旧王都 過去に寄り添う魔法
パウエルに呼び出されたのは翌日の昼だった。
場所は前回と同じ広場。相変わらずひっそりしていて、パウエルが一人佇んでいた。
「ふむ? 今日は一人かね」
「ええ……すぐ戻ると思ってリアには留守番してもらってます」
「そうだな。長話にはならないだろう」
パウエルは穏やかだった。こちらの表情で結果が分かったのだろう。
「君が悪いわけではない」
そう慰めの言葉をかけてくる。
「……そうかもしれませんけど、やりきれないですよ……。他に何か方法はなかったのかって。どうしようもなく流れに従うしかないのかって」
「世の中思い通りならないこともあるだろう。今回のことも最悪の結果ではない。一人の戦士が疲れて休むことになった。それだけのことだ」
「……でも心の底から戦いたくわけじゃないんです。戦いたいって言うんです」
「たった一つの理由で生きる人間もいるまい。貴族が誇りだけで戦えないように」
ハーニーは首を傾げた。
「でもパウエルさんは誇りで戦ってるんですよね?」
パウエルは苦笑した。
「君に初めて会った時そう言ったんだったな。確かに前までは誇りしかなかった。おかげで師匠に足元をすくわれた」
「ってことは今は違うんですか?」
「誇りだけ、ではないな。私もようやく見つけた気がするのだ」
その言葉は本当らしく、パウエルは清々しい様子だった。
「だったらアルコーさんも何とかなりませんか」
パウエルは困った顔をした。
「難しいな。あいつには弟子がいないだろう」
「弟子? ……僕がパウエルさんの理由なんですか?」
パウエルは誤魔化すように咳ばらいをした。
「勘違いしないでくれたまえ。君自身がどうこうというわけではなく、良き若者を見ていると自分が何をすべきか分かるということだ」
よく分からないが反論したいことが一つ。
「良き若者ならアルコーさんを助けてますよ……」
「結果が全てではない。君は頑張ったんだろう?」
「……でも」
「諦めないのならそれもいい。そういう姿は救いになるかもしれん」
「そういう姿?」
「若者が頑張る姿、というのは私くらいの年になると眩しいものだ。私にもかつてあったはずなんだが、遥か昔のように思える。悔しい、というべきか。やる気が沸く」
「はあ」
感慨深そうに語るがどうも理解しづらい話だった。
パウエルは笑う。
「君の年で分かられてはたまらんよ。君は君らしくすればいい」
「……」
パウエルはもう今を生きる理由を見つけたということなんだろうか。詳しく話そうとしない訳は不明だが、苦しんでいた時を知っているだけによかったと思う。
……アルコーさんもこうなってくれればいいんだけど。
「結局アルコーさんに話すんですか?」
「ああ。今日、後で話す。あいつは嫌がるだろうが、戦える状態でもあるまい」
「そうですね……」
昨日の戦闘を思えば、無理と言わざるを得ない。
「仕方のないことだ。あまり気を落とさないでくれ」
「ええ……僕ももう戦えるようにしようなんて思いません……」
無理に戦う必要なんてない。今はそう思うのだ。
そして同時に不安になる。
僕はどうなのだろう。戦って、僕は僕のままでいられるのだろうか。
俯くハーニーの肩をパウエルがぽんと叩いた。
「君まで落ち込んでどうする。君はすべきことをしたまえ」
「僕のすべきこと?」
「君には守るものがあるだろう。そばにいなくていいのかね」
「……そうですね」
落ち込んでいても仕方ない。
「それじゃあ僕は戻ります」
「ああ。私も会談が終わり次第宿へ行く。アルコーと話をするためにな」
パウエルと別れる。
「……これでよかったんだよね」
右腕に話しかける。返事は早い。
『やれることはやりました。複雑な問題です。仕方ないでしょう』
「複雑か……」
そうなんだろう。色々がんじがらめになって動けずにいるのがアルコーなのだから。
しかし。
「もっと単純にできないのかな。したいことをするって、どうして簡単にできないんだ」
『そういうものなんでしょう。年を重ねることというのは』
「僕にはたった3年の記憶しかないから、もどかしく思うのかな」
『少なくとも大人というものは、多くを抱えています。抱える物同士衝突することもあるのではないでしょうか』
「……皆子供になっちゃえばいい、か」
リアが教会で言ったことだ。今はそれが真理に思える。
そしてそう言ってくれたリアの顔が見たくなった。
「リアのところに帰ろう」
『はい』
宿へ足を向ける。
しかし、宿で待ち受けていたのは予想外の騒ぎだった。
◇
宿が見えた距離。普段と異なるものが目に入った。
宿、正確には一階の酒場正面に人だかりができていたのだ。それは酒場前の広い道を囲うようにしてできていた。
その中心から響くのは爆音。砂煙が舞っているのが遠くからでも見えた。
「何だ……?」
ハーニーは慌てて人だかりに向かった。
「どうかしたんですか?」
尋ねると集まって何かを見ていた一人の男が答えた。
「やあ、喧嘩だよ喧嘩」
「喧嘩?」
「ああ。ただの喧嘩なら珍しくないが、貴族の喧嘩だ! 魔法が見られるってんで観客が集まってるのさ」
「貴族の……?」
二階の宿を使っているのはガダリアの貴族だけだ。酒場は旧王都の貴族も訪れていたが……嫌な予感がする。
「すみません! 通してください!」
人垣に無理やり割って入る。やっとのことで抜けると、中心には四人の貴族がいた。
三人は初めて見る顔だ。一人が前に出て構えていて、二人はその後ろで応援している。
そしてもう一人。三人の貴族を前にして、地に伏せている男。
見知った顔だった。
「ア、アルコーさん!」
名前を呼ぶが返事はない。横たわるアルコーはぴくりとも動かなかった。
「ハーニー!」
聞きなれた高い声に振り返る。リアだ。
その顔は恐怖に彩られていた。
「リア! これはどういうことっ?」
「あ、あのね。水をもらいに一階に下りたら、おじさんが口喧嘩してたの! それから戦うことになっちゃって……ハーニー! あの人たちを止めて! おじさん、何もしてないのにいじめられてる! あっちばっかり魔法使ってずるいよ!」
「アルコーさんは魔法が使えないのにどうして喧嘩なんか……」
戸惑っていると声がした。
高慢な印象の声。青年の声だ。
「これで終わりだ! 二度と生意気な口を利けないようにしてやる!」
それはアルコーと戦っていた三人のうちの一人だ。リーダー格らしきその青年はハーニーと同年代に見える。長い金髪で高級そうな服を着用していた。
彼の掲げた手には子供ほど大きい火球を纏っている。
「喰らえ灼源! 轟爆球!」
魔法の簡易詠唱。紅蓮の球体が無抵抗に倒れているアルコーに放たれた。
「そんなバカなことッ!」
ハーニーは筋肉を総動員させてアルコーの元へ走った。庇うように前に立つ。
「セツ! 頑丈な盾だ!」
返事もなく魔法は発現する。守るという意志が魔法を硬化させた。
大人を半分飲み込みかねない火球が盾に衝突する。
「ぐうううっ」
凄まじい衝撃だった。構えた腕ごと後ろに持っていかれそうになるほど。だが、辛うじて耐えた。炸裂した火球は周囲に火の粉を散らす。
『2層魔法。それも3層に近いほどの威力です』
セツの言葉を疑う気など起こらない。パウエルほどでないにしろ、凄まじい魔法だ。
「何者だ! 貴様!」
魔法の主がこちらを威嚇してくる。ハーニーも負けじと叫んだ。
「無抵抗の人を魔法で狙うなんて何考えてるんだ! そっちこそ誰だよ!」
声に金色の長髪の青年は格好つけながら名乗った。
「私はMJ! マルチェロジュニア・ビオンディーニだ! 貴様こそ名乗れ! その男と何の関係がある!」
「ぼ、僕はハーニー! 彼とは……友達だ!」
「名字は!」
「……ない!」
僅かに周囲の民衆がどよめいた。
「平民か……? しかし魔法を使ったな。まあいい。そこを退け! 決着はまだついていない!」
MJと名乗った青年は横柄にそんなことを言う。
「決着だって?! もう十分じゃないか! アルコーさんに何の恨みがある!」
「そっちが突っかかってきたのだ! 我々の話を聞いて出しゃばってきた!」
「アルコーさんが……?」
MJの後ろにいる見るからに腰巾着な一人の男が、名前を聞いて割り込んでくる。
「アルコー……? MJさん! こいつあのアルコー・コールフィールドですよ!」
「なに? ……ふん。あのロクデナシ共の出か」
心底軽蔑した風にMJは呆れた。
「前の戦争の英雄と聞いたがこの程度とは。生まれが生まれなら、その地の貴族もゴミだな。だからさっさと取り締まれというのだ」
ずいぶんとアルコーの故郷を馬鹿にする。
アルコーが突っかかった訳が見えてきた。
「さてはアルコーさんの前であの区のことを馬鹿にしたな!」
MJは臆面もなく鼻で笑った。
「はっ! 奴らは戦時下でありながら反戦主義者だぞ? 我ら貴族にとって何の得がある! 誰が守ってやってると思っているのだ! それを嫌悪して何が悪い!」
傲慢にもそう言う。自分と変わらない年のくせに、守ってやっているようなことを言う。
「あなたが戦ってきたわけでもないのに、そんなこと言うな! 故郷を馬鹿にされて怒らないわけないだろ!」
「貴様こそ生意気にも俺に意見する……気に入らないな! その雑魚の代わりお前を潰してやる!」
MJは苛立ちを露わにして魔法を詠唱する。
「全てを降す強欲な火炎! 王の系譜よここに! 猛竜赤継!」
未知の魔法はMJの振った手から放たれた。
紅蓮の炎が細い線を作って迫ってくる。蛇のように、川のようにうねりながら突っ込んできた。
「くっ」
再度盾を構える。
炎の魔法はぶつかる寸前で形を変えた。
「王に従える竜よ! 大口開き全てを喰らえ!」
追加の詠唱で炎は変化する。獣が獲物を喰らうように炎は四方に開き、盾を避けてハーニーを襲った。
盾じゃダメだ! 全方位でないと!
「セツ!」
『分かっています』
想像するのは球体。自分と、そばで倒れているアルコーを守る殻だ。
「くうっ……!」
視覚外からも襲う炎を防ぐが、同時に着弾した圧力は恐ろしいほどのものだった。ハーニーを囲う無色の力場が揺らぐ。
「は、剥がされる……ッ!」
強度が足りないと咄嗟に気づき、ハーニーはアルコーを引きずりながら爆心地を抜ける。
離れると魔法はさっきまでいた場所を抉り取っていた。
魔法は意志の強さ。傲慢な者ほど力を持ってしまう。そう聞いてたけど、ここまでなんて……。
「ほお? これを凌ぐとは、名字もないくせによくやる。雑魚とは違うわけだ」
「……僕のことはいい! アルコーさんを馬鹿にするのはやめろ!」
「俺に何もできず負けた男に、礼を尽くす必要があるか? 皆無だ! 昔強かろうが今弱いのなら何の意味もない! 貴族という肩書に縋る無能は西国にいらない!」
「またそうやって見下す……! 人の苦労も知らないで!」
「貴族にとって大事なのは結果だ! 今だ! 過去など知ったことではない!」
MJはその上冷えた目を向けてくる。
「哀れだな。人に助けてもらうだけの大人……堕ちる時は故郷と共にというわけだ」
「またあなたは……!」
怒りに押されて食って掛かろうとする。
が、それを留める者がいた。
「……お前が怒るな……俺の問題だ……」
「アルコーさん?!」
アルコーがハーニーの腕を掴んで引き留めていた。ハーニーを支えにしながら立ち上がる。
「ほお。まだ立ち上がるのか。しぶとさも故郷譲りだな」
「黙れ……」
アルコーは唾を吐き捨てながらハーニーという支えを押しのけた。
「うわっ」
ハーニーは尻餅をつく。が、それどころではない。
「アルコーさん! 無茶ですよ! 魔法が使えないのにこんな相手を──」
「黙れッ! これは俺の戦いだ! 俺の敵だ! お前は口を挟むな!」
恫喝するアルコーの目の色は……昨日とは違って見えた。
「俺がどれだけ嫌われようが、必要なかろうが、あの場所は俺の守るものだ。守ったものだ……こんなクソガキに馬鹿にされてたまるか……!」
「でも……!」
「俺は戦える! これは俺の……純粋な思いで戦った過去を、記憶を守る戦いだ!」
「記憶を……っ」
「行くぞ金髪! 今度は簡単にやらせねえ!」
アルコーは満身創痍のはずの身体で前傾姿勢になる。
「我が手に纏え濃緑の風! 風切!」
詠唱。そして。
「魔法が発現した……?!」
ハーニーは唖然とした。アルコーの右腕には鋭利な風の刃ができていた。見せかけではない。大気が鋭利に研ぎ澄まされている。
アルコーはさらにつぶやいた。
「偏在する風よ……常在する空流よ……今、この場に集いて俺の戦場を激しく彩れ! 禍風結界!」
それは初めて見る魔法だった。
今まで吹いていた自然の風は変質し、強風となって空間を駆ける。風の方向などなくなったのだ。風は縦横無尽に流れ、生き物のように流転している。無から力が生まれるかのごとく、風は周囲に圧力を加える。
「馬鹿な……! こんな大魔法が?!」
MJが長い金髪を風に流されながら戦く。
『4層に近い3層魔法……』
「え?」
『空間支配が4層魔法です。であればこの空間は……』
セツの言葉通りだった。
アルコーは支配とまでいかなくても、この空間の風を操作している。風の主としてここに君臨している。
「そうだ! 俺は戦った! 守るものがあった!」
風と対話するようにアルコーは空気を揺らす。その表情は傷だらけでも清々しい。
「うおおおっ」
アルコーがMJに向かって疾走する。
風が巻き立つ。爆発が起きたような豪風の始動。
「くっ! 炎よ!」
MJが魔法を放ち、迎撃しようとする。
「弱い!」
だがその魔法はアルコーを避けて飛んでいった。
いや、アルコーの纏う風が流しているのだ。柳のように受け流して。
「ありえない……!」
MJは身を守ろうと必死に魔法を織りなすが、もはやそれも無意味だった。
生じた火炎は瞬く間に風となって消える。
「ぐっ……!」
進攻を抑えられなかったMJが、肉薄したアルコーを見て死を覚悟するように目をつむった。
数秒の沈黙。
MJがおそるおそる目を開けた。
「……?」
「……俺の、勝ちだ」
アルコーはMJの喉元に風の刃を突き付けて止まっていた。
「俺は……戦えるんだ……!」
ふらふら、とアルコーが立ちくらんだかと思えば、そのまま崩れ落ちてしまう。ばたり、と倒れてしまった。
「アルコーさん!」
ハーニーが駆け寄る。アルコーが倒れたことで風はなくなっていた。それまであった風すら今はない。無風だった。
途端、歓声。
「でかしたぞ!」「いい勝負だった!」気楽な言葉が飛ぶ。
「くっ……! 確かに俺の負けだ! 負けたからには先刻の失礼、謝る! だが、覚えておけ! このマルチェロジュニア、借りは必ず返すぞ!」
MJは意外にも潔く負けを認め、踵を返した。取り巻きもそれを追っていなくなる。
変な奴だ。
そう思うが、今はアルコーだ。
「アルコーさん! アルコーさん!」
返事はない。気を失っているようだった。
無理もない。アルコーはハーニーが来る前に相当な傷を与えられていた。服はどこも焦げるか切れていて、生傷も多い。
「ハーニー! 部屋に運ぼうよ!」
いつの間にか近くに来ていたリアが言った。
ハーニーはアルコーを担いで宿に向かう。人だかりを疎ましく思いながら運んだ。
勝利を喜ぶよりも、戸惑いながらアルコーを彼の自室に連れて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます