第四話 4-3

「で、スズネは遂に、大人の女としての一歩を踏み出した? 揉まれると胸が成長する説は本当? 実際どうだった?」

 昼休み、早速これである。夏希は毎回のようにしつこく私と立仁の訓練について聞いてきた。何もない、と答えるたびに不満そうに口を尖らせる。彼女曰く、『生の女子高生と毎日のように顔を合わせて手を出さないオッサンはいない』らしい。

 根拠は? と尋ね返すと『少なくとも私がオッサンならそうする』のだそうだ。まあ、夏希はほとんどスケベなオッサンだから仕方がない。

「本当に何にも無いの? いいのよ、一晩のあやまち、目と目が合ってそのまま……とか、少しでもあるなら言っていいのよ?」

「だから、何もないって」

「ふーん……そうなると、そのタツヒトって人が女性に興味が無いか、スズネの女性的魅力が壊滅的に無いかのどちらかね。私の予想では後者だけど」

 握り締めたグーを、振りかぶってやめる。鉄拳を飛ばさない私は寛大だと思う。夏希も殴らないのと分かっているのか、一切動じない。

 まったく、目の前で私に魅力が無いと言ってのけるのは夏希くらいだ。ただし、彼女の言う女性的魅力とは『ボン、キュッ、ボン』と表現されるスタイルで、これも彼女が如何にオッサンっぽいかを示している。はっきり言って、立仁よりも夏希の方がオッサンに近い思考をしている。

「で、どーなのよ、その人。スズネを邪な目付きで見て来たりしないの? 本当に?」

「本当よ。嫌味な奴だけど、そーいうとこはマトモな考え方してると思う。あと、それに……」

「それに?」

「……多分アイツ、奥さんか彼女か分かんないけど、一緒に住んでる人いるし」

 そう言って、あの日本人離れした美貌を持つミタテ修理のヘレナさんを思い出す。私と立仁との訓練中、彼女は別の修理場で依頼された修理業務をやっていて、あまり顔を合わせる機会はないけれど、たまにお茶を持って来てくれたりする。立仁は休憩なんてロクにさせてくれないから、それが唯一の癒しだ。


 その時にヘレナさんと話したりするのだが、どうもあの修理屋で住み込みで働いているらしい。私が唯一の従業員なのよ、なんて言ってたけれど、あんな美人なのに修理場で働いているのはおかしいと思うのだ。雑誌のモデル以上の美しい顔立ちにスリムな体型。ハーフだ、とも言ってた気がするけど、同じ女性として羨まし過ぎてため息が出る。痩せればいいとかそういう次元じゃない、骨格から違い過ぎる。

 とにかく、だからこそ彼女があんなさびれた修理場なんかで仕事しているのは、よっぽどの理由がある筈だ。そうなると、思い当たることなんて一つしかない。多分、ダメ男好きに美人が多いってのは、こういうことなのだろう。うんうん、そうに違いない。

「……ちょっとスズネ、何一人で納得して頷いてんのよ」

「あ、ううん、何でもない。あんなオッサンでも美人の彼女出来るんだなーって、思っただけ」

 本当、世間ってのは奇妙なものなんだなあ、と思ってしまう。立仁も普段はあんなに無口だが、意外にモテるのだろうか。ヒゲ面で無口で死んだ魚のよーな目してるのに。

 ため息をついた私を見て、なぜか夏希の顔が少し真剣になった。何か変なこと言っただろうか。

「ま、まさか、スズネ、そのオッサンに惚れてるなんてことは……」

「無いわよ。まあ嫌いって訳でもないけどさ」

 当然の速攻否定。私の趣向だけれども、年上の大人に魅力を感じない。友達や他の子は年上の方が安心感がある、とか言っていたけれど、余裕のある大人って、見下されているような気がして好きじゃないのだ。無論、パパとおじいちゃんは除くけど。


 そういう意味で、立仁は嫌いではない。立仁の性格の捻じ曲がり具合は相当なものだし、心底嫌になるときも多いし、いつもこっちを罵倒してはいるが、少なくとも立仁は私の指導に関して手を抜いたことはない。この前の試合も、思い返してみれば、立仁は一応助言はしていた。連携する気はなくとも、私を指導する気はあるのだ。ただ、それはあくまで『嫌いではない』だけで、口の悪さとかケチなのとか超厳しいのとか連携する気が無いこととか、不満は挙げればキリがない。

 いや、もっと分かり易い理由があった。私は普通に同い年ぐらいの男子を恋愛対象にしたい。以上。

「ま、スズネがそう言うならいいけど。でも、良く続けてるよねー。私だったらそんな訓練なんて、三日以内に辞めてるね。どお、まだ続いてる?」

「続いてるも何も、あの的当ての他にも色々訓練内容増えたけど……」

 夏希の顔が引きつる。うわ、こんな顔するの初めて見た。私と話している時は鼻の下伸ばしてるくせに、こういうときの素に戻った夏希は少し怖い。

「どんな訓練よ、それ」

「マルチキャリア乗ってあの的当て訓練と同じことしたり、休日の度に御殿場の演習場で他の人とタイマンで模擬戦したりとか……あと単純に筋トレも命令されてるし。それに機体の暗記はまだ継続してやってるかな、大体覚えたけど」

 そこまで言うと、夏希が降参とでも言うかのように両手を上げていた。

「本当、頑固というか根性というか……スズネ、一度やると決めたら本当に諦めないよね、そういうとこは凄いと思うよ」

「何よ、突然褒めて。それとも、ようやく私の凄さに気付いた?」

 少し胸を張る。褒められて悪い気はしないものだ。だが、夏希は褒めて損した、という顔をして、

「うるさい、無い胸張るくらいなら豆乳でも飲んで鶏肉食ってなさい。それか揉まれなさい」

 途端にこれである。今どきは胸が少ししかなくても喜んでくれる男性なんてごまんといるだろうに。それに、ただの重りじゃないか。まったく夏希はオッサンだから胸があればいいと思っているんだ、時代遅れな。

「余計なお世話よ」

 そう答えながら、弁当に入ったから揚げを口に放り込み、買ってきたバナナ豆乳のパックを飲み干す。なぜか夏希が呆れ顔になっていたが、そんなに私、変なこと言っただろうか。

「……ま、それだけやってればあのオーガの授業でも寝ちゃうわけね」

「うーん、最近眠いのは確かだけど、大賀先生の授業で寝るとは思わなかったわよ、本当」

「そういう日もあるでしょ。叱られなかっただけマシじゃん」

「そーだけどさ……でも、私が起きたのは先に鳴瀬が叱られたお陰みたいなもんじゃん」

 確かに、大賀先生は私が寝ていたことには気付かなかった。代わりに、斜め前の鳴瀬が犠牲になったわけだ。

 話題に上がったので、ふと斜め前の席を見る。その席の主は、昼休みだというのに机に突っ伏して見事に爆睡していた。怒られたのに反省している様子もない。普段は友達と話してるのはよく見るから、今日は純粋に眠いから寝ているだけのようだ。

「しっかし鳴瀬君も懲りないねー。オーガの授業、何回怒られても結局しばらくしたらまた寝てるし。筋金入りというかなんというか」

 夏希がケラケラと笑う。鳴瀬は、居眠り常習犯としてクラス内で認知されている。ただ、寝ているから不真面目なのかというとそう言う訳でもなく、テストとかではちゃんと点数は取れてるみたいだし、運動できないわけでもないし、別にクラスから疎外されている訳でもない、どことなく不思議でいつも寝てるヤツ。夏希や他の生徒の印象はそんなとこだろう。

 私の位置からでは顔が見えないが、容姿もそこそこ。イケメンではないけれど、わりといい顔立ちだと私は思う。ああしていっつも寝てなければ、もう少し他の女子の評判も良さそうなのに。髪の毛は短めだから目立ってないけれど、微妙に寝ぐせが付いている。

「ああ、なるほどそういうことですかー、スズネはそういう趣味なんだー」

 ふと、夏希に声を掛けられ視線を鳴瀬から外した。すると、夏希が凄い悪そうな笑みを浮かべてこちらを見ていた。

「何よ、そういう趣味って」

「いやー、青臭い春を満喫してるね、お姉さんとっても嬉しいよー」

 夏希に何が分かるっていうんだ。というか青臭いって、夏希も同い年じゃん。そんな私の脳内突っ込みなど知らずに、夏希が遠くを見つめながら語り出す。

「クラスでいっつも寝てるアイツは変なヤツだけど、女子高生スズネにとっては気になるアイツで、いつも彼の方を見つめちゃうの。でも彼は寝ているから気付かない、全然縮まらない距離に焦る17歳の秋。スズネは意中のカレと付き合うことが出来るのか――みたいな?」

「古い少女マンガじゃないんだから……」

「恋のくだりをカットして本番だけにすればエロマンガになるから、そっちの方向で頑張ってほしいかな私的には」

「何を頑張るのよ。あと、好きとかそーいうんじゃないし」

 夏希のしょーもないお願いは無視するとして、別に私は鳴瀬の事が好きなわけでは無い。ただ、何というか、鳴瀬とは腐れ縁のようなものがあって、小学校、中学、高校と、何故か行く学校も同じだったし、クラスも毎度毎度同じだった。家も方向が同じで、小学校の時はよく遊んでいた気がする。


 幼なじみ、といえばそうなのだろうが、親同士での付き合いは無かったし、中学のころにはお互い遊ぶことも無くなって、今では殆ど交流は無い。高校受験して入った進学校でまた会うとは思ってもいなかったが、とくにそれを話のネタにするわけでもなく、鳴瀬も私に話しかけてくるわけでもなく、一言でいえば『微妙』な距離を置いているわけだ。

 そんな腐れ縁の相手もたまには気になる。『一発屋の廃れた芸人は今どこにいるのか?』みたいな番組をつい見てしまう感じに近い。それに私の知る限り、中学までは鳴瀬はクラスの中心にいて、先生から言われたことを真面目に取り組む模範生、みたいな印象だった。それが今では居眠り常習犯になった理由は、気にならなくもない。

「なによう、つまんないの。浮ついたくっだらなーい甘々でベタベタな恋バナは鈴音の周りには無いのー?」

「あるわけないでしょ。今私の周りには女子高生の皮を被ったオッサンと、根暗で横暴でクソ中年なオッサンしかいないわ。うん、オッサンしかいないわ……」

「根暗はそのタツヒトさんなのは分かるけど、もう一人誰よ」

 目の前でニヤニヤしている貴女です。そう無言の圧力で伝えようとしたが、夏希は特に気付く様子もない。

「ま、いいけどさー。私も今は面白い話ないし。うちのクラスも平和すぎるし。男子が意気地なしなのよ。何が悟り系よ。目の前で女の子が裸で踊ってたら飛び付くくせに。全くもう――」

 それよりも先に携帯に飛び付くんじゃないだろうか。勿論、通報するために。まあ、夏希がこの手の訳の分からない愚痴を言い出すのはいつもの事だ。

 そうやって、私と夏希はまたいつものダラダラとした昼休みの会話に戻りつつあった――のだが。


鳴瀬鏡真なるせきょうま、いるかしら」


 澄んだ、よく通る声。教室のざわつきが一瞬で沈黙に変わる。その声の主が発した言葉に、教室の誰もが反応した、いや反応させられたと言ってもいい。夏希ですら喋るのをやめ、声のした方向――教室の入り口に目をやる。

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