最終話 夢の始まりに
ここまで書いたことを思い返すと、これは小説と言うには、やはり国語力の欠如した支離滅裂な駄文だったけど、それでも数々の偶然と結果が実を結んだ、僕自身の実話を基にした恋愛エピソードとして、少しは自信を持ってお送りできたと思う。これからも時々、妻と昔を思い出しながら、未来に向き合う、そんな長話。
『不可はなくなり、可を手にした』高校最後の夏を迎えた男子学生は、学校の屋上で出会ったゲーム少女とこれから結婚まで至る青春の一物語を歩んだ。
世界は今世紀最後一歩手前の七月下旬を迎えようとしていたが、至って平穏だった。誰も 『恐怖の大王はこれから降ってくる』とか 『世界の終末は近い』と騒ぎ立てることもなく、新通貨の流通や名作宇宙戦争映画の続編の方が世間は賑わっていた。
僕の日常も同じ。『不可はなくなり、可を手にした』高校最後の夏…って、これはさっきも書いたけど、どこにでもいる量産型のゲームオタクを満喫しつつ、青春の第一歩を踏み出そうとしていた。
◆
1999年7月19日(月)午前11時51分
「もう行くのですか、
「寂しくなりますな」
「夏休み中、いつでも遊びに来てくださいですぞ」
校長の長話で締めくくられた終業式を乗り越え、各クラスで行われた一学期最後のホームルームが終わった瞬間、学校中は瞬間的に夏休みの解放感に沸き上がるとともに、生徒たちの多くは脱兎の如く学校から姿を消した。
僕は、所属していた情報処理部の拠点となるパソコン室に立ち寄り、私物(殆どがゲームや漫画)を整理するとともに、フリーダムなオタク集団である後輩たちに、しばしの別れを告げた。
「気が向いたら来るよ。とりあえず、二学期まで首を洗って待っていろ」
特に言葉の意味はない。自分にとって、面白いことを言いたかっただけである。
こいつらには本当に世話になった。いつも僕の相手をしてくれて、たくさん繰り広げてきた馬鹿話がしばらくできないと思うと、何だか寂しいものだ
「じゃあな」
僕は部室を出て、ある場所に向かう。そう、もちろん学校の屋上だ。そこで由美さんと待ち合わせの約束をしている。
別に屋上で密会のように会う必要はない。堂々と教室や正門で待ち合わせても良いのだが、せっかくなので、一学期最後の日は僕らの始まりの場所にしたいと、由美さんにお願いしたのである。
そうそう、先日の土曜日の夜、僕は初めて彼女の家に電話をした。女子の家に電話をするなんて、小学生の頃に遠足中止のお知らせで掛けた連絡網が最後ではないだろうか。
震える手で受話器を握って、電話番号を復活のパスワードなみに間違いのないよう、慎重に確認しながら一桁ずつダイヤルした。あらかじめに約束していた時刻に掛けたとはいえど、コール中は「由美さんの親が出たらどうしよう」と怯えたのは、彼女には内緒である。
あの日、勇気を振り絞った僕の正直な気持ちは、由美さんに無事に届いた。首を縦に振りながら少し緊張した声色で「コレカラモ ヨロシク」と言ってくれた由美さんの顔は、明らかに赤面していた。多分、僕も同じような顔色だったと思う。
石の中にいたような僕の固い心は、いつしか、意志の中で暖かい何かが芽生えていた。それが、両思いという名のステータスだと気付くのには、少しだけ時間が掛かった。
さて、そんな自分に浸っていた内に、僕はいつの間にか屋上の出口前の扉に立っていた。訪れ慣れた場所なのに、ここの扉を開けるときはいつも緊張する。
由美さんは、きっとそこにいる。そう思いたいが、少しだけ不安になるのだ。無理もない。現に先週と先々週の月曜日は、いなかったのだから。
僕は「二度あることは三度あ…る?」と少し不安になりながらも扉を開けると、いつもの場所で由美さんは待っていてくれた。そんな彼女の手には、僕らの共通パートナーともいうべき、WSが握られている。
「おーい、由美さーん」
屋上に出た僕は、十数メートル離れた場所にいる由美さんを、少しだけ大きな声で名前で呼んだ。それに気付いた彼女は、WSを下ろして僕の方を向き、片手を振りながら僕に合図を送ってくれた。
「遅いぞ、長之介君」
立ち上がった由美さんは、手を後ろに組んで、少し前傾姿勢で僕に上目遣いで微笑みながら怒るような仕草を見せてくれた。
「ごめん。ちょっと部室の私物を片付けていたんだ」
僕は後ろ頭を軽く掻きながら、だけど悪びれることなく笑いながら答えた。
『OK』『ナイス!』『グレイト!』『エクセレント!』『ファンタスティック!』『ファンタスティック!』『ファンタスティック!』YOU LOSE!
「あぁあああああ、惜しかった!」
WSから流れるガンソルの乾いた連鎖音と敗北音、そして笑いながら悔しがる僕の声が屋上に軽く響き渡る。
僕らは一学期最後の日も通常営業で、ゲームを対戦していた。結果は、思ってのとおりである。
「結局、この一学期、一度も由美さんに勝てなかったな」
僕はWSを電源を切りながら、屋上のフェンスに背中を預ける。それは悔しくも楽しい充実感の表れだ。
「ふふん、いつか勝てたら、そのときは私がミッツサイダー奢ってあげるよ」
由美さんは少しだけ自慢げに微笑む。その表情からは、まだまだチャンピオンとしての余裕と貫禄が窺えそうである。
由美さんはWSと入れ替えるように、鞄からミッツサイダーを取り出し、まるでそれを勝利の美酒とも言わんばかりに飲み始めた。
とりあえず、僕らは付き合い始めたと同時に『負けたらミッツサイダーを奢る』というルールは解消されたようだ。
流石に好きな人とはいえ、毎日奢っていたのでは、高校生の財布には厳しい。なので、少しだけ助かったような、でも、少し物足りない寂しい気もする。それだけミッツサイダーは、僕と由美さんを繋ぐ約束と絆の象徴のような物だからかもしれない。
そんなことより、僕らは付き合い始めてから、いきなりの試練というか、ひとつ大きな気掛かりを抱えていた。それは、明日から夏休みが始まるということだ。
学校にさえ来ていれば、用事がなくても会うことは容易だ。しかし、学校が休みとなると、僕らはこれから連絡を取り合って会う必要がある。その頻度というか、タイミングというか、それだけがよく分からなかった。
いつもの僕なら、ここで一人で悩んで、突っ走るところだが、今は違う。由美さんがいる。だから、それを二人で考えて話し合えたらと思っていた。
「会えるよ」
「え?」
由美さんは隣に座る僕に顔を向けて、ニッコリとしながら言ってくれた。それはまるで、僕の心を見透かしたようにも思えた。
「多分、明日からどうやって会おうかを考えていると思ったの。違った?」
「い、いや、そのとおりだよ。由美さん、まるでエスパーだよ」
僕は素直に驚いた。
「だって長之介君、すぐに顔に出るから。いつも間近で見ていたし」
痛いところを突かれるも、それって僕のことをよく見て、理解してくれてるってことだよな。す、凄く幸せなことだぞ。僕よ、分かっているか?
「ここで会えるよ。明日もきっと。そんな気がする」
「それって、どういう意味?」
その謎かけとも捉えられる由美さんの意味深な言葉。そして僕に見せる少しミステリアスな表情とともに、暑熱に満たされた7月にしては珍しい、涼しいそよ風が彼女の短い黒髪を揺らしていた。
「実は私ね、長之介君にずっと言えなかったことがあるの」
由美さんの表情が徐々に、もの悲しい様子に変化する。
ま、まさかここにきて、実は由美さんの正体は、屋上の精霊だったとか、もしくは僕が昔、大好きだったゲームヒロイン、セルヴィアーナへの想いが生み出した幻とか化身って展開じゃないよな?
そんな非現実的な展開がありえるわけないが、そもそも僕に彼女ができたということ自体、現実かどうか怪しく思えてきた。
いや、現実として考えるのであれば、もしかして由美さんは夏休みが終わったと同時に転校するとか!? うおおお、どうか、僕のことを忘れないでください!
頭の中で様々な憶測や被害妄想を加速させる中、由美さんはようやく口を開き、僕へとポツリと呟く。
「補習なの」
「え?」
僕は、今日になって何度目かもすら忘れたワンパターンな返事をした。
「中間テストも期末テストも、数学と英語と現国が赤点だったの」
由美さんの言葉に僕は思わず「それ全部、卒業必須科目や」とツッコミを入れそうになるも耐える。
僕はふと、そういえば由美さんは、まだ進路が決まっていなかったことを思い出した。それどころか、卒業できるかすら不明確だったようだ。そりゃ隠すよ。
「夏休みは半分近く補習で学校に来るから、長之介君さえ学校に来れば…さ?」
「そうだね…」
僕の返事はもちろん、コレカラモ ヨロシクだ。どうやら、先ほどフリーダムなオタク集団の後輩たちに告げた、しばしの別れは撤回しなければならないようだ。
偶然とパズルゲームから生まれた、僕らの出会いと始まりの物語は、これにて、ひとまずおしまい。モノクロームで彩られたゲームのように、僕らの思い出の日々と連鎖は、これからどう繋がり、そしてどんな色を見せてくれるのだろうか。
それはサイダーのように、シュワッとした勢いと甘味が織り成す、潤いの日々だと嬉しい。だけど、油断したら咽たり咳き込むこともある、そんなリスクも兼ねた気泡のような弾け方をするかもしれない。
でも、これだけは言える。彼女に出会えて良かった。勇気を出して良かった。諦めないで良かった。多くの大事なことに気付けて良かった。そして最後に、ゲームが好きで本当に良かった。
◆
―――「そして色々あって、僕らは今も一緒にいる。娘も生まれた」
あの懐かしい日々、始まりの出来事を妻と久々に語り尽くした。
「でも、付き合ってからも色々あったよね」
妻は笑いながらも複雑そうな面持ちを見せる。まあ、その辺りの話はまた、いつか機会があればと思う。
「ところで由美さんって、卒業寸前まで進路が決まらなかったよね。将来の夢とかはなかったの?」
僕は話をすり替えるように妻に訊ねた。
「昔からゲームばかりしていたから。まあ、半分は叶ったかな」
妻は少し悩みながらも、得意の意味深な顔で僕を見る。
「半分だけって?もしかして、みんなのアイドルになりたかったけど、僕だけのアイドルになったとか?今からでもデビューを目指すなら、僕は応援するよ」
僕は少しだけ、幸せな気分を噛み締めながら妻をからかった。
「残念でした。正解はお嫁さんでした」
妻は得意気な顔で僕に言い放った。どうやら、からかわれていたのは婿養子の僕だったようだ。だけど、さっきよりもさらに幸せな気分を噛み締めながら、僕は妻に感謝した。
モノクローム・サイダー (終)
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