3日目 それをすてるなんてとんでもない!
「今夜、家に誰もいないの。良かったら来る?」
学校の帰り道、付き合って半年になる彼女からの突然の誘いに、年明けの冬の寒さを吹き飛ばすような体温の上昇と緊張が走る。
「はは、じ、じゃあ、行こうかな」
僕は男として恥ずかしい空気を悟られないように、平静な態度で返事をした(つもりだった)。
もうすぐ高校卒業を控えた20世紀最後の1月のとある金曜日。どうやら、いよいよ大人の階段を登るときが来たようだ。
恐怖の大王が降臨すると言われた昨年の夏。僕は彼女、鯨武 由美と出会い、そして両想いとなった。その間には色々あったが、こうして互いを信じあえる関係になったことに日々、感謝している。
「夜7時には出掛けて、親戚の家にそのまま泊まる予定なの」
由美さんは僕に言う。つまり、それ以降ならば大丈夫というわけだ。
「じゃあ、8時頃には誰もいないんだね。ははは…」
「そうだね。日曜日の晩まではいないよ。ふふふ…」
僕らは互いに笑いながら、しばらく帰路を共にしたのちに別れた。
時刻はもう夕方4時を過ぎている。時間はない。それまでにしなければならない課題がいくつもあった。
まずは体臭だ。冬場とはいえど、僕の体臭は決して香り良いものではない。あまり気にしすぎてもいけないが、風呂で体は丁寧に洗った。特に下半身は入念にである。
次にシミュレーションだ。「何の?」と言われても説明が難しい。喩えるならば、心・技・体だろうか。これまでの経験上、大抵は無駄に終わるが何もしないよりは良い。とにかく予行演習というか、様々な状況を想定することが大事なのだ。
最後に装備だ。当然、紳士としての礼儀は果たすべきだが、万一にも男になり過ぎた場合には、一生を賭してでも、彼女とその先にある命を守る責任を背負わなければならない。
僕の由美さんへの気持ちは、当然ながら遊びではない。一生を捧げたっていい。だからこそ、決して浮かれてはいけない。
何より、最難関はその装備を店で買うことだ。明らかに目的と効力が一つしかない、その防具ともいうべきバリア、拘束具を手に入れなければならないのだ。これは本屋で成年誌を買うレベルどころの話ではなかった。
地元には、その防具を売ってくれる自動販売機がない。いや、あるかもしれないが把握していない。そして、その情報を教えてくれる町の人もいない。
僕は
さて、これはどこで使用、身に着けるべきだろうか?そのタイミングがまったくわからない。さすがに予めに『ここで装備していくかい?』というわけにはいかない。こればかりは神のみぞ知るといったところだろうか。
あれよこれよと、いくつもの試練を乗り越えて時刻は夜8時。由美さんの自宅前に僕は立っていた。親には、今日は友人宅に泊まると言ってある。いよいよその時と思い、緊張する中、僕は玄関のブザーを鳴らした。
少し待つも反応はない。僕はもう一度、ブザーを鳴らした。
少し待つも反応はない。僕はもう一度、ブザーを鳴らした。
少し待つも反応はない。僕はもう一度、ブザーを鳴らした。
………返事が無い。ただの留守のようだ。
………そして、土曜日も日曜日も留守だった。
次の月曜日。登校途中、僕は由美さんに「金曜日の晩から土日はどうしていたの?」と訊ねる。
「ん?家には誰もいなかったよ。親戚の家に泊まりで出掛けてたから」
彼女は何の変哲なく答えた。僕は由美さんとの会話をもう一度、思い返した。
『今夜、家に誰もいないの。良かったら来る?』
『はは、じ、じゃあ、行こうかな』
『夜7時には出掛けて、親戚の家にそのまま泊まる予定なの』
『じゃあ、8時頃には誰もいないんだね。ははは…』
『そうだね。日曜日の晩まではいないよ。ふふふ…』
『金曜日の晩から土日はどうしていたの?』
『ん?家には誰もいなかったよ。親戚の家に泊まりで出掛けてたから』
―――「要するに、私が家に一人でいると、早とちりしたと」
妻は笑いを堪えながら、僕の当時の状況を聞く。だけど、おかげで僕らはピュアな関係をもっと長く続けることが出来たのだ。どんなに妻を愛していても、あの時のドキドキした日々は戻らない。妻に、そして当時の自分に言い聞かせた。
『
(終)
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