立秋

第三十七話 すずかぜ いたる

涼風至その一 七夕短冊

 間渡矢城の昼下がり。城勤めの者たちはほとんど下城し、静かになった中庭には、背が高く青々と茂った笹竹が立てられています。今日は七月六日。七夕の節供を明日に控えて用意されたものです。


 季節は既に秋とは言っても昼下がりの日差しはまだまだ強く、笹竹は時折吹く風に葉を揺らされながら陽光をきらめかせています。いや、きらめているのは笹の葉だけではありません。そこかしこにぶら下げられた五色の短冊もまた、風に揺れ、日の光を反射しているのです。


「はて、今年は何を書こうかのう」


 奥御殿の座敷では恵姫が文机に向かっていました。昼下がりの恵姫と言えば、座敷に居れば昼寝、座敷に居なければ浜で釣り、このどちらかである場合がほとんどです。それが珍しくも文机に向かって筆を手に取っているのです。


「毎年鯛ばかり書いておるからのう。たまには別のモノを書いてみるのもよいかもしれぬな」


 文机の上には笹の葉にぶら下がっているのと同じ短冊。各色一枚ずつ五枚あります。そう、恵姫は短冊に書く文句を考えているのです。間渡矢の城の者は朝の内に書き上げてぶらさげていると言うのに、恵姫は「朝書ける短冊は昼でも書ける」などと言って昼まで寝て過ごしていたので、結局昼寝返上で書くことになってしまったのです。


「ふ~む、しかし鯛以外のモノを書くとなると、何を書けばよいかのう。妙案が浮かばぬわい」


 恵姫は文机を離れると縁側に出ました。軒下に立て掛けられた葦簀の隙間から立派な笹竹が見えます。


「今年の笹竹は中庭に立っておるのか。いつもなら城門に掲げられておるのにのう」


 恵姫は縁側から中庭に下りると笹竹に近付きました。沢山の短冊がぶら下げられています。それらが風に揺れるたびに、集められた間渡矢の城の者たちの願いの声が聞こえて来るような気がします。


「皆、どのような願いを書いたのじゃろう……おお、そうじゃ!」


 急に恵姫の顔が悪人面になりました。また良からぬ事を思い付いたようです。いきなり一枚の短冊を無造作に掴みました。


「皆の短冊の願いを参考にさせてもらうとしよう。これを読んでわらわの願いを考えればよいのじゃ」


 どうやら短冊を盗み見るつもりのようです。人目に付く中庭に飾られているのですから、それを見るのは悪い事とは言えないまでも、領主の娘としては品位に欠ける行為と言えましょう。しかし悪人面になっている恵姫にそんな理屈は通用しません。さっそく一枚目の短冊を読んでいます。


「なになに、ほほう」


『いつの日か富士の山に登ってみとうござる 雁』


「ふむ、雁四郎の短冊のようじゃな。てっきり武芸上達の願掛けでもしておるのかと思っておったが、望みは富士の山か。まあ、今の雁四郎には叶わぬ願いじゃな」


 恵姫たちと共に伊瀬へ行き、更に毘沙姫から旅の話を聞かされた雁四郎は、武芸よりも旅についての関心が深くなっているようです。


「さて、こちらの短冊はどうじゃ」


『もう一度羽根突きで恵姫様に勝てますように 小柄』


「こ、これは正月にわらわを負かした小柄女中の短冊か。大人しそうな顔をしてこのような野望を抱いておったとは、油断も隙もあったものではないのう」


 蛍騒動で磯島が寝込んでいる時、立派に代役を務めた小柄女中。恵姫をやり込めるという磯島の意志もしっかり引き継いでいるようです。


「磯島以外の女中にも油断せぬようにせねばな。次の短冊は」


『経費削減、石高倍増、御家安泰 寛』


「寛右か。詰まらんのう、読んで損したわい。次じゃ」


『鶏の卵は実に美味。毎日産めば更に良し 鷹』


「鷹之丞か。彼奴あやつ、土鳩だけでなく鶏まで飼っておったとはのう。どこまで鳥好きなのじゃ。さて次は」


『井戸で行水してる女中の〇ちゃん、可愛かったなあ。これだから夏の夜番は止められないんだよね。吉原もかくやと思えるほどの奥の女中の別嬪揃い。これからも眼福が楽しめますように 亀』


「か、亀之助め、けしからん!」


 恵姫は短冊を引き千切りました。亀之助は専ら門番の任に当たっている若い番方です。これまでも時々奥御殿の周囲をふらふらしていて、磯島に不審な目で見られていたのですが、まさか女中の行水を覗いていたとは思いもしませんでした。


「この短冊を厳左に見せてキツイ仕置きを与えてやらねばな。亀之助、覚悟致すがよい、さて次は」


『大豊作! 黒』


「これは黒ではないか。どうして城の笹竹に黒の短冊がぶら下がっておるのじゃ。庄屋の屋敷にも笹竹は立てられておるはずなのにのう。奇妙な事じゃ。まあよい、次」


『腹一杯食わせろ! 毘』


「おい、毘沙の短冊まであるではないか。しかも腹一杯とな。あれだけ食ってまだ腹一杯にならぬのか。毘沙の五臓六腑はどこに繋がっておるのじゃ、まったく。次じゃ」


『池の鯉が誰かに狙われている気がする。用心せねば 厳』


「むむ、厳左か。鋭いではないか。しかしこれは願い事ではなかろう。何を考えて書いておるのじゃ」


 中庭の池の鯉に餌をやるのが厳左の日課。一匹ずつ名を付けるほど可愛がっているのです。そして恵姫も池の鯉は可愛がっています。厳左とは別の意味の可愛がり方です。どうやら厳左は、鯉が変な可愛がられ方をしている事にようやく気付いたようです。


「う~む、これからは池の鯉を眺めながらよだれを垂らすのは控えた方が良さそうじゃのう。厳左から仕置きを受けそうじゃ。さて次」


『拙者、餅が大好きにて毎日食いたく候 次(代筆黒姫)』


「次? 鼠の次郎吉か。黒のやつ自分が可愛がっている鼠の願いまで短冊にしたためるとは図々しいにも程があるぞ。こんな願いまで聞いていては織姫彦星もたまったものではなかろうな。次」


『笑門来福 福』


「お福か。この四文字どこかで見たことがあるが、はて……」


 頭の中で記憶をたどる恵姫。如何にもお福らしい丸みを帯びた筆運び。どこかで同じ文字を見た気がします。確か半切れ和紙に……そこまで思い出した後は一気に記憶が蘇りました。


「左義長じゃ。乾神社へ向かう途中、雁四郎に言われてお福が懐から出した書き初めじゃ。同じ言葉を七夕の短冊にも書くとは、お福は余程この言葉が好きなのじゃのう。さて次は、っと」


『ピピ、ちゅんちゅん、ピッピピピ 飛(代筆お福)』


「おいおい飛入助ではないか。鼠だけかと思ったら雀の願いまでぶら下がっておるのか。しかも雀の言葉なので何が書いてあるのかさっぱり分からぬ。お福も冗談が好きじゃのう」


 恵姫は呆れるやら可笑しいやら楽しいやらで、すっかり疲れてしまいました。こうして見ていると十人十色の諺通り、短冊は五色しかありませんが、そこに書かれている願いは全て異なった色をしています。


「しかし、これでは何の参考にもならんのう。やはりわらわの願いはわらわ自らが考え出さねばならぬようじゃな。よし、この一枚で見納めとするか」


 恵姫は手を伸ばすと一枚の短冊を掴みました。こう書かれています。


『人の短冊を盗み見るのはそろそろおやめくださいませ、姫様 磯』


「ほう、磯島か。相変わらず勘が鋭いのう。わらわが……」

「姫様!」


 恵姫の独り言を遮るように背後から声が聞こえてきました。言うまでもなく磯島です。恵姫は恐る恐る振り返ると尋ねました。


「な、何じゃ、磯島か。いつからそこに居ったのじゃ」

「富士の山に登ってみとうござる 雁。の時からでございます」


『さ、最初からではないか。では全て見られていたのか』


 恵姫の額に薄らと汗が滲みました。短冊の盗み見は行儀の良い事ではないと恵姫自身も自覚していたのです。すぐに弁解です。


「あ~、これはな、ただの盗み見ではないぞ。参考にしておったのじゃ。わらわは五枚も書かねばならぬ。大変なのじゃ。そこで皆の短冊を手本にしようと思うてな。うむ。大変役に立った。では座敷に戻るとしようぞ」

「お待ちください」


 何食わぬ顔で奥御殿に向かう恵姫の前に、手を広げた磯島が立ち塞がりました。


「何じゃ、何故止める」

「戻る前に、手にしたその短冊、厳左殿にお渡しください。でなければわざわざ姫様の目に付く場所に笹竹を立てた意味がございません」


 ここに至って恵姫はようやく磯島の意図が分かりました。亀之助の不埒な振る舞いには磯島も頭を悩ませていたのでしょう。恵姫に短冊を見るよう仕向けたのは磯島だったのです。そのために毎年城門に立てる笹竹をわざわざ中庭に立てていたのです。


「おう、忘れておった。安心するがよい。亀之助には厳罰を与えるよう厳左に申し付けておくからな」


 またしても磯島にしてやられてしまいましたが、これはこれで気分の良い罠であったと上機嫌の恵姫ではありました。

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