第一章 恋も病熱
都立瀧沢高等学校新三年生の榊原龍一は、クラス発表の紙を一組から順番に目を通していた。「さ」とか中途半端で探しにくい、と彼はいつも思う。いっそ「あ」とかから始まってくれれば、一番上を探すだけで済むのに。
三組のところでやっと自分の名前を見つけ出した。ざっと下まで目を通す。友人も何人かいるようで、ひとまずそれには安堵した。
三年間変わることのない、使い慣れた下駄箱から上履きを取り出し履き替えると、三階に向かう。
『おお、こっくりさんに憑かれた兄ちゃんが来たぜ!!』
階段を上っている途中で、幼い男の子の声がして一気に龍一は眉をひそめた。
『少年よ、何組だ!?』
右手の指を三つ立てる。
『そうかそうか、三組か! よっし、今年は三年三組に入り浸ろう!!』
龍一の周りをうろうろと飛びながら、学生服を着た幽霊“ちぃちゃん”は笑った。
春休みは決して長くない。たった二週間だ。
その二週間で自分ほど何かが変わった人間はいないだろう、と龍一はよくも悪くも自負していた。
春休み前からの出来事になるが、どういうわけかこっくりさんに憑かれるという常識的にありえない経験をし、それを助けてくれたある祓い屋の女性、大道寺沙耶に恋をし、彼女が働いている事務所でバイトをはじめ、彼女の過去や秘密を知って、そんな彼女を励ますために泊まりで出かけたりした。場所は龍一の祖父母の家、目的は星を見に、だけど。
そんな中で彼は、幽霊が見えるというまったく一般的でない技能を手に入れた。いや、沙耶の傍にいるためには幽霊ぐらい見えたほうがいいのか? なんて自問自答する日々。
そして、この学校のOGでもある沙耶の知り合いのこの幽霊“ちぃちゃん”にもすっかり目をつけられた。
平穏な学校生活は、夢のまた夢らしい。
ひそかに龍一はため息をついた。
『しかし、あれだな。今年は三組は当たり年だな』
うろうろしながらちぃちゃんは呟く。
「?」
『龍一だけじゃなくて、あいつも三組にいるんだもんな。こりゃもう、居座るしかないな!』
ちぃちゃんは朗らかに言い切る。
「あいつ?」
小さく呟くが、一人で騒いでいる幽霊の耳には届かない。この場で問い詰めるわけにも行かず、とりあえず龍一は三組のドアを開けた。黒板にはってある座席表から自分の出席番号を見つけると席に着く。友人たちは誰も来ていないようだ。暇つぶしにケータイを取り出したところで、
『お、きたぞ』
ちぃちゃんの呟きに一瞬眉をひそめる。
机を一つ挟んだ斜め前に座っていた男子生徒が、ゆっくりと立ち上がると、龍一の前に立つ。
「君が榊原龍一君だね?」
「? まぁ、一応」
誰だよお前。のどまででかかった台詞を飲み込むと、
『こいつはあれだよ! 巽翔、沙耶のねーちゃんの同業者だ』
ご丁寧に頭上でちぃちゃんが解説してくれた。ああ、そういえば同じ学年に寺だか神社だかの息子とかいうなんかむっつりしたやつがいたかもなぁとか思う。
翔はじっと龍一を見下ろしていたがふん、とひとつ鼻で笑った。
「円さんが大絶賛していたからどんな人間かと思ったが、存外つまらない人間だな」
「巽は面白い人間だな」
頬杖をついたまま龍一は言葉を返す。今の一瞬で巽翔を敵と彼は認識した。そう、例えば一海直純と同じような嫌なタイプ。
「初対面の人間をつまらないとか評価するなんてそうそうできることじゃないよ」
苦手なタイプにはさらりと嫌味をいってしまうのが自分のいいところでもあり、悪いところでもあると龍一は思っていた。でも今は正解。攻撃は最大の防御なり。
思わぬカウンターを喰らって翔はぴくりと眉根を上げる。ちぃちゃんがにやにや笑いながらそれを見ていた。
「まぁなんでもいいが忠告しておく。金輪際あの事務所には出入りするな」
「なんでお前にそんなこと」
「彼女と君はつりあわない」
さらりと吐き捨てられた。自覚していることだけに、重かった。
「君じゃ彼女の足手まといになるだけだろう? 君は何にも知らないくせに、彼女の隣にたてるとでも思っているのか?」
優越感に満ちた顔。足手まとい、そんなこと、自分が一番知っている。だけれども、だけど、それでも、
「おれ、は」
顔をあげて口を開きかけたそのとき
「こずちゃーーーーーん!!」
ばぁぁんっとドアを開けて、スカートを翻して、立っている翔を突き飛ばして、台風のような子が入ってきた。龍一の二つほど斜めに前に座る女子生徒に抱きつく。
「またおんなじクラスだね! キョウちゃんうれしい!!」
「キョウちゃん?」
体制を立て直している翔に敵ながらわずかな同情心を向けると、自分の辞書にはない単語に龍一は唇をゆがめた。そんな、高校生にもなって自分を名前で呼ぶなよ。
「杏子」
“キョウちゃん”を振りほどいて、抱きつかれた女子生徒はため息をつく。
「巽に謝りな」
「え、あ、ごめーん」
「杏子!」
校則違反の明るすぎる髪の頭をぴょこんとさげて軽く謝る“キョウちゃん”に、抱きつかれたショートカットの女子生徒は一つため息をつくと、翔の方を向いた。
「悪い、巽」
「うん、慣れてる」
翔は体制を取り直すと、不承不承といったていでうなずいた。
「ん、悪い」
女子生徒は気まずそうな顔をしてもう一度言った。そして、あっけにとられて状況をみていた龍一の方を向き、
「えっと」
小さく首を傾げる。
「榊原。榊原龍一」
それを名前の確認と受け取り、龍一は端的に名乗った。
「ん、榊原、ね。私は海藤こずも。でこっちが」
「西園寺杏子です!」
こずもに指さされ、何が楽しいのか杏子が片手をあげてそういった。
「巽君、今年もよろしくね」
そのまま杏子は翔に向き直り笑う。ひきつった笑顔で翔は小さく笑った。ということは、翔は去年もこんなのと同じクラスだったのか、と敵ながら少しだけ龍一は同情した。
と、思っていたら、杏子は龍一の隣の席についた。
「榊原君、お隣だね、よろしく」
同情している場合ではなかった。にっこり笑って言われても、龍一はただただ、はやく席替えが行われることを祈るだけだった。
「ねぇ、榊原君ってこのまえこっくりさんに憑かれたって本当!?」
祈りもむなしく、西園寺杏子はとんでもない爆弾発言をさらりとした。噂になっているのか、周りの視線がちらちらとこちらを伺ってくる。
「杏子!」
こずもが慌てて杏子の頭をはたく。
「なんでそういう無神経な事言うの! ごめんね、榊原」
「いや」
翔は腕組みをして龍一を見る。
「えー、キョウちゃん何か悪い事いった?」
はたかれた頭を抑えながら、不満そうな声を杏子はあげる。
「もし仮に、こっくりさん何かに憑かれたとして、そう簡単にそうですなんて答えると思いますか?」
とっさに敬語になる。攻撃は防御だ。
「そんなもの、いるんだとしたらだけど」
『いや、いるけどな』
頭上でちぃちゃんが言った。知っているってば。
巽翔は巽翔で睨みつけるような顔をしている。だから、いるのは知っているってば。
「ん〜?」
杏子はなんだか納得のいかなさそうな顔をして首を傾げた。
「榊原君は、幽霊とかいないと思ってるの?」
「いてもいい、と思っている」
それがこの状況で彼が言える最大限のちぃちゃんに対する配慮だった。
それをちゃんと感じ取ってくれたのか、
『まぁ、今日のところはそれで勘弁してやろう』
頭上でちぃちゃんは寛大に頷いた。斜め後ろの翔は相変わらず怖い顔をしていたけれども。
「ふ〜ん」
杏子は納得しているのかしてないのか、どうでも良さそうに呟いた。
「あんたは、自分で尋ねておいてその態度」
あきれた、とこずもが小さく呟き、
「こんな子なんだけど、よろしく」
龍一に向かって言った。正直、あんまりよろしくしたくなかった。
「榊原」
後ろからかかった冷たい声。振り返る。
「なんだよ」
眉間のしわをそのままに、巽翔は告げた。
「ともかく、君はこれ以上関わるな」
「だからなんでお前にそんなこと」
翔は龍一の机の上に手をおくと、小さく、低い声で忠告した。
「今の会話一つ、満足に受け流せないようなやつが、彼女の役に立つとおもうのか?」
返す言葉がなかった。
黙った龍一に、勝利の笑みを向けると翔は自分の席へ戻った。
それでも、俺は、
「おはようございます」
大道寺沙耶がいつものように事務所のドアを開けると、そこには一海円の姿だけがあった。
入り口のホワイトボードの自分の欄にマグネットをつけながら、他の二人の予定を確認する。
「二人とも出張か」
「ん」
気のない円の相槌を聞きながら、一番下に線の細い字で書かれた名前を見る。榊原。
ここの隣に出勤を表すマグネットがはられることはもうないのだろうな、と思うとすこぅしだけ胸が苦しくなった。
「龍一君がいなくて寂しい?」
先ほどまで書類を睨んでいたはずの円は、書類から顔を上げ、にやりと笑う。
「全然」
見透かされていたことに少し後悔をしながら、強く口調で言い切ると、彼女の向かいに座った。
「学校なんだし、学生なんだし別に」
「ふーん」
にやにや笑う円の視線を避け、今日午後から手がける事件のファイルを取り出す。
「あ、学校といえばさ」
「ん?」
「巽のおぼっちゃま、龍一君と同じ学校でしょう?」
「あー」
巽翔。巽の宗主の息子、次期宗主。
元来、主義主張が一致しない一海と巽の両家は対立関係にあった。しかしながら、時代の流れにより、“見えない”人間が生まれることも多く、淘汰される家系もある。そんな中で両家の宗主はお互いの主義主張のずれには目をつむり、場合によっては手を組むことを決意した。
そんなわけで、お互いの力や弱点を確かめ合うために合同調査がたびたび行われ、円はもちろん、沙耶も巽翔との面識はあった。
「そっか、翔くんも瀧沢か。ん? 龍一と同い年?」
「えーっと、そうね」
「ふーん。じゃあ、同じクラスになったりするってこともあるのか。仲良く……」
仲良くしてくれればいいけど、と言いかけて、沙耶は自分の知っている巽翔の姿を思い出した。冷静、冷徹。根は悪い子ではないのだけれども、言葉が足りなくて誤解されがち。誰かとつるむことを嫌い、一人でどうにかしようとするタイプ。円に言わせると、「無駄に冷静」。
沙耶の知っている巽翔は、沙耶の知っている榊原龍一とはとても相容れそうになかった。
「なれるわけない、ね」
苦々しく呟くと、向かいで円が大きく頷いた。
「あのね、あのね、こずちゃん、キョウちゃんね!」
「なに?」
トイレの流し場でこずもは、いつものように浮かれた声をあげる幼なじみを横目で見た。
「榊原くんのこと好きになっちゃった」
本人としては小声で言っているのであろう、それでも十分に大きな耳元での内緒話に眉をひそめる。声の大きさと、内容に。
「はい?」
「だって、素敵じゃない」
うっとりと、夢を見るかのように鏡の上のほうを見つめながら、杏子は続ける。とりあえず、杏子が流しっぱなしにしている水を止めた。
「あの、私たちに対してはクールなのに」
「クール?」
「巽くんみたいな仲のいい子の前では」
「仲のいい?」
「素直な自分を見せる感じ!」
「素直?」
おおよそ、自分のとはかけ離れた榊原龍一像にいちいちつっこみをいれるが、もちろん杏子の耳には届いていない。
「素敵よねー。なんか、今までにいなかったタイプ」
最後のだけはニュアンスは違うが同意だった。
「杏子……、塚本はいいの?」
去年まで熱を上げていたクラスメイトの名前をあげると、
「だって、塚本君彼女できちゃったし。それにやっぱり、榊原君の方が断然かっこいいよ」
はぁ、とわざとらしくため息をつく幼なじみを見て、こずもは同じようにこちらは心からのため息をついた。
この幼なじみの惚れっぽさは熟知していた。なにせ、いつもその事後処理に駆け回るはめになるのは自分なのだから。
先ほど話した印象では、榊原龍一は、人をみて態度を使い分ける喰えない人間で、おおよそ幼なじみの恋人にはふさわしいとは思えない。しかし、そんなことをいって杏子があきらめるとは思えないし、それについてはこずもが心配するまでもなく、榊原龍一が杏子と付き合うということはあり得ないだろう。さっき、露骨に嫌がっていたから。
こずもはあまり龍一のことを好きではなかった。ならば、今回は杏子の暴走を多少放置してもあまり心が痛まない気がする。
そんな自分勝手ともとれる理論を脳内で繰り広げると、
「まぁ、頑張りなさいよ」
無責任とも言える軽さで、幼なじみの恋路を応援した。
「うん!」
そんなこずもの内心の葛藤に気づくわけもなく、杏子は大きく頷いた。
「榊原くーん」
トイレから戻った途端、榊原龍一のところに嬉しそうに駆けて行く杏子を見ながら、こずもはゆっくりと自席についた。その行動力だけは、たまに見習いたい。ほんと、たまに。
「今日、一緒に帰らない? お家どこ?」
「え、あの」
ちらり、とこちらを伺ってくる龍一の視線を感じながら、こずもはケータイに視線を落とすふりをした。今回は、何にも口出しをしない。そう決めた。今決めた。
「ええっと、僕はこのあと寄るところがありますんで」
「そうなの? 終わるまで待ってるよ」
「あー、人と会う約束があるっていうか」
二人の掛け合いを顔を上げないまま聞く。いやならばいやだとはっきり言えばいいのに。杏子に期待を持たせるな。榊原龍一の優柔不断な物言いが、こずもにはどうにも好きになれない。
そんなこずもと同じように二人の会話を不愉快に思っている人物がいた。
「数学が苦手で、もし得意だったら教えてほしいな」
「いや、僕文系なんで。と、いうかここ文系クラスですし、理系クラスの人に聞いた方が……」
二人が、主に杏子がごたごたと話合っているうちに、帰りのSHRも終わり、龍一は逃げようと鞄を持って立ち上がり、
「どこに行くって?」
目の前に不機嫌そうな巽翔が立ちはだかった。
「……関係ないだろ」
「君はこれ以上、首をつっこまない方がいい。君がけがをするだけならまだしも、事務所の人たちに迷惑をかけることになるだろう?」
不遜ないい方に唇をかむ。そんなこと、言われなくても分かっていた。
翔はそんな龍一の様子をみて満足したのか、小さく笑い、
「おとなしく真っすぐ帰った方がいい。なんだったら、彼女と一緒に」
そういって、ぼけっと二人の会話を聞いていた杏子を一瞬だけ見た。
「僕はこれから、彼女と合同での仕事があるから行くけれども」
杏子に聞こえない程度に小さい声でそう言うと、何も言い返せない龍一の前を優雅に通りすぎて行く。
『こえー。あんまり気にしない方がいいぞ、龍一』
頭上でちぃちゃんがフォローの声をかけてくる。
それでも、それでも、俺は、
「おはよう、翔君」
待ち合わせ場所である駅前で、大道寺沙耶の姿を見かけると、翔は少しだけ眉をあげた。
「珍しいですね、沙耶さんなんて」
「円姉、別件があるから」
行きましょうか、と歩き出す。
月に数回行われる、巽と一海の合同捜査。大抵の場合、一海の担当は円だが、今日は珍しく沙耶が担当だった。
「翔君、龍一に会った?」
歩きながら沙耶が尋ねる。
「ええ、同じクラスでした」
「あら」
沙耶は少しだけ驚いて隣の少年を見ると、
「仲良くしてあげてね」
無理そうだなー、と思いながらもそう声をかけた。
「それは、向こう次第ですね」
しれっと、翔は答えた。
調律事務所と書かれたドアの前で、龍一は一つ大きく息を吸った。
足手まといかもしれない、それでも、俺は、ここに来たいと、役に立ちたいと、そう思う。
自分の中でそう結論づけると、いつもより少しだけ勢い良くドアをあけた。
「こんにちは」
出来るだけ微笑みながら中に入ると、そこにいたのは円だけだった。
「あら、こんにちは」
ちらり、と入り口のホワイトボートを見る。沙耶の欄には合同調査0415と書かれている。
「沙耶ならさっき出て行ったところよ。待っていれば帰ってくるけど、どうする?」
「待ちます」
いつもならば、そのからかいの言葉に反応するところを即答した。あら、と円が小さく呟いた。
「珍しく素直じゃない。どうかしたの?」
「合同調査、って巽翔とですか?」
「ええ」
円はペンを置き、頬杖をつくと龍一に向いの席に座るように勧めた。
「会ったの? 巽のおぼっちゃまに」
「同じクラスでした。俺はもう、ここには来ない方がいいと言われました。足手まといになる前に」
龍一の言葉に、円は一つため息をついた。
「ほんと、おぼっちゃまはおぼっちゃまなんだから。昔からそういう物の言い方する子だから、気にしなくていいわよ」
龍一は首を横に振った。言われた事だけは、確かに事実だった。
「円さん」
事実だから、こそ、
「なぁに?」
「よかったら、でいいんですけど、沙耶の昔の事とか。そういうの、差し障りのない範囲でいいので話してもらえませんか?」
事実だからこそ、少しでも近づける自分でなければならない。開いた距離も少しでも縮まるように、せめてこれ以上開く事がないように。
それはある種の覚悟の現れで、
「いいわよ」
円はゆっくりと微笑んだ。
「本当に一番最初、沙耶がうちに来た時のことでいいならば」
「お願いします」
「後戻りは、出来ないわよ?」
頭を下げる龍一に悪戯っぽく笑う。
そうして円は祈るように指をくんだ。
「あれは、今から何年前かしら? 私と直純が中学生の時。今よりももう少しあとぐらいの時期、ハナミズキの季節だった」
そうしてゆっくりと話始めた。
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