第3話 大天使《ガブリエル》

「たとえ、百万の敵が立ち塞がっても助けに行くべきです。そうじゃないと、僕はゼクエル兄ちゃんに合わす顔がありません!」


 サムエルは、まだ幼い白銀の双翼を震わせながら声を張りあげた。


「あなたの気持ちは痛いほど分かるわ。サムエル。フェアリー・フェリスのお陰で、私たちは惑星要塞"エデン"の戦場から脱出でき、あなたのお義兄にいさん、魔導天使ゼクエルの活躍で天軍は全滅をまぬがれたわ……」


 大天使ガブリエルの黒い瞳がわずかに細められ、苦渋の表情が見てとれる。

 そこは、真紅の天軍旗艦ミルイールの作戦会議室である。

 六枚の白い翼をもつ、黒髪の大天使ガブリエルとその指揮下の【十二天将】がずらりと揃っていた。

 が、彼女達の表情も同じく冴えない。

 その理由は、天軍の最高指揮官、大天使長ミカエルの記憶喪失であった。


 部隊の混乱を避けるために緘口令かんこうれいがひかれ、その事実はまだ、天軍第一軍ミカエル旗下の【十二天将】と呼ばれる将軍たちと、第二軍ガブリエルの幹部のみにしか知られていない秘事であった。


 サムエルには未だ知らされていない。

 彼はまだ若輩であったが、天界第二階級、智天使ケルビムの位を持ち、技術将校の代表のひとりとして作戦会議に参加していた。


 平時の官僚組織においては、天界第八階級の大天使アークエンジェルはさほど重みを持たないのが常である。

 だが、一度、戦乱が生じると、天界全軍の司令官は大天使長ミカエルであり、天界第八階級の大天使アークエンジェルの指揮下に天軍全軍が従うというのが天界の掟であった。 

 それは先の天使大戦の功績もあったが、大天使アークエンジェルこそが天軍最強の部隊をようしていたからであった。

 

「現在、天軍の生き残りはこの旗艦ミルイールにいる、大天使長ミカエル旗下の第一軍と、私の第二軍のみ。うかつに動く訳にはいかないのよ。フェアリー・フェリスの乗艦シルバーソードは、すでに魔天使デミウルゴスの大軍百万あまりに包囲されつつあり、残念ながら、今の天軍は救出のための援軍を出せる状況ではないわ」

 

 苦しい選択であったが、ガブリエルの立場ではそれも無理もなかった。

 だが、サムエルはなおも食い下がった。


「それは分かってます。だけど、それでは天界の正義はどこにあるのですか!何のためにゼクエル兄ちゃんは犠牲になったんですか!」

  

「………」

 

 ガブリエルに返す言葉はなかった。

 居並ぶ天軍第二軍の【十二天将】も沈黙を守っている。


「サムエル、もういいだろう」


 漆黒の髪と肌ををもつ男が口を開いた。

 パミール・フェノン、青い翼をもつ天使のひとりで白い翼が多い天界の天使の中では異彩を放っていた。


「パミール隊長、それではフェアリーさんは見殺しに―――」


 サムエルは涙を浮かべながら、言葉をつまらせた。


「いや、俺たちで助けにいけばいい」


「そうですね」


 サムエルは半笑いで笑顔を見せた。


「ガブリエル様、失礼しました。今日は退席させて頂きます」


 パミール・フェノンは丁寧に敬礼すると、サムエルを伴って丸い透過ゲートを通って作戦会議室を後にした。淡い光が透過ゲートをつつみ、しばらくゆらめいていた。

 そのとたん、会議室に安堵のため息がもれた。


「ガブリエル、サムエル達はどう動くかしら?」


 第二軍の参謀を務めている、メリクルが最初に口を開いた。

 赤毛で赤い羽根をもつ、それでいて青色の双眸をもつ天使で【十二天将】のひとりでもあった。


「第一軍の天才軍師パステル次第ね」


 それまでの神妙な面持ちとうって変わって、ガブリエルは黒い瞳を細めて笑った。


「パステルちゃんですか。でも、あの天使は気まぐれですからね。行動が予測できないというか、私にもさっぱり読めません。しかも、猫耳ですし」


「猫耳はともかく、あの天使は天才よ、メリクル。第一軍のことは彼女に任しておくしかないわ。サムエルについても同様よ。今は私たち第二軍がここを守るしかないのよ」


 ガブリエルは特徴的なピンク色の猫耳をもつパステルの姿を思い浮かべながら少し温かい気持ちに包まれたが、語尾は自分を戒めるようなつぶやきに変わっていた。


 実際、生き残っている四大天使のひとり、ラファエルの第三軍の被害は甚大で半数の将兵を失っていて「ミルイール」の後方居住区で負傷兵の治療に専念していた。


 第四軍のウリエルに至っては、天軍後退の殿しんがりを務めて奮戦したおかげで部隊の三分の二の兵を失っていて、義勇軍から補充兵を選抜、「ミルイール」の練兵場で再訓練に忙しいと聞いている。


「現状、天軍十二軍のうち、生存が確認されてるのが四大天使の四軍のみで、まともに機能してるのは、我がガブリエル隊のみですからね。後の部隊は長距離ワープで後退した部隊もいるでしょうが、散りじりで連絡が全く取れていません」


 天軍最強の防御力を誇るガブリエルの第二軍であるが、天界の宰相メタトロンの命令で辺境惑星探索任務に赴き、惑星要塞"エデン"を留守にしていた。

 その隙を狙われたのは明らかだった。


 もし、ガブリエルの第二軍がいれば、天軍の崩壊はかなり防げたはずで、その責任を感じていることがガブリエルを頑なにさせてもいた。

 今、彼女の双肩には天界の運命が重くのしかかっていた。

 そんな気持ちを察してか、メリクルは敢えて話題を変えた。


「そういえば、あの青い翼の天使のひとり、コーシ・ムーンサイトの話はご存知ですか?」


「……え? 初耳だけど、誰なの?」


地獄ゲヘナに落ちてたらしい、第一軍の機動突撃艦ブラックソードの艦長を助けて、今、サムエルの側にいる男ですよ。ブラックソードの艦長のタイガルと言えば偏屈者で有名で、それがその男に心酔して剣を捧げたらしいです」


「タイガルと言えば、トラ耳の怪力無双の天使ね。……その男の素性は?」


 ガブリエルの黒い瞳に好奇の感情が宿っていた。


「どうも、火星世界でフェアリー・フェリスの上官だった男で、かなりの騎士だと聞いています」


「……火星転生組という訳ね。メリクル、あなたの意見を聞きたいのだけど、天界に伝わる『青い翼の天使の伝承』についてどう思ってるの?」


「それは『青い翼の天使が現れる時、はじまりの世界樹ユグドラシルに時の女神が宿る』という古き伝承のことですね」


 メリクルは天使の学校で毎日唱えられる聖句を口にした。


「そう、この天軍の旗艦ミルイールは、かつて銀河系の辺境からの移民船だったとも伝えられているわ。だから、天軍十二軍の全ての将兵と戦艦を収容できるほどの巨大な宇宙船であり、中央天球居住区には『はじまりの世界樹ユグドラシル』があるとの言い伝えがある。これは偶然かしら?」 


「うーん、それは、正直、何とも言えません。『時の女神ルナ』といえば、冥界の女王とも言われていて、天界と冥界を行き来し、火星世界の地上界でも信仰されていたと聞いています。それが何を意味するかは、最も古き天使と呼ばれる天界の宰相メタトロンにでも聞きたいところですね」


 メリクルはおもわずため息をついた。


 ガブリエルは静かに目閉じて、天使の学校にあった彫刻レリーフを思い出していた。

 『はじまりの世界樹ユグドラシル』の周りを青い翼の天使が飛び回り、天上には『時の女神ルナ』が聖なる光をまとって飛翔してる図柄だった。


 『時の女神ルナ』は右手に黄金の剣がもち、左手には魔法の杖を携えている。

 剣と魔法の女神だとも言えるが、それが何を意味するかは、今のガブリエルには全く想像がつかなかった。


 ふと、ある言葉が心に浮かんだ。


 魔導天使まどうてんし、天界の存在する異形の天使の名であった。



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