほどの笑顔は消え、きりっとした表情。
今度はなんだ?
「姫様は〝朝から勉強して、お腹が空いた。なにか食べに行こう〟と申しております」
くるるると鳴るミユのお腹。
この発言はジョークでないことは確かなようだ。まったく食いしん坊さんめ。
さて、なにを食べるか……。
時間は十時半前。
この時間帯となると、やっている店も絞られてくるが……。
「モスバーガーだな」
俺はぽつりとつぶやく。
「ほほぅ、モスバーガー、聞いたことがあるのう。確かハンバーガーのお店であったか」
ミユが日本語に戻っている。先ほどの取り澄ました顔からは想像もつかないほど、子供っぽく目を輝かせて……。本当に食べることが大好きなのだろう。
そんなミユを優しく見守るエレノワ。
「まさしく。モスバーガーはハンバーガーのお店かと」
「どのようなお店なのかのう?」
「さあ……、残念ながら我々の世界に伝わるモスバーガーの伝承は少ないのです。モスバーガーのMOSが〝MOUNTAIN〟、〝OCEAN〟、〝SUN〟、から来ていること。公式キャラクターのモッさんが1972年生まれであることしかわかりません」
エレノワが残念そうに言う。
「なにやら、有名なハンバーガーがあるとは聞くがのう」
「モスバーガーに関する探知は難易度が高いようで、最高レベルの導術師に探らせたのですが、〝モッさんの趣味はコスプレ……〟とだけ言い残し、気を失ってしまいました」
……情報が偏ってるな。モッさんは割とどうでもいいし。
「まあ、モスは美味しいことだけは間違いない。あとは行って確かめればいいよ」
俺は胸を張って答える。なにを隠そう、俺はモスバーガーが大好きなのだ。そしてあの美味さは異世界人にも絶対に通用する。
そんな俺のモス愛が伝わったのか、ミユはゴクリと生唾を飲む。
「ほほう。成彦殿がそこまで言うとは。胸熱じゃのう」
さっそく習いたてのネット用語を使うミユ。
モスバーガーへの熱い期待を胸に、真っ先に玄関へと駆け出すのであった。
◆
俺はミユたちを連れて、家から歩いて数分のモスバーガーを訪れる。
入り口で俺たちを迎えてくれるおなじみの黒板、そこにチョークで書かれた店員さんによる暖かみのある手書きのメッセージ。
「どう? この黒板がモスのすべてを表していると思う。モスといえば手作り感だから」
しげしげと黒板を覗き込むミユ。
『春、出会いと別れの季節ですね。別れは少し寂しいけれど、新しい出会いに心をときめかせて、新しい一日を元気に頑張りましょう!!』
「テラワロス!」
「なんで、このタイミングでテラワロスだよ!」
「せっかく覚えたのだから。使ってみたくての」
ミユは平然と答える。
……単語を覚えただけで、意味をわかってないんじゃないのか?
まあいい。異世界人にモスバーガーの良さを理解させるには多少の説明と手間は必要だろう。
ミユとエレノワの興味はすでに店外に設置されているメニューの書かれた看板へと移っている。おなじみのMのマークの下にメニューがずらりと並ぶ。
身を屈めじっと看板を見つめるミユとエレノワ
店に入る前に注文を決めてしまおうと思っているのだろうか? たしかにハンバーガー店に入って、なかなか注文が決まらないのは後ろにお客さんがいたら迷惑な行為。
異世界人にしてはなかなかの心がけだ。
「ふむ。これは電源コードとやらであるの」
「はい。電源コードでございますね。まことににょろにょろしてございます」
ぜんぜん違うところ見てた!
ふたりは外看板から伸びているコードが気になるらしい。電源コードは夜に
「コンセントに刺したいのう」
「まことに刺しとうございますね」
「どうなるのかのう? 爆発するかのう?」
「私はモッさんがにゅるっと出てくるのではないかと思うのですが……」
ふたりはこちらの世界の食べ物に目がないが、それと同じくらい電気で動くものが大好きなのだ。いまだ部屋の電気をつけたり消したりをしたがる。
「いいから、なに食べるか決めなよ」
「それは成彦殿にお任せする」
真っすぐに俺の目を見ながら、ミユはきっぱりと宣言する。
「いいの? なにか食べたいのないの?」
「ググレカス」
「ググってどうする。検索ワードすら思いつかないわ」
またしてもミユは間違った形で勉強の成果を披露する。
しかしミユは自分の間違いに気づいていないようで、平然と話を続ける。
「よいのじゃ。食べ物に関しては成彦殿を信じておれば間違いない」
「そうですね。我々はこちらの食にまだまだ不慣れ。成彦さまにお任せします」
ふたりして期待の目で俺を見つめている。
ならば堪能してもらうじゃないか、俺セレクトで。
俺は先頭を切って店内へと入る。
まだ午前中とあって、店内はそれほど混んではいなかった。
カウンターにも列はなく、すぐに注文できる。
初モスで食べるべきものはなにか……。
俺はカウンターの前に立つと0.5秒で判断する。
それは〝スパイシーモスチーズバーガー〟、通称スパモッチだ。
初モスということでモスミートは必ず食べなければいけない。
ならば、なぜモスバーガーではなくスパモッチなのか。
モスバーガーではハンバーガーを作る担当者をセッターという。
そのセッターの技術がもっとも反映されるメニューがスパモッチなのだ。
ひとつひとつを注文されてから作るのがモスバーガーの売り、スパモッチは作る上での工程がもっとも多く、高難易度なのだ。モスの手作り感を堪能するならスパモッチなのだ!
初モスはスパモッチで間違いない。
しかし三人ともスパモッチでは芸がない。
次になにを頼むか……。
それはテリヤキバーガーだろう。
いまでこそ一般的なテリヤキバーガーであるが、発祥はモスバーガー。
この偉大な発明を堪能してもらわないと。
そして三つめは復活したモスライスバーガー焼肉だ。
ライスバーガー系もモスバーガーの特徴のひとつ。その元祖といえば焼肉。
これも食べておくべき一品だろう。
ここまでの思考に必要とした時間は一秒弱。
「スパイシーモスチーズバーガーとテリヤキバーガー、モスライスバーガーをそれぞれセットで」
モスバーガーのセットはポテトのセット、オニポテのセット、サラダのセットがある。
オニポテも悪くはないが、モスバーガーはサラダも店内で仕込んでいる。そして午前中はサラダが作り立てで、新鮮。この時間帯ならば、サラダを中心にするべきだろう。
俺は味見用にスパモッチをオニポテのセットにして、残りをサラダのセットにする。
ドリンクは何気に美味しいアイスティーでいいだろう。
俺はまったく滞りなく注文を終える。
「成彦様、一切、迷いのない注文っぷり、お見事です。」
エレノワが俺に向かって小さく拍手をする。
「うむ。まさに。巫女の口から神託がもたらされるかの如し。神に与えられし注文力じゃの」
ミユは褒めてくれているんだろうけど……、残念ながら嬉しくはない。
ドリンクだけを先にもらい、俺たちが席について3分と少々。
ついに待望のバーガーが届けられる。
ポテトの揚げ時間は3分。見事に与えられた時間内で注文を作り切ったようだ。
セッターさん。いい仕事っぷりだ。
ちなみにロースカツバーガーは揚げ時間が5分、ホットチキンバーガーは4分なので、そもそもポテトの揚げ時間には間に合わない。決して作るのが遅れた訳ではないので、イライラしてはいけない。
とにかく店員さんの熟練の技によって、目の前にならんだ、ハンバーガーにミユは興味津々。
「ほほう、それぞれ、まったく違うのう」
それぞれのハンバーガーに鼻を近づけ、くんくんと香りを嗅ぎ、うっとりとした表情を浮かべている。
俺としても、せっかくだから3つの味を楽しんでもらいたい。
「回し食いになっちゃうけど、ちょっとずつみんなで食べようよ」
「通報しますた!」
言葉上は通報されてしまったが、ミユは大きくうなずいている。〝そうしよう〟との意味だろう。
とりあえず、俺はミユに第一のおすすめ、スパモッチを手渡す。
小さな口で懸命にスパモッチにかぶりつくミユ。
初体験のモスミートのインパクトにしばらく呆然とするミユ。
「おおぅ。……なんと芳醇な。この謎のソースの甘味とコク、味が濃いようでいて、さっぱりとした酸味もある。そして後から辛みが……。この複雑な味は私の異世界語の語彙力では表現しきれぬ。これまでに味わったことのない複雑な味に舌がびっくりしておる。まさに……まさに……テラワロス!」
「なんでだよ! テラどころか1バイトも笑う要素はないだろ」
しかし、ミユは俺のツッコミをまったく気にすることなく、エレノワへスパモッチを渡す。
それをひと口食べると、エレノワもうっとりとした表情を浮かべる。
「これは……。やはりテラワロスです。日々モスバーガーを食されている成彦様にはわからないのです。我々からするとまさに初体験の味。想像を絶する美味しさ、あまりのことに自然と笑みが浮かんでくるのです。それがテラワロスなのです」
できれば、別の表現方法を使用してほしいが……。
まあ、とにかく喜んでくれているならよかった。
俺もふたりの食べたスパモッチを受け取って、ひと口食べる。
……うむ。いつ食べてもやっぱり美味い。モスミートの調子も俺好みだ。
俺が思うに、モスミートはこってりしているときとサラサラしているときがある。
モスミートは常時火にかけて煮込まれているので、煮詰まり具合で味わいが微妙に異なるのだ。タイミングによるが、夜は比較的こってり、午前中はサラサラの傾向がある。そして俺はサラサラのフレッシュタイプが好きだ。それもあって俺は午前中のモスがおすすめなのだ。
そんなことはまあいい。次はテリヤキバーガーだ。
さっそくミユがテリヤキバーガーを頬張る。
「甘じょっぱいのう。……実に甘じょっぱい」
ミユはそう言いながら、エレノワにテリヤキバーガーを手渡す。
「……これほどまでに甘じょっぱい食べ物が存在するとは……。人類がこのような甘じょっぱい物を作り上げられるなんて信じられません」
「我々の世界より、はるかに甘じょっぱさへの研究が進んでおるのじゃのう」
エレノワとミユは仲良く交互にテリヤキバーガーを頬張りながら、「甘じょっぱい」を連呼する。
「それ褒めてるの?」
俺の質問に大きくうなずくミユ。
「もちろんじゃ。このテリヤキバーガーとやらに比べれば、我が国の食事など、甘くも、じょっぱくもないのう」
「じょっぱくもないって……」
とにかく美味しいは美味しいらしい。
そして最後に控えるのが、モスライスバーガー焼肉だ。
ミユはこれまでとまったく形状の違うライスバーガーをちょっぴり警戒しながら口に運ぶ。
「ほほう。これは……。不思議な味であるの」
「たしかに。先ほどのふたつのハンバーガーとはまったく違う味わいですね。ライスは我々の世界にもございますし、肉を焼いた料理もございますが、どちらもレベルが違います」
相変わらず楽しげに分け合って食べるミユとエレノワ。王女と従者というより、姉妹であるかのような雰囲気である。
「このようなライスは初体験じゃ、実にモチモチで、実に丸いのう」
「お肉もなんともいい香りが……」
「あの鼻を刺すようなドラゴン臭がまったくせんのう。不思議なものよ」
「そもそもドラゴンの肉じゃないからだね」
俺は控えめにツッコみながら、ミユ、エレノワが味見した残りのバーガーを片付けていく。
まったく態度には出さないが、間接キス的な意識は当然ある。
モスバーガーを選んだのはあくまで純粋なるモス愛からだったが、こんな楽しみ方もあるとは……。まだまだ奥が深いぜ、モスバーガー。
ワイワイと大はしゃぎしながら、瞬く間に3つのハンバーガーは平らげられる。
「ふぅ。堪能したのう」
ミユは満足げな笑顔で言う。
エレノワもまた満ち足りた表情。
「まことに美味しゅうございました。それにしてもメニューを選ぶ成彦様の決断力、見事でございました。瞬時に的確な判断を下す力は我々の世界でも必ず役に立つことでしょう」
エレノワの言葉にミユは大きくうなずく。
「うむ。特にゴブリンの群れに囲まれたときなどに役立つであろう」
「だから嫌なんだよ、そっちの世界」
しかしミユは俺の言葉を大きく首を振って否定する。
テーブルの上に身を乗り出して、じっと俺の目を見るミユ。
「成彦殿ならゴブリンの群れなど恐れる必要はない。目を見たらわかる。成彦殿はゴブリンにこん棒で殴られても、決して心が折れぬ人じゃ」
「折れる折れないじゃなくて、殴られたくないんだよ。そもそもなんで俺なの? こんな特徴のない男に。他の誰かでもいいでしょ」
「それは……言わねばならぬかのう?」
ミユはばつが悪そうに俺から目をそらす。
その視線の先にはエレノワ。代わりに話してくれとのことなのだろう。
「私がお答えしましょう。成彦様は私たちの国、ウルカトス王国で大変な人気がございます。……そうですね、こちらの世界の言葉で表現するならばアイドルが近いでしょうか。そしてミユ様は大ファンでございます」
エレノワの口から告げられる驚きの事実。
ミユは顔を真っ赤にしてうつむいている。本人を前にしてこの話をするのがよほど恥ずかしかったのだろう。
それにしてもにわかに信じがたい話だ。
なんで俺が? なにせ俺だぞ。
「なんで俺がアイドル的な存在なの?」
「我々がはじめて導術によって異世界の探知に成功した場所、それが中村家でございました。ゆえに我々にとって中村家は聖地的な存在なのでございます」
「またなんで?」
「諸説ございますが、まだ中村家の謎は解明されておりません。しかしこれはいわば前提条件。重要なのは、やはり成彦様が絶世の美男子であること」
「はあああぁ!?」
思わず大きな声を出してしまう。
自慢じゃないが、俺はものすごく平凡な顔立ち。その平凡さゆえに存在感がまったくないレベルだ。
しかしミユの顔はますます赤くなる。
チラッっとこっちを見ては、すぐにまた顔を伏せる。
このリアクション……どうやら本気らしい。
逆にエレノワはこちらで俺がまったく目立ってないことの方が不思議なようだ。
「正直、成彦様がこちらの世界で普通に暮らしていることに驚きました。我々の世界なら、キャーキャー言われて大変ですよ」
「……つ、通報しますた」
うつむきながらも、ネットスラングを投入してくるミユ。
「なんで通報されるんだよ。どういう意味でキャーキャー言われてるんだ」
「とにかく街を歩けば女性に囲まれて大変な状況になります。どうですか? 我々世界に来てみては?」
「浮気したら、死を持って償ってもらうがの」
うつむいていて顔は見えないが、ミユの口調からただならぬ迫力を感じる。
こいつ……100パーセント本気だ。
女性に囲まれるのは嬉しいが、ゴブリンにも囲まれる……。そして浮気は即死。
後からピリリとくる感じが、スパモッチのレベルではない。
やはり俺は異世界行きを尻込みせずにはいられないのだった。
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