第五章:うたかた

第一話

 アイザは急ぎ足で部屋へ戻ると、マギヴィルから持ってきた自前の洋服に着替えた。シンプルなワンピースだ。クリスが可愛くないと文句を言うタイプのものだが、アイザにはこのくらい質素なほうが落ち着く。

 イアランの用意してくれた洋服では、どれも上等なものすぎてお祭り騒ぎの城下にはとてもじゃないが着ていけない。汚したりしたらと思うと身動きがとれなくなりそうだ。

 丁寧に結われた髪は飾りを外すだけにしておいた。久々に踵の低い靴を履くと、視線が低くなる。鏡に映った自分を見て、アイザは笑った。

(いつもの私だ)

 ドレスを着てお姫様のように扱われる日々が続いたが、やはりこの方がしっくりくる。心なしか呼吸も落ち着いたものになったような気がした。

「ルー、おかしなところはない?」

「私に聞いてどうする。人の美的感覚などわからんよ」

「ルーはそうやってすぐ誤魔化す」

 美的感覚を理解していなくても、髪が跳ねているとかスカートが折れているとか、そういうことは伝えられるはずだ。時々ルーは人と精霊であることわざとらしく主張してくる。

 とはいえ、彼が何も言わないのならおかしいところもないのだろう。あればやんわり伝えるはずだ。

 よし、では行こうとアイザが扉に手をかける。しかしルーはふかふかの絨毯の上で丸くなったままだ。

「ルー? 行かないのか?」

「姿を隠していようとわざわざ人混みの中には行きたくない。危険はないだろうし、少年と二人で行くといい」

 本来森などを好む性質のルーは、人混みは好まない。今の王都はきっと人波に飲み込まれるほど賑わっているだろう。

「何かあれば呼びなさい。すぐに行く」

「わかった。じゃあ何かお土産を買ってくるな」

 アイザが扉を開けながらそう言うと、ルーは返事はせず、ただ尻尾をぱたぱたとしていた。


 待ち合わせのために騎士団の宿舎へ向かうと、ガルは外で待っていた。数人の騎士と話している。

(本当に、ガルは人と仲良くなるの得意だよなぁ)

 今では国境騎士団のなかで弟分のように可愛がられているらしい。この短期間でそこまで打ち解けることは、アイザには到底無理だ。

「ガル」

「アイザ!」

 そばまで近寄って声をかける。振り返ったガルはぱっと一瞬で嬉しそうな顔になった。

「おまえなぁ、女の子を迎えに来させるなんて騎士失格だぞ」

 騎士の一人にぐしゃぐしゃと頭を乱暴に撫でられながら、ガルが文句を言う。じとりと下から睨みつけているが、アイザの目にはじゃれあっているようにしか見えない。

「俺は別に騎士じゃねぇし。こっちで待ってる方が通用門に近いじゃん」

「だぁから、そういう問題じゃねぇんだよ……」

 はぁ、と呆れたようにため息を吐き出す騎士に、ガルは不思議そうに首を傾げていた。アイザもより効率の良い方法をとっただけなので、ガルと同じように首を傾げた。

「じゃ、俺たちは行くから」

「あーはいはい。デート楽しんでこい」

 騎士は休憩中のようだが、非番ではないのだろう。そもそも戴冠式の今日、騎士たちの仕事は多い。

(デート、なのかこれ……?)

 思えばガルと二人きりというのは久々かもしれない。他人の目にはいつも二人だけに見えたとしても、大抵はルーが一緒にいたし、学園ではシルフィもついていたのだ。

 周囲の認識も二人で一緒にいるのが当たり前という感じになっていたので、改めてデートだのと言われるのは新鮮でもあるが今更という気持ちもある。

 ガルも同じらしく、何言ってんだこいつ、という顔で勤務に戻る騎士を見送っていた。

「まぁいいか。行こう、アイザ。ぼやっとしてると日が暮れる」

「うん」

 タシアンからの許可が出たのは日暮れまでだ。早く行動しないとあっという間に終わってしまう。


 タニアの宿に行ってみると、昼過ぎだというのに食事の客で満員だった。

「まったく、来ていたならもっと早くに顔を出しなさい! こんな忙しいときじゃなくても!」

 忙しなく動きながらもタニアはアイザとガルを歓迎してくれる。とはいえゆっくり話をする余裕などなさそうだ。

「手伝おうか?」

 見かねたガルが問いかける。アイザもちょうど同じことを考えていたのでこくこくと頷くが、タニアは「何言ってんの!」と声をあげた。

「せっかくのお祭りなんだから二人ともこんなところで油売ってないで遊んできなさい! 戴冠式なんて次いつあるかわからないよ!」

(まさかその戴冠式に参列していたんですとは言えないなぁ……)

 タニアにはアイザの事情は伝えていない。今回も王都にいる親類を訪ねてきたのだとしか言わなかった。

「夕方にはもう少し落ち着くから、良ければあとでまた顔を見せてちょうだい」

 そう言ってタニアはアイザとガルを送り出す。祭りの喧騒の中に再び放り出された二人は顔を見合わせて固まった。

「どうする?」

 問いかけてくるガルに、アイザは困ったように空を見上げた。空はまだ明るい。夕方まで三時間ほどあるだろうか。

「うーん……タニアさんとゆっくり話もしたいし、少し時間を潰してまた来よう」

 アイザもガルも、前回も今回も王都に来ていながらろくにその街を歩いてはいないのだ。少しは見てまわるのも楽しいだろう。

「ん。じゃあ何か食べに行くか」

 ガルはいつも食べ物のことばっかりだ、と笑ったアイザの腹の虫がくぅぅ、と情けない声で鳴く。

「……そういえば朝からろくに食べてなかった」

 戴冠式ということもあって緊張してしまって、朝食はあまり食べなかったのだ。それにすぐ侍女たちに磨かれてあれこれと忙しかったし、空腹なんてすっかり忘れていた。

「大通りに行けば屋台がたくさん並んでるって聞いた」

「誰に?」

「さっきの騎士団のおっさん」

「……ああ」

 おっさんと呼ぶにはまだ可哀想な年齢だと思うが、そこは訂正するまでもないだろう。話し込んでいたと思ったら城下のことを聞いていたのか。

「前に来た時は観光どころじゃなかったもんな」

「タシアンに追いかけ回されていたからな」

「正確にはジャンとリックかな」

 すれ違う人々と肩がぶつかる。こんなに賑わっているのも戴冠式のためなのだろう。

「アイザ」

 先を行くガルが、名前を呼びながらアイザの手をとる。触れた手はあたたかい。手袋のない素肌は、お互い少し汗ばんでいたが気にならなかった。

 いつもガルには、こうして手を引いてもらっている気がする。立ち上がれなくなったとき、不安なとき、心細くなったとき、彼はそのぬくもりを惜しみなくアイザに与えて伝えてくる。

 ひとりじゃないよ、と。

 ここに俺がいるよ、と。

 そのことにたまらなく安堵しているくせに、どこか焦りに似た感情も生まれる。マギヴィルに行ったばかりの頃と似ている、追いつかなくちゃという気持ち。

(……ガルはどんどん先に行っちゃうからなぁ)

 ガルも、タシアンも、イアランも。誰もが真綿で包むようにアイザをやさしくやさしく、守ろうとする。だがアイザは守られるお姫様になりたいわけではないのだ。

 守られたいと思うのなら、この道を選んだりしない。

 対等でありたいと願うくせに、繋がれた手のあたたかさにほっとしている。ひどい矛盾だ。

 どちらも紛れもない本心だから余計にタチが悪い。

(今は、はぐれないために繋いでいるだけだから)

 だから、大丈夫。

 心の中で自分へ言い訳を唱えながらアイザは小さく苦笑した。

「……ルーへのお土産を探さないと」

「それを言ったらタシアンとかにも必要じゃね?」

「あ、そっか」

 でも王都に暮らすタシアンにお土産というのも変ではないだろうか。タシアンにお土産を買っていくなら、レーリにも必要だし、イアランの分もなければ拗ねるだろう。

「……タシアンたちが喜ぶものが思いつかない」

「案外アイザが選んだものならなんでも喜ぶと思うよ」

 しれっとガルが真実を告げるものの、アイザはうーんと頭を悩ませた。その間にガルは屋台の串焼きを買っている。

「腹がすいてはなんとやら?」

 アイザの分の串焼きを差し出してガルは笑う。つられて悩んでいたはずのアイザも笑ってしまった。

「これなんの肉だろう」

「鹿だって」

 もぐもぐと肉を噛みながら屋台を見てまわる。ちょうどこのあたりは食べ物が多い。アイザが半分食べ終わる頃にはガルはすっかり食べ終わっていて、別の食べ物を買っていた。揚げ菓子のようなものだ。

 アイザの分も買おうとするから慌てて止めて、ガルから一つだけもらう。アイザはガルと同じペースで食べられないし、正直串焼きだけでもお腹は満たされた。

(お祭りって、こういう感じなんだなぁ)

 ガルに手を引かれながら人混みに揉まれる。それすらなんだか楽しくて不思議と不快ではなった。周りの人たちも楽しそうにしているからかもしれない。

 いいな、と思う。

 イアランの作る国がはじまるこの日が、笑顔に溢れているのは、何ものにも変え難い祝福だろう。




 日が暮れる前、城へと戻る少し前にタニアの店に顔を出すと客足は穏やかになっていた。ちょうど夕飯にはまだ少し早いタイミングだ。

「お祭りは楽しんできたかい」

 タニアがアイザとガルにお茶を出しながら問いかけてくる。

「串焼きと揚げ菓子と揚げ餅みたいなのと……あと何食べたっけ?」

「あんた食ってばっかりだねぇ」

 指を折りながら食べた物を思い出しているガルに、タニアは笑う。

「楽しかったです。こういうの、来たことなかつたから」

 アイザもくすくすと笑いながらタニアの出してくれたお茶を一口飲む。よく冷えていて人混みを歩いてきた身にはひときわ美味しく感じる。

「学校はどうだい? ノルダインのとこに通ってるんだろ?」

「今は長期休暇なので。戴冠式に合わせて帰ってきたんです」

「戴冠式! そういえばすごかったねぇ、陛下がお姿を見せたときに花が降ってきて……あんたたちも見たかい?」

「え、ええ……」

 見ていたも何も、花を降らせたのはアイザだ。けれどそれは公にはされないだろう。あの花を見た人々が奇跡だと言うのなら、奇跡のままでいい。

「女王陛下……ああもう違うんだったね。もとは王様になる予定もなかったお方だからねぇ……これからはゆっくりできるといいんだけど」

「……そうですね」

 今までも政務のほとんどはイアランが担っていたものの、女王の椅子に座り続ける限り安息はない。ようやく重荷から解放されたのだから、少しは心休まる日々が訪れたらいいのだけど、とアイザは願う。

 母だとは未だ思えない。けれど、不幸を願うわけではない。


 日が暮れる前に戻らないと、と夕飯を食べて行けばいいのにと残念がるタニアに謝りながら店をあとにする。

 通用門には幾人かの騎士がいた。制服ではなくて私服に着替えているので、仕事を終えたのだろう。

「お、なんだもう帰ってきたのか」

 その中には行く時に話しかけてきた騎士もいる。

「タシアンが日暮れまでには戻れって言ってたから」

「ああ。まぁお嬢ちゃんも一緒ならそうか。夜になると酔っ払いも増えるしな」

 タシアンは過保護すぎると笑われるかと思いきや、騎士たちは一様に納得している。

「でもそれなら坊主は問題ないな」

「そうだな、むしろ少年こそは夜の街ってもんを勉強しないとな」

「は?」

 突然矛先の向いたガルは訝しげに騎士たちを見回すが、両脇をがっしりと固められてガルには逃げ場がなくなっていた。

「おにーさんたちがイイ所に連れて行ってやるよ」

「何やってんだおまえら」

 止めるべきか否か、とアイザが悩んでいるとタシアンがやって来た。もしかするとアイザを迎えに来たのかもしれない。

「団長! こいつこれから遊びに連れて行ってもいいですよね!? お嬢ちゃんは巻き込まないし!」

「あ? あー……」

 ガルは何がなんだかよく分かっていない顔で、タシアンに助けを求めた。なんとなく助けを求めたほうがいい気がした。

「まぁ……いいんじゃないか。ほどほどにな」

「タシアン!?」

 助けを求めたはずが、タシアンはガルをあっさりと売った。

「まぁまぁ美味いもん食わせてやるから!」

「そうそう」

 周りの騎士たちに宥められながらガルは引きずられるようにして、再び通用門を出て行く。

「……良かったのかな?」

 ガルはあまり乗り気でなかったみたいなのだが、やはり止めるべきだっただろうか。とはいえ、男同士の付き合いにアイザが口を挟むのもおかしな話だ。

「ほっとけ。嫌になったら自力で逃げてくんだろ」

 アイザもよくわからないが、タシアンの言う通りガルなら隙を見て逃げ出せるはずだ。アイザがそこまで過保護になることもないだろう。

(タシアンはガルに関しては雑だなぁ)

 むしろタシアンとガルのほうが兄弟みたいだ、とアイザはくすくすと笑いながら部屋に戻るのだった。

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