ガダリア脱出 1
パウエルの指示によって住民が集められたのは、それから間もなくのことだった。
広場の一角。普段旅芸人が利用する壇の上に一人、パウエルが立つ。その周りにはそれぞれの一家の主、街の有力者、そして魔法が使える貴族が集まった。いつもなら芸を見て喜ぶ子供たちがいるところが、今は厳しい顔の年長者ばかりだ。
多くの人がまだ余裕ある表情をしていた。しかし、パウエルの第一声で一変した。
「簡潔に言おう。ガダリアを放棄する」
よく通る気品ある声。そして沈黙。一拍遅れて動揺が伝播しはじめた。「今何て言ったんだ?」そう周囲に聞く者もいた。ハーニーも動揺を隠せない。あまりに急な話だった。
「突然なことなのは私も承知している。しかしそう言ってられる状況でもない」
「どういうことだ!」市民の怒鳴り声がざわめきの中一際大きく響く。パウエルは場が静かになるのを待ってから答えた。
「つい先刻、宣戦布告の知らせがあった。もちろん東国から我々西国へ対してだ。そして皆も知っている通り、今日襲撃に遭った者もいる。それらを鑑みるに、宣戦布告同時攻撃と捉えるのが妥当だ」
「それとガダリアを捨てることに何の関係がある!?」当然の疑問が怒声となった。それを聞いたパウエルが忌々し気に眉を寄せる。それだけの威圧感で皆が静まり返った。
「……ガダリアの北方、山を越えた先にある大都市ダランは既に東国に制圧されたとの報告が入っている。それだけ状況は切迫していると理解してほしい」
ダランが! と驚愕するのに無理はなかった。ダランはガダリアより何倍も発展している都市で、西国で三番目の都会と言われるほどの街だ。ガダリアと同様国境沿いにある上、前の戦争の拠点都市だったこともあって防衛力は国内でも随一だと言われている。
「軍事都市とも言われたダランが一日持たずに制圧された。これが意味することはもう分かるだろう。今を持って戦時下とし、同時に領主として指揮を執る。日付が変わるのと共にガダリアを放棄。西へ後退しアクロイドを目指す。……以上だ! 知る者皆に伝えてくれたまえ!」
人々が騒ぎ出すのを見越していたのか、パウエルは伝えるべきことを一息に口にした。少しして内容を完全に理解した人々が怒鳴るように喚き散らす。
「どういうことだ!」
「夜中に移動なんて急ぎすぎやしませんか!」
「貴族はどうした! あいつらに街を守らせろ!」
それらの叫びをパウエルは目を瞑ってものともしない。それからその喧噪の一瞬の合間を逃さずに、パウエルは声を張り上げた。
「それぞれ出立の準備を済ませ、0時に西門に集まるように! 余裕があるのなら時刻を待たず出ても構わん! ここには力ある者だけが残ってくれたまえ! そうでない人間がここにいる必要はない!」
そう言い切るとパウエルは壇上を降りた。壇上から消えるパウエルに様々な主張が向けられる。その中には露骨な罵倒もあり、パウエルを好まない人もいることを示していた。
「戦争だって……」
『そのようですね。ですが予想できたことです』
セツはキッパリと言い切る。広場を急いで後にする人たちを横目に見ながら尋ねる。
「どうして分かったんだよ」
『ガダリアへの侵入者は一度置いておきます。そのあとの戦闘を覚えていますか』
「川沿いのあれだよね? 大体パウエルさんが何とかしてくれた……」
『はい。ですがあれをただの敵襲ととるにはいささか戦力不足でしょう。たったの四人でしたから。ではその理由は何か。いくつか考えられます。把握している情報を基にすると、北のダラン攻めに戦力を割いたため、ガダリアに人員を回せなかったというのが最も頷けます。北西には王都がありますが、ガダリア方面には旧王都しかありません』
「ダランはそんなに防衛力があるんだ?」
『ガダリアの百倍はあります』
「百倍! それはすごいね」
『と言ってもガダリアの戦力に問題があるのですが』
「ガダリアは国境沿いの貿易都市なのに、戦力がないの?」
『私も詳しくは知りませんが、市民は天国貴族は地獄、とガダリアは揶揄されるそうです。ガダリアにはろくな貴族がいないという風刺ですね。ガダリア行きは左遷扱いと言われます』
「それじゃあガダリアを守り切れないから放棄するってことか」
『そうとも言い切れません。この街にはパウエル卿がいます』
「そんなに凄い人?」
『前大戦で最も活躍した貴族の一人。火魔法の実力は両国合わせても並び立つ者はいないと言います。なぜこのような僻地にいるのか分かりませんが、本来なら王都にいるはずの貴族です』
「何かあったのかな」
『それはともかく、それほど強力な魔法使いがいるのです。それがもしダランへ向かわれると東国もたまったものではありません。ですから、それを防ぐための足止めがガダリアを襲った理由の一つではないでしょうか』
「結構切羽詰まってるってことか……」
『それにしては落ち着いていますね』
抑揚のない問いにハーニーはしばし考えた。
「……これからへの不安は確かにあるよ。でもそんなのずっと感じてたことだ。生きる目的がないまま生きる暗闇よりずっと今の方がまし……そう言ったら皆怒るかな」
『今を適切に理解するのに、なぜ申し訳なさを感じる必要がありますか』
「そこまで自分を信じ切れるほど強くなれないよ。でも、そうだね。今はリアを守りたい。パウエルさんが引き取るって言ってたけど……できるだけのことをしたって罰は当たらないよね」
右腕を撫でる。特別な感触はなく、体温があるだけだ。光るSETUの名がなければ精神体の存在など分からない。
「セツ……力を借りていい?」
セツはまるで変わらず無感情に答えた。
『道具なのですから借りる、などという言い方は間違いでしょう。使うのはあなたであって私ではありません。あなたが使おうとしなければ私は存在しないも同然です。私はあなたの力を助けるものでしかありませんから、存在意義を果たすだけです』
「……お堅いなあ」
苦い笑いが出た。ぶれないセツに先の不安を消し飛ばしてもらった心地だった。
パウエルに文句を言っていた人たちも大切なのは我が身。次第に広場から人気が失せていった。ガダリアを出る際必要なものなどを自宅に取りに行ったらしい。
『あなたは何か持っていきたいものはないんですか』
「……ないよ」
自分には持っていきたい大切な物がないと再認識して寂しくなる。
「皆幸せに生きてたんだなあ」
つぶやきは羨ましさから。ガダリアという街に住み、大切な何かがある。そういうものを持っていることが妬ましく幸せに見えた。
『あなたは幸せではなかったのですか』というセツの言葉に首を縦に振ることはできない。
「確かに僕はいい家に拾われて、裕福だったと思う。それは傍から見たら幸せに見えるかもしれないけれど……そうしたかったわけじゃないんだ。そうなりたかったわけじゃないんだ。周りに流されていただけの僕も悪いけれど、一人が怖くてそうする以外の方法を知らなかったんだよ。だからさ……」
ハーニーは前の自分を考えると今の方が心を満たすものがあった。「不思議だね、こんな状況なのに」と自嘲的に笑うと、セツはいたって当然のように『そういうものなのかもしれませんね』と言った。
広場にはほとんど人気がなくなって、数人が残るのみだった。皆パウエルが残れと言った力のある人間。貴族なのだろう。残った中にここを離れようとする者はいない。
それにしても。
「随分少ないね」
ハーニーがつぶやくと、返事は腕からではなく後ろから飛んできた。
「今はここを離れてるんでしょ」
その声は凛とした女性の声。ハーニーは驚いて振り返る。白いローブを羽織った女の子が立っていた。正面から見るとショートパンツで太ももが白く眩しい。しかし後ろから見るとローブがスカートのようになって見える、そんな服装をしている。
「い、いや……そうだね。こんなに少ないわけないか」
「ふん」
鼻を鳴らしぷいと顔を背ける少女に不快感が湧いた。さすがに失礼じゃないか? 心の内でだけ愚痴をこぼす。すると少女がまたこちらをバッと振り向いた。
「ん?」
少女はハーニーの顔を眺めて訝しむ。
「んんー?」
じろじろ探るような視線がハーニーに纏わりついた。あまりに無遠慮に見つめられ恥ずかしくなる。それが可愛い娘なのだから、動揺も大きかった。
瞳は碧く、夜闇に輝く金色の髪。特徴的なのは生え下がりが片方だけ結われていることで、青い髪留め布で巻かれたそれは色彩も美しい。それだけでも眩しいのに、顔かたちは整っていて、強気そうな釣り目も凛々しく見えた。リアがずっと強気に成長したら。そんな印象を受けるが、こう勝気にはならないとも思う。身長は女の子としては高く、自分より少し小さいくらい。勝気そうな美少女は、見たところ同年代のようだった。
「な、何か用?」
ハーニーは少女を見返すこともできず、あらぬ方向へ視線をさまよわせながら、どもり尋ねる。
少女は凝視をやめることなく尋ね返した。
「あなた、もしかして居候で魔法が使える出生不明の人?」
「う……違うって言いたいけどたぶん僕のことだね……」
とりあえずひきつった笑いを浮かべながら答えると少女は露骨に顔を顰めた。
「何、その薄ら笑い。私ね、居心地悪くなると笑う人嫌いなの。分かる? あの媚び諂うような、とりあえず笑っておけばいいやみたいな笑い方が大っ嫌い。私はそんなの求めてないからやめてよね」
少女の顔には猛烈な嫌悪が浮かぶ。それでも美人らしさが消えないのに内心感心した。
遅れて言葉の厳しさに反感が沸く。
「そこまで言わなくてもいいじゃないか。僕は剣呑とした雰囲気が好きじゃないだけで」
「はんっ。男らしくない!」
グサリ。率直な意見が胸を突き刺す。だが自身を男らしいと思ったことは一度もないし反論できない。
「……で、それより僕のことをどうして?」
「ああ! そうだった!」
少女はあっさりと表情を柔らかくした。
「私がこの街に来たのは、その居候で魔法が使えて生まれ知らずの穀潰しに会うためなのよ!」
胸を張って誇らしげに言う。なだらかな女らしさが強調されるが、ハーニーはそれどころではない。
「も、もしかして、僕の親が見つかったとか!? 探してるとか!?」
震える唇からは震える声が。ハーニーが詰め寄ると少女は驚いて「違う違う!」と距離を置いた。
「なんだ違うのか……」
ため息が落ちる。少しの間の後、申し訳なさを感じたのか、少女は流れを断ち切るように声を張った。
「違うけど! あなたは私の研究対象になったから!」
「ええっ! ……え?」
顔を上げると自信に満ちた晴朗な笑顔が輝いていた。まるで失くした何かを見つけたような嬉しそうな表情。綺麗な顔以上にキラキラ光る瞳は興味津々で、ハーニーは嫌な予感がした。
「サンプル。証拠。証明。まあ呼び方は何でもいいけどね。私、特定の人間を探してるのよ」
「特定の人間?」
「そう。その特定っていうのが──」
「残った者は集まってくれたまえ」
少女の言葉は壇上に戻ったパウエルの号令で遮られた。
「仕方ないわね。話は後で……逃げたりしないでよね!」
そう言い捨てて少女はさっさと行ってしまう。ハーニーは頭を掻いて呆れる。
「何なんだあの娘……」
『生意気でしたね』
直截な言い様に笑いが零れる。
「ひどい物言いだ」
『違いましたか?』
「ううん。僕もそう思った」
『ならばいいではありませんか。さ、私たちも行きましょう』
促されてハーニーも集まりつつある貴族の輪に飛び込んでいった。
◇
集合した貴族の間には居たたまれない沈黙が流れていた。
「これで全員かね……?」
パウエルが愕然とする。呆れと落胆が混じったため息は長く重い。だがそれも仕方なかった。
集まった貴族の数はハーニーを含めて僅か三人のみだった。パウエルを足しても四人。その中には先程の強気な金髪少女もいた。
「集めてから少しは待ったが……来ないということは他にいないということだろうな」
パウエルの嘆きに「大方逃げ出したんだろうぜ」と答えたのは、さっきから横で酒瓶を呷っている男だった。ぐびぐびと酒を飲む男は薄汚れた貴族服に無精の髭。そしてぼさぼさの髪ととにかくだらしのない男だった。年は30代後半とパウエルと同年代に見え、だらしなさの奥の整った顔立ちは過去の栄光を感じさせる。その口から出る言葉は荒く辛辣なものだ。
「俺ぁ見たぜ。我先にと逃げる奴らの中に魔法剣士やら貴族やらがいるのをな。……期待する方が馬鹿らしい。こんな田舎に追いやられた奴らに誇りもくそもあるかっつの」
「言うな、アル」
パウエルが窘める。知人に見せる気楽さがあった。
だが表情は晴れない。
「だがここまで腐っているとは思わなかった。総勢三百いる内百は残ると思っていたが……まったく誇りはどこへやったのか」
パウエルは一度首を振ると気を取り直した。
「まあいい。誇りなき者などいてもいないようなものだ。タダ飯喰らいが消えたと思えば悪くないかもしれん。とにかく今は余裕がない。この街の貴族ではない者もいるようだが、力を貸してもらうぞ。何分、この有様なのでな」
三人にパウエルの視線が飛ぶ。しぃんと静まる無言の肯定。
「助かる。ではとりあえず今の状況を話そう。三百人はいた貴族はここに集まる僅か四人だ」
「ひでぇな……」
アルと呼ばれた男が唸る。
「そのような惨状なのだからガダリアを守ることは不可能である。籠城するにも戦力が乏し過ぎる。そこで私たちはガダリアの西にあるアクロイドへ向かう。歩いて2日ほどか……しかしそれ以外民を守る手段がない」
「すみません」
話に割って入ったのは先刻会話した金髪の少女だった。
「歩いて、と仰いましたけど馬はいないのですか」
「馬はほとんどが逃げ出した者たちが持ち出してしまった。残ってはいるが女子供と老人を乗せる馬車がいいところだろう」
「自分勝手な……!」
金髪の少女は義憤を露わにする。アルと呼ばれた酔っ払いも「けっ。ガダリア貴族なんてごみ貴族に決まってらあ」と愚痴を零す。愚痴というには声量がいささか大きいが。
「ぼやいてもいられん。馬車には体力のない者を乗せ、それ以外は歩いてもらうことになる。そこで皆にはその護衛をやってもらいたい。貴族の責任を果たしてくれたまえ」
貴族の二人に緊張が走る。貴族は国から金を貰う立場。責任があって然るべきだった。
「ふむ……人数も少ないことだ。名前を共有した方がいいだろう。名乗ってくれるかね」
パウエルがまず目を向けたのは金髪の少女だった。アルと呼ばれた酔っ払いは旧知の仲らしく、パウエルが話したことがないのは彼女だけらしい。
金髪の美少女は凛然と口を開いた。
「私はネリー……ルイス。生まれも育ちも旧王都です」
短く、しかしはっきりと言う。目上に対する礼儀は正しい。
「こりゃまた可愛げのない小娘だな」
酔っ払いが小馬鹿にした笑いと共に言った。ネリーと名乗った少女は露骨に苛立つ。
「余計なお世話です。関係ないでしょ」
「おぉ怖い怖い」
ネリーは酔っ払いを睨みつけるが、酔っ払いは酒瓶を呷るのみ。そのまま自己紹介に移行した。
「俺なんかどうでもいい気がするがなあ……。俺はアルコー・コールフィールド。親しい奴はアルって呼ぶが、まあ好きなように呼んでくれや」
言い終えるとまた一呷り。相当飲んでいるようだが、目の焦点がしっかりしているのが印象強く映った。
「う……」
ハーニーに視線が集まる。名乗ればいいのだろうが、躊躇う。
貴族じゃない僕がここで名乗っていいのだろうか。
ハーニーの逡巡を見かねてパウエルが口を開いた。
「彼はハーニー。この街の人間なら知っているだろうが、とりあえず魔法が使えることははっきりしている。つまり身元は分からずとも貴族だ。戦力になることは私が確認しているから安心してくれ」
「……すみません」
パウエルに軽く頭を下げる。ネリーの不快そうな視線に鳥肌が立った。
「よし、これで全員だな」
パウエルが締めくくろうという時。
「すいませーん!」
遠くから若い男の声。声の方を見ると、茶髪の青年が走ってきていた。
「いやあ! 遅れちゃって! あ、でもこの人数ならまだ話始まってないかも?」
へらへら笑う青年は自分と同年代に見えた。
ハーニーより高い背。すらりとした体格で足も長い。女性受けしそうな端整な顔立ちは夜でも光っている。貴族服ではなく旅人が着る野暮ったい服を身に着けていた。
「君は?」
パウエルは動じない。青年は走ってきたが一切息を切らしておらず、すぐに言葉を並べた。
「俺はユーゴ。行商人についてまわって放浪の旅してたんですけど置いて行かれちゃって」
「貴族姓はないのかね」
貴族は姓を、名字を持つ。市民は持たない貴族姓は魔法能力の有無に関わる問題だ。
ユーゴは誤魔化すように薄い笑みを浮かべた。
「まあまあ、いいじゃないですか。ちゃんとありますし、魔法だって使えますって。それでいいでしょ?」
「腹の立つガキだな!」
「そりゃ失礼ー」
アルコーが憤るがユーゴは柳のようにそれを受け流して飄々としていた。
「やれやれ……しかし、頭数はいくらあっても足りないくらいだ。すまないが力を貸してくれ」
「え? 貴族ってこれだけ?」
ユーゴの顔が引きつる。
「……ガダリアはそういう貴族が集まる街なのだ」
パウエルがつぶやいた。どういう意味か気になるが、説明されることはない。
ユーゴは少し深刻そうな顔をして天を仰いだ。
「うわ……こんなことなら俺もさっさと逃げるんだった……」
「今から逃げるかね?」
別に構わないという風にパウエルが尋ねる。ユーゴは意外にも首を横に振った。
「正直この街には偶然来ただけで思い入れも何もないんですけどね、そこまで無責任になれるように見えないでしょ?」
「……ああ」
パウエルの返事には結構な間があった。たぶん仕方ないことだ。
「ま、何かの縁ってことで、出来るだけやりますよ」
ユーゴが加わっても五人。数百人を守らなければならないのにこれで大丈夫なのだろうか。
「話は以上だ。詳しくは西門に集まった時に話す。では後ほどまた会おう」
パウエルは言い終えると身を翻してすぐに何処かへ向かって行った。
「おい小僧」
そうハーニーを呼んだのはアルコーだった。
「お前、成金とこの居候だろ?」
「……ハーニーです」
ささやかな反抗。それはアルコーの気に召したらしかった。
「威勢がいいな! ま、精々戦いに巻き込まれないよう逃げてるんだな」
「……」
アルコーは空になった酒瓶を振ってどこかへ歩いて行った。
「というか何で僕に話しかけてきたんだろ……」
「知り合いじゃないの?」
いつの間にか近くに来ていたネリーに仰け反る。何だかんだ言っても美少女で焦る。
「びっくりしたなぁ」
「今の、私に言ったんじゃないの?」
首を横に振る。ネリーはあからさまに表情を強張らせた。
「独り言? うわ辛気くさ……居候だと陰気になるの?」
「ぼろくそに言うね……居候ってやめてほしいんだけど」
「語呂いいと思うけど」
「嫌だってば」
「あなたの名前って何だっけ」
「……ハーニー。さっきちゃんと言ったよ」
「自分で言ってないじゃない。ハーニー、ね。ハニーってからかわれてそう」
「……いや」
迷ってから否定した。
記憶がない昔はからかわれていたのだろうか。白紙の子供時代を考えると気分はいつも沈む。親に会えば記憶は蘇るのだろうか。そんな見えない希望ばかり浮かぶ。
「なによ暗い顔して。私はそんな子供みたいなからかいしないわ。するとしても居候だから」
「からかうことはやめてくれないわけ?」
「反応を見るのも研究の一つよ」
「研究って何さ」
いいイメージが浮かばずしかめっ面で尋ねると、ネリーはやった! という顔で嬉しそうに胸を張った。
「そうそう! さっきは話しそびれたっけ。何を隠そう私の研究は──」
「よー! 君らはこの街の貴族?」
ネリーの論説を邪魔したのは遅れてやってきた優男、ユーゴだった。
「違うわ」
「違うよ」
同時に否定する。ネリーはこの街の貴族ではないし、自分は貴族の実感がない。
「そうなのか。じゃ俺と一緒だな!」
「あ、僕はこの街に住んで──」
「居候、でしょ?」
ネリーをきっ、と睨みつけるがどこ吹く風の態度で負けた気がした。
「そっか。それでそこな美人さんは……?」
「ネリー……ルイス。旧王都出身」
ネリーは面倒くさそうな半目で答えた。
「旧王都! いい街だ! 俺は王都なんだ。よろしく」
芝居がかった姿はどこか胡散臭い。何となく胃がムカムカする。
そう思ったのは彼女も同じだったのか、ネリーは長い長いため息をついた。
「……私はこれで。居候! どうでもいいけど逃げないでよね!」
ハーニーを指差し、宣言してネリーは背を向けた。
「あーあ、フラレちゃったかー」
共にネリーを見送るユーゴが腰に手を当てて背を反る。広場に残るのはハーニーとユーゴだけになっていた。
「何か言いたそうじゃないか?」
「……胡散臭いなと思ったよ」
「ははは! お前思ったより小気味いいんだな! そんじゃまたな……居候!」
厭味ったらしい笑みを置いてユーゴは駆けていく。
「貴族には変な人しかいないのか……」
『馬鹿でも盾くらいにはなります』
「うわ、びっくりした……突然返事が来るのには慣れないな。というかひどいこと言うね」
『他意はありません』
「事実だからいいって? それもひどいな……そういえばセツって黙ってるとき何してるの?」
『情報収集でしょうか。本来なら使い手となる人間が私を自由にできるのですが』
「自由にって?」
『私に魔力を流さなければ私は起動しません。私がいては困る時、聞かれたくないことがある場合にも対処できるよう設計されていますから』
「ということは……僕は魔力出しっぱなしってことか」
『いえ、それどころではありません。現在、あなたの身体に私が癒着した状態なのです。あなたの意思に関係なく魔力が絶えず流れています。これを止める方法は一つしかありません』
「方法って?」
セツは躊躇いを感じさせる空白なく即答した。
『あなたが死ねば私も連動的に止まります』
「えぇ……どうしようもないじゃないか」
少しげんなりする。むしろ申し訳ない気がした。
『設備が整っている場所であれば可能性はあるかもしれませんが』
「そういうものなんだ。それってどこ?」
『王都に研究所があります。私はそこで作られました』
王都と聞いて真っ先に浮かんだのはユーゴの故郷ということだった。
「ネリーは旧王都だっけ」
『なんです』
「いや、独り言」
王都。ガダリアからはるか北西に位置する西国の首都。いつか行けるのだろうか。そこでなら僕の親とかの情報も掴めるんだろうか。
ため息をつく。ずっと先のことを考えても実感は沸かない。自分を見失いそうになる。
「とりあえずリアを探そうか」
歩き出そうとするのを平坦な声が止めた。
『一つ、あなたのためを思って言いたいことがあります』
「なに?」
『あなたは少し独り言が多いのではないでしょうか。私は構いませんがあなたを見る第三者に悪く取られる可能性が』
「う……」
一応君に話しかけているつもりなんだけど。そう口に出すのが憚られて、「気を付けるよ」と返事して肩を落とす。『どうしました?』と聞かれて本当に心の内は読めないんだと実感した。
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