行事食マジパン人形さんは観賞用だけど文化的な味がします
明石竜
第一話 ハロウィンの夜のアンビリーバブルな出来事🎃
大晦日に年越し蕎麦、お正月におせち料理やお雑煮、端午の節句にちまきや柏餅みたいに、ハロウィンにかぼちゃを食べる習慣も今やすっかり定着したよなぁ。
🎃🎃🎃
「
「この時季にアイスって、季節はずれだし、寒いし俺は食べないよ」
「私は季節に合う合わない関係なく、食べたい物は食べたい時に食べる派だけどなぁ。真冬にかき氷とか、真夏に熱々のグラタンとかシチューとか焼きりんごとか。そもそもこのアイスはハロウィンにぴったりだよ。むしろ夏に合わないよ」
ハロウィーンな十月三十一日、木曜日。北摂のとある府立進学校、豊中塚高校のお昼休み。ハロウィンフェア本日最終日な学食にて一年二組の利川涼一は同じクラスの幼馴染、光久桜子と仲睦まじく昼食メニューを選んでいた。面長ぱっちり垂れ目、ほんのり栗色ナチュラルストレートヘア。背丈は涼一より約十センチ低い一五五センチくらいで、おっとりのんびりとした雰囲気の子なのだ。三軒隣に住んでいて、学校がある日は毎朝八時頃に涼一を迎えに来てくれる。つまり登校もいっしょにしてくれているわけだ。帰りは同性友達同士で行動することが多いので大抵別だけど。
お互いメニューを決め、会計は別々に済ませ、
「桜子ちゃん、かぼちゃアイスとかぼちゃパイ一個ずつだけだと少な過ぎない?」
「じゅうぶん足りるよ♪ 涼一くんはいつもある牛丼定食かぁ。せっかくのハロウィンフェアなのに限定メニュー選ばないなんて勿体ない」
「俺、かぼちゃ今でもそんなに好きじゃないし」
座席に向かい合わせに座って(涼一は少し気まずそうに)、さあ食べようとしたら、
「皆さん、お待たせーっ! アメリカのお菓子欲しい子は、先生に向かって『トリック・オア・トリート!』って呪文を唱えてね。先着五十名までよ」
突如、学食内に一人の英語教師が現れ、こんな伝言が響き渡った。ジャックランタン柄の帽子を被っていた彼女の隣には、台車に積まれた段ボール箱が五箱あった。
「トリック・オア・トリート!」
「あなた一番乗りよ。Here you are.」
「めっちゃあるぅ。サンキューベリーマッチ♪ 赤阪ちゃん、来年も頼むで」
あっという間に女子生徒が大半の待機列が形成され、わいわい賑わう。
「涼一くん、早く赤阪先生の所にお菓子貰いに行こう!」
「俺はいいよ。幼稚園児や小学生が喜ぶようなイベントに乗るなんてバカらしいし」
「涼一くん、見栄張らなくても♪ 貰って帰ったら鈴菜ちゃんもきっと喜ぶよ」
「しょうがないなぁ」
涼一は桜子にぐいっと腕を強く引っ張られ、しぶしぶいっしょに並んであげた。
赤阪先生は涼一達のクラス担任で、彼女主催のこのお楽しみイベントは授業を受け持つクラスの生徒らに事前告知されていたのだ。背丈は一五〇センチちょっと。ほんのり茶色ミディアムボブヘア。丸顔垂れ目で二九歳の実年齢よりも若く見え、女子大生っぽさもまだ感じられることもあってか、生徒達や同僚の先生方からの人気も高い。
あの呪文を唱えたさいに、そんな赤阪先生から「恥ずかしがらずにもっと大きな声でチアフリーに叫びましょう」と注意されてしまったものの、お菓子は貰えた涼一は放課後、親友二人と本屋などに寄り道して別れたあと、閑静な高級住宅街に佇む自宅に向かって独りで朗らかな気分で歩き進んでいく。
夕方六時頃に帰宅すると、
「おかえり涼一お兄さん、トリック・オア・トリート!」
「鈴菜、絶対やると思ってたよ。ほらこれ、貰って来てあげたよ」
階段横で魔女仮装姿な中二の妹、鈴菜から爽やか笑顔でいきなりこんなことを要求され少々迷惑がった。けれども快く赤阪先生から頂いたカラフルなキャンディーやジェリービーンズ、チョコレートなどが詰まったアメリカのお菓子セットを手渡す。
「サーンキュ♪ こんなレアなんタダでくれるなんて涼一お兄さんの担任太っ腹やね。うちからも涼一お兄さんにハッピーになれる素敵なハロウィンプレゼント用意したよ。ハロウィンのかぼちゃポタージュとか行事食の萌え擬人化マジパン人形作ったの♪ 二学期最初の社会科の歴史の授業で先生から年中行事と食文化の話聞いて思いついてん。うちの部屋に展示しとるから見に来て」
「いつもイラストばっかり描いてる鈴菜がお菓子作りもやるなんて珍しいな。行事食の擬人化かぁ。やけにユニークだな。しかも今日桜子ちゃんと、この料理は季節に合う合わないの話しただけにタイムリーだし」
「そりゃちょうどええやん。見たら絶対気に入るから。さあ、うちの部屋へカモーン」
「分かった、分かった。すぐに行くから」
鈴菜に腕をぐいぐい引っ張られ、涼一は快く二階にある鈴菜の自室へ。しょっちゅうべったり懐いてくる鈴菜のことを涼一はちょっぴり鬱陶しいなと感じることはありつつも、可愛らしく感じているようだ。
そんな鈴菜は重度のアニメオタクでもある。とは言え小学生の頃からサブカル趣味にのめり込みながらも学業優秀で、昨春合格を果たした近隣のわりと難関な私立女子中高一貫校においても成績上位層だ。ちなみに小学校ではまんが部、中学では漫研に所属。背丈は一六〇センチほど。小学校時代までは黒髪お団子結び、丸顔丸眼鏡、一文字眉ぱっちり垂れ目な見た目が地味系眼鏡っ娘って感じだったけど中学入学を機に、髪型はおしゃれなリボンで二つ結びにプチイメージチェンジした。幼児期からの趣味の絵もかなり上手く、将来の夢は漫画家。他にイラストレーター、声優、ラノベ作家にもなりたいなぁっとも思い描いてるみたい。
まだまだ夢見る少女な鈴菜の自室はフローリング仕様で広さは七帖。窓際の学習机の上は学用品、おしゃれなデザインのノートパソコンが勉強しやすいようきれいに整理整頓され几帳面さが窺えた。机棚にはチョコやケーキ、ドーナッツなどを模ったスイーツアクセサリーやシロクマ、ウサギ、リス、ネコ、オオサンショウウオといった可愛らしい動物のぬいぐるみもたくさん飾られ、普通の女の子らしいお部屋だなぁ。と思われるだろう。だが、机以外の場所に目を移すとアニヲタ趣味を窺わせるグッズが所狭しと。
本棚には計三百冊以上に及ぶ少年・少女・青年コミックやラノベ、アニメ・マンガ・声優雑誌に加え、先輩から譲って貰ったのか18禁含む男の娘・百合同人誌まで。アニソンCDやアニメブルーレイもいくつか所有し、専用の収納ケースに並べられていた。クローゼットの中には普段着の他、猫耳メイド・巫女・魔法少女・ナース・チアガールなどのコスプレ衣装やゴスロリ衣装も揃えられ、本棚上や収納ケース上には萌え系ガチャポンやフィギュア、ぬいぐるみがバリエーション豊富に飾られてある。さらに壁全面と天井を覆うように人気女性声優や、萌え系アニメのポスターが多数貼られてあるのだ。女の子ながら男性キャラがメインの腐向けアニメはさほど好きではないらしい。ベッド上にはロリ美少女キャラの抱き枕まであった。
「じゃ~ん♪ これやで。とりあえず五種類作ってみてん。左から順にかぼちゃポタージュ、お正月のおせち料理、クリスマスケーキ、夏に食べたくなるデザートのハロハロ、端午の節句のちまきだよ。おひな祭りにぴったりな桜餅も作ろうと思ってんけど、三月生まれの桜子お姉さんが桜餅擬人化キャラみたいなもんやから控えたよ。ちなみにこれは観賞用やから食べれへんけど長期保存出来るよ」
鈴菜は学習机上に置かれた五体のマジパン人形を得意げに見せびらかす。計五つの行事食を一つにつき一キャラずつ一体ずつ、可愛らしい女の子達に擬人化し、マジパン人形化したのだ。全てお座り姿で、二頭身くらい。高さは十五センチから二十センチくらいあった。
「けっこうかわいいな。ちょっと歪だけど、初めて作ったにしては上出来だと思う」
涼一は不覚にも興味を示してしまった。
「サーンキュ♪ 一ヶ月近く毎日練習して失敗作もようさん作ってるから処女作ってわけでもないけどね。今度は涼一お兄さんのマジパン人形作ったげるわ。丹精込めて」
「いらねえ。絶対やめてくれよ」
「もう、嫌がらんでも。この子達、キャラ名もその行事食や年中行事に関する用語を元に命名したよ。五人合わせて行事食ガールズだよ。あと、これは設定資料集。イラスト化したこの子達が対応のお料理や関連の年中行事の特徴を詳しく解説してくれる仕様になってるの。セリフ考えたんはうちやけどね。この子達の賞味期限は永久って設定にしてるよ。マジパン人形自体は長い時間経ったら残念ながら形崩れちゃうやろうけど。この薄い本も涼一お兄さんにプレゼント♪ よかったらおかずに使ってね。うちの今までの人生で一番気合い込めて製作したで」
鈴菜はやや興奮気味に伝え、計五冊の設定資料集も併せて手渡してくる。
「一通り拝見してやるか。ハロハロは行事食より、季節のデザートって呼び方の方が相応しいと思うけど」
涼一は五冊の設定資料集と、透明なアクリル板に載せられた五体のマジパン人形を抱え込むようにして受け取ると、この部屋から出て行き斜め向かいの自室へ。学習机の上はきれいに整理されていて、鈴菜同様勉強しやすい環境になっている。さらに飾られてあるアニメグッズもよく似た系統なのだ。鈴菜にはインパクトでかなり劣るものの。この手のアニメに小三の頃から嵌っていた鈴菜に影響されて、当初「女の子が見るアニメだから」と毛嫌いしていた涼一も小六の夏休みには嵌るようになってしまったわけである。
プロの作品の出来には及ばないけど、売り物になりそうな気もするなぁ。
涼一は行事食擬人化マジパン人形をいろんな方向から眺めつつ、私服に着替えて一段ベッドに腰掛けて、一息つくと、
設定資料集はどんな感じなんだろ?
最初に『行事食ガールズ かぼちゃポタージュ』というタイトルが付けられ、表紙にそのお料理を擬人化したキャラが描かれた設定資料集を捲ってみた。
「おう!」
思わず感激の声を上げる。一ページ目に、対応するキャラクターの全身カラーイラストと、プロフィールが載せられていたのだ。
このランタンって名前の女の子がハロウィンについていろいろ解説してくれるってわけか。
わくわくしながら次以降のページをパラパラ捲ってみた。
ランタンというキャラのカラーイラストが、ジャックランタンや蝙蝠や黒猫などと共にいろんなポーズや仮装姿で十数通りに描き分けられていて、
イラストの方は同人誌どころか商業作品としてでも通用しそうなクオリティだな。固定ファン付きそう。ジャックランタンを大量に浮かべた風呂に全裸で入ってるイラスト、エロくて特にいいな。デフォルメされたマジパン人形より、イラストで描かれた方が可愛く見えるぞ。
不覚にも、変態だと見なしている鈴菜のことをほんのちょっと見直してしまった涼一は、続いておせち料理の擬人化キャラ設定資料集もパラパラ捲って確認してみる。
こっちの子は純和風なお姉さんって感じでマジパン人形以上になかなかかわいいぞ。おせち料理とか、十二支とか、門松とかのイラストもやっぱ上手いなぁ。
感心気味に眺めていると、予期せぬ出来事が――。
「あ~、よく寝た♪ そろそろお菓子貰いに各家々を回らなきゃ」
どこからか、聞きなれぬ女の子の声が聞こえて来たのだ。
「何だ? 今の声」
涼一は不思議に思い、周囲をきょろきょろ見渡す。
耳元で聞こえた気がするんだけど、誰もいないよな?
少しドキッとしながらそう思った直後、
「うっ、うわわわわわぁ!」
涼一はあっと驚き、口を縦に大きく開けて絶叫した。弾みで手に持っていたおせち料理擬人化キャラ設定資料集も床に放り投げてしまう。
突如、かぼちゃポタージュ擬人化マジパン人形が可動化し巨大化して来たのだ。
ジャックランタンを模った帽子と衣装を身に纏い、つぶらなグレーの瞳ですらりとした体つき、背丈は涼一より少し高く、一六〇センチ台後半に見えた。
「ハッピーハロウィン♪ トリック・オア・トリート! ワタシ、日本でもお馴染みハロウィンのかぼちゃポタージュのランタンだよ。リョウイチくんと同じ十五歳、高校一年生なの♪」
その女の子は爽やかな笑顔を浮かべ、微妙な発音の英語も交えて挨拶した。そのあと涼一の手を握り締めて来た。
ようするに、マジパン人形の時の姿から頭身を上げ、デフォルメ要素が目立たなくなり、イラストの方に近い姿になって人間化したわけである。
かぼちゃポタージュの美味しそうな香りもこの子の体からぷんぷん放たれていた。
「……………………」
涼一の口は、顎が外れそうなくらいパカリと開かれていた。
「Oh,リョウイチくん、滑稽にくりぬいたジャックランタンみたいなお顔になってるね」
そんな彼を見て、ランタンは嬉しそうににこにこ微笑む。
続いて、ちまき擬人化マジパン人形の子が――。
「こんばんは。わらわ達の作者、利川鈴菜さんの兄君の涼一さん。わらわは女の子ですが端午の節句のちまきな
五月人形の鎧兜を身に纏っていた。黒縁の丸眼鏡をかけ、ちまきを包む笹のような色の髪が兜からはみ出していた。背丈は一四〇センチ台後半。顔立ちは桃の節句でお馴染み、雛人形のお雛様っぽかった。涼一に向かっておっとりとした口調で挨拶して来た。
さらにもう一体、おせち料理擬人化マジパン人形も。
「はじめまして涼一君。わたくし、お正月のおせち料理の新玉御節。高校二年生、十七歳よ。はい、お年玉」
色白のお肌、面長でつぶらな栗皮色の瞳。黒豆色な髪は金箔が少々ふりかけられたようにもなっていて、伊達巻、数の子、田作り、栗金団、紅白かまぼこ、菊花かぶ、昆布巻。計七種類のチャームと白寿松竹梅飾り付き水引で束ねられていた。背丈は一六〇センチくらい。鯛と伊勢えび柄の着物を身に纏っていた。
「えっ、あっ、どっ、どうも。おっ、俺、とうとうアニメの世界と現実の世界との区別が付かなくなってしまったのか?」
涼一は当然のように戸惑う。それでもちゃっかり先ほど頂いたお年玉袋を開けて、中に五千円札が一枚入っているのを確認していると、
「アニメの世界じゃないよ。現実だよ。サンタさんも現実にいるよ」
「アロ~ハ アヒアヒ♪」
背後からまた聞きなれぬ二人の女の子の声がした。
「ヒュヴァーイルター。クリスマスケーキのキャロルです。小学四年生、九歳です。ハウスカトゥトゥストゥア♪ これからよろしくね、涼一お兄ちゃん。クリスマスプレゼントあげるぅ。クリスマスはまだ二ヶ月近く先だけど、あたしの気分は年中クリスマスだよ」
「あっ、どうも」
フィンランド語も交えて挨拶して来たこの子は、おかっぱ頭にした生クリームのように真っ白な髪は所々にローズ、しずく、シェルなどの模様が同じ色で施され、もみの木、いちご、マロングラッセ、Merry Christmas! と金色にデコレートされたホワイト板チョコ、計四種類のチャームと金鈴付きチョコレート色ダブルりぼんで飾り付けられていた。丸っこいお顔とくりくりしたつぶらな瞳。背丈は一三〇センチくらい。ミニスカサンタ姿だった。ちなみに左肩に掛けていた白い袋から取り出して手渡して来たプレゼントは、トナカイさんの可愛らしいぬいぐるみだった。
「アタシ、フィリピン発祥でハワイや日本でもお馴染みのデザート、ハロハロなのだ。中学一年生、十二歳。よろしくね♪ E(エ)・リョウイチ」
こちらの子は日焼けしたマカダミアナッツ色の肌。セミロングなミルク色の髪を紫色なタロイモアイスクリーム、ココナッツ、タピオカ、小豆、プリン、マンゴー、バナナ、コーンフレーク、透明&赤&緑のナタデココ、計十一種類ものチャーム付きラムネ色ダブルりぼんで束ねていた。四角顔でコナコーヒー色の瞳、背丈は一五〇センチちょっと。イリマレイと呼ばれるハワイでお馴染みの首飾りを掛け、プルメリアのお花や葉っぱで胸と恥部を覆っただけの露出度の高い姿だった。
「うわぉっ!」
振り返った涼一はハロハロの身なりを目にし、反射的に視線を床に背ける。マジパン人形状態の時はじっくり眺めてしまっていたものの、人間化した姿は直視出来なかったようだ。
「涼一君のその反応、さすが年頃の男の子ね。ハロハロちゃん、ちょうど都合良くいいのがあったわ」
御節は学習机の本立てに並べられてあった、涼一が学校で使用している地図帳を手に取りパラッと捲る。続いて開かれたページに手を添えると、なんと波打つ水面のように揺らいだのだ。
三秒ほどのち、御節は何かを掴み上げた。
「これを着なさい」
それをハロハロに投げ渡す。
「分かった。まさに今この格好じゃ寒いしね」
御節が先ほど取り出した物の正体は、色鮮やかなロシアの民族衣装サラファンだった。
なっ、なんでこんなことが、起こってるんだ?
涼一は目の前で次々と起こった超常現象にただただ唖然とするばかり。
ランタン以外の行事食キャラ達からも、対応する食べ物の香りが放たれていた。
「絶対、夢だよな?」
とりあえず右手をゆっくりと自分のほっぺたへ動かし、ぎゅーっと強くつねってみる。
「いってぇっ!」
痛かった。現実……だったらしい。
「嘘だろ?」
まだ涼一は、この状況を信じられなかった。
「どないしたんよ涼一お兄さん? すごい大声出して」
ガチャリと部屋の扉が開かれる。鈴菜が入って来たわけだ。
「すっ、鈴菜。さっ、さっき、この鈴菜が作ったマジパン人形が、巨大化して、動き出して喋り出したんだ。本物の人間みたいに。あの行事食擬人化した。ほらここにっ……あっ、あれ?」
涼一は強張った表情で声をやや震わせながら伝えたものの、
「マジパン人形のままやん」
鈴菜にきょとんとした表情で突っ込まれてしまう。
「いや、さっきいたんだけど、おっかしいな」
涼一は訝しげな表情を浮かべた。食べ物の香りもすっかり消えていた。
「涼一お兄さんったら、マジパン人形が巨大化して本物の人間みたいに動き出して喋るなんてマジあり得んし。アニメの世界と現実の世界との区別はちゃんと付けなきゃダメだよー。うち、涼一お兄さんより遥かにアニメの世界にどっぷり嵌っとるけど、現実の世界との区別はちゃーんとついとるで」
鈴菜はくすくす笑ってくる。
「いや、俺もちゃんとついてるんだけど」
「確かにお○ん○んはちゃんとついとるよね」
「……今そういう話じゃないんだけど」
涼一が困惑顔でこう言った直後、
「涼一ぃー、鈴菜ぁー、夕飯出来たでー」
階段下から母の叫び声が聞こえてくる。
「今行くぅー。涼一お兄さんもはよおいでよ」
鈴菜はすぐにこの部屋から出て、ダイニングの方へ向かっていった。
「やっぱ、気のせい、だよな?」
涼一はこう呟いてハハハッと笑う。
次の瞬間、
「気のせいではありませんよ、涼一さん」
菖蒲が再び人間の姿に戻った。ちまきの笹の香りも同時に漂ってくる。
「うわぁっ!」
涼一は反射的に仰け反った。
「また驚かせて申し訳ありません。というか、こんなに驚くとは思いませんでした」
菖蒲はてへりと笑う。
「驚くに決まってるだろ」
涼一はごもっともな意見を述べた。他の四人も先ほどの姿へ。
「お部屋の様子を見て、リョウイチくんは萌え系のアニメが大好きな男の子なんだなぁって判断したの。これならワタシ達が巨大化して、動いて喋り出すって現象を起こしてもごく普通に受け入れてくれるかなぁと思って♪」
ランタンはにこにこ顔で伝えた。
「涼一さんの妹君は、妄想空想癖は酷いようですが一応常識的なお方のようですし、わらわ達の人間化した姿を見たら腰を抜かすかと思いまして、とっさにマジパン人形に戻りました」
菖蒲はゆったりとした口調で語る。
「俺だって相当驚いたよ」
「まあまあE・リョウイチ、普段日本に住んでる人がハワイ行ったら非日常的な体験が出来ることだし、素直に受け入れなよ」
ハロハロはにこにこ笑いながら言った。
「受け入れろと言われても……」
「ワタシ達は行事食五人姉妹だってデザイナーのスズナちゃんは設定してくれたよ」
「……それにしても、マジパン人形が人間化するって、現代の科学技術的にあり得ないだろ」
「それが出来てしまったんだから、そう突っ込まれると反応に困っちゃうな」
御節はちょっぴり困惑気味だ。
「まだ現実とは思えない」
涼一は半信半疑な面持ちで呟く。
「リョウイチくん、これは現実、リアリティなんだよ」
ランタンはにこっと微笑む。
「あの、ランタンちゃん、俺、これが現実だってこと実感したいから、体、触っていいか?」
「オーケイ。でも、胸は変な気持ちになっちゃうからノーッ! だよ」
「分かった。頭にするよ」
涼一が恐る恐る、帽子を外して露になった、ランタンのセミロングウェーブな淡黄色の髪に手を触れようとしたら、
「涼一ぃー、いい加減夕飯食べやぁー。冷めてまうやろっ!」
母に扉を開けられた。
「わっ、分かったよ」
涼一はビクッと反応し、周囲を見渡す。
またもみんなマジパン人形に戻っていた。特有の香りも消えていた。
やっぱ、夢だよな?
涼一は首をかしげながら電気を消して部屋を出て、ダイニングへと向かっていった。
「涼一、鈴菜の作ったマジパン人形の迫力に圧倒させられたみたいだな」
高校物理教師を務める父は楽しそうに微笑む。
「うん、まあ。かなりリアルだったし」
涼一は苦笑いで答え、
絶対俺の見間違えだ。
心の中でこう確信して椅子に腰掛けた。
「うちの作った行事食擬人化マジパン人形、涼一お兄さんにウケてくれたみたいでうち、めっちゃ嬉しかったわ~♪」
向かいに座る鈴菜は上機嫌でパンプキンパイを頬張っていたのだった。
「父さんは子どもの頃、おせち料理よりクリスマス料理の方が好きだったな。今でもだけど」
父は上機嫌でかぼちゃの茶巾絞りを頬張りながら呟く。鈴菜のオタク趣味もジャ○ーズやE○ILEなんかに嵌るよりは健全だろうってことで快く容認してくれている寛容で心優しいお方なのだ。
?
涼一は夕食後は自室には戻らず、まっすぐお風呂場へ。洗面所兼脱衣場で服を脱ぐと、ハンドタオルを手に取って、いつもと変わらず大事な部分は隠さずにすっぽんぽんで浴室に入る。続いて風呂椅子に腰掛けて、シャンプーを押し出した。
髪の毛をゴシゴシこすっている最中だった。
「アロ~ハ、E・リョウイチ!」
突然そんな声がしたと思ったら、湯船がバシャァァァーッと飛沫を上げ、中からハロハロが飛び出して来たのだ。
「ぅおわあああぁぁーっ!」
涼一はびっくりして思わず仰け反る。もう少しで後ろのタイル壁に後頭部をぶつけるところだった。
「遊びに来ちゃった♪」
ハロハロは舌をぺろりと出して、てへっと笑う。
「どっ、どうやって、入って来たの?」
涼一は当然のように驚き顔。慌ててタオルで大事な部分を隠したのち質問してみた。
「蚊に変身してここまで浮遊して来たあと、スーパーボールに変身してお湯の中に隠れてたのだ」
「そっ、そんな能力まで、使えるのか?」
「うんっ! 五人の中で変身能力を使える設定なのはこのアタシだけなんだぜ。えっへん! E・ランタンも仮装衣装には自在に変化させれるけどね」
ハロハロは自慢げに、嬉しそうに答える。
「そっ、そうなのか……っていうか、せめてタオルは巻いてっ!」
涼一はハロハロがすっぽんぽんだったことに今頃気付き、とっさに目を覆った。
「E・リョウイチ、アタシまだまだお子様体型だから全然問題ないのに。E・リョウイチ照れ屋さんだな。じゃあこうするよ。E・リョウイチ、前隠したから手をのけてみて」
「ほっ、本当?」
言われるままに、涼一は手をゆっくりと目から離した。
緑色の葉っぱがハロハロの肩の辺りから膝の上くらいにかけてしっかり巻かれていた。
「どう? 似合う?」
「うっ、うん。それより、どうやって一瞬で?」
「さっきはアタシの体の一部をハイビスカスの葉っぱに変化させたのだ」
「そっ、そういうことか」
「蚊に変身したのもそうだけど、普通はこんなこと起り得ないでしょ。でもアタシ、夏関連の物に限るけど物質の化学的性質とか質量保存の法則とかは完全無視して自由自在に変身出来るという設定になってるから。アタシ、当然のようにこんなのにも変身出来るのだ」
そう告げるとハロハロはパッと姿を消して、次の瞬間体長十センチくらいの淡水魚に変身した。そして湯船の中にポチャンッと落下する。
「金魚すくいの金魚か」
涼一は苦笑いで突っ込む。黒の出目金だった。
「次はこれになるよ」
人間の姿に戻るや今度は球形の夏らしい野菜に変身し、床に落下した。
「美味そうだな」
スイカだった。
「次はこいつになるよ♪」
「うわわわぁっ!」
次に変身した昆虫の姿を見て、涼一は壁際へ逃げて怯える。
クマゼミだった。涼一の顔面目掛けてジジジジッと飛び掛かって来たのだ。
「E・リョウイチ、セミにびびるなんて怖がりだな」
その一秒後には再び人間の姿に戻ったハロハロはくすっと笑う。
「俺けっこう苦手なんだよ、セミとかの素早く飛んでくる虫系」
涼一は苦笑い。自分でも情けないなと感じているようだ。
「アタシ、変身以外にもこんな能力も使えるよ」
ハロハロは続いて口からフゥゥゥーッと息を吐き出す。
それはたちまち黒っぽい入道雲の形へと変化した。
その直後、ドゴォォォーンッ! と耳をつんざくような雷鳴を轟かせ、滝のような雨を涼一の頭上に降らせて来た。
「うをわぁぁぁーっ!」
涼一はさっき以上に大きく仰け反る。
――ゴツンッ!
「いってぇぇぇーっ!」
後頭部を後ろ壁にぶつけてしまった。
「夕立を再現してみたよ♪ なかなか迫力あったでしょ?」
ハロハロはにっこり笑顔で問う。
「危険過ぎるだろ」
ずぶ濡れにされた涼一は迷惑顔だ。
「雲量は少なかったし、安全性にはほとんど問題なかったと思うんだけどな。行事食に関連する年中行事や季節特有の現象再現能力はアタシ達みんな持ってるよ。アタシこんな技も使えるぜ」
「ハロハロちゃん、危ないって。きれいだけど」
涼一は慌てて突っ込む。
ハロハロは浴槽に向けて、右手のひらから火花をバチバチ出したのだ。
「線香花火、風呂場だから大丈夫だぜ」
ハロハロが無邪気な表情で伝えた直後、
「涼一ぃ、やけに騒がしいけど何かあったの?」
母が浴室扉のすぐそばまで迫ってくる。
「なっ、なんでもないよ」
涼一は慌てて返事した。
「そう? ならええけど」
母はちょっぴり不思議そうし、リビングへと戻っていく。
「入って来なくてよかったぜ。まあ入って来たところで瞬時に小さな虫になれるけどな。そんじゃあE・リョウイチ、アタシ、先にお部屋戻っておくね」
ハロハロはそう告げてウィンクし、体長五ミリほどの蚊に変身するとプゥ~ンと特有の音を立てながらちょうど開かれている窓から外へ出て行った。
あの姿で俺の母さんの目の前通ったら確実に瞬殺されるな。
ともあれ彼はいつもように湯船に浸かってゆったりくつろぐ。
その最中、浴室扉がガラガラッと開かれ、
「涼一お兄さん、おじゃまするね♪」
鈴菜がすっぽんぽんで入り込んで来た。
「鈴菜、入って来るなよ」
涼一は呆れ顔で鈴菜の顔面目掛けて湯船のお湯をバシャッと食らわす。
「あつぅ! もう。ぶっかけるなんてひどいな涼一お兄さん」
鈴菜はぷくぅとふくれた。
「早く出て行って」
ばっちり彼の目に映った鈴菜の発育中のおっぱいと恥部からはすぐに目を背けた。鈴菜が小六になった夏頃からは実の妹ながら全裸姿や下着・水着姿にほんのちょっと性的意識が芽生えるようになってしまっていたのだ。
「今入ったばっかりやのにそれはないやろ。涼一お兄さん、あのキャラ気に入ってくれたお礼に、うちの全裸姿じっくり観察していいよ。おっぱいも触っていいよ」
鈴菜は仁王立ちして、にっこり笑顔で言う。
「……」
涼一は呆れ顔でハンドタオルを手に取り、あの部分に巻くと湯船から出て床に視線を向けたまま鈴菜の横を通り過ぎ、浴室から出て行こうとするも、
「ほんまは触りたいくせに、見栄張らんでも」
背後からガシッと抱き着かれ、両腕ごと動きを封じられてしまった。鈴菜のおっぱいのむにゅっとした感触が涼一の背中にじかに伝わってくる。恥部のもさっとした毛の感触もお尻にじかに伝わって来た。
「見栄なんか張ってないぞ」
「涼一お兄さんの嘘つき。ここ硬くなって来てるやん」
さらにあの部分をタオル越しだが右手で握り締められ、揉み揉みされてしまった。
「それは鈴菜が触ってるからだろ。早く離せっ!」
涼一は焦り顔で体を捻って抵抗するも逃れられず。
「涼一お兄さん、豊高の授業ついていくのけっこう大変やろ? 気分展開に今度の土曜か日曜、うちとUSJでデートせえへん?」
鈴菜はウィンクをまじえて誘ってくる。
「嫌に決まってるだろ。いい加減離せって!」
「予想通りの反応やね。うち、涼一お兄さんにイタズラしてるんよ」
「お菓子ちゃんとあげただろ」
「まあいいじゃん。イタズラもハロウィンの醍醐味やし」
「イタズラの域越えて性犯罪だろ」
「ごめんねー。もう行っちゃっていいよ」
これにてようやく解放してもらえると、涼一は駆け足で脱衣場へ移動し浴室扉をピシャッと閉めた。
……鈴菜の変態行為には困ったものだな。
一呼吸置いたのち、洗濯籠に入った鈴菜脱ぎたての下着類からは目を逸らしてバスタオルで体を拭いていく。
「涼一お兄さん、うち今、ルノワールの『岩に座る浴女』のポーズ取ってるの。覗いてもええよ」
「……」
最中に鈴菜から誘惑されるも涼一は無視。
もう一度、冷静に考えてみよう。さっき起きたことって、本当に、現実なのか? あり得ないだろ。マジパン人形が人間化したなんて。
そのあとパジャマを着込みながら、思い直してみる。
人間になってるわけ、ないよな?
二階に上がると、恐る恐る、自屋の扉を開けてみた。
「エ コモ マイ。E・リョウイチ」
「涼一君、湯加減どうだった?」
「涼一さん、菖蒲湯はどの季節でも合うと思いますよ」
「リョウイチくん、今日のディナー、ハロウィンらしくパンプキン料理尽くしだったでしょ? 匂いで分かったよ。ワタシもベリーハッピーな気分だよ♪」
「涼一お兄ちゃん、クリスマス料理ほどは豪華じゃなかったでしょ?」
――行事食キャラ達の人間化した姿が、しっかりと涼一の目に映った。消していったはずの電気もついていた。特有の香りもぷんぷん漂っていた。
みんなでハロウィンパーティーを楽しんでいたのか、クッキーやキャンディーなどのお菓子や、コーラやメロンソーダなどのジュースもローテーブル上に並べられていた。
「……あのう、俺、今日は疲れてるみたいだから、もう寝るね」
涼一は若干引き攣った表情で行事食擬人化キャラ達に向かってこう伝えると電気を消してベッドに上がり、布団にしっかりと潜り込んだ。
「ありゃまっ、もう寝るのか? E・リョウイチ」
「リョウイチくん、せっかくの年に一度のハロウィンナイトなんだから夜更かししてワタシ達とパーティー楽しもうよ。リョウイチくんの分のお菓子も残してるよ」
「あたし、涼一お兄ちゃんともっとお話したいのに。でもあたしももう眠いし、寝よう。涼一お兄ちゃん、ヒュヴァーウオタ」
「涼一君、わたくし達が人間化したせいで、急な環境変化に順応出来ず体調崩しちゃったのかしら?」
「そうかもしれませんよ、御節さん。今宵はゆっくり寝させてあげましょう」
「リョウイチくん、ハロウィンパーティーをいっしょに楽しめなかったのは残念だけど、明日からはワタシ達といっぱい遊んで文化的に過ごそうね。グッナイ!」
「E・リョウイチ、こっちの世界はこれから冬に向かっていくけど、アタシと過ごせば年中夏気分を味わえるぜ。アロハ ポ」
こうして行事食擬人化キャラ達は、マジパン人形へと戻った。ランタンはお菓子とジュースもきちんと片づけてから。
……あれは、幻覚に違いないっ!
涼一はそう思い込むことにした。
☆
真夜中、三時頃。
「ねーえ、涼一お兄ちゃぁん」
どこからか、とろけるような声が聞こえてくる。
「――っ!」
涼一はハッと目を覚まし、ガバッと勢いよく上体を起こした。
「ん?」
瞬間、涼一は妙な気分を味わう。左腕に、何か違和感があったのだ。
「涼一お兄ちゃん」
「この、声は?」
涼一は恐る恐るゆっくりと、顔を横に向けてみた。
「うわぉっ!」
驚いて思わず声を漏らす。彼のすぐ隣、しかも同じベッド同じ布団の中に、キャロルがいたのだ。
「おしっこしたいから、おトイレ付いて来て」
マジパン人形の時と同じ、ミニスカサンタ姿なキャロルは頬をいちごのように赤らめて、涼一の左袖を引っ張りながら照れくさそうに要求してくる。
「あっ、あの……」
俺は今、夢を見ているんだ。きっとそうだ、それ以外あり得ない。
涼一は自分自身にこう言い聞かせる。
「涼一お兄ちゃぁん、あたし、あそこのコルクが弾けて漏れそう。もう我慢出来ないぃぃ」
キャロルは今にも泣き出しそうな表情になり、全身をプルプル震わせた。
これは夢だ、これは夢だ、夢に違いないっ!
けれども涼一は無視することに決めた。心の中でこう呟いて、再び布団に潜り込む。
ほどなく彼は二度目の眠りに付いた。
まもなくポンッ! とコルクが弾けるような音もしたが、涼一は目を覚まさなかった。
☆ ☆ ☆
朝、七時四〇分頃。
「うわあああああああーっ。うっ、嘘だろ……」
萌えキャライラスト入り目覚まし時計のとろけるようなボイスアラームと共に目覚めた涼一は、起き上がった直後に絶叫した。
布団とシーツが、おしっこまみれになっていたのだ。
「こっ、これって……」
涼一は布団とシーツを見下ろす。彼の着ているパジャマも、おしっこまみれだった。ちょうどズボンの前の部分が黄色いシミになっていた。もちろんにおいも併せて漂う。
どう、処理しよう。
冷や汗を流し、深刻そうな表情で悩んでいたその時、
「涼一、どうしたの? 朝からご近所迷惑な大声出して」
「うわっ、かっ、かっ、母さぁん!!」
折悪しく、ガチャリと扉が開かれ母が部屋に入り込んで来た。
「ん? 何これ? 涼一、ひょっとして、おねしょしたのぉ?」
母は涼一のズボン前をじーっと見つめながら、にんまり顔で問い詰めてくる。
「ちっ、違う! 断じて違うんだ母さん。これは、真夜中に、鈴菜の作ったマジパン人形の小学生の女の子が人間化して、俺の布団に入り込んで来てそれで、その……」
涼一は必死に言い訳しようとする。
「涼一、アニメの世界と現実の世界を混合するんじゃないの」
母はくすっと笑った。
「ほっ、本当なんだって。その、あの鈴菜の作ったマジパン人形が、人間化して来て」
涼一はローテーブルの上に置かれたキャロルのマジパン人形を指差しながら訴えてみた。
「はいはい、いいからはよ着替えなさい。桜子ちゃんもうすぐ来ちゃうわよ」
けれどもやはり無駄だった。母はにやにや笑いながら命令してくる。
「信じてくれよぉー」
涼一は悲しげな表情を浮かべながらパジャマを脱ぎ、下着も替えた。そして制服に着替え始める。
「涼一、それ、お母さんに貸しなさい」
「いいって! 俺があとで持っていくから」
「まあまあ涼一、遠慮せずに」
「あっ!」
あっという間に、パジャマ一式と下着を奪われてしまった。
「早めに洗濯しなきゃ、汚れ落ちにくくなるやろ」
母は穏やかな口調でそう告げて部屋から出て、意気揚々と階段を下りていく。
今、時刻は七時四七分。
まだ大丈夫だな。
涼一がそう思った直後、
ピンポーン♪
玄関チャイムが鳴ってしまった。
「おはようございまーす、涼一くん、おば様、鈴菜ちゃん。今日は昨晩お祖母ちゃんちから届いた秋のお野菜果物と柿羊羹の詰め合わせをお裾分けするために、少し早めに来ちゃいました」
いつもより十分以上も早く、桜子が迎えに来たのだ。しかも桜子が玄関扉を開けたのと、鈴菜が階段を降り切って玄関前に差し掛かったのとが同じタイミングだった。
「おはよう桜子ちゃん、今朝涼一ね。おねしょしちゃったのよ。これを見て」
母は嬉しそうに、桜子の目の前に黄色く変色した涼一のパジャマをかざした。
「あらまぁ」
桜子は段ボール箱を両手に抱えたままやや前かがみになり、興味深そうにそれをじっと見つめる。
「どわああああああああっ、えっ、冤罪だぁぁぁーっ!」
涼一は慌てて階段を駆け下りながら、弁明する。
「涼一くん、恥ずかしがらなくても。たまにはこういうこともあるよ」
桜子は柔和な笑顔でフォローしてあげた。
「あの、桜子ちゃぁん、俺、やってないから。本当に」
知られてしまった涼一は、かなり沈んだ気分になる。
「涼一、はよ顔洗って朝ごはん食べて、学校行く準備しなさい」
母はにこにこ笑いながら命令する。
「わっ、分かったよ」
涼一はしょんぼりしながら洗面所へ向かっていった。
父は今日もいつも通り七時半前には既に家を出ていた。
涼一が顔を洗っている最中、
「おはよう涼一お兄さん、おねしょしたんやってね。まあ気にせんとき。思春期っていうのは男の子も女の子も気を付けてても下着汚しちゃうことはよくあるからね。うちも最近しょっちゅう汚すよ」
マルーン色ブレザー&ベージュチェック柄プリーツスカートの冬用制服姿な鈴菜は背後からにやにや笑いかけてくる。
「俺は絶対おねしょしてないから。鈴菜だけは信じて欲しい」
涼一は悲しげな表情で訴える。
「うちは、信じてあげるよ」
鈴菜は彼の心境を察したのか、爽やか笑顔でこう言ってくれた。
こんなちょっとしたハプニングがあったためか、普段より三分ほど遅れて桜子と涼一は家を出た。桜子は冬用紺色セーラー服、涼一は黒色学ラン。伝統校らしく制服は男女とも古めかしいのだ。
鈴菜は中学入学後は涼一&桜子よりも少し早めに家を出ている。電車通学なのだ。
もし昨日の出来事が本当のことであれば、俺はおねしょをしていない。もし夢の中の出来事であったならば、俺はおねしょをしたことになってしまう。どっちがいいんだ? この場合。
涼一は通学路を早足で歩きながら葛藤する。
「あの、涼一くん。元気出して。おねしょのことはもう忘れちゃおう」
桜子に優しく励まされ、
「うん、そうだね」
涼一は穴があったら入りたい気分になった。
「そういえば涼一くん、昨日、鈴菜ちゃんがいろんな行事食をかわいい女の子に擬人化した手作りのマジパン人形と、イラスト付き設定資料集プレゼントしてくれたんでしょ。今日学校終わったら、涼一くんの部屋におじゃまするから見せてね。鈴菜ちゃんマジパン人形とそのイラストの画像一部送ってくれたんだけど、全部実物で見たいよ」
「……うん。分かった」
あのマジパン人形が人間化して来たこと、桜子ちゃんに言っても信じてくれないだろうな。大丈夫? 最近疲れてない? って心配されそう。実際俺、高校受かってからますます夜更かしすることが増えて平均睡眠時間減ってるし。
そんな理由から、涼一はこの件は伝えないことにしておいた。
同じ頃、涼一のお部屋ではランタン、キャロル、御節、菖蒲が人間化して、部屋の中央付近に集まっていた。ハロハロだけはまだマジパン人形姿のままで睡眠中だ。
「キャロルちゃん、リョウイチくんのベッドにブランデー(意味深)ぶちまけちゃったんだね」
「アンテークシ。暗くて、おばけが怖くて行けなかったの。涼一お兄ちゃんが帰って来たら謝らなきゃ」
しゅーんとなっていたキャロルを、ランタンは優しく慰めてあげる。
「キャロルちゃん、今夜からは、おトイレ行く時わたくしが付いていってあげるからね」
「Kiitos! 御節お姉ちゃん」
キャロルは御節の胸元にぎゅっと抱きついた。甘えん坊さんなようだ。
「寝小便を垂らしてしょんぼりするキャロルさん、いと愛らしです」
菖蒲は我が子を見守るようにその様子を微笑ましく眺めていた。
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