尖山街の人工少女

東京 東

夢の始まり 前編

たぶん、初めての接触

ふたりの少年とひとりの少女

 

 鋭い眼を輝かせている黄金色に染まった何かがいた。

 そいつは自らが開けた巨大な孔から抜け出そうと、のたうち身をくねらせていた。

 長い長い胴体の先端には、同じぐらい長い腕が付いている。

 胴体に比べれば枯れ木の枝のように細いが、その先端には眩いほど真っ白に尖った爪を備えていた。

 見る人が見れば、昔のおとぎばなしに出てくる龍を連想したかもしれない。

 ただその姿はよりリアル、かつ凶暴性を感じさせるものだったが。

 その巨体をじっと見つめる集団がいた。

 魔女、骸骨、真っ黒の人形、仏像、西洋甲冑、半漁人、忍者。

 何かの仮装パーティーを思わせる、何の一貫性も持たない組み合わせ。

 その誰もが、何かに乗り、跨り、座っていた。

 ほうき、馬車、自転車、雲、豚、鯉のぼり、畳。

 一見乗り物とは思えないような物体の上に居座っている彼らは、自由自在に宙を舞い周辺をせわしなく漂い、何かの悪夢にしか思えない光景を生みだしていた。


 その中にバイクに跨った一人の少年がいた。


 個性豊かな風貌をした周辺にいる連中と同じく、彼もまた空中に浮かんでいる。

 薄い茶髪に染まった頭髪を備えた一見どこにでもいそうな少年だが、異常な見た目をした集団の中では逆に目立ってしまっている。

 不意に、彼はアクセルグリップを握り走り出した。巨体な龍へと真っ直ぐに、猛スピードで加速しながら突っ込んでいく。

 先ほどまで騒ぎ立てていた集団が、まるで思い出したかのように一斉に巨体へと向かいだした。

 少年に先をこされまいと、彼と同じように宙を走る。

 ヤジや笑い声。純粋な親切心からの静止の声。上ずった声や意味不明な叫び声。何事か必死に話しかけようとする声。

 それらを尻目に少年は更に加速する。まるで、何かに突き動かされているかのように。


「これ以上はやべぇだろ!」

 

 巨大な龍へと向かっていたキャラクターが一人、また一人と減速を始めた。

 すでに龍が腕を一振りすれば届くだろう間合いに、大勢が入り込んでいる。

 だが少年は止まらなかった。周囲の状況をまるで意に介さずに真正面へと突き進んでいく。

 前方にそびえる怪物すら存在しないかのように。

 集団の中の数えるほどの連中がその後に続いた。

 少年が少し振り向いて、更にスピードを上げた。

 少年から見れば、龍はまるでそびえ立つ巨大な山そのものだ。

 その表面すれすれを走り続ける。

 ぶつかる!

 誰かの叫び声が響いた。

 すでに少年の目前数メートルの距離に、彼の数倍もある大きさの鱗を備えた、余りにも巨大な胴体が迫っていた。

 急ブレーキで減速を始めたとしても、到底間に合わない。

 彼はあらん限りの力を振り絞って車体を傾けた。

 巨体が目前に迫っている。胴体から木々のように生えている黄金色の鱗で、視界一杯が満たされた。

 そして。

 ぶつかるか否かというコンマゼロ秒の瞬間。

 彼の視界は真っ暗になった。

 

「あ!?」

 

 一瞬、巨体にぶつかったのかと思った。避けることに失敗し、宙を舞い、ブラックアウトしたのかと……

 だがそうではなかった。

 首を振って辺りを見渡せば、空間自体が真っ黒の闇に染まっている。

 その中に自分がぽつんと浮かんでいる。

 バイクもない。というか自分の体すら見えない。

 なんだこれ。

 そう思った直後に、視界にノイズが走った。

 少年のアバターを操っている、プレイヤーの視界に。

 グラフィックを映しているパネルに、何かが描写されている。

 それに併せて、妙な音がイヤホンを通して聴覚に飛び込んでくる。

 映像が、次々と切り替わる。様々な色や、図形や、写真、映像、イラスト、意味不明な文字、記号、数字。

 それらが少年の周囲を乱舞している。

 音がそれに合わせるように切り替わっていく。高音、低音、知覚できない音、歌声、囁き、何かの反響音、ビープ音、ノイズ。

 手が、腕が、震えている。それがリングによる触覚の再現なのかどうかすらもよく分からない。

 映像と音の奔流に呑まれながら、彼は瞬きもせずにその光景をただ眺めていた。

 ある種の恍惚状態にあったから。

 ある種の恐慌状態にあったから。

 ふいに、映像と音が止まった。

 再び静寂と闇が訪れる。

 そして。

 

「あ」

 

 気が付いたときには、モロに龍の巨体にぶつかっていた。

 バイクが、少年のアバターの身体が、空中に吹っ飛ばされ宙を舞った。

 視界がぐるぐると回転する。

 いつのまにか世界が元に戻っていた。

 急激な体感の変化を感じた彼は盛大に酔った。

 これまで体験したことがない程の酔いを。

 そして、胃の中のものを思いっ切りもどした。



「それで、紐なしバンジーの感想はどうだったのかな?」

「うるせぇ」

 

 不機嫌そうに机に肘を突きながら俺は答えた。

 そんな様子をにやにや観察しながら、友人は尚も愉快そうに続ける。


「毎度毎度思うんだけど、目立ちたがり屋だよね」

「だからうるせぇって」

 

 俺は頭を抱えてそれ以上話したくないというアピールをした。正直昨日のMVRワールドでの出来事は思い出したくない。

 リアルでも、ネットでも、あそこまで盛大にやらかしたのは初めてだったから。


「いや、でも良かったと思うよ?サーバー障害のおかげで、言い訳もできたわけだし、何より話題もそっちに持ってかれて……」

「頼むからもう許してください」

 

 放課後の教室。すでにまばらになっている生徒の内の、隅っこでこそこそ駄弁っている。それが俺と友人の石崎祝詞いしざきのりとだ。

 誰が決めたわけでもないが、なんとなくこの定位置で話をするようになった。


「どんだけへこんでるか観察に来たよー」

 

 抱えた頭を上げて声のした方向に目を向ければ、いずみ紫花しかが教室に入ってきていた。


「あーダメダメつなぎ君ガチで落ち込んでるから。下手に触れたらリアルで飛んじゃうかも」

「どの口が言ってんだお前」

 

 泉が俺と石崎を交互に見比べ、悪戯な笑みを浮かべて石崎に小声で囁く。


「そういや一時期言ってたよね―。ゲームのせいで死んだとしても、本望だ、みたいな……」

「あの頃のツナギ君めっちゃかっこつけてたなぁ。地獄の当たり屋ヘル・アタックとか名乗ってて思い出しただけで鳥肌が……」

「やめろ、マジでやめろ……」

 

 俺は机に突っ伏した。満足げに、にやついてるであろう二人の顔が見えなくても頭に浮かんだ。

 いつもこんな感じで放課後に三人で駄弁るのが日常だった。今日はやけに一方的にいじられているが。


「そうじゃなくてさ。そういう話をしにきたんじゃないんだよね。昨日の……」

「サーバー障害?」

 

 俺を哀れんだのか、元よりそのつもりだったのか、泉が話題を変えた。どちらにしろ有り難かった。


「あれ、やっぱおかしかったよね?変な映像みたいなの見えたもん」

「あー、今日その話題で持ちきり。ほかの皆に聞いても似たようなもの見たって」

「君もそのせいで落ちたんだっけ?」

「やめなよ、もう」


 さすがに今度は泉が呆れた声で咎めるように呟いた。


「まぁねー、滅多にないよね、ワールドがあんな風になるのって」

「一応、名目上は開発段階だからね……。でも尖山とげやまで提供されてるシステムでああいうのは珍しいよホント。僕もリアルタイムで遭遇したの初めてだし」


 泉と石崎が口々に呟く。

 俺達が住んでいる街は尖山とげやまと呼ばれている。

 住民が勝手にそう呼びだしただけで、本来は尖山という名前は俗称なのだがいつのまにか定着していたらしい。

 由来については、この街の開発に深く携わった企業が立ち上げた理念だかなんだかにあるらしいが、詳しくは知らない。


「それでも、だよ。あそこはアップデートする時も虱潰しらみつぶしに修正してから、プレイヤーに公開してるし。そもそもオンラインVRものって、ただでさえ快適性保つために徹底した管理しなきゃいけないのに、ああいう手落ちは……」


 石崎が一人でぶつぶつ呟きだした。

 サービスにアクセス出来るようになって以来、真っ先に飛びついたのがこいつだった。

 俺達にもゲームに参加するよう持ちかけたのも石崎なわけだし、なんだかんだで思い入れがあるのだろう。


「でもまぁ、実際どうなんだろうね。そもそもシステムに問題が出る方が珍しいし、やっぱり……」

「ハッキング」


 泉と、石崎と、そして俺が同時にその単語を発した。妙な偶然にギクリとする。

 ようやく俺は突っ伏していた顔を上げた。


「ありえるか?」

「いや、ないでしょ」

「できるかどうかはともかく、意図が分からないよ。まぁ繋君への嫌がらせなら絶妙なタイミングだったけど」

「つまりハッキングの線は薄いな。だったらやっぱり……」

 

 石崎の言葉を無視して俺は続けようとした。

 可能性は少ないと考えているにも関わらず三人とも誰かの悪意によるものだと考えたのは、内心不安がっているからなのだろうか。


「そうとも限らないんじゃない?何かの暗号とかさ」

 

 泉が俺の言葉を遮るように言った。


「暗号って何だよ?そもそも何のために……」

「いや、理由ならいくらでも考えられると思うよ。特にここの環境は特殊だしさ」


 今度は石崎が、俺の疑問を打ち消すように言った。


「色々あるじゃん、ここでしか開発されてない技術とか山ほど」


 俺と泉と石崎の三人で神妙に顔を見合わせる。

 尖山は現在でも開発が進んでいて、他では見られないようなユニークな技術やサービスで溢れかえっている。

 MVRワールドについても、地方限定のネットゲームとして俺達が住んでいる街でのみ提供されている。いわゆるローカルネットワークサービスだ。

 住人の間では単にワールドと呼ばれている。

 MVRワールドは尖山でのサービスを経て、段階を踏んで全国に展開していくつもりのようだった。

 

「つっても、あの映像で何が分かるんだ?暗号なら単純で分かり易く……」

「それはこいつがあるでしょ。記録すればいいし、映像を解析する方法なんていくらでも」


 中指を使いかけているグラスを押し上げ、石崎が勝ち誇った顔で言った。

 たまにこいつは、やたら芝居がかった仕草をする。


「グラスか……」


 俺は文字通り目の前に存在する、眼鏡型のパネルにそっと触れる。

 オルタナティブ・グラス

 いわゆるAR(拡張現実)もVR(仮想現実)も、装着者に体験させてくれるウェアラブル端末。

 コンピューターが産み出した仮想の映像と音を、装着者に体感させるもの。

 見た目やデザイン性に配慮し、ハードとソフト両面で透明な形状を実現していた。

 普段は意識しなければ身につけていることを忘れてしまうが、それは確かに存在している。

 ここに。この学校に。そしてこの街に。

 尖山に住んでいるものなら誰しもがかけている、グラス。


「一応ワールドの映像や音って記録できたな。だけどなぁ……」


 俺の言葉に繋げるように、泉が訝しむように言った。


「目立ち過ぎじゃない?」

「僕もそう思う」

「だよなぁ」

 

 三人でうんうんと頷く。あの時見た光景。流れた映像と音声。

 あれは明らかにワールドに接続しているプレイヤーに送られたものだった。

 この街でワールドに登録している住人はかなり多い。

 リアルタイムでの接続はともかく、登録だけならおそらく5割は軽く超えるだろう。


「実は映像持ってるんだけどさ。見る?一部分だけだけど」


 そう言い出すと、泉が目の前にフォルダのアイコンを浮かべて、映像ファイルを取り出した。

 球体の形状をした映像ファイルが、風船のようにふわふわと浮かんでいる。

 この街ではAR上で動作する実行ファイルのことを、見た目からバルーンと呼称している。

 返答も聞かずに、指を使ってピンと俺の方向へと弾く。


「いやいや、なんか脳に影響ある電子ドラッグ的なのだったらやばいだろ!」


 慌ててそれを指で弾き返し、泉に突き返した。


「でも皆もう見ちゃってるじゃない」


 再び俺の方へと映像が表示されたバルーンが流れる。


「いや、いらないって!ていうか泉は見たのか?」

「見てない」

「おい!」


 俺と泉の間でファイルが行ったり来たりしている。


「その映像なら僕もネットに落ちてたから見たけど、特に影響なかったよ。データの欠落か何かで、完全に記録されてたわけじゃないみたいだし」


 俺と泉がバルーンを押しつけ合う姿を横目に見ながら、石崎が言った。


「ほら、大丈夫じゃん」

「いいからしまっとけよ!」


 泉が不服そうにぶつくさ言いながら目の前のファイルを薬指でつつくと、まるで最初からそこには何も存在しなかったかのように、視界から消え失せた。

 実際何も存在していなかったわけだが、もしグラスをかけていない人間が見ればさぞ滑稽な光景に写ったことだろう。


「電子ドラッグの類じゃなかったらなんだよ。やっぱ暗号か?」

「そもそも暗号って知られないために作るもんでしょ?」

「もうちょっとスマートなやり方、ありそうだもんね。産業スパイみたいなのがやった可能性は薄そうかなー」

「つまり、ただのシステムの障害ってことじゃないのか」

「どうかな。悪意を持った人間の仕業って可能性が消えたわけじゃないし。やっぱり調子に乗ってる繋君に対する……」

「もういいっての」


 そこで、その話題は途切れてしまった。

 結局俺たちが何かを話したところで、分かることなど何もなかった。

 出来ることなんてせいぜいが陰謀論を唱えることぐらいだ。

 そうして、しばらくは何事もなかったかのように他愛もない雑談をつづけていた。


「そろそろ用事あるからもう行くね。スバル君繊細だから、あんまりいじめちゃ駄目だよ」

「はい、りょーかい」

「遠回しに馬鹿にしてないかそれ」


 泉が三人の輪から離れて、俺と石崎の二人が残された。

 立ち上がり、手を頭の上にやって伸びをする。


「んじゃそろそろ俺達も帰るか」

「繋君」

「ん?」

「実はさ……黙ってたことがあるんだけど」


 石崎がうつむき加減で、俺以外の誰にも聞こえないような小声で言った。


「どうしたんだよ突然。なんか怖いぞ」


 いつもの無駄に、うっとおしいぐらいの陽気さがどこかへと消えている。

 表情は真剣そのものに見えた。


「前に、約束したこと覚えてる?」

「ん?約束って……」


 こいつがこんなに神妙になるような約束なんてしただろうか。

 何かないかと頭を捻って記憶を探り始める。

 もしかして、今回のワールドに関わることなのか? 正直そこまで悪質な悪戯を思いつくような人間ではないと思う。

 同時に、こいつなら興味本位で妙なことをやりかねないとも思った。

 ただ、何か違うような気がする。そして唐突にある情景が頭に浮かんだ。

 数年前に、俺と石崎が交わした約束。

 せめてこの世界に何かを残したくて、創り出そうとしたもの。

 人と同じように思考し、人と同じように振る舞い、人と同じような感情を持つ。

 俺達だけで創ろうと何度も試みた。人工知能。

 俺はハッとして、石崎を見た。

 石崎が静かに頷いた。


「形になったんだよ、あれが」

「嘘だろ……」


 しばらく沈黙がその場を支配した。


「人工知能が……」


 もったいぶったように間を十分に置いてから、再び石崎が小声で言った。


「カグラが生み出したものを、君に見せたいんだ」

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