イラクサ
現世と同じ時を流れる違う空間。
人間でいうところの『死後の世界』と呼ばれ、私はその世界で『死神第一市場』という二千年続く会社で創設以来、働いている。現世と違い、ここには『死』という概念がなく、代わり映えしない景色が二千年も続いている。そしてどの空間においても『働く』という概念はあるようでこちらの世界でも様々な職種が存在し、様々な死神が働いている。『死神第一市場』は主に『イラクサ』と呼ばれる商品を人間相手に契約し、売っている会社だ。『イラクサ』とは契約者の十年分の命を対価に売る薬で使用すると苦しまずに死ぬことのできる薬だ。『死』の概念のない死神にとっては分からないが特定の人間にはありがたい薬である。契約時には特殊な決まりごとがあり、契約者に対して「十年差し引いた寿命」を告げなければならない。この決まりごとは死神にとって後々の報酬に繋がるからだ。たとえば、六十歳で死ぬと告げて五十九歳で薬を使用すると一年分の報酬しかもらえないが五十歳で使用した場合には十年分の報酬がもらえるシステムだ。人間からすれば非人道的なシステムではあるがこちらからすればごく普通のシステムで跡目など感じたことはない。私は今日も鞄に契約書を入れ、当たり前のように契約を取りに
現世へと赴いた。
渋谷と呼ばれているこの町は人間が異様に多く、様々な感情が渦巻いていて契約を取ることが容易な場所だ。特に行き交う人々の中でも常に肩を落として目が死んでいる人間などは契約がかわしやすい。今、私の目の前にいる髪が乱れて顔に疲れが表れている三十代前半の男などまさに格好の獲物だ。私たち、死神は姿を自由に見せ隠れすることができる。目標の男が人気のない路地に入ると姿を見せ、
「お兄さん。突然ですけど、楽に死ぬことができる薬は入りませんか?」
と尋ねた。男はいきなり変なことを言ってくる私に対して驚いていたが私にとっては二千年もの間、見てきたお決まりの反応だ。私は発言の真偽を証明するために男の目の前で姿を消した。男はすぐに私を死神と信じてさっそく契約の手続きを始めるべく、鞄の中から契約書を出した。男に契約書を渡すと、こちらの世界の虫眼鏡といわれる形をした『年齢鏡』を取り出し、男を鏡越しに見た。すると鏡を通して男の本来の年齢である『七十五歳』と表示された。私はマニュアル通りに
「あなたの本来の年齢は七十五歳ですが今回の契約によって六十五歳に減少します。それでもよろしければ、契約書にサインをお願いします。」
男は何の迷いもなく、契約書にサインをした。私は鞄の中から『イラクサ』を取り出して男に渡して契約手続きは終わった。後日の話にはなるが契約した男は薬を貰ってから一週間後に使用して亡くなったそうだ。男の年齢は三十二歳であったため、契約時の寿命年齢から逆算すると三十三年もの報酬を受け取ることができた。昔は十年にも満たない報酬であったが現世のリーマンショックと呼ばれる時代から急激に十年以上の報酬を獲得することができ始めた。
昔の人間は汗水垂らしながらも生き生きとして寿命まで生き残ることが当たり前の時代だったので契約を取ることは至難の業とされ、会社の業績も芳しくなかった。契約の話を持ちかける時も嫌がられ、物を投げられた時もあった。しかし、現代において人間は生きる意義を見出せずにただの生きる屍になっている。昔から「起きて働いて寝る」というコンセプトは変わらないものの現代では人間同士の競争が目立っていることが原因なのかもしれない。人間は時々、人間を人間として見ずにただ、使い捨ての道具の様に扱っている。捨てられた人間は生きる意義を失って生きることに苦痛を感じ、それ故に自ら死を望んで私たちの契約に快く承諾している。昔ではあり得なかったが契約の時、「ありがとう」とお礼を言われることもあった。
時々、現世はこちらの空間よりも酷く劣悪な場所だと思ってしまう。でもそれだからこそ、私たちの会社は潤っている。世の中はバランスがとれていて不幸な空間があるからこそ、幸せな空間が存在する。でもそれは永遠には続かない。いつかこちらの空間と現世が逆転し、現世に昔の様な活気ある時代が来ることは必ずある。そのとき、こちらの空間が不幸になったとしたら私は自分らしく生きることができるのか、その疑問を抱えたまま、今日も契約を交わすために現世へと赴いた。
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