二つの感覚

人工知能カグラ


「誰かに見られると不味いから……ついて来て」

「……あぁ」


 そっと立ち上がり石崎が歩き出した。俺はそれに導かれるように、後についていく。

 何も悪いことをしているわけではない。だというのに、妙に心臓の鼓動が高鳴っていく。

 興奮を悟られないように無表情を装いながら歩いたが、周囲から見れば挙動不審に映ったかもしれない。廊下がやけに長く感じる。

 窓の外に目をやれば、いくつかのドローンが空中を飛行していた。何かの実習か、それとも遊んでいるだけなのだろうか。


「部屋借りといた」

「……用意いいな、お前」


 気が付けばいつのまにか目的の場所へと着いていたようだった。

 石崎がまず室内へと入り、俺は周囲の視線を気にしながらそっと入り込む。


「一応鍵かけといてね」

「ん、あぁ」


 上の空で俺は返事をする。

 部屋自体は清潔に片付いていた。白い天井と壁紙に灰色のカーペット。

 数台の机が長方形を形作っており、椅子が整理整頓され机の前に並んでいる。

 何かの映像で見た、職場の会議室を彷彿とさせた。

 俺がぼんやりと突っ立って簡素な室内を見渡している間にも、石崎が着々と準備を進めてる。

 どこから取り出したのか、カメラやセンサー、中継器などの小型化されたデバイスを手際よく設置していく。


「正直ここまで準備する必要もないんだけどね、まぁ一応儀式みたいなもんだとでも思っておいてよ」

「召還の儀式、みたいなもんか」


 石崎がかけているグラスの前に手をやって、いくつかのフォルダを表示させる。

 その内の一つに指で触れ、更にファイルを取り出し探し……その作業を繰り返す。

 途中で何度かパスワードを入力しているようだった。


「相変わらずごちゃごちゃしてるな。ショートカット設定しないのか」

「いや、なんか癖でさ。それに一応防犯も兼ねて……あ、あったあった」


 まるで俺の言葉に上の空で返事をしながら探り続ける。

 そして、ようやくお目当てのものを見つけたらしかった。

 いくつかの実行ファイルや共有フォルダを渡され、言われるがままにいくつか自分の端末にインストールしたが、正直何のファイルを保存したのかもあまり覚えていない。

 これから先に起こるであろう出来事で、頭がいっぱいだったから。


「さて」


 石崎はぱんぱんと手をはたく。まるでこの時を待っていたと言わんばかりに、友人はにやついた笑みを浮かべていた。


「嘘じゃ、ないよな?」

「嘘では、ないね」

「もったいぶるなっての」


 俺は待ちきれないと言わんばかりに頭を掻く仕草をする。


「まぁまぁ、逃げるもんでもないし……じゃあ、いくよ?」


 黙って頷いた。

 石崎は宙に浮かんでいるファイルをつまむと、俺との間に放り投げた。

 選び出されたアプリケーションが、直径1m程の風船型のグラフィックとしてAR上に浮かんでいる。

 石崎が、深呼吸をした。


「これが……」

「そう、これが僕たちが約束した、アレ……の一部、かな」


 俺と、そして石崎が、バルーンの正面に向かい合った。

 深い蒼色あおいろをしたその中には人影がぼんやりと浮かんでいる。

 人影は、膝に腕を回して身体を丸め、体育座りのような姿勢をとっているように見えた。バルーンの表面にはファイル名が記されている。

 人工少女Proto Kagra。


「準備はできてる?あ、心のだよ」

「他に何があるんだっつの」


 待ちきれないとばかりに俺はおざなりに答える。それは石崎も同様らしい。

 彼は頷くと、人差し指でバルーンの表面を強くつついた。

 まるで風船が割れるかのように表面が弾け。そして、中にいた少女が降り立った。


「初めてのご対面だね」


 少女が、顔を上げる。


「そして、僕たちの人工知能カグラプロジェクトの、晴れ舞台だ」


 俺はそのときの光景を一生忘れないだろう。

 その時の、期待と、興奮と、その笑顔を。

 それが全ての始まりだったから。

 彼女はこちらに向けて照れくさそうに微笑んだ。



 人工知能カグラプロジェクト。

 自分で考え、話し、人とコミュニケーションをとる存在。俺と石崎が、いつか実現しようと誓った存在。

 それがこんなにも早く完成するなんて。


「えーっと……」


 俺は頭を掻きながら俯いて、まず思いついた疑問をそのまま発した。


「何で女の子になってるんだよ」


 企画を立ち上げ、大規模な支援を受ける以前はこんな予定ではなかった筈だ。たぶん。


「いや、まぁ、それには深いわけが……。でもさ、悪い気はしないんじゃないの?」

「……まぁな」


 渋々、俺は頷いた。正直内心では嬉しさよりも気恥ずかしさの方が打ち勝ったが。

「ちなみに、この女の子は便宜上プロトカグラって名付けてる。皆プログラって呼んでるけど」

「まんまだな」


 俺は生返事をした。正直名前などよりも、その姿が、目の前の少女の一挙一動が気になって仕方が無い。


「で、どうすればいいんだこれ」

「いろいろ、試してみたら?」


 助けを求めた石崎の返答は思いの外そっけない。

 プログラに視線を戻せば、未だに微笑みを浮かべながら黙ってこちらを見つめている。

 とても真っ直ぐな視線で。

 思わず目を逸らしてしまった。


「すげぇなこれ」


 照れ隠しにそう呟いた。

 プログラはじろじろと観察するのを躊躇ためらってしまうほど、実在感を伴っている。

 本物の少女が眼の前にいるとしか思えなかった。


「あー、プログラを前にした人は大体そうなるよ。本物にしか思えないからって」

「だろうなぁ」

「ただ、繋君はいわゆるテスターでもあるんだよね。プログラをしっかり観察して感想言って貰わないとデータ取れないよ」

「マジかよ……」


 一応企画の発案者なわけだし、いつまでも恥ずかしがっていてもしょうがない。

 俺は意を決して、改めて少女の姿を観察する。

 蒼い。それが一言で表せる彼女の印象だった。

 コバルトブルーの髪に、蒼を基調にしたデザインの衣装を身にまとっている。

 少し長めのブレザーに、短めのショートパンツ姿。パッと見どこかの制服のようにも見える。


「この服……なんだろう、アイドルっぽくも見えるし……なんかの制服か?」

「正解。近隣にある高校の制服をモデルにしたんだ。プログラの設定年齢も大体それぐらいだし」

「……やばくないか?」

「権利的には大丈夫だよ。一応前もって連絡も入れといたし。それにあくまで試作用にモデリングしただけだから」

「いや、そういうことじゃなくてな……」


 俺は元のデザインの制服を調べ、グラスに表示させた。プログラの衣装はかなりのアレンジが施されていた。

 本来の制服はもっと機能的でもっと野暮ったかった。

 少なくともこんなにヒラヒラしたフリルに、やたら目を引く宝石のような装飾は施されていなかった筈だ。

 こんなに腕や脚を、いわゆる素肌を晒した服装ではなかった筈だ。

 腹部に関してもへそが見えている。

 というか全体的に肌色の面積が多い。


「制服も元はスカートだよな」

「残念?」

「……いや」

「色々動作させるから、スカートだとちょっとねー。下品だって言う人もいたし」


 俺はプログラの周囲を一度ぐるりと周り、側面に回り込んだ時にある事実に気が付いた。

 脇腹の部分に何故かスリットが付いている。


「下品に片足どころか腰まで突っ込んでると思うぞ」

「あー、そのデザインは僕が提案したわけじゃないよ。マジで」


 本当なのかどうか判別がつかない。

 口では興味ないふりを装っているが、意外と内に渦巻く欲望を秘めているのかもしれない。いや、今はそんなことはどうでもいい。それよりも。

 再び俺はプログラの観察作業に移る。

 石崎の前だから出来る限り表に出さないようにしているが、やはりプログラを前にするとどこか恥ずかしさを感じてしまう。

 それだけ、眼の前の幻影を本物の少女だと思えてしまうということだろう。

 頭では違うと理解している筈なのに。

 プログラは。相も変わらずその場に立っていた。

 その頭部を見つめる。腰まで届く蒼い長髪は、綺麗なハイライトを描いている。

 どうも室内の光源の影響も反映されているようだ。その顔へと視線を移してく。

 緩やかにカーブを描いた蒼い細い眉に、くっきりとした目元。眼に浮かぶ瞳は、澄んだ薄水色をしていた。

 控えめで小ぶりな鼻に、蒼い色とは対照的な桜色の唇。

 人形の様な造りものめいた精巧さであり、同時に人間らしさも感じさせる。

 一つ間違えれば違和感しか産み出さないであろうデザインが、奇跡的に成立していた。


「なんでこんなに違和感ないんだろうな……こんな派手な姿してるのに、なんかリアルに馴染んでて……」

「そりゃもう、死ぬほど苦労してこのモデルを確立したわけだし」


 石崎が人差し指を立てながら続ける。


「あと動きや表情が備わると、かなり人間らしくなるんだよね。もちろん、自然なそれらしいやつって前提で」


 プログラがはにかみながら、こちらに微笑み返した。

 俺は彼女の顔を見ながら再び周囲を回り込むように動く。

 それに併せて彼女も眼だけでなく、首や身体全体を使って視線をこちらに向け続ける。

 ゲームのキャラクターがするような、水平移動や直線的な動きは一切なく、人間がやるようにごく自然な動作で。

 MVRワールドや現状存在する他のどんな人型の3Dモデルも、こんな人間味を感じる動作をしたのは見たことがなかった。


「さっきから思ってるんだけど、機械的じゃないというか……本当に違和感がないな」


 石崎はしたり顔を浮かべて、俺が公開する間もなく腕を組みながら話し出した。


「キャラクターモデルが備えるグラフィックの質や描写もそうなんだけど、それ以上にこだわってる部分はそこなんだよね。人間が通常行う身体的な動作を全て再現させたんだ。普通に立ってるだけでも、微動だにせずに静止してるってことはない。無意識の内に重心が僅かに傾いてたり、それを直したり。視線の移動とかの諸々もね。意識的にとる動作に関してもわざとらしくないよう、調整してる。しかもARだ。当然環境にも対応しなきゃならない。地面から浮いてる、家具にめり込んでる、なんて状態じゃ途端に現実味が薄れちゃうし。各種センサーを大量に設置したのもそのためだよ。まぁなくても在りモノでそれなりに対応はできるけど。自発的な動作に関しては、顔の傾きとか、髪をかき上げたりとか、身体動かしたりとか。ずっと突っ立たせてると、疲れて色々な素振りもしてくれるんだよ。こっちの反応や環境のリアルタイムの変化にも当然左右される。そうしないとリアリティが生まれないからね。あ、言い忘れたけどもちろん光源にも対応してるよ。光を眩しがったりもするし」


 石崎はそこで一旦言葉を切って、話し続ける。


「とにかく、プログラをここまでするのにディープラーニングを、つまり機械的に繰り返し何度も何度も学習させて辿り着いたんだ。まぁ、機械的に学習させて出来上がったのが人間らしい動きってのも面白いけど」


 石崎が偉そうに捲したてた。まだ全然語り足りないという顔をしている。


「すげぇな、マジで」


 言葉のほとんどが頭に入ってこない。さっきから感嘆しっぱなしだった。それぐらい、目の前に立っている少女は完璧だったから。


「よくここまで出来たな」


 感嘆して呟いた俺に反応してスイッチが入ったかのように、石崎の口が再び開いた。


「この街の技術や人材に本当に感謝してる。常に開発や進歩が進んでいるPCの処理能力に、それを溜め込む記憶装置。大規模なサーバーに集まるビッグデータやら、それを吸収して学習するディープラーニングっていう脈々と続く技術。ハードとソフトの両方の進歩と、そもそも各種のデバイスがなければまず僕らじゃ実現不可能だったと思う。そんであと人や環境。開発者同士や施設が物理的近くにいるから連携もしやすいし。やり取りもスムーズだったよ。支援してくれる人がいて、それを推進する環境もあって。これは他のものでも言えるけど、ネット全盛の時代に物理的な距離が近くないとプロジェクトも円滑に動かないってのは悲しい、だけどまぁしょうがない」

「そうですか」


 俺は聞き流した。

 しゃべり疲れて息の上がっていた石崎が呼吸を落ち着ける。


「他にも色々反応してくれるよ。例えばだけど……そうだ」


 触ってみたらどうかな、とヒソヒソ話をするかのように顔を寄せて石崎が呟いた。

 俺が? と声に出さずに自分で自分を指さす。

 友人はゆっくりと頷いた。

 さすがにいくらか逡巡しゅんじゅんした後に、気が付けば俺は彼女の真正面に立っていた。プログラが、そわそわしながら不思議そうに俺のことを見つめ返す。

 ここまで人間に似せなくていいだろ……

 この時ばかりは心の底からそう思った。


「あ、そうそう。一つだけ忘れ物!」


 石崎はそう言うと、何かを俺に向けて投げ渡した。

 ARの存在ではなく、現実に存在するもののようだった。

 手で受け止めて、それをまじまじと観察してみる。

 それは肌色をした手袋としか表現できない形状をしていた。


「見れば分かると思うけど、ハプティクスデバイスってやつだよ。手全体の触覚をリアルに再現するやつ。ぶっちゃけコスト的に色々見合ってないんだけど、まぁ開発段階だし。一応リングには干渉しなようになってるから、そのままつけて大丈夫だよ」


 俺は手に持ったそれをまじまじと見つめ、ゆっくりと石崎の方に顔を向けた。


「これじゃ物足りないでしょ?」


 悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、石崎は片手の指に装着しているリングを指し示した。

 ピースリング。

 少なくともこの街ではピースで通っている、ウェアラブル端末。

 グラスに表示されたアイコンなどに触れるためのデバイスで、何よりその肝は軽い電気と振動による触覚の再現にあった。

 ピースを5本の指にそれぞれ嵌めていれば、現実には存在しないものにも触れられる。

 神経を通して伝わるから手全体の感覚まで再現することだってできる。

 実を言えば別にグラスのARを操作する面で必須でもない。

 グラスには微細なカメラやセンサー類、その処理を行う微細な演算装置が搭載されているからだ。

 ただ、それでも街の人たちの半分ぐらいは常に身につけていたし、特に開発者や医療従事者、あらゆるコンテンツやサービスに関わる人間には必須のデバイスだった。

 それぐらい、手で触れるという技術は重要な要素だった。

 ARが当たり前のように存在するこの尖山という街では、とくに。

 ただ、あくまで単純な刺激と振動によるものだったので、触覚の再現にはほど遠かった。

 しかし。おそらくその拡張版というか上位互換であろうものが今俺の手の中にある。

 そして、目の前には架空の存在である筈のプログラが。


「フィードバックを得ながら開発したから、プログラとの相性もばっちりだし、事実上触覚の完全再現に成功したようなもんだよ」


 俺は思わずプログラを凝視した。

 その表情からは邪念がまったく感じられない。

 無邪気としか言いようがなかった。


「素晴らしい体験だと思わないかい」


 石崎はそう言い放った。

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