第三話
『悪い奴らはとうさんの魔法でやっつければいいじゃないか!』
幼いアイザが誇らしげに言うと、父はいつも困ったような顔をしていた。
アイザ、それは駄目だ。魔法は人を、世界を傷つけるための術ではない。人を、世界を守る、愛するための力だ。
――だって、父さん。
そう言っていたじゃないか。
「……とう、さん、が……?」
アイザの震える声が、静かに森に響いた。突然暗い穴の中に、突き落とされたような感覚だった。
(だって、父さんは)
足が震えて、アイザは途端に立つことさえできなくなった。ふらついた彼女をガルが慌てて隣から支えてくる。
「アイザ」
大丈夫か? と心底心配そうなガルの様子に、アイザは泣きたくなった。
(なんで)
どうして、そんなに簡単に手を差し伸べてくるんだ、と詰りたくなる。
この森を、ヤムスの森を、ガルの故郷を。焼き払ったのはアイザの父だと――。
(わたしの父さんが、おまえからたくさんのものを奪ったのに)
精霊の言うことが真実だとすれば、アイザはガルに仇、と呼ばれてもおかしくないのだ。こんな風にやさしくされていいはずがない。
「……十年以上前になるのか。リュース・ルイスは魔法の焔によってこの地を焼いたのは」
アイザやガルが、まだ赤ん坊の頃だ。当然ふたりにその頃の記憶にはない。ただ知識として、知っているだけだ。
「この森は、この国の精霊たちの最後の寄り辺だ。人と、魔法使いとの交流に疲れた精霊たちは森に逃れ、この森の民を祝福する代わりに守り人の役目を与えた」
それが、ヤムスの森の民。獣人の一族だった。
「それをよしとしない王国に、森は焼かれた。魔法使いによって放たれた焔は簡単には消えない。……七日は、燃え続けていたか」
そして獣人の里の燃えた。
アイザの震えは止まらなかった。ヤムスの森の山火事。それは、公には自然発生の不幸な災害と認識されているし、アイザ自身もそうだと思っていた。
けれど、それが故意に起こされたものなら。それを起こしたのが人間なら、魔法使いなら。
(父さんは、人殺しじゃないか……)
獣人の里を燃やし尽くした。どれだけの命を奪ったんだろう。どんな人がいたんだろう。どんな家族がいたのだろう。想像するだけで眩暈がした。
「アイザ」
アイザの身体を支えるガルにも、この震えは伝わっているに違いない。やさしい声が、今のアイザには毒のように胸にしみた。
「……やさしくするなよ」
ようやく音になった声は、行き場を失った子どものように頼りなく、ガルの耳でなければ届かなかったかもしれない。
「アイザ?」
拒んでもなお、ガルはアイザを気遣うように名前を呼んだ。それが、アイザには痛い。
どん、とガルの胸を押して、アイザはそのぬくもりを遠ざけた。きょとんとしたガルの金の瞳を真正面にとらえて、アイザは顔を歪ませる。
「私には、おまえにやさしくされる資格なんて、ないじゃないか……!」
こんな真実を目の当たりにしてなお、ガルとともにいることなんて、出来るはずもない。
アイザがくしゃりと顔を歪ませ、泣きそうなまま表情のままで踵を返す。
「アイザ!」
「追う必要はない。王都へ向かいたかったのだろう? 道は繋いだ。すぐ森を抜ける」
ひやりとした声が、アイザを追いかけようとしたガルを止める。道を繋いだ? ガルにはそれがどういうことなのかわからない。けれど目の前のこの存在には、それが可能なのだろう。ピリピリとした気配が、ただ者ではないということを教えていた。
「あんたのこととか、あんたの言うこととか、そんなことどうだっていいんだよ」
ガルは唸るように言葉を吐き出した。
「あんなアイザを、ほうっておけるか!」
吠えるガルの声に怯えるように、鳥がばたばたと飛び立った。
アイザにとっての家族は、父だけだった。
魔法伯爵の娘であることは、アイザの誇りだった。それ以前に、アイザは不器用な父を心から愛していた。
それなのに。
それなのに。
疑問と罪悪感がぐるぐると頭のなかで渦巻いていて、吐き気がする。ただ走り続けることはやめなかった。ガルのやさしさから逃げ出すことが、今のアイザにとって最優先の問題だった。
(なん、で)
走る足が何かに絡め取られているようにうまく動かなかった。
(どう、して)
それは誰に対する疑問だったのだろう。父か。それともガルか。
「アイザ!」
追いかけてくる声に、アイザはびくりと肩を震わせた。もつれた足が、木の根にひっかかってアイザは派手に転ぶ。
「アイザ! 大丈夫か!?」
アイザの平均的な脚力が、獣人の脚力に敵うわけもなく、転んだアイザのもとにガルは駆けつけてきた。
アイザを立たせようと腕を掴むガルの手を振り払う。ガルの金の目は驚いたように丸くなった。
「なんで追いかけてくるんだよ」
ガルの目を見ることができなくて、アイザは俯いたまま呪詛を吐くように呟いた。
「なんでやさしくできるんだよ」
震える声で、それでもアイザは強く吐き出した。
「私の父さんは、おまえの家族を殺したんだぞ!」
叫んだ拍子に、アイザの瞳から涙が落ちた。その一滴が地面を跳ねるのを、ガルは見逃さなかった。また振り払われるかもしれないと思いながらも、ガルはアイザの腕を掴む。
「確かにそれは、アイザの親父さんのしたことかもしれないけど、でも――」
ぐ、とガルの手に力がこもる。手のひらから伝わる熱が、アイザの胸にしみた。
「でもそれは、アイザじゃないだろ!」
空気を引き裂くガルの声に弾かれるようにアイザは顔を上げる。金の目は、迷いなく真っ直ぐにアイザを見つめていた。
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