不穏な野心


 旧王都の行く末を決める会議は連日行われている。外様であるパウエルは政治に直接関わらないが、立場上出席しなければならない。三層魔法を使えることは戦略級の戦力であり、また前戦争でも実績を残しているからだ。

 旧王城の会議室に向かうパウエルを止めたのは吃音混じりの低い声だった。


「パ、パウエル君」

「マルチェロ卿か」


 声の方を見ると腹の出た容姿の中年男が立っていた。彼はこの街では相当の権力者だが、ハの字の眉やキョロキョロと動く目で気弱さが表に出ている。鼠を連想させるような貴族だ。

 パウエルは眉間にしわを作った。

 確かアルと決闘したのは彼の息子だったはずだ。衆目の前で叩きのめしたのなら誇りも傷ついただろう。親が報復してきても不思議ではない。


「いや、いや。そのような怖い顔しないでくれ。息子のことは気にしていない」

「ふむ……」


 こちらの顔色から察するとは傲慢ばかりの貴族らしくない。いや、これが彼の処世術なのか。このマルチェロという男は力ではなく血統で高い地位にいる。強い魔力がないのに権力者たらしめるのは世渡りのうまい証拠だ。


「あれは母親に似て気性が荒いのだ。少し痛い目に遭って落ち着いた方がよい」


 家族を語るときは緊張しないのか吃音がなかった。


「そう言ってくれると助かります。我々としても旧王都側と協力したいので」

「同意見だ……ま、まあこちらの方こそ結束できていないのだが」


 マルチェロは重たいため息を吐いた。


「旧王都内の派閥ですか」

「わ私も頭を悩ませている。今は穏健派の数が少ない。色々と押し切られそうだ」

「少ないと言うと?」

「お、王都カインゴールドへの増援で当分戻らん……お恐らくこれも旧王都の完全自治を企む者どもの策略だろう。私も迂闊だった。軍事関係だからとヴィンセントに一任してしまった」

「ヴィンセント・ヤシーン。なるほど」


 旧王都の軍事を牛耳るあの男。二十代という若さからか危うい印象がある。


「ととにかく、今旧王都貴族は二分されている。私らがまとめる穏健派と、ヴィンセントの仕切る過激派だ。や奴らは……軽率すぎる。近頃は東国への敵愾心を煽り戦意を高揚させているようだが、そんなことをすれば戦いは激化するばかりだ。ぶ、武功を立てて地位を築こうというのは若者らしい動機だが……それで旧王都が危険にさらされるのは困る」


 今時の貴族にしては珍しい考え方だ。民を第一、というわけではなさそうだが優先順位は弁えているらしい。


「き聞けば旧王都が西国から独立することを願う者もいると聞く。東国と戦争中の今こそ団結しなければなんのに……」

「どうやら私が思っていた以上に旧王都は分裂しているようだ」


 マルチェロは軽く笑った。


「いや、いや。か彼らも本気ではなかろう。ヴィンセントは、考え方は乱暴だが悪人ではない。こ、行動に移すことはないと信じている」

「……ならよいのですが」


 しかし彼は既に穏健派を遠ざけている。もう行動しているのではないだろうか。

 いつだったか、リオネルと比べて「自分なら独立する」などと言っていた。あながち独立への決起がありえないとは言えない。

 マルチェロは見たくないものを見ないふりをするように話を変えた。


「私が言いたかったのは息子のことだ。近頃ガダリアの青年……ハーニーといったかな? その者の悪口ばかり言っている。喧嘩でもしているのだろう。だが私の息子だということは気にせずにやってほしいのだ。あの子は昔から色眼鏡で見られて寂しい思いをしているから、普通の関わりをやってほしい」

「私がとやかく言えることではありませんが大丈夫でしょう。ハーニー君は人を見る青年だ。あなたの息子だからどう、とはなりません」

「そうか。ならよい。よろしく言っておいてくれ」

「伝えましょう」


 マルチェロは満足そうに頷いた。その姿にパウエルは一抹の不安を感じた。

 この男は悪人ではないのだろう。だが権力者にしては心許ない。足元を掬われかねない甘さがある。

 ヴィンセントを相手取るのに不足がなければいいが……。


「ささて、会議室に向かうとしよう。な、何やら新たな問題が浮上したらしい」

「そうですな」


 二人会議室に入っていく。

 旧王都会議には毎回五人集まるが、基本的に口を開くのは三人だ。

 まず実質的トップのマルチェロ。旧王都動向の最終決定権は彼にある。

 そして先ほども話に挙がったヴィンセント。彼は軍事担当だ。戦時中の今、彼の発言力は大きい。会議における影響力はマルチェロに比肩するかそれ以上だ。

 三人目はニック・ドゥー。平民と貴族の子である彼は旧王都民との橋渡し役だ。民衆からの支持も厚い。常に民衆を重んじた発言をする。

 他にはパウエルともう一人、ロジカルドという男がいるが、パウエルは元々部外者のため。ロジカルドは財政担当で滅多に喋らない。言われたことをただこなす指示待ち人間といったところだ。経理においては最高の人材だろう。


「では自分から状況を話しましょう。今、この旧王都は新たな危機に晒されています」


 本題を話すのはヴィンセント。つまり軍事的な危機ということだ。

 ヴィンセントは会議室の壁に掛けられた地図の傍に立った。地図上の旧王都の東。ブルーウッド大森林の東部を指して言う。


「旧王都領東部で東国の前線基地が作られているという情報を得たのです。このところ襲撃がなかったのもそれが原因でしょう」

「ぜ、前線基地だと」


 マルチェロが不安を露わにする。対してヴィンセントは余裕を見せながら頷いた。


「はい。ですがまだ設営途中だと思われます。もし完成しているなら旧王都への攻撃は増しているはずです」

「そ、そうか……」


 しかし、前線基地を作るとは。パウエルは違和感を覚えた。

 確かに旧王都の守りは硬い。人員も豊富で街壁もある。だが、前線基地をわざわざ設けるということは長期戦を視野に入れているということだ。東国は王都間近まで攻め込んでいるのに、短期決戦に持ち込まないということは何か裏があるように思える。まるで何かを待っているかのようだ。

 だがこれは裏付けのない勘でしかない。パウエルは内に思うだけで発言することはなかった。

 ヴィンセントが地図に基地の印をつけてそこを叩いた。


「そこで私はこの前線基地破壊を提案します。この位置に要衝を作られては戦線を下げなければならなくなる。旧王都への進攻も激化するでしょう。ですから、今敵が油断しているうちに制圧するのです!」


 理にかなった考えだ。この前線基地は潰さなければならない。早ければ早いほどいいだろう。


「これが簡易の作戦案ですが──」


 ヴィンセントが制圧手順について軽く説明を始める。情報を手に入れたのは今朝だろうに、その作戦はしっかりと練られていた。この若さで軍事の実権を握るだけある。


「な、なるほど。これなら何とかなるか」


 マルチェロが安堵する。

 弛緩した空気の中、ヴィンセントは一言継ぎ足した。


「……そこで話なんですが、自分に軍事全ての決定権を任せていただきたい」

「な、なんだと!?」


 マルチェロががたりと椅子を鳴らした。

 彼が動転するのも当然だ。本来ヴィンセントが持っているのは、戦場に誰を出すか、どのような作戦を行うか、などの戦術レベルの権力だけである。戦うかどうかの決定権は彼にはないのだ。合議で戦いが認められて初めてヴィンセントは動くことができる。

 これは力のバランスを取るために設けられた制度だ。権力が一人に集中し暴走することを防ぐためにある。この場合、ヴィンセントが力を持ちすぎる。

 ヴィンセントも分かってやっているのだろう。戦争中の今ほど彼が支配力を増すタイミングはない。平時ではこれ以上、上り詰めることはできないのだから。


「その方が物事が進めやすいと思いませんか。緊急時など、自分が独断で貴族を動かせると迅速な防衛策が取れる。攻めるべき時、手続きを踏まなくていいなら好機を逃さずに済む」

「ば、馬鹿な。そこまでの自由を与えては部隊を私物化されるかもしれない」

「その懸念はごもっとも。しかし、敵国にここまで迫られている状況……多少の制度の改変は必要だと思いませんか。今はバランスを取っていればよい平和な時ではない。ある程度の融通があって然るべきだ」

「ししかし……!」


 ヴィンセントは明らかに影響力を得ようとしている。だが理屈は通っているのだ。戦時に戦える人間が決めるべきことは多々ある。マルチェロの場合戦闘力がないため、なおさらダメだと言いづらい。ここでヴィンセントを否定すれば自身の権力を守るため、旧王都防衛を軽んじたと取られかねない。


「……私は反対だ」


 異議を唱えたのはパウエルだった。元々街の実権に関わらないからこそ、毅然に発言することができる。


「ヴィンセント殿は既に戦術決定権を持っている。それだけで戦闘はこなせよう」

「しかし、緊急時などは──」

「君の言う緊急時とはいつだ? 旧王都が危機に瀕した時か? その場合なら戦闘の許可など必要もなく戦いが起きているだろう。そして貴族は街を守るため戦う。君がすべきなのはその際の指揮ではないのか? 街の舵取りを武官がすべきだと本当に思っているのかね」


 ヴィンセントは一瞬顔を歪ませたが、すぐに切り替えて口を開いた。


「……武官文官の責務を持ち出されては仕方ない。だが旧王都を守るためには──」

「君ほどの手腕があれば防衛に抜かりはないだろう?」


 我ながらずるい言い方だった。だが、こういう言葉はプライドが高ければ高いほど効く。

 ヴィンセントは忌々しそうに唸った。


「……ええ。防衛に問題はない……」

「少々出過ぎたことを言った。申し訳ない」

「いや……しかしなかなかどうして、政治の腕もあるようだ。感服しましたよ」


 悔しさをひた隠してヴィンセントは苦笑した。この様子だとまだ諦めてはいなさそうだ。

 ヴィンンセントは一つ息を吐くと普段通り冷静な雰囲気を取り戻した。


「では東国前線基地攻略作戦の仔細は自分が決めるということで。選抜する人員、進軍方法などはいつも通り任せてもらいます。マルチェロ卿」

「ううむ。分かった。では会議を終える。ご、ご苦労だった」


 そう言って皆立ち上がる。マルチェロはこっそりパウエルに一礼した。

 パウエルはそのお礼は不当だと思った。結果としてマルチェロの立場を救ったが、旧王都の先を思って発言したまでのこと。見返りを期待した行動などとは思われたくはない。


「パウエル卿」


 会議室を出ようとしたのを呼び止めたのは一人部屋に残っていたヴィンセントだった。


「何かね」

「……自分はあなたを見くびっていたようだ。できれば味方につけたいと思う。だがこのまま自分の邪魔をするのなら、それなりの態度を取らざるを得ない」


 野心を滾らせて言った。迷いのない真っ直ぐな目だった。


「君は何を考えている」


 尋ねるとヴィンセントは身をひるがえし背中を向けて語り始めた

「……この国は腐っています。王都の貴族は権益ばかり求める強欲ばかり。賄賂や汚職も当然のように交わされている」


 否定できない。パウエルが辺境に飛ばされたのも不徳な貴族のせいだ。


「旧王都はそういう汚れた世からあぶれた人たちの受け皿になっているのです。尊い役割だが、そもそも実直な貴族や民がないがしろにされる国……どうかしていると思いませんか」

「……確かに憂慮されるべきことだが」

「そうでしょう」


 意気を得て声量が大きくなる。


「そんな国が、今傾いている。だが沈みかけた王都に引きずられて旧王都まで溺れさせる気はない。自分は旧王都の未来のため。そのためだけに行動していますッ」


 ヴィンセントは振り返った。パウエルをその鋭い双眸に捉える。


「自分は己を一つの水滴だと考えています」

「水滴?」

「水面に水滴が落ちると波紋が広がる。それはささやかなものですが、大きな波を作るのはそうしたきっかけです。大切なのは始まり。誰もが怖気づく第一歩を自分がやろうというのです。未来を良いものにしようという始まりの波紋を」


 ヴィンセントは改めて言った。


「ですから、邪魔をしてほしくはない。あなたほどの誠実な人間なら分かるでしょう。この戦争は好機だ。利用しなければいけない」


 理はある。想いも純粋だ。旧王都のためになるのかもしれない。


「だが、それだと王都に住む民はどうなる。王都周辺に暮らす者は、旧王都から遠い西国領に生きる者はどうなる」

「……戦いに犠牲は付き物だ。代償なくして結果はない。魔法と同じでしょう」


 苦しそうに言う。ヴィンセントも心苦しいのだろう。

 だが。


「賛同できん。君が切り捨てるといった命は何より重いものだ。この戦争で苦しんでいる者もいるだろう。独立などを企むなら戦いが終わってからするべきだ」

「しかしそれだと困難な道になる! 今の民衆は立ち上がるという考えが浮かばないほど飼い慣らされているんだ! 独立は今を置いて望めない!」

「かもしれん。だが戦後に行うのが正道。道理。貴族の本懐は民を守ることにある。それが第一だ。君の言う水滴の作る波は、他を切り捨てる非情の波紋だろう」

「くっ……! しかし自分は……!」


 ヴィンセントは歯噛みした。


「……これ以上ここにいても意味はないな」


 パウエルが会議室を出る。呼び止められることはなかった。バン、と机をたたく音が響いただけ。


「まったく……年を取るわけだ」


 ため息を吐く。真っ直ぐな感情を受け止めるのは疲れるものだ。守りたいものがあっての熱意だからなおきつい。

 パウエルは早足で旧王城を歩いた。

 この、かつての権力の象徴に自分まで飲み込まれる気がしてすぐに離れたかった。

 ヴィンセント・ヤシーンには気を付けなければならない。

 それだけを胸に刻んだ。





 


 会議室に一人立ち尽くすヴィンセントに近づく男の姿があった。


「……説得は失敗したのか」

「ニックか……」


 ニック・ドゥー。庶民寄りの貴族だ。根が優しい彼の顔は今不安に彩られている。

 ヴィンセントは友人の不安を取り除くため空元気に笑った。


「問題ない。元々簡単に協力を仰げるとは思っていないさ」

「そうか? ならいいが……」


 なおも心配そうな顔は消えない。

 ニックとヴィンセントは幼いころからの友人で旧王都の未来を憂う同士だが、実質的な行動をするのはヴィンセントだ。立場上行動しづらいのもあるが、気質としてニック・ドゥーは臆病だった。

 だがニックの求心力は独立に欠かせない。民衆が真っ先に頼りにするのはヴィンセントではなく、庶民派貴族のニックなのだ。


「ヴィンス。どうするんだこれから……」


 ヴィンセントは深く息を吸って思考をハッキリさせた。


「時期を待つ。まだ動くべき段階じゃないからな。目下問題は前線基地だ」


 旧王都にとってあの東国基地は障害になる。最優先で対処しなければならない。

 その次に問題なのは……。


「他に問題があるとすれば、マルチェロか」

「そうだな……民は穏健派の方が好きだ。ビオンディーニ家は象徴として根強い人気がある」


 人は歴史あるものを好む。血筋のハッキリしたビオンディーニはともかく、ヴィンセントのような若者ではまだ信頼しきれないのだ。

 ニックは唸った。


「穏健派の半数は旧王都を離れているけど、まだ力を持っているのが実情だな……なんだかんだマルチェロの息子は求心力があるから」

「MJと言ったか。魔力が強いので戦力になると思っているが」


 なるほど。力もあり、ビオンディーニの子どもとなれば集団をまとめる素質はある。


「吃音で舐められやすい父親の代わりをやろうとしているからな。民からの人気もある」

「……厄介だな」


 穏健派の勢いは少しでも削がなければならない。彼らに悪意がないのは分かっているが、前時代的な考え方は歩みを遅らせる原因になる。独立の邪魔だ。


「……まさか手を下そうってわけじゃないよな?」


 ニックの心配にヴィンセントは笑った。


「そこまではしないさ。だが策を考える必要がある」

「……私たちは間違ってないよな?」

「ああ」


 ヴィンセントは深く頷いた。


「自分たちには旧王都を守るという大義がある。間違っているはずがない」


 そのための代償は仕方ないのだ。小を切って大を救えるのなら、その犠牲たちも本望だろう。自分もこの身を賭して進むつもりだ。


「……やはり、パウエル卿は味方につけておきたい……」


 旧王都のためなら恥も外聞もいとわない。その覚悟がヴィンセントにはあった。




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