デスペラード・フェアリーテイル/小竹清彦

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ep.1 ザ・ジョーカーズ・ワイルド

 世界が、幾つかの戦争を経て、各国の利害が均衡し、仮初めの平和を手に入れた頃。

 横浜よこはま伊勢佐木いせさき町から野毛のげに渡るエリアでも、各国の非合法組織による一大抗争があった。警察は抑止するどころかこの地から撤退を余儀なくされ、自衛隊は国外へのにらみを効かせる立ち位置にあって動かせず、時の日本政府は、抗争の果てに生き残った四つの組織と交渉し、一連の区域を『封鎖区域』として、事実上、政府の管轄下から切り離すことを選択した。



#1


 野毛に建つ古びた雑居ビルの地階。一枚の扉を幾人もの男が取り囲んでいた。

 開衿シャツの中国人。ブラックスーツの日本人。軍用ジャケットのロシア人。ボルサリーノとトレンチコートのイタリア人。肌には様々な入れ墨が踊り、体の一部を機械化している者たちもいる。マフィアのオリンピックでも始まりそうな光景だった。

 男たちの共通点はただ一つ。全員が赤い腕章をしていることだ。

 工業機械のような厳つい機械化義手のロシア人が、鋼鉄の右拳を扉に叩き込む。

 鉄の扉がひしゃげて部屋の中へ吹き飛んだ途端、中から幾つもの銃声が響いた。腕章の男たちも撃ち返し、狭い空間を無数の銃弾が埋め尽くしたとき、部屋の中から放り投げられた物があった。

「手榴弾!」

 腕章の男たちが一斉に遮蔽物しゃへいぶつの影へ飛び込む。手榴弾が爆発すると、舞い上がった白煙の中から、大型バイクを思わせるエキゾーストノートと共に飛び出してきた者がいた。

 スキンヘッドの頭、顔面、はだけた胸など、生身の肌をほとんど入れ墨で埋め尽くした異様な男。ふくらはぎから突き出たマフラーが排気ガスを吹き出している。機械化した両足のかかとでタイヤが回転し、同じく機械化された両手には、二本の黒いマチェーテがあった。

 タイヤの回転数を上げた入れ墨男が、腕章の男たちへ凄まじい速度で突進する。銃の狙いが定まるより早く二本の黒刃が閃き、腕章の男たちが一方的に斬られ、倒されていく。

 入れ墨男が、瞬く間に包囲を突破した。

「“首狩り”ウーゴだ! 逃がすな!」

 腕章の男たちがウーゴと呼ばれた入れ墨男へ銃を向けたとき、部屋に残っていた者たちが、銃を乱射しながら廊下へ飛び出してくる。

 ウーゴの突破で態勢を崩していた腕章の男たちは、さらに七人の突破を許してしまった。

 地上に出たウーゴは、ビルを包囲していた腕章の男たちに襲いかかる。

 腕章の男たちが照準を合わせるより早く、ウーゴが刃の間合いまで肉薄、二本のマチェーテが血の竜巻を作り出した。

 続いて、武装集団七人が銃を撃ちまくりながら封鎖線に突撃してくる。腕章の男たちも撃ち返し、二人を仕留めたが、残る五人が封鎖線を突破した。

「追え! 逃走を許すな!」

 腕章の男たちが一斉にウーゴたちを追い始める。

 呑み客で賑わう飲食街の通りへ逃げ込んだウーゴたちは、追う腕章の男たちと、銃弾の飛び交う追撃戦を展開した。

 呑み客たちは、やけに手慣れた動きで遮蔽物に身を隠している。死傷者無し。それどころか、追っ手が追いつけるか賭けを始める始末だった。

 腕章をつけた男の一人が叫ぶ。

「駄目だ、逃げられる! ジョーカーだ! ジョーカーを呼べ!」



#2


「ダブルダウン」

 野毛に隣接した福富町ふくとみちょうのカジノ。ブラックジャックのテーブルについていた男がチップを重ねると、周囲で見物していた客からどよめきが起きた。

フーの旦那がまた行ったぞ」「ディーラーが気の毒になってきたぜ」

 傅と呼ばれた男。白い中国服を身にまとった青年。メタルフレームの丸眼鏡をかけた端正な顔立ちには、ずっと笑みを浮かべているような表情が貼り付いている。

 彼は、落ち着いていながらも、どこか楽しんでいるような口調で、ディーラーに語りかけた。

「この街を血の海にした抗争が五年前に終わったとき、生き残ったマフィアは四つ」

 見物客がざわめく。

「旦那が何やら語り出したぞ」「知らないのか? 傅さんは気分が良くなってくると、いつもあの話をし出すんだ」

 周囲の喧噪けんそうをまるで意に介さず、傅がさらに言った。

「中国、日本、ロシア、イタリア。何故、彼らは生き残れたのか。大切な要素は三つある」

「カードを引いても?」

 苛立ちを押し殺したような口調でディーラーが問いかける。

 傅が笑みの貼り付いた顔をディーラーに向けた。

「ちなみに、せっかちであることと空気を読めないことは、敗北へと繋がる要素だ」

 話がきりのいいところに来るまで待て、という意味だと捉えて、ディーラーが驚異的な自制心で頷く。傅が続けた。

「勝ち残るために必要な要素。一つ目は大局を見通す思慮。二つ目は死神の大鎌をかいくぐって前へ進む蛮勇。矛盾する二つの要素が両輪だ。しかし、敗北者たちもこの二つは持っていた。彼らに足りなくて、生き残った者たちが持っていた三つ目の要素は何だと思う?」

「その話、十回以上聞いているので私は答を知っていますが答えても?」

「ちなみに、せっかちであることと空気を読めないことは……」

 言いかけた傅の言葉を、ディーラーがジェスチャーで押し止める。

 分かりました、待ちますから早く済ませて下さいと言うように。

「三つ目の要素。それが無ければ強者も勝者にはなれず、弱者も勝利をものに出来る要素。それは運だよ。たった今、僕が示そうとしているものだ。さあ、カードを」

 溜め息をついたディーラーが、傅のカードを配る。

 カードの並びを見た傅の口許に、会心の笑みが浮かび上がった。

 傅が満足げな表情で目を閉じると、周囲から、おおっ、というどよめきが起きる。

「勝ったのか?」

 見物客たちの目が、傅のカードに注がれた。

 9と6と8。合計23。ディーラーのカードは合計19。

 21を超えた傅の完全な負けである。見物客たちの表情が、色めき立ったものから、見る間に唖然あぜんとしたものへと変わっていった。

「いや、また傅の旦那の負けだ」「さっきの勝者みたいな雰囲気は何だったんだ」

 傅が、落ち着き払った口調で言った。

「そして、敗北は勝利へのいしずえだ。最後に立っていた者たちは皆、かつての敗北をかてに出来た者たちだけだ」

 見物客がざわめく。

「おい、さっきは無かった四つ目の要素が出てきたぞ」「なんて面倒臭い人なんだ」「ディーラーが気の毒になってきたぜ」

 そのとき、傅の懐から着信音が鳴り響いた。「おっと失礼」と言いながら、傅が携帯電話を取り出して耳に当てる。短くやり取りして電話を切った傅が立ち上がった。

ディーラーが声をかける。

「何かあったんですか?」

「ああ、お馴染みのトラブルだよ」

 傅が窓際に向かって歩き出した。ディーラーの呆れていたような表情が、真面目な表情に、すっと入れ替わる。

「ご武運を」

「心配無いよ。それより、次に僕が来たとき、どう迎え撃つか考えておいてくれ」

 ディーラーが、親しみの籠もった笑みを浮かべた。

「それこそご心配無く。またのご来店をお待ちしています」

 笑みを返した傅が窓を開ける。雑居ビルの五階を吹き抜ける秋の夜風が舞い込み、傅の黒髪を騒がせた。

 傅が、ひょいと窓枠に飛び乗る。

 そして、窓の向こうへ跳躍した。

 ディーラーと見物客が窓から顔を出す。傅は隣のビルに飛び移ってまた跳躍し、電信柱を蹴ってさらに遠くへ飛び、あっという間に姿が見えなくなった。

 見物客の一人が、ディーラーに問いかける。

「傅の旦那、あれで本当にどこも機械化してないのか?」

「あの方は全部生身ですよ。今のは、確か軽身功というカンフーの技だったかと」

「中国四千年の神秘だな。旦那の相手をするどこかの馬鹿が気の毒になってきたぜ」



#3


 野毛の奥まった場所にあるゲームセンターでは、向かい合った筐体きょうたいに群がる子供たちから、どよめきが起きていた。

 昔ながらの格闘ゲーム。片方の筐体に向かう小太りな若い男の顔には、必死な表情が浮かんでいる。男の両手は凄まじく早い動きを見せていたが、口からは焦燥にかられた声が漏れていた。

「くそっ、止められねえ!」

 反対側の筐体では、周囲の子供たちから大きな歓声が上がっている。相手の男より遙かに速く、正確に動き回る両手を見て、「すげえ!」という子供の嬌声が響いた。

 途切れることなく繰り出される技の数々。相手の動きを予測しているかのような、全く淀みない動き。

 しぶとく凌ぎながらも、ついに追い詰められた男が最後の賭けに出た。フェイントから、一発逆転の大技を繰り出す。

 しかし、タイミングをあらかじめ知っていたかのように回避され、逆に狙い澄ました大技を決められてしまう。

 決着の一撃。子供たちから「マジかよ! キングを負かした!」という歓声が上がった。

「くっそ!」と筐体に両手をついて、キングと呼ばれた男が項垂れる。筐体を回り込んで近付いてきた勝負の相手が、キングに声をかけた。

「ありがとうございました。とても楽しかったです」

 おっとりした印象の柔らかな声音。優しげな表情。前に垂らしたプラチナ・ブロンドで右目が隠れた、美しい顔立ちのロシア人。

 彼女の顔に、申し訳無さそうな表情が浮かぶ。

「すいません。私、見ての通り体のほとんどを機械化しています」

 彼女の体は女性らしい滑らかな曲線を描いているが、関節や肌の表面には、明らかに機械と分かる継ぎ目や機構が見えていた。

「ですので、私のプレイが正確で早いのは、機械の……」

「そんなことは分かってたよ」

 キングが両手にはめていた手袋を外し始める。

「でも、機械化した体を使いこなしてるところまで実力の内だろ?」

 キングの両手。こちらも機械化義手だった。

「俺が負けたのは機械化義肢の性能差じゃない。あんたの方が俺の何倍も努力して、機械の体を俺より上手く使いこなしてたってこと。だから、今の勝負は百パーセント、あんたの勝ちだよ」

 子供たちが口々に囃し立てる。

「キングがかっこつけてる」「ユーリャが美人だからかっこつけてる」

「うるさいな!」とキングが怒鳴ったとき、ユーリャと呼ばれたロシア人女性が微笑んだ。

「私、この街が大好きです。機械化した体に何の偏見も無い人ばかりで。ここでなら、私も自分の体に誇りが持てます。私は、この街の人たちが大好きです」

 柔らかな色合いの花が咲いたような笑顔。キングと子供たちが、揃って頬を赤らめる。そのとき、ユーリャの表情が、すっと引き締まった。

「すいません、急な用事が入ってしまいました」

 彼女は電話を使わずに通信出来る、何らかの機構を備えているのだと推察したキングが「何か、事件かい?」と問いかける。

「はい。私の仕事です」

「気をつけて」

「ありがとうございます。良かったら、また……」

「次は負けねえぞ」

 キングの答えに嬉しそうな笑みを返してから、再び表情を引き締めたユーリャが走り出した。

 機械仕掛けの急加速。一瞬で出入り口の向こうに姿を消す。

 キングと子供たちがドアの外に顔を出したときには、もうユーリャの背中は見えなくなっていた。



#4


「なあ、あんた、天使に会ったことはあるかい?」

 野毛の一角。雑居ビルの二階に店を構えるバー。控えめな照明に照らし出された店内で、カウンターについていた男がバーテンダーに問いかけた。

 彫りの深い顔立ちに無精髭。洒落たスーツに身を包んだイタリア男。

 日本人のバーテンダーが、落ち着いた口調で答える。

「もしかしたら天使かもしれない、という方には年に何度か」

「俺はよく会うんだ。今夜もほら、同じカウンターに座っている」

 イタリア男から少し離れた席に、一人の女性客がついていた。カウンターの客はこの二人だけだが、女性客には、自分が話題になっていると気付いた様子は、まだ無かった。

 バーテンダーが飄々と返す。

「ああ、これは気付きませんでした」

「信じられないな。天使を見間違う男がいるなんて」

「私はてっきり女神だと思っていたもので」

 バーテンダーが切り返すと、イタリア男が大げさに仰け反った。

「何てことだ! 確かにありゃ女神だ! 俺としたことが見間違うなんて!」

 流石に気付いた女性が、くすくす笑い始める。イタリア男が、バーテンダーに言った。

「これは、彼女に一杯おごるしかないな」

「流儀ですか?」

「いや、礼儀だろう。カウンターに女神が一人でいたら男は一杯奢る。男として当然の礼儀さ」

 耐え切れなくなった女性が吹き出す。

「私は女神なんて上等なものじゃないわよ?」

 イタリア男が、女性に笑みを投げた。

「天使も女神も、みんなそうやって嘘をつく。だが、本当の男には分かるのさ」

「貴方が本当の男なの?」

「試してみるかい?」

「本当の男は随分せっかちなのね」

「まさか。試してみるってのは、まずは酒をみ交わすところからさ。お互いがどんな人間なのかって話をさかなに酒を呑む。相性が良ければ、ただでさえ美味うまい酒がますます美味くなる」

「意外。ちゃんと過程を踏むのね」

「過程だなんて。君と過ごす時間の一分、一秒に至るまで……」

 イタリア男の懐から着信音が響いて、彼の言葉を遮った。イタリア男が、肩をすくめて電話を取り出す。

「ギャビーだ、どうした?」

 電話の向こうと短く言葉を交わすと、ギャビーと名乗ったイタリア男の顔に、うんざりした表情が浮かび上がった。

「つまり、泳がせてた例の連中に逃げられそうってことか? まったく、お前たちはひどい。俺は今、運命の相手と……」

 電話の向こうで誰かの怒鳴った声がバーテンダーにまで届く。通話を終えたギャビーは「それどころじゃないだと? まったく礼儀を知らない連中だ」と、ぼやきながらスツールから立ち上がった。

 バーテンダーに「悪いがツケにしといてくれ」と頼んでから、女性に向かって、大仰に両腕を広げる。

「ああ、俺の女神よ。信じ難いことだが、俺は今から……」

「急いだ方がいいんじゃない?」

「この店にはよく来る?」

「ときどき。本当に運命の相手なら、きっとまた会える」

「君の唇からは、真理しかこぼれて来ないんだな」

 女性にウインクを飛ばし、ギャビーが店を出る。

「ありがとうございました」と、ギャビーの背中にバーテンダーが声をかけると、ギャビーは振り返らずに右手を振って、ドアの向こうへ消えた。

 女性が、バーテンダーに話しかける。

「ねえ、ギャビーって、もしかしてジョーカーの?」

「ええ。野毛治安の切り札、四枚のジョーカーの一人ですよ」

「意外。もっといかつい人かと」

「ああ見えて、とんでもない腕利きなんです。貴女が想像しているような厳つい男が束になっても、とても敵わないような」



#5


 伊勢佐木町。今どき珍しい日本家屋の庭で、二人の人間が向かい合っていた。

 一人は黒いスーツにサングラスの若い男。彼が構えた拳銃の銃口は、五メートル以上離れた場所に立つ、もう一人の人物へと向けられていた。

 長い黒髪を後ろで束ね、凜とした雰囲気を纏った若い女性。

 彼女は、鞘へ収まった日本刀の下緒をベルトに巻き、右手を柄に置いていた。

 数人の男たちが二人を遠巻きにしている。屈強な肉体をブラックスーツに押し込めた、厳つい容貌の男たち。

 男の一人が、拳銃を構えた若い男に声をかけた。

「瞬きするんじゃねえぞ」

 若い男の目が、声の聞こえた方へちらりと向けられた直後、彼の全身が凍り付いた。

 視線がわずかに外れたほんの一瞬。

 女性の姿が、彼の目の前にあった。

 チン、という納刀の音が鳴ったとき、彼のサングラスがブリッジから割れて、地面に落ちた。

 凍り付いたままの若い男に、女性が静かな口調で、言った。

「私が敵なら、お前は今、死んでいた」

 女性の鋭い視線が、真っ直ぐに若い男の目を射貫く。

「刃より先に銃弾が届く距離だという先入観から、お前は間合いの意味を読み違えた」

 若い男の全身が震え出す。彼が震える手でサングラスを摘み上げると、ブリッジの切断面は、もともとそういう物であったかのように滑らかだった。

 続いて、男の手が自分の眉間みけんから鼻筋にかけて触れる。肌には、わずかな傷すら見つからなかった。

「この封鎖区域には、機械化した四肢を使いこなしている人間も大勢いる。お前の先入観より速く動き、お前が引き金を引く前に間合いを潰せる者もいないわけじゃない。だから、お前の先入観は今日、ここで捨てて行け」

 若い男の表情が、感嘆に彩られたものへ変わっていく。

「お前は桐嶋きりしま組の杯を受けた。故にお前は桐嶋組の銃弾にして刃だが、同時に家族だ。私は、家族に死んで欲しくはない」

「はいっ!」

 若い男は、思わず姿勢を正して返事していた。女性が、口許に静かな笑みを浮かべる。

「いい返事だ」

 最早、心酔に至った表情の若い男が言った。

「ありがとうございやした……! へへ、限定品のサングラスだったけど、これ、今日の記念にしやす」

「えっ」

 女性の表情が驚いたようなものへと変わる。

「あっ、す、すまない。大事なものだったのか?」

 慌てた調子になる女性。思わぬ反応に、今度は若い男の方が「えっ」と声を漏らした。

「あ、いや、それなりに高かったっつうか、お気に入りだったっつうか」

「誰か、大事な人間の形見だったとか、そういうことは……」

「いやいや! そんな大層なもんじゃねえんで!」

「そうか……」

 女性が、目を伏せて、申し訳無さそうな顔になる。

「だが、すまなかった。私は何をやっているんだ……格好つけて、家族の大事にしている持ち物を壊して……」

 落ち込み始めた女性を見て、若い男は、大いに慌てた調子になった。

「いやいやいやいや!本当にそんな大したもんじゃねえんで! 今日の授業料って思ったら安いもんだっつうか! お嬢のお陰で、俺、この先、修羅場でも生き残っていけるかもしれねえんで!」

 一体何を騒いでいるのかと、遠巻きに見守っていた男たちも二人のもとへ集まって来る。そのとき、女性の懐から着信音が響いた。落ち込んでいた女性の表情が、一瞬で引き締まる。

 電話を取り出し、短くやり取りした女性が通話を終えると、集まってきた男の一人が問いかけた。

「特警からですか? お嬢が出るような事件が?」

「ああ」

 頷いた女性が「行って来る」と一言残して走り出し、近くに停めてあった大型のバイクに飛び乗る。

 キック一発でエンジンが咆哮ほうこうを上げ、女性の姿は瞬く間に男たちの視界から消え去った。

 きらきらした目で女性の後ろ姿を見送っていた若い男が声を漏らす。

「スゲエ人だ……!」

 声を聞いた男の一人が言った。

「この封鎖区域で一番強え四枚のジョーカー札が一人、桐嶋山茶花さざんか。美人だがお前みてえなが惚れるんじゃねえぞ。似ても似つかねえが、組長の孫娘だからな」

「オレ……あの人に一生ついて行きやす!」

 目を輝かせたままの若い男を見て、声をかけた男が溜め息をつく。

「俺ぁ、お前が早死にしねえか心配よ」



 現在、封鎖区域は、抗争を生き残った四大組織の首領たちにより構成される『円卓』を頂点とした、マフィアによる自治が敷かれている。

 各組織が支配区域を腑分けした封鎖区域内で、『野毛エリア』だけはいずれの支配区域にも属さない非戦闘区域であり、今も多数の飲食店や風俗産業が店を構え、歓楽街として以前以上に栄えている。

 しかし、日本中の訳ありな人間が流れてくるこの街では、非戦闘区域といえどもトラブルが絶えない。

 特に、四大組織のいずれにも属さない無法者たちにとって、どの組織の支配区域でもない野毛は、格好の営巣場所でもあった。

 円卓は、野毛の治安を維持すべく、それぞれの組織から均等に人員を出し合い、『野毛特別警察部隊』通称『特警』を組織したが、特警でも被害を抑え切れない事件は後を絶たなかった。

 事態を重く見た円卓は、それぞれの組織から一人ずつ、最も腕の立つ者たちを野毛に派遣した。

 チャイニーズ・マフィアからは、中国拳法の名手、傅玉林イーリン

 ロシアン・マフィアからは、全身を機械化した女性、ユーリャこと、ユリア・ヴァリシエヴナ・カルサヴィナ。

 イタリアン・マフィアからは、ガン・ファイトやトラップの名手、ギャビーこと、ガブリエーレ・ジュリアーノ。

 ジャパニーズ・マフィアからは、剣術の達人、桐嶋山茶花。

 いずれ劣らぬ封鎖区域最強の四人は、特警の手に負えないトラブルが起きればすぐさま出動し、暴力をもって暴力を制する野毛治安の切り札となる。

 やがて、彼らは、四人のジョーカーと呼ばれるようになった。

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