第5話 暴走
さきほどの穏やかな雰囲気とは違い緊張感ある空気がそこには漂っていた。
池田に語りかける宏太の顔はいつものおちゃらけた表情とは違いひどく真剣な顔をしている。
その張り詰めた雰囲気にあてられたかのように空が曇り始め、天気が崩れ始めた。
「翔兄ちゃん俺と戦ってくれよ。少しでも早く強くなりたいんだ」
「宏太。俺と昔した約束を覚えてるか?」
池田はクーラーボックスからミネラルウォーターの入ったペットボトルを取り出した。
「力だけが強さじゃないだろ。それでも機会があるなら少しでもそれに手を伸ばしたいんだ。頼むよ翔兄ちゃん」
「……しょうがないな、今回だけだぞ。雨が降る前に終わらせてやる。恵美、適当に場所借りるぞ」
「仕方ないな二人ともあんまり壊さないでくれよ」
庭先に場所に移動するなか玉砂利を踏む音だけが周りに響く。祐輔はなんだか居たたまれなくなって志弦に声をかけた。
「いったいなにをするんですか? なんだか二人ともやけにやる気だけど」
「能力を使った普通の訓練ですよ。ただ翔さんはかなり強いので毎回宏太は負けてるみたいですけど」
「宏太より強いんですか!? あいつにボコボコにされた身としてはさらに強いというのはいまいち想像しにくいですね」
「翔は能力者のなかではかなり上位の実力者だからな。いい機会だから島田君もよく見ておくといい。能力とはいったいどんなものなのかをね」
移動した場所は前回祐輔が宏太にやられた場所だった。
池田は砂利を蹴飛ばし、円を描く。
「このあと俺も仕事あるから手短にということで今回は十分以内に円の中から俺を出すことが出来たら俺の負けということにしとくかな。あと使うのはこの一本だけ」
池田はさきほど取り出したペットボトルを見せる。
「わかった。その余裕あとで後悔させてやるよ」
「宏太がんばって~」
可愛らしい声援が飛ぶなか互いに距離をとり、宏太は静かに拳を握って構えを取る。その表情は実に嬉しそうでやる気満々だ。
「それでは私が審判を務めるとしよう。装置を起動するぞ」
宏太が構えをとる。池田は余裕の表れなのだろうか、ポケットに手を入れて立ったままだった。
発動機がうねりを上げる。
「それでは模擬戦はじめっ!」
恵美の合図とともに宏太が駆けた。祐輔には動いたことすらわからなかった。
この前志弦と戦っていたときよりもさら早い。十メートルほどあった二人の間を黒い影が走ったと思えば、それは一瞬で池田にぶつかっていった。
聞こえてくるのは硬いものを上から叩いたときのような鈍い音。
「やるじゃん、宏太。会うたびに速くなってくなお前は」
満面の笑みの浮かべて池田はなにごともなかったかのように佇んでいた。
顔に殴りかかろうとしたのだろう。宏太の右拳は池田の笑みの数センチ手前でなにかに押しとめらているのかぴたりと止まっている。
「一体なにが……?」
「池田の周りをよくみてみろ。見えづらいから目をよく凝らしてな」
初撃を止められてしまった宏太はなんとか一撃をいれようと次々とラッシュを仕掛けるが、全て見えない何かに阻まれる。
池田が右手をポケットから出すと同時に宏太は勢いよく吹き飛ばされ、元いた場所より遠くに飛んでいった。
ひらりと蝶のように華麗に着地する。吹き飛ばされたことなどなんてことないようだ。
「さっすが、翔兄ちゃん。これだからやりがいがあるってもんよ!」
宏太が再度加速する。
何度も池田に拳を打ち込んでいるがどれもさきほどと同じように眼前で止められているようだ。
その様子を注意深く見ているとひとつのことに祐輔は気づく。
宏太の拳が見えないなにかに止められる瞬間、目を凝らさなければわからないほど薄っすらとした透明な何かがそれを受け止めているのだ。
「……あれは水の膜?」
「そうだ、よくわかったな」
池田の足元にはさきほど取り出したペットボトルはいつのまにか空の状態で転がっている。
その水を利用して能力を発動しているのだろう。
池田の右手には薄っすらと水の膜に覆われていた。
その膜は池田を基点として宏太の拳がぶつかる瞬間に凝縮して壁になり、攻撃を防いでいたのだ。
見えづらいのは水が霧のように細かくなっていたせいだと思われる。
「ちょうどいいから島田に説明しておいてやろう。能力が発動するための条件はひとつ。自分の適正にあった触媒が肌に直接触れているだけでいい」
「肌に直接ですか?」
「ああ、池田の右手をよく見てみろ。そこだけが水に触れているだろ」
よく見てみるとその通りだった。
先ほどから宏太が拳や蹴りを立て続けに打ち込んでいるが池田は軽く手を振ることでそれを受け止めている。
よく見てみると右手首から先だけがうっすらと水を纏っていた。
「翔が能力を右手だけに絞っているはおそらく水が少ないのと宏太へのあいつなりのハンデだろうな」
そうなると池田の触媒は水なのだろう。そして祐輔はひとつの疑問に行きあたった。
「それなら宏太はいったいなんの触媒が必要なんですか? 見たところなにも触れているようには見えませんが」
「それは残念ながら研究途中でまだわかっていないのが現実だな。だが一説によると――」
ずんと重い音が二つ。
会話に意識がいっていたので終始二人を見ていたわけではないが、光景は先ほどと余り変わっていない。
拳を突き出す宏太と変わらずそれを受け止めてる池田。
代わらぬ光景とは対照的に拳がぶつかる音は次第に鈍く重くなっていってるのがわかる。
「――それは時間じゃないかといわれている」
宏太は猟犬を思わせるような獰猛な笑みを浮かべ、池田はニヒルに笑いまた拳が交わされる。
もはや素人が目で追えるレベルではなかった。
「一体なにが起こってるんですか」
風船が割れるような音が響く。宏太が水の壁を突破した音だった。
しかし壁を破ったことで勢いを失った拳は池田さんからあっさり受け止められてしまう。
「ほう、ついに池田の守りを突破することが出来るようになったか」
「本当に宏太すごいねえ、私なんか一回も突破できたときないのに」
「驚くべき成長スピードだ。本当に将来が恐ろしいよ」
嬉しげに二人を見つめる恵美と志弦。
祐輔には強さの基準がわからないのでなんともいえないが、凄まじいことだということは祐輔にもわかる。
池田は受け止めた宏太の拳を手に纏った水を触手のように変化させ絡めとろうとする。
宏太はそれを腕力で強引に千切り飛ばした。
しかし易々とやられる池田ではない。焦ることなく千切れて短くなった無数の触手を操り、散った水を回収して一瞬で元の大きさへと戻した。
そのまま攻めをいなされた宏太は再び腕を絡めとられ、勢いのまま放り投げられる。
十メートルほど飛ばされ、また二人のあいだに距離ができた。
「成長したな宏太。まさかこうも簡単に守りを突破されるとは思ってなかったよ」
池田に浮かぶのは満面の笑み。まるで子供のようにはしゃぐそのきらきらとした表情は見ているとなんとなく眩しさを覚える。
「おいおい、翔兄ちゃん。こんなんは小手調べさ、これぐらいで驚いてもらっちゃ困るぜ!」
「そいつは楽しみだな。だったら出し惜しみはしないほうがいいぜ。なにせあと三分しかないからな!」
言葉と同時に右手を覆っていた水に変化が現れた。纏っていた水の一部が水滴となって宏太へ勢いよく飛んでいったのだ。
たまらず宏太は横に動いてそれを回避する。
水滴が当たった場所には弾痕のようなあとが残された。
「え、あれって当たるとまずいんじゃないですか?」
「宏太なら心配ないさ。あいつの能力は身体能力をあげる」
次々と水滴を回避する宏太。水は少しずつ減っているようだが、時間制限があるいまのルールでは非常に有効だ。
このままペースを握られてジリ貧になり時間切れになってしまうのは誰が見ても明らか。
宏太のそのことがわかっているのか、焦りの表情を浮かべている。
「どうした、これだけでおしまいか。せめて一発くらいはいい所を見せないと志弦ちゃんに幻滅されちゃうぞ」
「うるせぇ! だったらやってやろうじゃないかよ」
そして宏太は避けることをやめた。
愚直なまでに正面から立ち向かっていった。
「うぉおおおおおお!!」
拳を振るい水滴を叩き落す。だが当然全てを落とすに至らず、打ちもらした水滴は宏太の体に次々と切り傷を作った。
猛牛のようながむしゃらな突進。頬の傷から血が流れるのも構わず、宏太は進む。
――いったい何が宏太をそこまで駆り立てるのだろう。
まだ中学生だというのに、子供ゆえの一途さからだろうか。それでもあれほどの怪我をしてもがんばりたいと思う子供は普通いないだろう。
それほどなまでの恐ろしいまでの気迫だった。
弾丸のような雨を強引に突破し再度池田まで肉薄する。
「ただ受けてるだけじゃ俺には近づけないぞ宏太」
池田は残り少ない水をまた触手のようにひょろ長い形へ変える。また絡めとられたら宏太の体力的にまた攻め込むのは厳しいだろう。
また水の壁を張る様子は見られない。どうやら真正面から受けてたつようだ。
触手が伸びる。宏太はそれに拳をぶち込んだ。
衝撃を受けては形を大きく歪ませるが、威力が足りなかったのか止めるには至らない。
触手は構わず宏太の右腕に絡みついた。
「そう何度もやらせっかよ!」
空いたもう左手から手刀を繰り出し、まっすぐに振り下ろす。右腕に絡みついた触手は千切れ、本体との繋がりを失ったそれは元の液体になって重力に従って地面に向かって落ちていく。
池田は焦ることなく触手を鞭のようにしならせ薙いだ。
その軌道は落下中の水を触手により回収しつつ、威力を挙げ、宏太に攻撃を加えるという計算されつくした一撃。
このままではさっきの光景の焼き増しであろう。だがさきほどと致命的に違うことがあった。
さきほどまで落ち着きを払い、焦る様子などまったく見せなかった池田の顔が驚愕に染まったのだ。
なぜなら地面へとまっすぐに落ちていくはずの水滴。落下する途中で触手とぶつかるはずであったそれがその寸前で停止したのだ。
空中に微動だにすることなく。
それこそ――まるで時が止まったかのように。
慌てて触手を水滴へ向かわせようとするが、勢いづいたそれは急な軌道操作は間に合わず。
その隙は余りに致命的なものだった。
「くっ!」
すでに池田の目の前には宏太の拳が迫っていた。
拳と鞭が交差する。しかしさきほどの一撃で小さくなった触手では攻撃を受けきるチカラが足りなかったのか受け止めきれず、弾け飛んだ。
そのまま池田へついに一撃を与えるかに見えた。
「水よ荒ぶれ」
池田が一言つぶやく。
そのまま水を纏った手のひらで池田は宏太の拳を受け止めてる。
さきほどの猛攻がなんでもなかったかのように軽く。
そして宏太が弾け飛んだ。
いままでの打撃音が気にならなくなるほどの爆音。水中で爆発でも起きたかのような重低音が鳴り響く。
池田の手のひらから蒸気が立ちのぼっている。
飛ばされたその小さな体は受身も取れないままにぐるぐるとなすすべもなく吹き飛んでいって何回か地面をバウンドしたあと樹にぶつかって止まる。
「それまでだ。志弦すまないが宏太を治療してやってくれ。あの様子だと手ひどくやられてるだろう」
「わかった。なんでこう男の子ってのはこうも無茶するんだか…… 宏太、大丈夫!?」
すかさず志弦が駆け寄ろうとするがそれを制する声が飛んだ。
「やめろっ! これだけ訓練してこのまま手も足もでなかったじゃ、あいつに顔負けできないんだよ」
誰の目から見ても宏太は限界だった。
体は水に切り裂かれたせいで切り傷だらけでボロボロ。
目は空ろで動くことさえおっくうなはずなのに宏太は立ち上がろうとするのをやめない。
意識を保つことさえきついだろうに、それでも宏太は止まろうとはしなかった。
その力はどこから湧いてくるんだろうと祐輔は思った。
いったい何が宏太を駆り立てるんだろう。
どうやったら彼のように強く生きていけるのだろう。
「……なんで俺はこんなに弱いんだろう」
限界だったのだろう。宏太は誰に言うのでなくそうつぶやいて、糸が切れたように倒れこんだ。
その声が泣いているような気がしたのは祐輔の思い込みだったのかはわからない。
ただ眩しいまでの生き様を見せられて心がざわついてうずまいて、
――なんで俺はこんなに何も出来ないんだろう。
そんな思いが祐輔の心に滲み出た。
それが今まで気づかないふりをしてきたものなのか、今になってわかったものなのかは祐輔にもわからなかった。
ただただ眩しかったのだ。
二人の戦いの熱に当てられたのだろうかふらついてと膝をつく。
そして左腕が暴れ、膨張して破裂し、無数の茨が湧き出した。
前触れのない激痛に喚き、倒れることしか祐輔はできなかった。
まるで幹のようにまとまった大量の茨は拡散し、その場にいる四人に向かってその棘を唸らせた。
池田は残り少ない水弾を放ち、茨を次々と撃ち落とす。
恵美と志弦は光の波動を飛ばして茨を弾き飛ばした。
そして宏太は危機を察知したのかボロボロの体でもとっさに起き上がり、次々と迫り来る茨を蹴り飛ばし、殴り散らしていく。
しかし、怪我のためか動きは精彩を欠いていた。それにより次々と茨を打ち砕く宏太の拳が疲労と怪我のためか、僅かに逸れた。
それにより、猛攻を掻い潜った茨が一本腕に絡みつく。
拘束され動きが一瞬鈍る。その隙を見逃すはずもなくと茨が次々と宏太を絡めとった。
「宏太っ!」
池田たちが悲鳴をあげるが、次々と迫り来る茨を止めるために宏太を助ける余裕はなかった。
茨は右腕から次々と宏太に絡みつく。やられまいと抵抗し、力任せに茨を引きちぎった。
そのときだった。ちぎれきれずのこった茨のうちの一本が宏太の腕に絡みつきながらまるで何かを探すように腕を這う。
そしてその先端が宏太の腕にある傷口――水弾によって切れたものだ――に触れると待ちかねたように茨は傷口から体内へ潜り込んでいった。
「うあああああぁあぁぁぁっ!!」
茨に体が内側から暴れられる苦痛に宏太が悲鳴をあげる。
右腕が弾けた祐輔は次第に意識を失いつつあった。
――どうして俺はいつも誰かに迷惑しかかけられないんだろう。
なすすべもなく祐輔の意識は闇にのまれていった。
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