地始凍その三 高野山箒星始末記

「もうよい。その方の世迷言、もはや聞き飽きた。これ以上の話は無用である!」


 奇妙奇天烈摩訶不思議としか思えない布姫の話。それを堪えに堪えて聞いていた吉保でしたが、遂に我慢の限界を超えてしまったようです。


「どれだけの言葉を重ねようとそれが真実である事など証明できぬ。この世の成り立ちを考えたところでどうなるのだ。何の根拠もない推論に過ぎぬではないか。重要なのは与太郎が我らの役に立つかどうか、それだけである。そして今の話から十分役立つと判明した。よって昨日も言い渡した通り、与太郎及び間渡矢の者は江戸に留め置く。よいな」

「ま、待ってください!」


 これまでの二人の話を完全に無視した吉保の決定に、与太郎はすぐさま言葉を返します。


「さっきも言った通り、僕はこの時空の者じゃないんです。だから僕の歴史とここの歴史は違っている部分もあるんですよ」

「力を持つ姫が居るか居ないか、それだけの違いであろう」

「それもあるけど、細かな部分で微妙に違うんです。これまでほとんど間渡矢にしか現れなかったから気が付かなかったけど、島羽に現れた時、城主の乗邑さんに五才の頃から江戸と領地を行き来しているって言われたんです。でも僕らの時空での参勤交代の用捨では、領主が幼少の場合は十七才くらいになるまで領地に赴かなくてもいいんです。それに九月に出府するなんてのも例がないです。そんな風に歴史の大局に影響ない部分では違っているんですよ。きっと調べれば他にも沢山あると思います。綱吉さんの世継ぎが実子になるのか、養子になるのか、その程度の違いなら十分起こり得るはず。僕の時空の歴史が全てこちらにも当てはまるとは限らないんですよ」

「ほう、ならば役には立たぬな」


 一番知りたかった事が知り得ぬかもしれぬと聞かされた綱吉公。あっさりと与太郎を見放してしまったようです。しかし吉保は引き下がりません。


「されど歴史の大局はほとんど変わらぬのであろう。現に二千年の時が過ぎた今でも、その方の歴史と同じく、こちらの歴史も徳川の世になっておるではないか。ならばその方の使い道は十分ある。江戸に留まり、持てる知識を披露せよ。よいな」

「そ、そんなあ~」


 出だしは強気で臨んだ与太郎でしたが、いつもの情けない姿に戻ってしまいました。布姫から与えられた知恵を全て使い切ってしまったのです。万策尽きて項垂れる与太郎に代わり、またも布姫が前に出ました。


「いいえ、与太郎様を江戸に留め置く事はできませぬ」

「公儀の命に従えぬと申すか!」


 昨日よりも頭に血が上っている吉保、綱吉公も驚くほどの怒声を張り上げました。見兼ねた正武が諫めます。


「出羽殿お控えなされ。上様の御前ですぞ」


 さすがにやり過ぎたと悟ったか、座布団に座り直し息を整える吉保。それを見届けた正武は布姫に話し掛けます。


「布姫、出羽殿の言葉通り、与太郎は我らの役に立つ。それについてはわしも異存はない。それを承知で江戸に留め置けぬと申すなら、それ相応の理由が必要となる。何か言い分があるのなら申してみよ」

「ほうき星でございます」


 正武の眉がピクリと動きました。吉保も綱吉公も今布姫が口にした「ほうき星」という言葉に微かな反応を見せています。


「その御様子から察するに、公儀の方々もほうき星についてはご存知のようですね。三百年に一度現れ、世に満ちている活気を奪い取る厄災の星。それが今三百年ぶりに姿を現しているのです」

「それについては余も聞いておる。近年続いている不作不漁は、ほうき星が現れたために起きているそうであるな」

「上様、それこそ世迷言に過ぎませぬ。現にほうき星など誰の目にも見えませぬ。見えると申しているのは姫衆のみ。我ら武家の者を惑わすために、姫衆の者どもが嘘八百を言い触らしているに違いありませぬ」


 さすがにこの時代の権力者だけあって、ほうき星については恵姫たちと同程度の知識を持っているようです。ただしそれを完全に信じているわけではありません。一度も目にした事がないのですから信じられなくて当然です。


「まあまあ出羽殿、話の続きを聞こうではないか。ほうき星の真偽はともかくとして、それがどうして与太郎を江戸に留め置けぬ理由になるのだ」


 話を前に進めさせようと気を配ってくれる正武に感謝して、布姫が答えます。


「ほうき星は禍難の星。これを消滅させぬ限り、今この地を覆っている厄災を取り除く事はできませぬ。初めてほうき星の存在が明るみになった時、その大きさは針の先よりも小さく、その輝きは昼行燈よりも弱く、千里眼の力を持つ姫にしか見る事は叶いませんでした。しかし今ほうき星は満月よりも大きく明るくなり、一度天に上れば昼間でも曇天でも、全ての姫の目に映るようになったのです。やがてほうき星はその力を拡大し、全天を覆うまでになるでしょう。そうなれば地を覆う厄災は熾烈を極め、そこに生きる全ての者の命を脅かす事となりましょう」


 それは恵姫を始めとして、この大広間に居る全ての姫が薄々勘付いていた事でもありました。昇るたびに大きくなっていくほうき星、減衰していく姫の力。天を覆うまでにほうき星が巨大化した時、姫の力は完全に失われるのではないか、そんな漠然とした不安を恵姫たちは常に抱いていたのです。


「大きくなる一方のほうき星。けれども今年に入ってから、ほうき星が縮小する現象が何度も起きるようになったのです。原因は与太郎様でした。与太郎様がこちらの時空に来るたびに、ほうき星は縮小し、その輝きは衰えるのです。さりとてそれは微々たる変化でしかありませんでした。与太郎様が帰ってしまえば、次に昇るほうき星は元の大きさと輝きに戻っているのですから。それでもほうき星を消滅させるには与太郎様の力が不可欠なのです」

「妙であるな。それは余の知っている話とは少し違っておるぞ」


 しかめっ面の吉保、退屈そうな正武、この二人とは違って綱吉公だけは相変わらず熱心に耳を傾けています。


「金剛峯寺より献上された高野山箒星始末記によれば、姫の尽力によってほうき星は消えた、とだけ書かれていたはずである。与太郎のような別世の者の話など、どこにも書かれてはいなかったのではないかな。正武、どうだ」

「御意、上様の仰られる通りでございます。布姫、その書はわしも目を通したが、どの年代においても姫衆の活躍のみしか書かれておらぬ。ほうき星と共に別世の者が出現したという記述すらない。与太郎とほうき星が関係あるとは思えぬ」


 綱吉公だけでなく正武も布姫の話を信用できないようです。二人が拠り所としている書にその記述がないのですから仕方がありません。


「ふっ、所詮は女の浅知恵。我らには詳しい知識がないと思い込み、適当に出任せを申したのであろう。残念だったな。それでは与太郎を留め置けぬ理由にならぬぞ」


 綱吉公と正武の後押しが加わり一気に元気を取り戻す吉保。それでも布姫には全く臆する様子がありません。それどころか憐憫さえ感じられる眼差しで三人を見詰めています。


「書に記述がないのは当たり前でございます。所詮は僧によって書かれたもの。法力を頼りにして辛うじてほうき星が見えた、その者たちに出来たのはそれだけなのですから。やがてほうき星が姿を現さなくなり、その理由を探ったら姫衆の関与が分かった……どの年代においてもその程度の事実しか把握できなかった、それゆえ書けなかったのです。しかし書かれていなかったからと言って、それが起きていない事の証明にはなりますまい。ほうき星の出現と共に別世の者が出現し、その者が姫衆と共にほうき星を消し去ったのです。それが真実なのです」

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