雉始雊その四 大脱走

 昼前の斎主宮外院御殿客間の座敷には賑やかな時が流れていました。与太郎と姫衆たち七人のお茶会の真っ最中なのです。


「それでね、もう話し合ってもいい考えが出ないから、あたしたちを間渡矢に戻そうかって話が出ているんだよ~。毎日届く文には一刻も早く戻ってきて欲しいって必ず書いてあるしね」

「今年も残り十一日。多分、次の話し合いが最後さね。それで名案が出なきゃ一旦お開きさ。ほうき星退治は記伊の斎宗宮でやるらしいが、斎主様の御座船なら三日もありゃ行けるからね。住み慣れた間渡矢で年を越してから記伊へ向かっても十分間に合うってもんさね」


 数日に一度、姫衆たちは斎主と話し合いを重ねてきたのですが、良い方策は一向に思い付かなかったのです。しかも不自由な宿坊暮らしで姫衆たちの不満も募り始めていました。ここは一旦皆を自由にさせて英気を養った方が良いと斎主も考えたようです。


「そうか。ならばわらわも間渡矢に戻れそうじゃな。久しく釣りをしておらぬからのう。戻ったら真っ先に海へ行くとしよう」


 賑やかな恵姫たちと一緒に鯛焼きを食べる与太郎。嬉しそうに笑顔を浮かべていますが、どこかに陰りがあるようにも見えます。気になった恵姫は与太郎の背中を叩くと言いました。


「おい、向こうの世では女中修行に励んでおるのか。こんな所でのんびり菓子など食っておっては、おふうと同じ大名家に奉公できぬぞ」

「ふっふーん、それがそうでもないんだなあ」


 突然したり顔になった与太郎、意気揚々と話し始めます。


「実はもう大学の最初の試験が終わったんだよ。あっ、試験ていうのは、何だろうな、吟味みたいなものかな。とにかくその吟味の自己採点で結構いい数字が出たんだ。あとは二次試験だけど、得意の国語と英語だけだからまず大丈夫。大きな失敗さえしなければふうちゃんと同じ大学に入れそうなんだ。これでやっと浪人生活ともおさらばだよ」

「ほう、与太郎もようやく大名家への仕官の口が見付かったのか。稽古を付けてやった甲斐があったな」

「違うぞ毘沙、奉公先が見付かったのじゃ。これもわらわが女中仕事を世話してやったおかげじゃ」


 手柄を自分の物にしようと互いに言い合う毘沙姫と恵姫を眺めながら、与太郎は二人に感謝していました。毘沙姫からはどんな難問にも怖気付かずに立ち向かえる強い心を育ててもらい、恵姫からは引っ掛けや誤魔化しを見破る洞察力を養ってもらったのです。どちらも入学試験には欠かせないものでした。


「二人のおかげだよ。めぐ様、毘沙様、本当にありがとう、でも、それももう……」

「静かに!」


 いきなり才姫が声を上げました。瞳に銀が宿っています。


「まずいね、誰か来るよ。しかも大勢」


 どうやら廊下に人の気配を感じたようです。恵姫は先程と同じく与太郎を納戸に押し込みます。


「ほれ、何をしておる早く隠れるのじゃ」

「う、うん。でも僕は……」

「無駄口は止めよ。見付かって命を奪われたいのか。雉のように鳴いたりせず、息を潜めてここに隠れておるのじゃ、よいな」

「失礼致します」


 数名の女官が座敷に入ってきました。皆、頭に手拭いをかぶり、手には箒、はたき、雑巾、手桶などを持っています。素知らぬ顔で話し掛ける恵姫。


「何の用じゃ。湯呑ならもう下げても良いぞ。茶も残っておらぬしな」

「はい、お下げ致します。それとは別に、皆様、座敷を出ていただけませんか」


 女中の言葉に顔を曇らせる恵姫。納戸には与太郎が隠れたままです。


「何故わらわたちが座敷を出ねばならぬのじゃ」

「もうお忘れですか。本日は客間の大掃除を行うと昨日申し渡したはずです。庭に降りて掃除が済むのをしばらく待っていてくださいませ。風もなく日差しもありますので、日向ぼっこには最適の日和でございます」


 ますます恵姫の顔が曇りました。納戸への出入り口はひとつだけ。窓もないので与太郎は完全に袋の鼠状態です。


「わ、分かった。ああ、それから納戸は掃除せずともよいぞ。今朝見たら掃除の必要もないほど綺麗じゃったからのう」

「御冗談を。年末の大掃除となれば、どのように綺麗な場所であろうと清めるのが決まりでございます。さあさあ皆様、退室なさってくださいませ」


 追い立てられるように座敷から出される恵姫たち。仕方なく廊下に出た後、玄関から庭に出て客間の様子をうかがいます。


「まずいのう。このままでは与太郎が見付かってしまうわい。何か良い手立てはないものかのう」

「女の恰好をしているんだから、掃除をしている女中の振りでもして誤魔化せないかねえ」

「装束は女だがあの短髪はどう見ても男。しかも与太郎は妙なところで嘘が付けぬ正直者。万事休すだな」

「あれ、禄ちゃんが居ないよ」


 黒姫の言葉を聞いて自分たちの周囲を見回す恵姫たち。話し合っていた四人から離れて、お福と寿姫が山茶花の生け垣に隠れるように立っています。しかし禄姫の姿はありません。


「おかしいのう。一緒に座敷を出たと思ったのじゃが、どこへ行ったのじゃ」


 外院御殿の中庭を見回しても禄姫の姿は見当たりません。恵姫は寿姫の居る生垣に向かいながら尋ねました。


「寿よ、禄はどうしたのじゃ。姿が見えぬようじゃが」

「禄婆さんは間もなくやって来ますじゃて、ほっほっほ」

「間もなく?」


 と、恵姫が首を傾げた途端、寿姫のすぐ近くに禄姫と与太郎が姿を現しました。


「なっ、何じゃいきなり!」

「凄いや、本当に出てきた時は別の場所なんだ。これは一番の思い出になりそうだなあ」


 かなり興奮している与太郎。声を上げて笑う禄姫の手には砂時計が握られています。


「そうか、禄、業を使ったのじゃな」

「はい。与太郎様の一大事とあっては放ってはおけませぬじゃて、女官たちが目を離した隙に納戸へ入り、頃合いを見計らって砂時計を使いましたじゃ」


 禄姫、寿姫の業は別の時空へ体を運び、そこで移動した後、また元の時空へ戻る業。こちらの時空にある壁や塀などは容易に抜けられるのです。


「うむ、よくやった。おーい、才、黒、毘沙、こちらに来て与太郎を囲め。大掃除が終わるまで隠し通すのじゃ」


 恵姫に言われて与太郎を取り囲む六人の姫とお福。ついでに押し競饅頭をして体を温める事にしました。真ん中に居る与太郎は四方八方から七人に押されて相当苦しいはずなのですが、何故かその顔は弾けるような喜びに溢れています。


「えへ、えへへへ。こ、こんなにあっちこっちから女の子(老婆二名)に押されるなんてもうサイコー! やっぱりこれが一番の思い出かも」

「また腑抜けた顔をしおって。見付かったら命が無いのじゃぞ。少しはしゃんとせぬか」


 恵姫の小言も全く効果はありません。結局大掃除が終わるまで与太郎の顔は緩みっ放しでした。


「おお、これは綺麗になっておるのう」


 掃除が終わって座敷に戻って来た恵姫たち。手慣れた女官たちによって一年の汚れを落とされた客間は、正月を迎えるに相応しい佇まいになっています。床の間には新年の掛け軸、小さな神棚には繭玉飾りと太い注連縄。鏡餅はまだ飾られていませんが、これだけでも気分はお正月です。


「もうすぐ新年だもんねえ。あ~、あたしも早く間渡矢へ帰ってお正月の準備がしたいよー!」


 黒姫も本来ならば今頃は年越しの準備で大忙しのはずなのです。これほど暇を持て余している年末年始は生まれて初めての事。忘れかけていた間渡矢への郷愁が一気に高まるのでした。


「それにしても半日は長いのう。与太郎が帰るのは日が暮れてからか。それまで気が休まら……」

「しっ! 静かにおし」


 またも才姫が言葉を遮りました。瞳に宿る銀、人の気配を感じているようです。


「来たよ、二人だ。早く隠れな」

「おい、与太郎、さっさと納戸へ行け。おおそうじゃ、念の為に寿も一緒に行ってくれ」


 二度ある事は三度ある。そして二度ともうまく切り抜けられたので、すっかり余裕の恵姫です。


「はいはい、分かりましたですじゃ。ささ、与太郎様」


 寿姫と手をつないで納戸に入る与太郎。しばらくして入って来たのは布姫でした。


「何じゃ、布か。慌てる事はなかったのう」

「いいえ、私だけではありません。もうひとり居られます」


 布姫は座敷に入ると襖に向かって平伏しました。何事かと全員がそちらに目を向ければ、続いて姿を現したのは斎主でした。


「さ、斎主様、どうしてこのような所へ」


 驚きながら平伏する恵姫たち。斎主は普段通りの穏やかな声で問い掛けます。


「与太郎が来ているようですね」


 座敷に緊張が走りました。皆、平伏したまま無言です。誰も答えようとしません。


「来ているのでしょう。今どこに居るのですか。恵姫、答えなさい」


 今度は名指しです。勿論、素直に答える気はありません。単なる引っ掛けかもしれないからです。


「お、恐れながら斎主様、与太郎なんぞは来ておりません。何か勘違いをされているのではないですか」


 恵姫の返事を聞いて薄っすらと笑う斎主。後ろに隠していた右手を前に回し高々と持ち上げました。


「それではこれは何ですか。与太郎の持ち物ではないのですか」


 思わず声を上げそうになる恵姫。斎主が掲げたのは鯛焼きが入っていた与太郎の布袋だったのです。


『与太郎の阿呆め。布袋を放り出して己だけ隠れるとは。どこまで抜けておるのじゃ』


「先ほど掃除を終えた女官が持って来たのです。怪しい袋を見付けたと。さあ、答えなさい、恵姫。与太郎はどこに居るのです」


 斎主の厳しい声に責められながら必死で言い訳を考える、絶体絶命の恵姫ではありました。

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