旧王都 ネリーの前進
お昼前の午前。ネリーは酒場の前で立ち止まっていた。
「身だしなみは……大丈夫。変じゃない。声……うん、落ち着いてる。深呼吸……ふぅ。よし、いける。ハーニーの前で変にならない。変な女の子にならない」
パチン、と頬を叩いて気合を入れる。脳内でイメージ。
今から酒場に入って階段を上がってハーニーの部屋をノックする。
そして。
「今日こそハーニーの辛さを分かってあげるのよ……!」
ネリーは勢いよく酒場の扉を開いた。
「うっ」
すると丁度酒場にハーニーの姿が。てっきり部屋に行くまで会わないと思ってたから心臓が跳ねる。固まっているとハーニーがこちらを見つけた。
「あれ? ネリーも来てくれたんだ」
「え? ええ。私も? 私は別に……そうね……」
不意の接触にしどろもどろになる。ハーニーは軽く首を傾げた。
「どうかしたの?」
どうかしてるのはそっち!
「う、ううん? 別に……」
口から出るのはとりあえずの否定だった。
「そう……? それじゃあ僕は出かけてくるよ。約束があるんだ」
「い、いってらっしゃい」
一言お礼を言ってハーニーは脇を素通りしていく。目で追うがハーニーはすんなり酒場を出ていってしまった。
「……ふう」
醜態を見せずに済んだとほっとして。
「……ううう、私何やってるの……せっかく来たのに……」
これでは何をしに来たのか分からない。意気地なし。臆病者っ。
でもどうしても緊張するのは止められない。
自己嫌悪に立ち尽くしていると横合いのテーブル席から聞きなれた声。
「まったく何やってるんだか。そんなんじゃ負けちまうぞー」
「ユ、ユーゴ。あんた見てたの?」
「そりゃもう全部な」
ニヤニヤ笑うユーゴはいつも通りの軽装で四人掛けのテーブルを占拠していた。客はいないので迷惑ではないが。
「……暇な奴」
「お? 自己紹介か?」
「くっ」
確かに今の様を見られているなら完全に同類だ。いや、むしろ私の方が暇人ぽい?
「へへ、勘違いすんなよ? 俺はハーニーにリアちゃんのこと頼まれたからここにいるのさ」
「ハーニーがユーゴに……」
私じゃないんだ……。
たぶんいつも頼んでるから気を遣ってくれたんだろうけど、そんなの別にいいのに。
「しっかし、お前が来たから見守ってたが、いやー収穫なしだわ。もっと面白くなんないのか?」
「うるさい。ハーニーはどこに行ったの?」
「さあ? 約束がどうとか言ってたな。例の黒髪美人じゃねーの?」
「美人……」
胸にずしりと重み。
あまり詳しく知らないけど、ハーニーは高貴そうな黒髪女の子と面識があるんだっけ。
好奇心よりも不安から尋ねる。
「ど、どんな人?」
「おしとやかな美人って感じだ! こう包容力があってな……あ、悪い」
「何で謝るのよ! 私だって包容力くらい……くらい……」
ハーニーと対する度、挙動不審になってしまう自分を振り返って表情が固まる。素っ気ない態度を取っておいて包容力なんて……。
ユーゴはそんな気持ちなどお構いなく笑った。
「あっはっは。そうだよなーお前つんつんしてばっかだもんなー」
「ううっ」
「まあどうせネリーのことだし、『私ハーニーのことなんかどうでもいいんだから』って誤魔化すんだろーけど」
「……」
「何だよ急に黙って」
「ベツニ……?」
ネリーは顔を背けるのが精いっぱいだった。その様子にユーゴは目を見開く。
「……な、何だお前!? 否定しないのか!?」
「……っ」
ネリーは顔を真っ赤にして俯いた。
沈黙にユーゴは戦いた。
「あの頑固なネリーが否定しないだと……? まさかお前ハーニーのことが好きなの認めるのか! 自覚して受け入れてるのかー!?」
「うぐ」
一つ一つの言葉の意味に気圧される。でもその全てがびっくりするほど胸にストンと落ちてきた。もう抗いようがないほどそうなんだと思い知らされる。
「……わ、わわ悪い?」
ネリーは耳を澄まさなければ聞こえないほど小さな声で答えた。
「なに!? ハッキリ聞こえなかったからもう一回言ってくれ! マジか!? 本当なのか?! 茶化してねーだろうな!?」
「ああ、もうくどい! 分かったわよ言葉にすればいいんでしょ! 本当よ! 私はハーニーが……気になってる! これでいい?!」
ユーゴは数秒呆然とした後、わなわなと身体を震わせてグッ、と拳を振り上げた。
「いよおおおっし! よっし! 今日はめでたい日だ! 祝杯を挙げよう! マスター、酒!」
「な、なによ騒ぎ立てて。あ、お酒はいりませんから」
まだお昼前だし。というか。
「何であんたが喜んでるの?」
「そりゃーお前……! 今まで俺がどんな思いでお前らのやり取り見てたと思うんだ! お前は明らかにハーニーのこと好きなのにうじうじもじもじ焦れったくてよう。ハーニーはハーニーでそっち方面は鈍感で進展しねーし、とにかく見ててムカついてたんだ! そう思えばこれはとてつもない前進だぞ!」
まるで兄妹の幸せを喜ぶかのような勢いだった。
「って、え、何? 私がハーニーのこと……す……なの知ってたの?」
「……これだもんな。恋愛下手っつーか、余裕がないっつーか」
「あんたから上から目線で物言われるとムカつく」
「せっかく打ち明けたんだから優しくしろよ! 俺はお前を応援してるんだぜ?」
「応援される筋合いなんてあったっけ?」
「きびしっ。あのなー、俺なりにお前らのことは仲間だと思ってんだぞ。なんだかんだともに戦場を潜り抜けてきた同士じゃねーか」
「あんたは目潰しばっかしてたけどね」
「ぐ。その話は二つ名のことを思い出すからやめろ……」
ユーゴはあの『目潰し臆病者』のことを相当気にしているらしい。まあ貴族の一員なら気にして当たり前か。二つ名は家名に準ずる称号だ。
「そんなことよりハーニーのことだ。へへ、やっと色々本音を聞けるぜ。ハーニーはいつも無難なことしか言わねーからな。それであいつのどこが良いんだ? どんな感じよ、印象とか」
「どんな感じって……」
促されるままに思いを馳せる。一度考えだすと止まらない。
「……魔法みたい」
「は? まほう?」
「突然なの。いつの間にか、気づいた時には全部変わってた。ううん。変えられちゃってた。価値観も考え方もハーニーに当てはめて、ああしたら喜んでくれるかな? とかハーニーならどう思うんだろう、とか気になって……それでわた、私を見てくれることを想像して……うう」
ネリーは実際に胸に手を当てた。ドキドキする、という仕草。
ユーゴは両手で顔を覆った。
「もう、いい。もう言わなくていいわ。見てらんねーよ恥ずかしい」
「まだ終わってないんだけど」
「何で話したそうなんだよ!?」
呆れため息の後、ユーゴは手を退けた。露わになるのは苛立たし気な寄せた眉。
「つーかそんならこんなことしてる場合じゃねーだろ! 何ぼさっとしてんだ! 行くぞ!」
「え? どこに」
「ハーニーを尾ける! 気になるじゃん」
「ええっ、でも……」
「あーあー、もしかすると知らない女の子と仲良くしてるのかもなー。約束って何の約束だろうなー」
「む……」
なんてムカつく言い方をするのだろう。その通りだけど。
「何より……ぷぷ、面白そうだからなー! それじゃ俺リアちゃん呼んでくるわ!」
ユーゴは慌ただしく階段へ駆けていった。やがてすぐにリアちゃんを同伴して降りてきた。
「追いかけよう! ハーニーが心配だよ!」
そこには闘志をたぎらせるリアちゃんがいた。
「ハーニーにはリアがいるもん! 他の女の子なんていらないよ!」
「さすがリアちゃんは強気だなー。それに比べてネリーは」
「黙って」
……でも本当にそうだ。リアちゃんは素直で羨ましい。
「それじゃあハーニー捜索隊出発だ!」
「うん!」
「というかあんたハーニーの行き先知ってるわけ?」
「そう言えば知らねーな……とにかく街を探しまわるか。すぐ見つかるだろ」
「……はあ」
ため息が出る。
……でもちゃんと探そう。
私だって何かしたいと思ってるんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます