第三話

 ガルの金の目に負けないほどに強く、青い瞳がきらめいた。

「――迎えに行く、ね」

 タシアンの嘲笑うような響きの声にもガルは表情を崩さなかった。無言でぐっと拳を握り締める。

「おまえにそこまでする義理はないだろう。大人しく田舎に帰ればいい」

 ガルはただアイザの問題に偶然巻き込まれただけだ。王都に行きたいというアイザの願いは叶えたのだから、これ以上関わる理由なんてない。タシアンの言うことは正論だった。

 おそらく、誰もが言うだろう。もういいじゃないか。そこまでしなくてもいいじゃないか、と。充分すぎるほどにガルはアイザに手を貸したのだから。

 けれど、そのもっともらしい正論を、ガルの心は正しいと思わない。

「……義理とかそういうの、いちいち考えるのめんどくさくねぇ?」

 冷ややかに断じるタシアンに、ガルはただ当然のように答えた。

「俺がアイザをここまで連れてきたんだ。だったら、連れて帰るのだって俺の役目だろ」

 ガルがいなければ、おそらくアイザは王都まで辿り着けなかった。王都まで来れたのはガルがいたからこそだ。

 ――ならば。

「王都に来たことで、アイザが望まない場所にいるなら、俺はそこからアイザを連れ出すよ」

 一度差し伸べた手を、ガルは自ら下げたりしない。それは、ガルのなかで正しくない選択だ。

「……手段もないただのガキが、どうやって?」

 タシアンが鋭くガルを見据えて問う。

「それを考えるのがあんたらじゃないの? ……別にないならないでそれでもいいけど。王城公開日はもうすぐだ」

 一週間後には、わずかな時間とはいえ庶民でもあの門の向こう側に行くことができる。

「門の向こうに行ければ充分だよ」

 ガルを阻んでいるのは門ひとつ。たとえば王立騎士団が立ち塞がっても、ここまでふたりで駆け抜けたように城を、王都を抜ければいい。

「悪いが、公開日までは待てない」

 ふ、とタシアンが笑い未だ立ったままのガルに座るように身振りで示した。

「おそらく女王は、公開日に民衆の前に彼女を引き出すだろう。魔法使いとしてか、娘としてかはわからないが。それは避けたい」

 どちらであれ、アイザが女王の名の下に民衆の前に姿を現せば、彼女はもとの平穏な暮らしには戻れなくなる。

「だったら時間ないじゃん」

 向かいのベッドに座ったガルが不満げに言い返す。

「そうだ、時間はない」

 タシアンがちらりとレーリを見ると、彼はわかっていたかのように手元の書類をめくった。

「宰相閣下は十日前に既に隣国ノルダインを出立してます。急いでもらってますが……他の団員も含め、到着するのは早くても明後日ですね」

「宰相閣下?」

 突如出てきた人物にガルは首を傾げる。

「女王の暴走を止められなかったのは宰相閣下が隣国に行って不在だったのも要因のひとつだ。宰相と王太子が戻れば勝負はつく」

「でもその大事な王太子は捕まってんだろ?」

 現状は、その肝心なふたりがいない。圧倒的に不利であるということはガルにも簡単にわかった。

「ああ、そうだ。つまり」

「囚われの王子と姫を救出するのが我々の任務ですね」

 にやりと笑うタシアンと、端的にまとめたレーリを見てガルは笑った。


「いいね、そういう単純なのはわかりやすくて好きだ」





『あなたはわたくしの跡を継いで女王になるの』

 鈍器で頭を殴りつけられるような衝撃のあと、アイザの記憶はひどく曖昧だった。お茶にしましょう? と微笑む女王のもとに誰かがやってきて、結局アイザはすぐにあの部屋から連れ出された。

 その後放り込まれるようにして案内された部屋は、どうやらアイザのための部屋らしい。呆然としているうちに日は暮れ、一度侍女が食事を運んできたが豪華な食事は何を食べても味がしなくて、結局ほとんど食べないまま下げてもらった。

 タニアのところで食べていたダンの手料理のほうがずっとずっと美味しかった。

(きっと、ガルがいたらあんな豪華な食事を見てはしゃぐんだろうな)

 そうしたら、アイザももっと食事を楽しめたかもしれない。広すぎる部屋で、たったひとりというのはさみしい。

 今日一日でアイザに降りかかった現実は、あまりにも今までの日常とかけ離れていて理解が追いつかない。慣れない場所では頭を整理しようにも落ち着かなかった。

 きっちりと整えられた調度品はひどくよそよそしく、アイザは溜息を零しながら大きすぎる寝台の端に腰を下ろした。

(わたしが、死んだはずだった第一王女……? 父さんと、女王の、娘……)

 父はどれだけの嘘を抱えたまま逝ってしまったのだろう。ヤムスの森のこと。アイザの出生のこと。そのどれもが重すぎて、アイザの知る父がすべて虚像のように思えてならなかった。

 もうずっと、脳が情報の整理を拒否している。何も考えられなくて、何もしたくなくて、アイザはそのまま寝台に横になった。それは家のものとは比べようもなくふかふかで、手触りがいい。寝台の上で胎児のように膝を抱えて丸くなる。けれど寒さは和らぐことがない。身体の芯がずっと冷えたままあたたまらない。

 ぎゅっと膝を抱えて小さくなる。泣きたいくらいに心細いのに、涙の気配は不思議なくらいになかった。


「……結局、ひとりじゃないか……」


 父が死んだ。

 死んだはずの母が、女王だった。

 けれど、アイザは今まででいちばんひとりだった。

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