劇場 5min
にのまえ
七夕
七月七日、世間でいう『七夕』の日。一年に一回、織姫と彦星が会うことのできる日。七月に入ると同時にいたるところで笹が飾られ、人々はお祭りムードに包まれている。自分が通っている学校でも七夕イベントに向けての準備で忙しく、家に帰る時間がいつもより遅くなる。七夕前日、今日も帰りが遅く、家の時計を見ると七時過ぎを指していた。家には誰もいないが一人暮らしをしているというわけではない。父子家庭で親父はいつも残業で十時過ぎに帰って来る。今日も十時過ぎなのだろうとコンビニで買ってきた弁当を温めている間にふと思った。食後は試験が近かったため、すぐに机に向かい、苦手分野である古文に悪戦苦闘していた。一時間が過ぎ、時計を確認すると九時過ぎだった。休憩を挟もうとリビングに向かい、テレビをつけようとリモコンを取ろうとしたとき、横にあった卓上カレンダーに目が向いた。そこには七日のところに大きく赤文字で丸の印が書いてあった。別段、七夕が親子共に好きというわけではなく、七月七日は自分たち家族にとって別の特別な日を指していた。十年前の七月七日、小さかった自分は記憶が曖昧だったがその日は六月の梅雨が長引き、土砂降りだった。時刻は夕方、親父は十年前も相変わらず残業をしていて自分は家でテレビを見ていた。そして家にはもうひとり住人がいた。母である。母はこの日、七夕というころで料理に腕を振るため、近所のスーパーで買い物をしていた。いつもよりも多めの食材を奮発して買い、家に帰宅する途中だった。場所は一直線上の見通しのいい道路だったが欠点を上げるとすれば歩道と車道の間にガードレールがないことだった。自分が住む地域は都会付近の田舎だったため、まだ、道路整備が不十分でなく、その割に交通量の多い場所だった。そんな道を母が歩いていると、正面から大型トラックが視界に入ってきた。そして母とトラックの間が十メートルになろうかとしていたとき、トラックが揺れ、車体が大きく傾いた。トラックはそのまま倒れこみ、母は下敷きになってしまった。直後に近所の人によって運転手と母は病院に運ばれたが母は重傷でそのまま帰らぬ人となった。運転手は一命をとりとめ、その後の事情聴取で居眠り運転による不注意の事故と判明した。運転手は度々、家に訪れては謝罪を繰り返していたが真面目な人だったせいで一年後には自責の念で自殺してしまった。だから七月七日は自分にとっては母の命日だ。だから笹の代わりに花を飾り、短冊の代わりに線香を用意した。当日は土曜日で午前だけの授業だけだが半分は七夕イベントに潰れる。皆、それぞれに願いを書いた短冊を吊るし、飾られた笹の前で写真を撮り、イベントを満喫していた。正午になると一斉に帰宅し、自分もその流れに合わせてまっすぐに家に帰った。扉を開けると、久々の休みを過ごしていたオヤジと会い、「おかえり」「ただいま」のやりとりだけをして墓参りの準備をした。家に鍵をかけ、外に出ると日差しが目に差しこみ、思わず手で防いだ。あの日も晴れだったらと変えることのできない事実に下唇を噛みしめながら墓のある小さな山へと向かった。着くとすぐに供えていた花を取り換え、墓やその周りを掃除した。普段は学校があって行けないため、細かな部分まで丁寧に掃除をしたので手を見ると見事に汚れていた。線香を立て、手を合わせながら最近の近況を心中で話した。帰りは久々に親父とラーメン屋で夕食を済ました。七夕という特別の日にラーメンというチョイスに周囲に合わせることが苦手で生き方が不器用な親父らしさを感じた。たぶん母はそんな親父だからこそ惹からんだと思う。帰宅後はシャワーを浴び、寝る前に少し勉強しようと鞄から教科書を取り出そうとした。その時、教科書の間から一枚の紙が宙をヒラヒラ舞い、床に落ちた。拾い上げると、今日の授業で皆が飾る中で自分だけ飾らなかった短冊だった。織姫と彦星は一年に一度会うことができるが自分は母と一生に一度も会うはできない、その事実を突きつけられたときから短冊は飾らなくなった。飾らなくなった代わりに短冊には願望ではなく、欲望を書いた。『七月七日に雨が降りますように』と。事件のあった日が偶然ではなく、必然だったのならいくらか母の死に納得のいく答えが見つかると思ったからだ。でもいくら納得のいく答えが出たとしてもやはり母を失った心の喪失感は補えない。いくら考えても答えの出ない理不尽さにいら立ちを感じ、短冊を丸めてやるせない思いをぶつけた。そして思いと共に丸めた短冊をゴミ箱に放り投げた。
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