所長の戦い

 王都カインゴールド。大陸北西に位置するこの大都市は、広大な土地を街壁が囲う西国の首都だ。壁の内は区画ごとに住民層が異なり、住み分けができている。小国が詰まったかのごとく、文化にも差異がある。

 都の中心には荘厳な王城が座している。そして隣接するように立っている白色の建物こそ、王立魔法研究所だ。ただ白のみが彩色されている研究所は生命感がなく、不気味な印象を見る者に与える。王都貴族の間では「あそこでは非人道的な実験を行っている」と噂する者もいた。

 まぁ、間違っていないんだけどねぇ。

 ジョシュア・グッドマンは心の中で嘲笑する。くだらない凡人の噂など個人としては気にならないが、王族というのは外聞を気にする。あまり心証を悪くしたくはない。


「ご苦労だった。下がってよい」


 ジョシュアは王城の中で最も絢爛豪華な場所で膝をついていた。頭を下げる先には西国の王、ロランド・カインゴールドがいる。齢十九、自分より一つ下の若い王だ。王衣は輝いており、この上なく高価なものだと分かる。

 ここは謁見の間だ。周囲には重武装の貴族たちが列をなして神経をとがらせている。王座の傍らには宰相が一人。

 常人なら緊張で身体が固くなるところだが、ジョシュアはまるで動じない。下がっていいと言われるとすぐに立ち上がった。


「では失礼」


 礼節に不満があるのだろう。ロランド王の横にいた宰相、ゴルトバ・ドラニコフが咳ばらいをした。ジョシュアは聞こえなかった体で背を向ける。

 ……やれやれ。無駄な時間だが、今はまだ仕方ない。

 魔法研究所には週に一度、研究進捗の報告義務がある。ジョシュアは研究所の長として拝謁しなければならない。

 謁見の間を歩いていると後ろ、王座の方から声が聞こえた。


「今日はもう終わってよいか? 難しい話はつまらぬ。それに疲れる」

「おお、これは申し訳ありません! ではあとはこのゴルトバ、任せていただければ」

「後宮にいる。何かあれば呼べ」

「ははっ!」


 どうせ呼ばないだろうな、とジョシュアはほくそ笑む。前王ラスター・カインゴールドが死に、息子のロランドが王を継承したが、ひどいものだ。三層魔法が使えたラスターと違い、ロランドは二層止まり。近衛やゴルトバは将来強くなるとお世辞を重ねているが無理だろう。ロランドには意欲がない。強くなろうという意志も、統治への欲求も。

 若き王ロランドは女遊びで有名だった。一日のほとんどを、女を囲っている後宮で過ごしている。時折街へ出て気に入った女を連れてくることもあった。

 良き王が良い親になるわけではないということが良く分かる例だ。


「くく」


 本能的な生き方に哀れみすら覚える。この若き王は自分が利用されていることに気付いていない。実権はほとんどゴルトバが握っているのに、王は親切だとはき違えて感謝している。とことん愚者だ。

 ゴルトバは大したことのない魔法使いだが、媚びるのがうまかった。ロランドに美女を近づかせ女遊びを教えたのはこの宰相だ。そうして地位を高くし、権勢を欲しいままにしている。

 謁見の間を出ると扉番をしていた貴族から預けていたガントレットを受け取った。魔法の存在を考えれば非武装であることに意味はない気がするが、しきたりだ。

 王城の廊下を歩いていると、人気がなくなった時を見計らって左腕のガントレットから声。


『どうでしたか』

「いつも通り、なんの意味もない報告だったねぇ。王都を守る障壁魔法は完成している。外壁に人員を配置して同時に魔法を発現するだけだから馬鹿でもできる。その説明をしたくらいか」


 王は理解できていなかったようだが。


「大体、東国の侵攻は王都の東にあるドライグレー荒野で止まっているんだよ? 何を無駄な心配をしてるんだかねぇ」

『東国が王都まで無理に攻め込まないのには何か狙いがあるんでしょうか』

「さあねぇ。まぁ、魔法石なんて未知なるモノを持ちだしてきたんだ。何か勝算があるんだろうねぇ」


 単純に考えるなら、大規模魔法で王都を焼くとかか。魔法石の力があれば可能かもしれない。所詮凡人のすることだが、三層の破壊力を持てば魔法障壁は無に帰する。


『止めないのですか?』


 ジョシュアは左腕を嘲った。


「まさか。小生の楽しみを潰すわけないだろう? 私の目的、人以上の存在を求める、という点から離れているけど、新しい魔法は好きだ。東国にはぜひ頑張ってほしい。あぁ、ちなみに小生は西国に欠片も思い入れはないからねぇ」

『……あなたはそもそも人間に関心がないでしょう』

「くく、デュアも分かってるじゃないか。小生は普通の人に興味はない。今興味があるのは一人だけさ。今頃旧王都にいるハーニー君。接続者になりかけの青年」


 ジョシュアは恍惚とした顔で想像を膨らませる。


「彼が完全な接続者になってくれれば……そして小生以上の存在になれば最高だ。他に何もいらない。何人死のうがそこにさえ達してくれれば、どうでもいい」

『……私には接続者というものが何なのか分かりません』

「要は世界と繋がった存在なんだけど、まぁ理解しなくていい。これは、なれば分かる類のものだからねぇ」


 早く実物を見たいところだが、戦時下ということもありジョシュアは研究所を離れられない。


「魔法研究所総括所長の立場は捨てるには惜しいからねぇ、時期が来るのを待つとしようか」

『何の話です?』

「君に話していない。考えの整理だから黙っててくれるかな」

『……』

「しかし、西国もよく生き残っていると思わないかい? 前王が死んで滅ぶかと思ったけど、やはり六賢人の力が大きいんだろうねぇ。あの老人たちは生にしがみつく凡人だけど、三層魔法を使える程度には強い。それに世界の理の一端を知っている」

『……』

「君に話しているんだ。返事をよこさないと意味がないよねぇ? 終いには捨てるよ?」

『…………私は捨てられても構いませんが』

「おっとそうだった。君の場合解放された方が救いかな? じゃあ捨てるのはやめよう」


 話している間にジョシュアは王城を出た。隣接する研究所へ向かう。


「君に恨みがあるわけじゃないけどねぇ」


 口にしてジョシュアは皮肉げな笑みを浮かべた。デュアら魔法精神体たちを作った時のことを思いだしたのだ。失敗作だったが、今はそれなりに働いている。


「ハーニー君に至っては魔法精神体が身体に転移しているらしいからねぇ。その点で君たちは合格だ。特異な存在の形成に役立ったことは評価している」

『そうですか』

「今のは独り言。やれやれ、接続者じゃないから見分けられないねぇ。接続者なら言わずとも分かるんだけど」


 デュアの不服そうな沈黙をジョシュアは鼻で笑う。

 王城から魔法研究所へ移動する人間は滅多にいない。不気味だと言われる建物に好んで近づく者などいないのだ。稀に往復する者がいればそれはジョシュアか、伝令に他ならない。

 だから研究所の前に人がいれば嫌でも目立つ。

 男が二人。茶色のフード付きローブを羽織っていて人物は特定できない。二人はジョシュアを待ち構えるように並んで立っていた。


「お前がジョシュア・グッドマンだな?」


 十mほど離れた位置で片方の男が声を発した。


「くく……そうだが、何かな?」

「よくも隠れずに陽の下にいられる! 俺たち部族を忘れたとは言わせんぞ!」


 そう言って二人がフードを取る。特徴的な白い肌が目に映る。見たところ二十代後半か。

 ジョシュアは楽しそうに笑った。


「くくく。いやいや、覚えているとも。小生は記憶力に自信があってねぇ。自分以下の矮小な存在でも忘れたりしないさ」

「貴様!」


 激昂する男たち。ジョシュアは二対一であるが笑いを絶やさない。


「北方山奥のリーシャ族だったよねぇ。三年ぶりだったかな、君ら部族と会うのは。あの時は人体実験に使ったねぇ……くく、それじゃあこれは外してあげるとしようか」

『わた──』


 ジョシュアがガントレットを外し、魔力が流れなくなったガントレットは言葉を失った。無造作に近くの芝に投げられる。


「……武器を捨てるのか」

「いいや、小生はこれを使おう」


 ジョシュアが掌を外に向ける。瞬間、銅製のレイピアが現れた。

 土魔法『石銅剣製』。精製系の魔法は想像力を要するため難度が高い。ジョシュアはそれを無詠唱で発現させた。


「で、君たちは僕を殺しに来たのかな?」


 尋ねると男たちは憎悪を滾らせた目を細めた。


「お前が村を襲い、人を攫い、実験に使って殺した……! お前は邪悪だ! 殺す!」

「ほー。あれは小生が命じたわけじゃないんだけどねぇ。とはいえ実験は事実か。結構。殺すに足る理由ありというわけだ」


 まるで他人事のようにジョシュアは受け止める。

 いや、その程度の感覚なのだ。この状況は。


「少しは予想を超えてくれるといいんだが、まぁ無理かねぇ。さて、それじゃ二人同時にかかってくるといい。君らは貴族じゃないんだ。卑怯とか気にせず憎しみに任せればいいさ」


 ジョシュアの挑発を受けて男の一人が怒号を上げた。


「氷晶、穿つ裂旋──白閃結晶!」


 男の前に鋭利な氷の結晶が現出する。氷晶は光の螺旋を纏っていた。


「氷と光の複合魔法か! さすがリーシャ族、魔法に親和性がある」


 感想を述べながらジョシュアは音速の氷魔法を回避した。男は同じ魔法を繰り返し放つ。見てから間に合うはずがないのに、ジョシュアは容易に避け続けた。


「遠雷、木霊する雷鳴は拡散する紫電──」


 もう一人の男が詠唱した魔法にジョシュアは心内で感嘆した。

 三層魔法に近い範囲魔法。この魔法は術者の周囲全体に強い電気を流すというものだ。通電性などない空気中すら電気は流れ、生体を感電させる強力な魔法。回避手段はない。

 なるほど、小生の回避を見ての魔法選択か。

 しかし。


「まだ及ばないねぇ!」


 放電の瞬間、ジョシュアはレイピアを構えた。刺突の姿勢、僅かに剣先を前に出した構え。その間も氷魔法は最小限の動きで避けている。


「円柴招雷!」


 魔法の名を持って詠唱は完了した。魔法が発現する。

 円状に広がる放電。

 ジョシュアはその雷撃に銅のレイピアを向けた。切っ先で紫電をかき混ぜるように揺らす。

 全てが銅でできたレイピアだ。通常なら持ち手も感電する。だがジョシュアはそうならなかった。柴色の電撃はレイピアの刀身部分に帯電し、身体まで届かない。まるで魔法剣のようになった銅剣をジョシュアは満足そうに見た。


「くく。ダメだねぇ。結果まで想像しないからここで止められる。魔法を放つところで想像を止めたら、その後魔法の手綱を握るのは誰になるのかな? この場合小生だよ」

「ば、馬鹿な!」


 戦慄する雷魔法使い。氷魔法を使っていた男が舌打ちした。


「狼狽えるな! こいつだけはここで殺すって誓っただろ! 漲水、満たし潰せ激流──暴打脈水!」


 今度は氷晶ではなく怒涛の水流が放たれた。ジョシュアは避けようとせず、その身で受ける。


「殺った!」

「──残念」


 声と同時に水は四散した。かと思えば、水はまるで生き物のようにうねり、集合し、ジョシュアの傍らに滞空した。


「何度も言わせないで欲しいねぇ。殺しきるところまで想像しないと自己満足に終わるんだ。まぁ、できたところで小生の方がより魔法を形にできるから勝てはしないが」

「あ、ありえん!」


 男たちはそれから繰り返し魔法を放った。二人合わせて五色。火、水、風、雷、氷。この数の魔法を全て三層に近い魔力で使える彼らは、戦場で英雄と呼ばれるレベルだろう。

 だが二人の魔法は一つとしてジョシュアには届かない。全て無効化され、ジョシュアの周囲に滞積した。さながら魔を司る賢者のごとく、ジョシュアは魔法を従える。


「ふわあぁ……小生が剣を出してやった意味を理解してほしいねぇ。君たちは魔法じゃ勝てっこないから、こっちにしてあげたのに」

 

 つまらなさそうな声は欠伸混じり。


「く、うおおおお!」


 一人の男が懐にしまっていた短剣を取りだし向かってきた。

 得物の長さを考えたら無謀だが、なるほど。

 ジョシュアはレイピアを構える。そして向かってくる男を突き刺した。

 あっけなく胴を貫通するレイピア。


「今だ!」


 否、刺された男が叫ぶ。腹を貫かれたまま、男はジョシュアの体を掴んだ。逃がすまいと裂帛の気合いを持って抑え込もうとする。

 もう一人の男は既に動いていた。ジョシュアから死角の位置に移動しており、そこから短剣を構え突進する。

 ぐい、と体を抑えつけようとする手の力に、ジョシュアは眉を寄せた。


「白衣に皺ができるのは困る」


 ジョシュアはレイピアを捻った。それが契機となり帯電していた電気が流れる。


「があああッ!」


 苦悶の叫び。体内を電気が暴れ、ジョシュアを拘束する力が弱まった。

 ジョシュアはレイピアを抜いた。振り返ることなく細剣を持ち直して背後を突いた。

 皮膚を突き破る感覚。

 細剣は突進する男の右肩、短剣を持つ右肩に刺さっていた。筋肉の神経系を狙った攻撃だ。短剣はジョシュアまで届かない。


「な、なぜ……ここまで正確に……」


 短剣を取り落とし、右肩を抑えて蹲る男にジョシュアは平然と言った。


「それは君たちが小生より下等だからだ。小生からすれば君たちの考えていることは全てわかる。特に魔法を伴う思考や感情の乗ったものはねぇ」


 ジョシュアは軽く説明してやる。


「感応背景というものがある。そこには人──凡人の想いとやらがあってねぇ、小生はそれを理解することができる。魔法は想いの結晶。つまり、君たちが使った魔法は想像した瞬間に小生には分かっているわけだ。どんな魔法がどういう意志で放たれるのか分かれば、それに指向性を加えてやることは容易なもの。分かりやすく言えば、小生の想像は君らのものを元としているから『上書き』できるんだよ」

「ば、化け物……!」


 つぶやきにジョシュアは笑った。


「化け物ではなく接続者というんだがねぇ。そういうわけで君らの作戦も筒抜けということだ。見なくても処理できる。ああ、勘違いしないでくれよ。小生から君らの感応背景は見えるが、君らからは見えない。それが、君らが下等であり小生は上位種である証明となる」


 ジョシュアは説明し終えると好奇心を一切隠さない笑顔を浮かべた。


「さてと、ちょうど魔法を行使できる実験動物が欲しかったところなんだ。君には研究の礎になってもらうよ。安心していい。向こうの彼も死物の実験に使うから。くく。無駄にはしない。小生は自然に優しいんだ」

「人でなしめ……!」

「天才が人かどうかという問いなら、あながち間違ってないかな。ま、殺そうとしたからには己も死ぬ覚悟があったんだろう? 今更道義を口にしちゃいけないねぇ」


 ジョシュアは諭すように言って、レイピアを男の側頭部に添わせ、残っていた電気を流した。男の意識はなくなり倒れ込む。

 生きているこの男は一回治してやらないといけないな。耐久性に問題があると検証できない。

 そんなことを考えながらジョシュアは放り投げていたガントレットを装着した。


『……勝ちましたか』

「残念かい? 残念だろうねぇ。おっと、勘違いしてくれるな。彼らは選んで死ぬんだ。小生が積極的にやっつけたわけじゃない」

『しかし、これから殺すのでしょう』

「行動の結果として死ぬのさ。ま、無駄死にはしないよ。小生が意味を持たせてやるからねぇ。ほら、戦って死ぬより有意義だ」

『……非人道的です』

「ならば小生は人ではないということだ」


 デュアは黙った。何とも人間的だ。無機質な声の精神体のくせに。

 ……この魔法精神体は人以上の存在にはなれなかったが、小生の心が人のままであるために道徳的側面で役立っているか。横に置いておく価値がある。


「さて、研究所に戻ろう。二人は所員に運ばせればいい」

『独り言ですか?』

「そうだ。くく、今後も察していってくれよ?」


 ジョシュアの歪な笑顔には僅かに満足の色が滲んでいた。


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