プログラとあそぼ

子どものプログラ

 きゅるきゅるきゅるきゅるきゅる


 部屋の中に金属同士が干渉する甲高い音が響いた。


 きゅるきゅるきゅるきゅるきゅる


 数秒間の静寂の後、再び音が部屋の中で暴れ回る。

 部屋の隙間という隙間が、びっしりと埋め尽くされ塞がれていた。

 新聞紙で、ガムテープで、厚紙で。何枚も、何枚も重ねられていた。神経質さと粗暴さを兼ね備えた異様なバリケードが、部屋のいたる場所に存在した。

 その閉塞感溢れる室内で、男は電動の芝刈り機のようなものを持って佇んでいる。


 きゅるきゅるきゅるきゅるきゅる


 再び、金属音。

 男は試していた。自分で作り上げたその機械を。

 唸り、蠕動し、獲物を求めているかのように甲高い叫びを上げ続けている牙を。

 何度も何度も試行と調整を繰り返して、それでもしっかり掴まえていないと本当に暴れ出しそうなほどの剥き出しの牙。

 ぼそぼそと何かを呟く。金属音に掻き消され、自身以外には誰にも聞こえないその名前を呟く。

 まるで神秘を目の当たりにしたかのような恍惚の笑みを浮かべて。

 男は掴まえていたものを操作し、叫びを止めた。

 そんな表情の男の顔面にもグラスがあった。

 男の視界に2D表示されたいくつかの写真が浮かんでいる。

 自分よりも二回りぐらい若そうな、少年少女達の顔写真。

 オンライン上で優しい誰かに譲ってもらったそのデータを、食い入るように見つめる。

 その中の一つの写真を男の瞳が捉えた。

 申し訳程度に整えられた頭髪の、際だった特徴のない容姿の少年が、ぼんやりとした表情で写っていた。

 数多くある写真の中では埋没しそうな彼の下には名前が表示されている。

 つなぎ すばる

 写真の下に、おそらく少年のものであろう名前が表示されていた。男は、それを歯を食いしばりながら見つめていた。薄汚れた歯と、その歯茎がむき出しになる

 何の前触れもなく男は叫んだ。叫び、暴れ、手に持っているものを振り回す。

 デタラメに動かしたそれが、部屋の中にあるものを打ち砕き、切り裂いていく。

 ボロボロになった椅子、くたびれた年期の入った革のソファー。硝子の容器。

 そして蛇がのたうちまわったような線が引かれた画用紙。

 じっくりと観察して初めて、絵だと認識できるような、粗い線で描かれたおぞましい姿をした何かの絵。そんな紙が部屋中の至る所に散乱していた。

 そして。

 それと同じ造形をしたものが、男の周囲を漂っている。

 いくつも、いくつも。

 男にしか見えない、化け物。濃い紫色をした霧の中に、その物体はあった。

 それらが男の凶暴な動作に翻弄され、部屋の中でかき回されるようにして動いている。満足したのか、暴れるのを止めて男はその場で荒い呼吸を静めた。

 彼は空中に漂う仮想の物体を手で押しのけながら部屋のドアへと手を伸ばす。数度乱雑に動かすと隙間を埋め尽くしていたガムテープが剥がれた。

 そして男は武器を携えながら部屋を出て行った。



 すばる

 プログラが、言葉を発した。聞き間違いなどではない。確かに喋ったのだ。


「おいおい」


 俺は思わず独り言を呟いた。


「おいおい」


 そんな俺の言葉を真似するかのように、プログラが喋った。


「いやいや」


 俺は手を振って否定の仕草をした。プログラの反応に対して、というか目の前で起きている

出来事が信じられなくて。


「いやいや」


 プログラがオウム返しのように俺の言葉を繰り返す。ご丁寧に身振りまでつけて。

 その声は機械的な合成音声などではなかった。

 記憶のどこかで聞いたことがあるような、ないような。

 懐かしいような、そうでもないような。

 確かに聞いているのに、どこかおぼろげで曖昧な感じ。

 ただ、決して耳障りなものではない。

 その声は聞いていてとても落ち着くものだった。

 俺は目の前の彼女の姿をあらためて観察した。

 声だけでなく、プログラの雰囲気そのものがどこか変化していた。

 むしろ以前よりもおぼろげというか儚げというか、実体感が薄い。

 モデルのグラフィックの質が落ちているのだろうか?

 音声認識の入力や出力に、リソースを割かれている可能性は十分に考えられる。

 プログラの姿をもっと観察しようと俺はベッドから立ち上がり、以前と同じ動作で彼女の周囲を周ろうとした。

 しかしプログラが、なぜか俺の方へと近づいてきて離れない。

 その挙動はまるで落ち着きのない子供のようだ。

 俺は右へ回り込もうとする。

 プログラも同じ方向へ動く。

 俺は反対へ向かおうとする。

 プログラも同じ方向へ動く。


「コントか!」


 何度か繰り返しあまりのしつこさに、俺は思わずそう怒鳴った。

 すると、プログラはビクリと身体を震わせてその場に静止した。

 改めて、彼女に聴覚が備わったのだと実感した。

 しかも俺の声に怯えているようだ。細かいニュアンスまで理解しているのか。いや、俺の表情から判断しただけなのかもしれない。

 どちらにせよ、怖がっている彼女を落ち着かせなければならない。


「えーと、ごめん。ごめん……分かる?」


 プログラは震えながら首を横に振った。

 俺は声に出して謝りながら頭を下げた。

 何度も頭を下げて、ようやくプログラは落ち着いた。

 立っているのに疲れたのか、ぺたりと床に座り込んでしまったプログラの周囲を観察して周る。モデル自体に変わったところは特にない。

 だが。

 俺はプログラの背後から声を出してみる。


「おーい」


 ぴくりと身じろぎし、彼女が反応を示した。

 その場で大きく手を叩く。

 びくっと彼女が身を震わせた。

 面白い。

 いやそうじゃない。

 今度もシミュレーションアプリを起動しサンプルを選択して、AR上に風船を浮かべた。別に音だけ鳴らすなら必要のない作業だったが、思いついたことがあった。

 彼女の注意を引くために目の前……プログラのモデルの前方に風船を放り投げる。

 ふわふわと風船が漂っていった。

 プログラが、興味津々といった様子でそれを見つめる。

 まるで無邪気な子どものように、手を伸ばして立ち上がりかけた。

 そのタイミングで質量を設定したARの小さな球体を、風船めがけて飛ばした。

 迫力のある音を立て風船が割れる。仮想の風船の破裂音がAR上に響いた

 プログラが驚きのあまり、盛大に腰を抜かしてそのまま尻を打ち付けた。

 俺はしてやったりといった表情で笑った。


「ぅぐ……」


 喉から絞り出すような、掠れた声が聞こえた。

 何事かと思いプログラに視線を移せば、彼女は両手を目に擦り付けている。

 それに続いて、しゃくり上げるような声が。

 プログラが泣き出してしまった。大口を開けてボロボロと大粒の涙を流している。十代の少女の姿にその動作はまったく似つかわしくない。

 まるで子どもになってしまったみたいだ。

 というか、一連の行動が幼い子どもの行動そのものに思えた。

 そういえば以前石崎はプログラの学習状況、つまり知識や知能レベルも自由に設定できると言っていた。

 ということは、現状のプログラは子供そのものという設定なのだろうか。

 何考えてんだあいつ。

 子守の練習でもさせようというのだろうか。

 それとも教師か保父さんの実習か。もしかしたら幼い子供を看る医者の体験かもしれない。どれも俺は目指していないのだけれど。

 とにかくこのままでは埒が開かないので、なんとかプログラをなだめようと行動に移す。


「ごめんごめん、悪気は……いやあったけど、とにかくごめん……」


 プログラは泣き止まない。まるで聞こえていないようだ。

 子どもの状態なら頭でも撫でてやるべきだろうか、そう思って手を伸ばそうとしたが、頭をぶんぶんと振って振り払われてしまった。

 触れることすらままならない暴れっぷりで、更に激しく泣き出した。

 地面に倒れて泣き喚いている十代ぐらいの少女。

 そのすぐ傍に突っ立ってる男。つまり俺。

 画的に不味すぎる。

 別に誰に見られているわけでもないのだが、早くどうにかしなければと気ばかりが焦る。そして、まるで天啓が降りてきたかのような素晴らしい発想を思いついた。

 俺はAR上にコーンに乗ったアイスクリームを浮かべた。まさにアイスクリームとしか表現できない記号化された物体。

 サンプルから選んだだけで、俺の発想が貧困なわけではない。

 これで効果がなければ、本当に打つ手がなかった。

 まず泣きじゃくってるプログラの注意を引く。

 何度か試して、ようやく彼女は目を擦りながらこっちに視線を向けた。

 アイスをプログラに投げ渡してやる。地球上の物理法則を無視して、ゆっくりと放物線を描いてアイスがプログラへと向かう。彼女が手を伸ばした。

 スカッ

 実際に聞こえたわけではないが、そんな擬音が俺の頭の中で響いた。

 アイスがプログラをすり抜けた。現実に存在するアイスならこれは当然だ。

 しかし俺が出したのはAR上の物体。プログラと同じもの。


「おいおいおいおい」


 バグか。いや、単に接触判定が行われなかっただけかもしれない。

 以前は触れられていた筈だったのに、設定が初期化されたのだろうか。

 当のプログラはといえば、俺の嫌がらせだと勘違いしたのか、更に激しくジタバタと暴れながら泣き出した。プログラの腕や脚が椅子や壁をすり抜ける。

 物理的な、ARの物体だけでなく現実に存在するものまですり抜けている。

 床との接触判定も微妙に怪しかった。これは一体どういう状態なんだ。


「石崎……」


 俺は友人の名前を呟いた。

 正直、試せばすぐに分かるようなこんな状態のプログラムを、あいつが公開するだろうか。

 もしかして修正する時間もないぐらい忙しいのか。そうでないとすればこちらの環境に不備があるのか。そもそもバルーンの挙動からなんだかおかしかったし。

 それとも、聴覚処理の代わりに接触判定が犠牲になった、やむおえない仕様なのだろうか。

 どのみち俺に残された唯一の選択は、その姿を馬鹿みたいに見つめ続けることだけた。

 途方に暮れてプログラを見ていると、彼女の動きが突然ぴたりと止まった。

 未だすすり泣きを続けているが、違和感に気付いたのか腕をぶんぶんと椅子や壁などに向かって振っている。そして泣きじゃくっていた筈の子どもは、緩慢な動作で身体を起こした。いつのまにか涙も止まっている。

 このあとどういう反応を示すのだろうか。

 カグラは、あらゆる状況を機械的に学習させられている筈だ。そのカグラのデータを利用しているプログラが、現実もARも問わずに物体をすり抜ける。

 その状況でどういう反応を示すのか純粋に興味が湧いた。

 プログラが俺に背を向けたままの状態で微動だにしない。

 もしかしてまた固まったのだろうか。想定外の自体に、対処仕切れなくなってしまったのか。

 いや、違う。

 プログラは再び動き出した。

 下に向かって。


「おお!?」


 目の前で人が……人にしか思えない存在が、床に埋まっていく光景など初めて目の当たりにしたから。沈んだ。としか表現できない。


「待て待て待て待て」


 慌てて駆け寄ろうとする前に、プログラは上昇、というか浮上して元に戻った。

 接触判定がないのは家具などの物体だけでなく、床も含めたあらゆるものに対してだったらしい。元々床に浮いているような状態だったのだろうか。

 とにかく、戻ってきて一安心したところに、再びプログラが沈みだした。


「おいっ!」


 そして浮上。

 油断しているとまた同じことを繰り返しそうだった。

 ぐったりして、俺は項垂れた。

 問題が起きていないとはいえ、目の前で人に沈まれるとさすがに焦る。

 誰かの笑い声が聞こえた。

 いつのまにかプログラが振り返って、満面の笑みを浮かべている。明らかにこの状況を楽しんでいるのだ。人の気も知らないで。

 何かしら注意しようと声をかける間もなく、再びプログラが笑顔のまま沈んでいく。


「だからもうやめ……」


 沈みきった。

 しばらく待ってみるが、床から浮上してくる様子はない。プログラの姿が、部屋の中から消え失せた。どこにもいない。消えた床の部分を触ってみる。


「プログラさーん」


 俺は膝立ちになって床を叩いてみたが、何の応答もない。


「プログラさーん?」


 ばんばんと床を強く叩く。やはり戻ってこない。

 今度は俺が固まる番だった。とにかく思考を巡らせてどうすべきか考える。

 プログラは床に沈みました、戻ってきません。なんて感想を石崎達に送るわけにもいかない。そう思って床を見つめるが、一向に戻ってこない。

 どうしようもなく、何かに縋るように天井を見上げた。

 座った姿勢をした下半身があった。

 そのまま下半身がゆっくりと下降していく。

 天井から胴体、頭が徐々に現れて。

 プログラが何事もなく元の場所に戻った。


「なんでだよ!」


 俺は叫んだ。プログラは笑った。

 そもそも実際にプログラが沈んだわけではなく、あくまで俺にそう見せかけているだけに過ぎない。別におかしなことではなかった。

 挙動自体は完全におかしいと思うけど。


「すばる」


 疲れ果てている俺を指さしながらプログラが言う。

 真っ直ぐな、澄んだ純粋な表情を浮かべて。


「すばる」


 再び、そう言った。

 あれをもう一度試してみよう。そう思った。


「プログラ」


 俺もプログラを指さして、低く、優しく子どもに聞かせるように言う。

 しばらくきょとんした顔で、プログラは俺の言葉の意味を考えているようだった。


「プログラ」


 俺はもう一度続ける。プログラが、ゆっくりと自分のことを指さした。


「ぷろぐら」


 ああ。

 目の前の少女は言葉を理解している。

 心からそう思った。

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