草露白その五 布姫の策

 こうして布姫主催の宴は賑やかに過ぎていきました。ただ、心底楽しめていない者が二名居ました。厳左と毘沙姫です。二人の不満はこの場に寛右が居る事でした。


『今日の話の本題は、今の間渡矢が抱える問題を解決する事。それはつまり寛右の野望を挫く事に他ならない。何故寛右の居る前でその解決策を披露するのか』


 それが二人の疑問点でした。布姫がやろうとしているのは敵に自らの手の内を見せるに等しい行為です。悶々としながら料理を楽しむ二人。やがて布姫が立ち上がりました。


「皆様、ささやかな心尽くしは楽しんでいただけましたか。そろそろ私の話を聞いていただきたく思います。私が間渡矢を訪れたのは、比寿家、特に恵姫様に関して城の者たちが抱いている危惧、これを解決するためです。私が最初に知りたかったのはその危惧は本当に存在するのか、でした。多くの方々の話を伺い、恵姫様には次のような危険が迫っていると結論付けました。瀬津姫様を始めとする記伊の姫衆が恵姫様を仲間にしようと画策している事、それを実現するために忍衆と手を結んでいる事、この二点だけはもはや疑う余地はありません」


 布姫の言葉を聞いて厳左も毘沙姫も頷いています。二人ともこの推測だけは自信があったのです。一方、当事者の恵姫は布姫の話には全く耳を傾けずに料理を食べていました。才姫がほとんど手を付けないので、それを貰って食べているのです。


「となれば話は簡単です。まず私たちが最初にやるべき事、それは記伊の姫衆と忍衆を分かつ事。結ばれた両者の手を切ればよいのです」

「それは誰もが考え付く事。しかし誰もできなかったのです」


 寛右がいきなり声を上げました。無礼な振る舞いに顔をしかめる厳左と毘沙姫。それでも布姫は表情を変えることなく話を進めます。


「記伊の姫衆が他の勢力と手を結んで伊瀬の姫衆に働きかけるのは、これが初めてではありません。もう何年も、いえ、伊瀬と記伊に袂を分かった時から続いている問題です。けれども今回に限っては記伊の動きは強引です。原因はほうき星です。ほうき星と姫の力の減衰、この謎を伊瀬の姫衆は知っていると思い込んでいる節があります。ですから、その誤解を解けば記伊の姫衆も力尽くで恵姫様を取り込もうとはしないでしょうし、忍衆の力を借りようとも思わなくなるでしょう」


 布姫はここで言葉を切りました。聞いていた厳左は若干の失望を感じていました。誤解を解いて両者の手を切らせる、布姫がそこまでしか考えていないのだとしたら、解決策としては不完全すぎるからです。


「布姫様、よろしいかな」

「どうぞ、厳左様」


 布姫の了解を得た厳左はゆっくりと口を開きました。


「どのように誤解を解けばよいと考えられる。伊瀬の斎主宮も記伊の斎宗宮も武家の言葉には聞く耳を持たぬ。特に記伊の姫衆の場合は、誰か一人と接触を持つ事さえ困難なのだ。このような状況で誤解が解けると本気でお思いか」


 先ほどの寛右の言葉と同じでした。両者の手を切らせようとしても、その方策が見付からなかったのです。布姫が具体的な策を見出せていないのなら、この解決策に意味はありません。

 厳左の意見を聞いても布姫の表情は変わりません。まるで予想通りと言わんばかりの顔付きです。


「斎宗宮と言われましたね。私はここへ来る前に記伊へ赴き、斎宗様と会って話をしました。穏やかな方でした。そして伊瀬と記伊が仲違いしている現状に心を痛めておられました。伊瀬の斎主様と違い、記伊の斎宗様には姫衆を制御するだけの強い力がありません。此度の恵姫様への働き掛けも、最も力が強い瀬津姫様が独断で行っているのです。他の姫衆は已む無くそれに従っているだけなのです。ですから私たちが為すべき事はただひとつ、瀬津姫様に会い、話をし、誤解を解き、恵姫様への強引な働きかけを思い留まってもらう、それだけでよいのです。他の姫衆も斎宗宮も今の所は関係ないのです」

「だが、瀬津姫の足取りはようとして掴めぬ。我らが襲われた日より領内をくまなく探しておるのだが、未だに見つからぬ」

「恐らく志麻には居ないのでしょうね。間渡矢に潜伏している忍衆から逐一知らせを受け取り、記伊か伊瀬で機会を窺っているのでしょう」

「では、どのようにして瀬津姫と話を付けろと言われるのか!」


 思わず声を荒げる厳左。飲んではいないのに顔には血が上っています。元々短気な上に布姫の解決策が不完全だったので、余計に気が立っているのです。


「ぐびぐび、厳左よ、そう熱くなるな。布の話はまだ途中なのであろう。豆腐でも食って頭を冷やせ」

「う、うむ……」


 お茶を飲みながら厳左を嗜める恵姫。そう言われて少し言葉が過ぎたかと茶を飲む厳左。二人の遣り取りを眺めていた布姫の口元が少し綻びました。


「そうですね、では結論から先に申しましょう。私と毘沙姫様は間渡矢を去ります」

「なんだと! 布、本気か!」


 今度は毘沙姫が声を上げました。今の均衡は毘沙姫が間渡矢に居るからこそ保たれているのです。毘沙姫が居なくなる事、それは恵姫を危険に晒す事と同じなのです。


「毘沙姫様。今の膠着状態はあなたが作り出しているのです。虎穴に入らずんば虎児を得ずと申しましょう。危険を恐れているだけでは何の進展も生まれません。毘沙姫様が去れば瀬津姫様は必ず動き出します」

「だが、それでは恵はどうなる。姫衆と忍衆に襲われれば、間渡矢の者だけでは守り切れぬぞ」

「私が考えますに、忍衆は姫衆の後でしか動きません。三月に瀬津姫様が現われた時、忍衆は姿を現しませんでした。此度も同様かと思われます。姫衆だけで事が進められないと分かって初めて忍衆が動く、そのような約束事が取り決められているのでしょう」

「ならば間渡矢を去るのは私だけでよいだろう。布は残ればよい」

「私も微力とはいえ風を使う者。息が吐ければ場所を問わず力を使えます。瀬津姫様が用心をして姿を現さぬかもしれません」


 それは大胆な方策でした。大胆過ぎて、布姫にここまで言われても毘沙姫はまだ賛同できかねていました。忍衆は現れず瀬津姫だけが現われる、それは布姫の推測に過ぎません。一気に片を付けるべく忍衆と同時に襲い掛かって来るかもしれないのです。

 しかもこの場には寛右が居ます。こちらの手の内は完全に相手に知られているのですから、毘沙姫も素直に首を縦には振れないのでした。


「ところで布よ。瀬津の誤解を解くと言ったが、そなたも毘沙も居らぬとなると、わらわに誤解を解けと言うのか。日頃、冗談ばかり言っておるからのう。瀬津がわらわの言葉を素直に信じてくれるかどうか、いささか自信がないわい」


 ようやく食事を終えて話の輪の中に入ってきた恵姫。自分の身が危ういと言うのに呑気な顔で尋ねています。布姫は苦笑しながら答えました。


「恵姫様だけでは肩の荷が重すぎますね。才姫様にお頼みしましょう」

「あたしかい! 面倒臭いねえ。説得するのもされるのも、あたしは嫌いなんでね」

「さりとて相手が瀬津姫様ならば話も変わりましょう。才姫様の実の妹、瀬津姫様ならばね」


 広場に居た誰もが驚きました。恵姫も厳左も黒姫も、布姫と毘沙姫以外の者は皆一様に信じられないという顔をしています。


「ふふふ、あんたには知られていると思ったよ。別に隠していたわけじゃないさ。言う必要がないから言わなかっただけ。いいよ、瀬津と話をしてやるよ。あたしも久しぶりに妹に会ってみたいからね。ただ誤解が解けるかどうかは期待しないでおくれ。あの子もあたしと同じで意固地な性質たちだからねえ」

「決まりましたね」


 才姫の返事を聞いて布姫はにっこりと笑いました。自分の解決案はこれで皆に了承された、そう宣言しているかのような笑顔です。堪らず毘沙姫が声を上げました。


「ま、待て、布。才ひとりに任せるなど危険すぎる。説得できずに姫の力を使われたらどうするつもりだ」

「不満ならば私の策は無視して下さって結構でございます、毘沙姫様。これ以上お役に立てないのならば、私は明日にでも一人で間渡矢を去ります。後は毘沙姫様、厳左様のお好きなようになさいませ」


 冷たい布姫の言葉に唇を噛み締める毘沙姫。それは厳左も同様でした。容認はできかねるものの他に手立てがない以上、従わざるを得ないのです。苦渋の色をにじませて黙り込む毘沙姫と厳左。


「ふっ、これは面白い。とんだ猿芝居だ」


 そんな二人を、薄ら寒い嘲笑を浮かべながら眺める寛右。その嘲りの意味に気付いた者は、布姫を除いて一人も居なかったのでありました。

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