第二話

「……どういうことだよ」


 アイザは王立騎士団に連れて、いや、連れ去られた、に近い。目の前で起きた出来事が常軌を逸していることは、ガルにも理解できた。

「アイザにもう会えないって……どういう意味だよ……!」

「そのままの意味だ」

 タシアンの胸倉を掴み喰らいつくように問うガルに、タシアンは静かに吐き捨てた。その冷静な瞳が、なおガルを苛立たせた。

「意味わかんねぇよ!」

 たとえ女王が望んでアイザを城に呼び寄せたとしても、アイザは帰ってくる。帰ってくる、はずだ。

 ――二度と会えない、なんて。そんなことに陥る理由がガルには思い至らなかった。

「ここでは場所が悪い。話が聞きたいなら俺たちについてこい」

 タシアンは舌打ちしてそう告げると、掴みかかるガルの手を引き剥がす。そしてガルを見ることなく踵を返した。

 その背にレーリや他の国境騎士団のふたりは何も言わずについていく。ガルはぐっと拳を作ると地面を蹴って彼らの後を追いかけた。





 タシアンたちがやって来たのは、三番通りにある大きな宿屋だった。紹介がなければ利用できない類の、ガルのような庶民には無縁の場所だ。

「……ついてこい」

 そのまま一緒に入ってよいものか、とガルが逡巡していると、タシアンがちらりと振り返り呟いた。つまり、彼らはここを根城にしているのだと考えてよいのだろう。

 アイザが光に包まれる直前まで、確かにガルはアイザの手を握っていた。けれど繋いでいたはずの手はほどかれた。どちらから、ということではない。――気づいたら、ほどけていた。

 そして突然現れた、王立騎士団と思われる男たちの異質な匂い。人間なのに、まるで生きていないような。

 二階の奥の部屋に、タシアンたちは入った。いちばん最後にガルが部屋に入る。寝台が二つあり、その他にもテーブルとソファがある。大柄な男たちが入っても窮屈だと感じさせないくらいの広さがあった。


 ――国境騎士団と、王立騎士団。


 どちらも胡散臭いと言えばそのとおりで、けれど、ガルの直感は目の前の彼らのほうがマシだと告げている。

「……さて。のこのこついて来たが、おまえはアイザ・ルイスの何だ。彼女に獣人の親類はいないはずだが」

「俺はアイザが倒れていたのを見つけて助けたんだよ」

 ガルはきっぱりとタシアンの言葉を否定した。親類なんてとんでもない。アイザとガルはつい数日前に会ったばかりだ。

「……それだけですか?」

 今まで沈黙を保ってきたレーリが驚いたように問いかけた。

「それだけって?」

 ガルはきょとん、とした顔でレーリを見上げる。金の目に射抜かれて、レーリは困惑したように眉を下げる。

「たったそれだけで、彼女にここまで協力を?」

 レーリのさらなる問いかけに、ガルは首を傾げた。

「女の子が困ってるんだから手を貸すのは当たり前だろ?」

 他にどんな理由があるというのだろう。

「……どこかの誰かさんよりもずっと紳士ですね」

「誰のこと言ってんだコラ」

 レーリの呟きに憮然とした顔でタシアンが零していたが、もしかしたら何か身に覚えがあるのかもしれない。

「そんなことどうでもいいんだよ! それよりあんたら――」

「俺たちは少なくともアイザ・ルイスに危害を加えるつもりはない。そもそも、俺たちは彼女を保護するために動いていたんだ」

「アイザから聞いた話だと、国境騎士団の奴らが突然どかどか強引に家に押し入ってきたって聞いてるけど?」

 そんな風にやってきた男たちが危害を加えないなんて、とてもじゃないが信じられない。ましてアイザは女の子で、そのアイザがたったひとりで暮らす家に無遠慮に踏み込んできたのは国境騎士団である。

「……ジャン、リック」

 タシアンは壁際に立ったままの団員ふたりを見る。ジャンとリックは低さを増したタシアンの声に目を泳がせた。

「おまえら報告よりひでぇじゃねぇか馬鹿か! 自分たちが凶悪な面してるって自覚しろって言ってんだろうが!」

「顔はどうしようもないじゃないですか!」

 生まれつきなんですよ! と食いかかるジャンにタシアンも負けず劣らずの凶悪な顔で怒鳴り返す。

「顔がどうしようもねぇんだから態度で示せ! 誠実さをひねり出せ!」

「ないもんはないんですよ!」

 リックがいっそ潔いくらいに言い返す。

「開き直るな! ――他にもまだアイザ・ルイスの捜索にあたってる奴らがいただろう。そいつら見つけて戻って待機するように伝えてこい!」

「うげ。団長、お、王都は広いんですよ!?」

「黙れおまえらがしくじったから前も今もこんなことになってんだろうが! 言っとくがおまえら減給だからな」

 彼らの初手の失敗ですっかりアイザには国境騎士団は信用できないという印象を植え付けてしまった。その結果がこれだ。

「ええええええ!」

「それはないっしょ団長!」

 ふたりの悲鳴に顔を顰めながらタシアンは吐き捨てた。

「寒い懐を少しでも温めたいならさっさと行け!」

「言っておきますけどこれ以上の前借りはできませんからね」

「あんたら鬼だろおおおお!」

 冷笑を浮かべ追い打ちをかけるレーリに向かって叫びながら、ジャンとリックは部屋から出て行った。ガルもぽかんと口を開けてふたりを見送ってしまった。

 途端に部屋の中は静かになる。嵐が過ぎ去ったあとのようだ。

「――さて、ようやくまともに話せるな」

 ため息を吐き出したタシアンを見て、ようやくガルはこの為に彼らを部屋から出したのか、と思い至った。

「あのバカどものせいで妙な誤解があったようだが、俺たちは彼女を守ろうと動いていた。それは事実だ」

「……守るって、さっきの奴らからか」

 突然の乱入者に慌てたタシアンたち、そしてアイザが彼らに連れて行こうとしていたのを阻止しようとしているように見えた。

「そうだ」

「あいつら、女王陛下の使いって言っていたけど、それが嘘ってこと?」

 騎士は王立騎士団であることを示すアイリスの紋章の入った服を着ていた。それらはアイザを騙すための偽りだったということだろうか。

「いいや、嘘じゃない」

 タシアンが静かに、だがはっきりとガルの言葉を否定する。

「俺たちは、女王からアイザ・ルイスを守ろうとしていたんだ」

「……なんで?」

 しばしの沈黙のあとで、タシアンは口を開いた。

「女王は、リュース・ルイスに執着している。いや、あれは妄執といってもいい」

 どうして突然女王の話になるのだろう、とガルは困惑した。レーリの目が黙って聞けと言いたげにガルを見て、ガルは疑問をひとまず飲み込んだ。


「すべてのはじまりは、十六年前。アイザ・ルイスは女王の腹から生まれた」


 静かすぎる部屋の中で、タシアンの声は痛いくらいによく響いたような気がした。ゆっくりと胸を刺されるような驚きと衝撃。それはガルの思考をたやすく奪った。

「……え?」

 ほうけたガルの声に、タシアンもレーリも目を伏せる。

「……アイザ・ルイスは、女王とリュース・ルイスの子どもだ」

 その事実は、簡単に飲み込めるほど軽くない。

「まてよ、だって――」

 それじゃあアイザは、王家の血を引いているということになる。五年近く前に女王の二人目の夫は死んだ。それ以来女王は伴侶を迎えずにいる。ゆえに王家の血を引く者は廃嫡された元王子と、現在の王太子のみとされていた。

「彼女の誕生をきっかけにして、リュース・ルイスは女王のもとを去った。その理由は明らかではないが、アイザの魔力が強くリュースの子どもであることが誰の目にも明らかだったからじゃないかと俺は考えている。そして、当時生まれることを期待されていた第一王女は死産だったことにされ、アイザ・ルイスはただの娘としてリュースのもとで育てられた。今の今まで……リュースが死ぬまで」

 女王と、臣下であるはずの魔法伯爵との子ども。それは間違いなく公にされれば様々な火種を生んだことだろう。生まれた子どもは、穏やかな人生など与えられるはずもない。不義の子だ。だからおそらく、リュースは城を去った。父親として、アイザを守るために。

 タシアンの青い瞳がガルを見た。

「女王はリュースが城を去って以降、その穴を埋めるように、絶滅寸前の魔法使いを強引に呼び寄せて傍に侍らせている」

 だが、とタシアンは続ける。

「魔法伯爵の死によって女王は狂った。いや、既に狂っていたのが、ついに壊れたのかもしれない」

「……こわれた」

 ガルがぽつりと呟いた。寝台に腰かけるタシアンは真剣な眼差しでガルを見た。

「リュース・ルイスが去ったのちの女王陛下は、少しずつ狂い始めている。五年前までは王と宰相が、王の死後は王太子と宰相がこのルテティアの政治をとりまとめています。女王陛下はもはや飾りと言ってもいい」

 タシアンの傍らに立つレーリが、手元にある何らかの資料に目を落としながら説明した。タシアンも苦い顔で頷く。

「だが、女王がその王太子を捕らえた。リュースの死が知らされてすぐだ」

 ガルは口の中で情報を繰り返す。リュース・ルイスの死の知らせは、瞬く間に王国に広がったと聞いている。女王の耳にもすぐに届いたことだろう。

「その知らせを受けてすぐにアイザを保護することにしたが、結果はこれだ」

 はぁ、と溜息を吐き出しながらタシアンが肩を落とした。

「目的は不明でしたが、アイザ・ルイスが向こうの手に落ちた現状を鑑みればおおよその予測はできます。――おそらく女王は、アイザ・ルイスに王位を継がせようとしている」

 レーリの予測をタシアンは否定しない。彼もそう考えているということだろう。

「なら、そこまでひどい扱いは……」

「待遇は悪くないだろう。だが、そこに彼女の意思はない」

 飾りの女王の手によって、次代の女王にされる。それはただの茶番にしか見えない。

「あー……ちょっと待って。いろいろ一気に頭に詰め込んだから爆発しそう」

 がりがりとガルが頭を掻きながら唸り、ひとつひとつ情報を混乱する頭の中で繰り返した。ガルにとって、分かればいいことはわずかだ。

「……あんたらはアイザを傷つけないんだよな?」

「……ああ」

「んで、アイザを連れて行った奴らはアイザを閉じ込めておくつもりだし、そこにアイザの意思は関係ない?」

「彼女が王女となり女王になりたいと思うなら別だが」

 アイザは城へ、女王のもとへ行こうとしていた。それは、育った町のためだ。

 それにこの短い期間でガルが知り得たアイザは、きっとそんなことは望まない。あのとき繋いでいた手は離れた。どちらからではなく、不自然に。

 タニアたちに挨拶したいとも言っていた。アイザにはガルのように匂いで察する力はなくても、おそらく異様な気配は感じていた。すぐについていくことを拒んでいた。

 ――うん、とガルは拳を握りしめて頷いた。決意に満ちた金の目が、まっすぐにタシアンを見る。


「なら俺は、アイザを迎えに行く」


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