夢現狭の蟲遣い《むげんきょうのグリッチャー》

モダンな雰囲気

プロポリスタワー侵入編

序章

第1話 ヴィジュアルハッカー

 少年は漆黒のトレンチコートを身にまとい、首から顔まで隠れるほどに襟を深く立てて、両ポケットに手をつっこみ、そして静かに「はぁ……」と溜息を吐いた。

 同時に、彼の背中に、肩に、足元に、黒く影のついた六本脚の仮想生物、


 ――害蟲バグが、這い寄った。


「この街の大人は、今日もクソみたいに平和面しているな」


 蟲遣いグリッチャーは人気のない路地裏から顔を覗かせ、街を行き交う大人たちを値踏みしていた。

 店舗の軒先には、露出度の高いチャイナ服を着た女性が立っている。スリットから太腿を覗かせた卑猥なポーズで金持ちを誘惑し、豊満な胸を自慢しながら今宵の相手を探している。

 ベンチに腰を下ろして休憩している小太りの男は、手のひらサイズの女の子を持ちだして、頬をぷにぷにと突いては可愛がっている。

 大通りを横切る貴婦人は、粒の大きな宝石をアクセサリーに散りばめて、見せびらかすかのように闊歩していた。

 それらは全て、仮想現実ユビキタス

 夢とうつつの狭間に創られる、『ヴァーチャル=ネスト』と呼ばれるシステムの恵み。

 卑猥で好色な服装も、手のひらサイズの女の子も、高価そうに見える宝石も、この街を彩る全てのエンターテイメントは、創りモノのまがいモノだった。

 その絵空事は、この街全体へ物理的に定着している。視覚野ヴィジュアルに訴えかけてくる事象は、全ては単なるデータやオブジェクトであり、サービスである。大人たちはそれを活用し、愉しく豊かに生きている。仕事もろくにせずに――。


「この街は、今日も穏やかに狂ってる……」


 蟲遣いは気だるく空を見上げた。

 ビルとビルとの隙間から覗けるちっぽけな空には、美しい七色の虹が架け、その横を豚が鼻を鳴らして横切り、ピンクのイルカが笑って泳ぎ、まねき猫がプカプカ浮かび、妖精が群れを成して飛び交い、妖怪のような生物が大名行列をなしてケタケタ笑い――etcエトセトラ.

 まるでメルヘンの世界に迷い込んでしまったかのようだ。

 最近は、こんな感じの突飛でシュールでお祭り騒ぎな仮想現実が、繁華街の大人たちにウケているらしい。趣味じゃない蟲遣いにとっては、吐き気をもよおす妄想だ。


「太陽、今日も見えねぇか……」


 蟲遣いはポツリと呟く。

 やわらかい日の光で気がねなく日光浴を楽しめたのは何時の時代だったか。この街で裏の仕事に従事していると、まるで何年も日陰を歩き続けているような、そんな錯覚に陥ってしまう。

 いや、その比喩表現こそが、もはや時代遅れなのかもしれない。

 錯覚なんてものは、この世界には残存しない。

 妄想そのものが、もうすでに現実なのだ。


『こちら先生せんせー。アクセスポイントの掌握に成功。準備OK。仕事の時間よぉん』


 たそがれていた蟲遣いの耳に、いやらしくもあでやかな声が入ってきた。

 見上げていた視線を手元に下ろせば、そこには小さな二頭身のアバターが浮かんでいた。

 少しドットが荒い、レトロゲームに出てきそうな造形のアニメキャラだ。

 はだけた襟元には健全な男子の目には毒であろう谷間の絶景スポットがあったが、大きな頭を揺らすそのコミカルな姿で誘惑されても、蟲遣いは一つも興奮はしない。

 その先生が、口をパクパクと動かして指示してきた。


『目標は、繁華街をぶらつき遊びまわる富豪の大人たち。その精神の内側にあるわ』

「了解している」

『ぐぅーちゃんの仕事は、周囲の仮想現実を撹乱させ、大人たちが独占しているを奪うこと。あまり目立ちすぎてはダメよ。ほんの少しずつ、上澄みをすくうように、上手くやりなさいね』

「了解している」

『イレギュラーな事態への対処も怠らないように。私たちが狙うは、当然のように他の同業者も狙っているわ。いつ何時、サイバー攻撃を受けるとも限らないわよん』

「了解している」

『本当にわかっているのかしらねぇ。無愛想な顔で頷かれても、こっちは不安だわ。そもそもぐぅーちゃんはコミュニケーション能力ってものが欠如しているのよねぇ。もう少しボキャブラリーを持って接してくれないと――』


 耳が痛くなるほどに説教され、いい加減に蟲遣いはカチンときた。


「ほっとけ。俺の顔は昔っから無愛想だ。それに仕事はクールにこなせと教育してきたのは先生だろうが。その大切な教えを律儀に守っている模範的な生徒に対して、説教垂れるのはよしてくれ」


 若干キレて答えれば、先生は『ふふっ』とせせら笑った。


『私はね、言葉数の少ないぐーちゃんより、感情的になって人を愚弄するぐぅーちゃんの方が、よっぽど男前で素敵だと思うわよん。ひゅぅ、さすが二枚目ね!』

「茶化すな……。あとって呼ぶのやめろ……。子供扱いするな!」


 本当にイライラさせられる。先生はいつもこの調子で教え子を煽ってくる。これが仮想現実のアバターじゃなければ、生意気な顔に捻りを加えた拳をぶちこみたい気分だ。


「もういい加減、先生の戯言にはうんざりだ。俺は仕事に移る。以後、通信遮断」


 蟲遣いは爪に装着されたネイル端末、その槍のように鋭く尖った先っぽで、先生のアバターをピンとはねた。

 先生のアバターは、『あぁん、ぐぅーちゃんのいけず』というふざけた台詞を最後に、あぶくに溶けるにようにして消え、ログアウトした。


「さぁて、さっさと仕事を片付けるか……」


 蟲遣いは中指と親指を擦り、パチンと音を鳴らした。

 そのハンドシグナルを合図に、足元の影からゾワゾワとした負の気配が産まれる。

 それが自らの才能であったとしても、この気持ち悪い、肌が粟立あわだつような感触だけは、いつまでたっても慣れないものだ。こんな醜悪な特殊能力は今すぐにでも捨ててしまいたい。


「グリッチ=ノイズ……。湧け、蠢け、這いずり回れ、害蟲バグよ……」


 その特殊能力の名を起動合図として、蟲遣いの足元より、油ぎった節足動物がどこからともなく這い出てくる。

 ゴキブリのような汚い害蟲もいれば、ムカデのように脚が何本も生えた気色悪い害蟲もいる。蛾のように羽から鱗粉をまき散らす害蟲もいれば、シロアリのように小さな害蟲もいた。

 それらはパステルカラーに染まった街の景観とは真逆の、漆黒に塗りつぶされた仮想生物だ。


「オールレンジモード。セキュリティホールスキャン。一斉アクセス……」


 順番にコマンドを入力しながら、十本の指を広げてハンドシグナルを送る。そうすれば害蟲は、カサカサと生理的にも受けつけない足音を鳴らして四散し、そして周りを歩いている、バカで、間抜けで、無防備な大人の背中に飛びついた。

 害蟲はギザギザの歯を、大人が着ている小奇麗な服に食い込ませ、肉まで貫通させる。

 と言っても、その殺傷行為自体は痛みに直結しない。背中を噛まれている大人たちは、誰一人として害蟲の存在には気付いておらず、むしろリラックスしている。

 それもそのはず。害蟲に噛まれることで、その対象は。結果、伝達神経が鈍くなるというわけだ。野生の蚊が、気付かれずに人の血を吸うように、害蟲は大人たちが展開しているファイアーウォールを密かに破り、セキュリティをくぐり抜けている。

 数秒もすれば、大人たちの背中が大きく割れる。文字通りパックリと真っ二つに。

 その割れ目から、深緑色の発光体、精神情報アイドスが湧きだしてくる。それはまるで、傷口から漏れる血液のように、どくどく、と音を立てて垂れ流された。

 その精神情報こそが、の正体である。


「万事順調だな。さあ害蟲よ、餌を担いで戻ってこい」


 指を曲げクイクイと招けば、その命令を受信して、害蟲が列をなして戻ってくる。

 背中には奪取した精神情報が一つの塊となって付着している。それはまるで働きバチが花の蜜を被毛ひもうにくっつけて運んでいるかのよう。


「大量だな。くくく……」


 蟲遣いは盗んだ精神情報をつまみあげ、新規フォルダにドラッグ&ドロップさせながら、思わずほくそ笑む。


「害蟲よ、この調子で頼むぞ。警戒も怠るなよ」


 蟲遣いは指にはめられた十本のネイル端末を巧みに動かし、ハンドシグナルを維持したまま百匹前後の害蟲を操る。人々が行き交う大通り全体を害蟲の複眼で目視しては、一般人同士の些細な会話をも傍受し、周囲数十メートルという広域において、餌となり得る金持ちを探す。

 手元の透過ウィンドウ画面には進捗状況が表示されていて、10%、20%と勢いよくダウンロードバーは伸びていく。精神情報の強奪は万事順調に進んでいるようだ。

 このまま仕事が楽に終われば、夕方には天然モノの豪勢な牛ステーキにかぶりついて、仕事の成功を盛大に祝えるのだが。

 そうは問屋がおろさないのが、この街の裏の日常である。

 その時、ピコンと。

 耳障りな警鐘が鳴って『!マーク』が飛び出たかと思うと、ダウンロードバーが80%という数値のままフリーズした。


「――ボンジュール! ずいぶんと景気が上向きではなくって?」


 背後から女性の声がした。

 その憎たらしいほどにお嬢様な言葉遣いには、聞き覚えがある。


「やっぱり血の臭いを嗅ぎつけて現れやがったか。夏場の蚊よりもうざったい……」


 蟲遣いは「またか……」と、ウンザリしながら振り向いた。

 すると路地裏の奥から、こちらのことを一頻りに見つめる粘着質で生暖かい視線と、ぶつかってしまった。

 その視線の正体は、フランス人形のような容姿の小奇麗な少女であり、車椅子に座っていた。

 ウェーブのかかった巻き毛をフワリと肩へ落とし、長いまつげが揃った蒼い双眸そうぼうをパチクリさせている。そして白く透明感のある肌を魅せつけながら、動くことのない細い足をこちらに向けている。

 例えれば病人と見間違えるかのような小柄な少女だ。車椅子に座っているのだから、そう見えるのは至極当然である。

 けれど、そんな虚弱で臆病なイメージを覆してしまうほどに、少女の周りには、古代西洋風の無骨な殺傷兵器がいくつも浮かんでいた。

 マスケット銃。

 ガトリング砲。

 口径の広いカノン砲のようなモノまで――。

 それはまるで、戦闘用馬車チャリオットに跨る天使のような出で立ちだ。小柄な少女と無骨な兵器群との対比はあまりにも落差があり、見間違いかとその目を疑ってしまうほど。


重戦車ジャガーノート、またお前か」


 ドスを利かせた声で、蟲遣いはその少女のハンドルネームを口にした。


「あらいやだ。私をそのような野蛮なハンドルネームでお呼びになさらないで。私にだって、きちんとした表の名前があって、それは清楚で優美で勇敢で、まさにノブレス、オブリージュな名前であって――」

「うっせぇ。てめぇの本名なんぞ、道端の野糞よりもどうでもいい」

「下品な悪口で罵らないでくださらない? 乙女心が傷みますわ」


 重戦車は鼻を高々にして後ろ髪をかきあげる。無駄に滑らかなその髪は、周囲の仮想現実を巻き込んで、フローラルな香りを煌めかせながら肩を流れた。


「乙女とはよく言うぜ。てめぇが乙女なら、世の女性は全員が美少女だ」

「そんな……。私だって乙女心の一つや二つ……。是非ともその儚くガラスのようなハートを、蟲遣い様に磨いてもらいたい」


 ほら、私の胸の中を覗いてごらんなさい、とばかりに、重戦車は腕を広げてみせている。相変わらず、舞台女優のような仕草はオーバーリアクションだ。


「今回もやろうってのか? 野良犬みたいに縄張り争いをよ」

「理解が早いですこと。さすがは、私の見込んだジェントルマンですわ」


 重戦車は枯れ木のように細い指を下唇に持ってきて、「チュッ」とキスマークの仮想現実を飛ばした。

 すると、先ほどまで勢い良く伸びていたダウンロードバーの数値が、79%、78%、と減衰し始める。


「てめっ! 言ってるそばからハッキングをっ!」


 蟲遣いは慌てて自分のネイル端末に注視する。

 したらば保存先のフォルダに、兵士の姿を象った仮想現実が侵入してきているではないか。隊列を整えて、精神情報を重戦車の元へせっせと運び出している。

 どうやら、違法なスクリプトによる簡易的なハッキングを仕掛けられているようだ。そのせいで、収集した精神情報が横取りされている。


「この精神情報は俺のモノだ。人の食事中に箸を挟んでくるんじゃねぇよ」

「うふふふ。うふふふ。そうは言われましても、だって理性を保てませんわ。目の前に大好きなオカズが陳列されていたら、誰だって涎を垂らしてしまうでしょう? このメインディッシュは、ずっとずっと、待ちわびていたこと……」


 手の甲を口元に持ってきて、「じゅるり」と涎を拭ったあと、重戦車はついに本性をあらわし、髪を逆立てて狂乱した。


「蟲遣い様ぁ! この街において、凄腕と称させる『ヴィジュアルハッカー』。私は貴方の全てに見惚れてしまう! 貴方が盗んだ精神情報も、全て私の手中に収めたい! それは見紛おうなき憧れ、尊い愛のカタチ! だからだから、この衝動は抑えきれませんわ。ぶちまけてしまいたい……今すぐに……! 暴虐的に!」

「まぁた始まった」


 蟲遣いは肩を落として項垂れる。

 重戦車ジャガーノート。彼女もまた、蟲遣いと同業の『ヴィジュアルハッカー』だ。街行く大人から精神情報アイドスと呼ばれるデータを盗み、それを売買して生計を立てる、若者や子供の一人である。

 彼女とはもちろん仲間ではない。有限である精神情報を奪うモノ同士、蟲遣いと重戦車はライバル関係にある。

 だが、彼女にとっての優先順位こそ、生計を立てることよりも、ましてや精神情報を奪うことよりも、蟲遣いの仕事を邪魔することに固執している。

 それはなぜ?

 ようするに重戦車は、蟲遣いのストーカーだった。

 蟲遣いと重戦車が同業者である以上、精神情報を奪い合うという形で、頻繁に交戦してきている。その精神情報争奪戦の中で、蟲遣いは重戦車にどういうワケか惚れられてしまった。

 惚れてもらうのは悪くない。重戦車は美人であるし、車椅子に座る病弱そうな体つきも男性からみれば保護してあげたくもなる。

 けれどそれは、通常の愛とは少し違う。

 そもそも、闘争の中で生まれた愛などに、美しさなどは微塵もない。

 つまり重戦車にとっての愛とは、「戦いを楽しみたい」「ライバルを蹴落とせるのは私しかいない」そういった、エゴイストな解釈の元に形成されてしまった、ひねくれた性癖に他ならない。


「ボンジョルネッ! さぁ! 愛を賭けて殺しあいましょう! お互いの身体から精神情報が枯渇するまで、泥沼にはまったバラ色の戦いを! 永遠に!」

「だから、俺は愛なんぞいらないと何度も――」

「あはははは! おほほほほ! ヒーッひっひっひ!」

「聞いちゃいねぇ、理性が飛んだか」

「行きますわよ! 吠え面かきやがれですわ! 蟲遣い様ぁぁぁぁ!」


 ミザリー女は叫びながら中指のネイル端末を天に突き上げ、ハンドシグナルを実行し始めた。

 かなり複雑な実行プログラムを即席で組んでいるのだろう、爪の先のネイル端末は赤や青に忙しなく点滅している。


「爆ぜなさい! エクスプロージョン=エクスプローラッッ!」


 重戦車の叫びと共に発現したのは、戦車の主砲として備えつけてあるような、野太い砲身であった。その先端が蟲遣いの心臓めがけて予告なく傾いたのである。


「おいおい、いきなりメインウェポンかよ!」

「照準よぉぉぉし! アレーオンノンフェールッ!」


 やばい。と身構える暇もなく砲身に火が点いた。放たれた榴弾は弧を描き、蟲遣いの足元に着弾して、盛大に爆発する。

 ゴゴゴゴと、腹の底から沸きあがってくるような地鳴り。

 咳こむほどの砂煙。

 蟲遣いは爆風に巻かれ、その場から転げ回って蹲る。一張羅の黒いトレンチコートには火がつき、ぱちぱちと焼き焦げていた。


「……相変わらず、火力重視の戦い方だな。一人で戦争をおっぱじめるつもりかよ」


 蟲遣いは防御力の高い甲殻種の害蟲を数匹前に出し、盾にして、その爆風を凌いでいた。

 とは言うものの、周囲に爆散した細かい破片一つ一つを避けきることはできず、腕や脚には切り傷をいくつも負っている。

 その傷を見た重戦車は、口元に手の甲を添えて、「おほほほ」と、わざとらしく笑った。


「あらあら、カスった程度でその有り様とは情けないですわねぇ!」

「っち。誰のせいでこうなった……」


 蟲遣いの傷からは、赤い血などは流れていない。

 かわりに深緑色の液体が景気よく吹き出していた。

 重戦車が放った榴弾は、ヴァーチャル=ネストによって創造された仮想現実だ。その爆発に連動して発現した爆風もまた仮想現実であり、そして蟲遣いが傷を負った部位も仮想現実によるエフェクトの一種である。痛みも多少はあったが、それも仮想現実によって再現された架空のダメージ表現にすぎなかった。

 つまり、である。直接に人体には影響を及ぼさず、視覚野ヴィジュアルを通して疑似体験しているだけなのだ。

 だからといって、安々と相手の攻撃を受け続けるわけにはいかない。サイバー攻撃によってファイアーウォールやセキュリティが破壊、突破され、体内に蓄積している精神情報が流出し、枯渇すれば、その分だけシステムから


「どうしました! その程度じゃないのでしょう? 反撃……してらっしゃいな。いつになったら、私に咽るような愛を感じさせてくださるのかしらぁあぁあははは!」


 重戦車はその白い肌に似合わず、目玉を真っ赤に充血させていた。もはや発狂寸前といったご様子で高笑いし、内股になった下半身を小刻みに揺らしている。

 気持ち悪いったらありゃしないと、蟲遣いは口角をひくつかせた。


「愛だ愛だと馬鹿の一つ覚えのように叫びやがって。俺ははっきりと伝えたろ、てめぇの病的な愛情に答える男気はねぇってよ!」

「無くても結構。私は困難な愛ほどに、それを乗り越えようと奮闘する一途な女の子!」

「いっぺん『一途』の使い方を辞書で調べろ!」

「一途って、相手を殺したい時に使う言葉ではなくって?」


 彼女にとっての愛とは殺戮と同義。精神情報の奪い合いこそが彼女にとっての生き甲斐であり、彼女にとっての自己表現方法なのだ。それが、彼女が重戦車と呼ばれる所以。おしとやかな風貌とは真逆の、この世界でもっとも危険なヴィジュアルハッカーだった。


「てめぇと戦ったって何の利益にもなりゃしねぇんだよ! ハイリスクノーリターンの戦いなんぞに、いつまでも付き合ってられねぇぜ!」


 蟲遣いは踵を返して逃走に転じた。

 大人たちから奪取した精神情報は、70%弱はダウンロード済。まずまずの成果だ。ならば長居は無用。変態ハッカーと力比べをする趣味など無い。


「逃がしませんわよ!」


 重戦車は、今度は腕にガトリング砲のような仮想現実を引き寄せ、腕のアタッチメントプラグに装着した。ガション! ガション! とギミック音を盛大に轟かせながら次弾を装填し、そして片目を瞑り、照準を定め、トリガーを勢いよく引いた。

 薬莢が辺りに飛び散っては、発砲音が壁と壁との間を反響する。硝煙が重戦車の小さな身体を包みこみ、その細い腕は振動に震えている。


「……ぐあ!」


 逃げる男の背中に向って、銃弾の驟雨しゅううが降り注ぐ。当然、蟲遣いの身体には無数の穴が開いていき、あっという間に蜂の巣にされた。

 その穴から、血ではなく、蓄積していた精神情報が派手に飛び散る。

 致命傷だ。ほどなくして蟲遣いがまとっていた仮想現実はヴァーチャル=ネストから切り離され、亡骸は地面に伏した。


「……やりましたか?」


 眠るのように転がった亡骸の側へと、重戦車は車椅子を漕いで近づいていった。

 そして、その亡骸を、重戦車は冷めた視線で見下ろす。


「メールド……。これは偽物……。逃しましたか……」


 重戦車の言葉のあと、蟲遣いの亡骸は霧のようにボヤけて消えた。

 代わりにその場に残ったのは、一匹の小さな害蟲だ。ひっくり返り、脚をひくひくと動かして絶命している。

 そう、弾に撃たれたのは蟲遣いではない。蟲遣いが使役していた害蟲の一匹だ。その害蟲は擬態を得意としている。その生存能力を使い、あたかも蟲遣いが倒れたように見せかけたのだ。

 蟲遣い本人は、とっくの昔にその場から逃走していた。いつから? 最初の爆風に晒された時だ。あの時にはもう、すでに身代わりを用意していた。

 それを知って、重戦車は「……ッチ」と舌打ちする。


「蟲遣い様……。この夢現狭むげんきょうにて唯一、私と肩を並べることが許される最強のヴィジュアルハッカー……。貴方様は一体、何を望む……何を目標に生きる……? ふふふ……次に出逢う時こそは、この私が、その剥き出しになったハートを撃ち抜いてさしあげますわよ……」

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