第七話

 アイザのドレス姿はもちろんイアランに大好評だった。練習にもなるからと毎日イアランのもとに見せに来るようにと厳命されるほどには。

 ――そうしてアイザもどうにかドレスに慣れることができたわけだ。


 戴冠式当日は朝から叩き起され、風呂に放り込まれて、嫌だ無理だ一人で入ると言っても問答無用で侍女たちに磨きあげられた。

 アイザの濃い灰色の髪にはドレスに使われたものと同じレースが飾られ、化粧を施される。唇には薄紅の色がのせられ、目尻にも同じ色が彩られた。

 そしてアイザのために仕立てられた青いドレスに袖を通す。不思議なことに、ドレスを着ると自然と背筋が伸びた。

 王都はここ数日ずっと賑やかだった。新たな王の誕生を、誰もが今か今かと待ち侘びている。

「アイザ、準備は整いましたか」

「あ、……はい」

 ああ、といつものように答えそうになって慌てて言い直す。入ってきたのはレーリとガルだった。

「――ガル? その格好どうした?」

 気をつけていたのに、ガルの姿に思わずいつもの口調に戻ってしまった。

 しかしガルはぽかんと口を開けたまま黙っている。

「……ガル?」

 アイザが一歩近づいて首を傾げると、ガルは弾かれたように飛び上がった。

「え、あ、いや、レーリが戴冠式に出るならまともな格好しろって」

 ガルは国境騎士団の正装をしていた。以前にも思ったが、ガルの赤い髪に藍色の騎士服はよく似合う。いつもの活発な雰囲気はそのままに、凛々しさを加えている。

「戴冠式に?」

「生憎、私や団長がずっとアイザに張りついているわけにいきませんから。半人前でもいないよりマシでしょう」

 護衛の代わり、ということらしい。

 戴冠式は大講堂で執り行われる。多くの貴族が参列するその末席にアイザは並ぶこととなっている。魔法伯爵の娘であったとはいえ現状の彼女はルテティアの貴族とは言い難いが、タシアンが後見人となっていることと宰相閣下の取り計らいでどうにかしたらしい。

 そういう面倒な手続きがあったらしいので、ガルは参列しないと思っていたのだ。戴冠式のあとは王都の人々の前に姿を見せる予定だったから、ガルはそちらにいるだろうとばかり思っていたのだが。

「……半人前で悪かったな」

 むす、とガルは不機嫌そうにそっぽを向く。

「ここは要人警護の訓練も受けていないにも関わらず半人前と評価されたことを誇るところですね」

 本来なら護衛などしないし、頭数にもいれないとレーリは容赦ない。

「会場までのエスコートは私がやりましょうか。お手をどうぞ、レディ?」

 少し茶目っ気を出しながら差し出された手にアイザは自分の手を重ねた。レーリのエスコートにはすっかり慣れて、アイザもパッと見だけなら立派な令嬢に見えるだろう。

「エスコートも護衛も、譲りたくないなら勉強しておきなさい。マギヴィルで学べるはずですよ」

 無言のまま後ろをついてくるガルに向けて言ったのだろう。

 もちろんアイザの護衛にはルーもついている。足元で姿を消しながらぴったりと寄り添っていた。




 大講堂は静謐さに包まれている。

 ステンドグラスから零れる光はただただ神々しく、呼吸の音すら発することを躊躇われるほどの静寂に満たされていた。

 大勢いる貴族のなかに埋もれながらアイザとガルは息を呑む。レーリは警護があるから、とすぐにいなくなってしまった。

(大丈夫かな、おかしいところとか、ないよな)

 レーリがいなくなった途端、不安になる。周りはアイザとは縁遠い貴族の大人ばかり。アイザ自身も見届けたいと思っていたものの、こんななかに放り込んだイアランを少し恨んだ。

 きゅ、と唇を引き締めると、隣から伸びてきたガルの手がアイザの手を取る。びく、と驚いたのは一瞬で、ガルと目が合うとアイザは固くなった表情を綻ばせた。

「……手袋してると、なんか遠いな」

 周囲の人間には聞こえないほどの小さな声で、ガルが呟いた。アイザもガルも正装ゆえに手袋を着用している。

 そうだな、と応えるように、アイザは苦笑しつつガルの手を握り返した。

 パイプオルガンの音が響く。

 荘厳なその音色は高い天井さえも突き抜けて空まで響くようだった。

 現れたのは、女王だった。海のように深い青色のドレスを纏っている。金の髪はまるで波打つように揺れていた。

(……女王陛下)

 その姿を見たのは、王城で起きた一件以来だ。アイザを庇い、矢を受けた姿がアイザが最後に見た女王だった。

(少し、痩せたような気がする)

 気のせいだろうか。細身のドレスがそう見せるだけだろうか。

 女性らしいうつくしさは損なわれていないが、以前に増して儚げに見える。女王だという、以前にはあった力強さがない。

 それはまるで――

(迷子の子どもみたいだ)

 用意された王冠、その傍らに女王が経つと大講堂の扉が大きく開け放たれる。

 現れた青年は、光を背に大講堂へと一歩足を踏み入れた。そのあとを離れて追う騎士と、大講堂の外にずらりと並ぶ騎士たちの姿は圧巻だ。言うまでもなく、女王のもとへと歩み寄るのはイアランである。

 金の髪がステンドグラスから降り注ぐ光を受けて眩く輝き、長い深紅のマントが揺れる。

 まるで物語のワンシーンだと思いながら、アイザは隅からイアランがゆっくりと祭壇へと近づいていく様を見つめる。

 女王と王太子。

 一時見つめあった後で、イアランが膝をついた。

 誰もがその瞬間を見届ける中で、女王がイアランの頭に王冠をのせる。その瞬間に女王は女王ではなくなり、王太子は新王となる。




 大講堂の中では静かで厳かな空気に包まれていたが、その後新王であるイアランが広場から姿が見えるようにとバルコニーに姿を見せると、わぁあと言う声でいっぱいだった。

 貴族たちのなかから抜けて、アイザとガルはバルコニーが見える場所まで移動した。空いている部屋のバルコニーに出たのだ。貴族は指定された場所から勝手に動かないし、庶民は立ち入ることができない。おかげで少し遠いが誰もいないので快適だ。

 国民の誰もが新王の誕生を祝福している。あちこちが笑顔で溢れていた。

 その光景に、アイザは胸がいっぱいだった。じわりと滲む感激の涙を堪えて、細く息を吐く。

「ルー」

 新王に祝福を。

 アイザができる方法で。アイザにしかできない方法で。

「……駄目かな」

 アイザの指が、光水晶に触れる。

 侍女たちが渋ったけれど、耳飾りを変えなくてよかった。光水晶には魔力が貯めてある。

「駄目だと言ってもおまえは聞かないだろう」

 ルーにはお見通しだったようで、ぱたぱたと呆れたように尻尾を振っている。

 アイザは小さくごめん、と呟いたあとで、目を閉じた。スゥッと深呼吸したあとで目をあける。ノルダインならば、この時アイザの目にはたくさんの精霊の姿が見えたことだろう。

 しかしルテティアに精霊はいない。アイザの瞳に映る世界は変わらない。

(それでも)

 アイザには、魔法が使える。

 耳を飾る光水晶が瞬いた。アイザの目には、その魔力がキラキラと世界に飛び出していくように見える。


「《ひかりの花、天より舞い落ちて。やさしく地上へと降りそそぎ、新王の誕生に祝福を》」


 祈るように手を天に掲げ、言祝ぐように告げる。

 キラキラと光が瞬いて、次の瞬間には天から白い花が降ってきた。それは、まるで雪のように触れるとすぅっと消えてしまう。

 突如降り始めた不思議な花に、新王を見るために集まっていた民衆は沸き立った。魔法を遠ざけてしまったルテティアの民にとって、それは不思議な光景であったはずだ。かつては当たり前にあったはずのものでも、ルテティアの民から魔法が日常のものでなくなって久しい。

 彼らの目に、それはまるで、神様からの祝福のように思えたに違いない。

 遠く、バルコニーにいるイアランと目が合った。仕方ない子だ、とそういうようにイアランが笑ったような気がする。

「……消えちゃうんだな、この花」

 手を伸ばしたガルの手のひらに、花がひとつふわりと落ちる。その瞬間に幻であったかのように消えてしまった。

「そのほうが特別な気がしたから」

 もったいない、とガルは名残惜しそうに見えなくなった花を握りしめて呟く。

「アイザに似合いそうだったのに」

「に、似合わないだろ」

 白い可憐な花なんて。こういうのはクリスのほうが絶対似合うと思う。

「似合うよ」

 否定するアイザに向かって、ガルはきっぱりと言い切る。彼がこうして断言するとき、迷いがまったくないので、アイザはいつも反論できなくなるのだ。

「だってほら、今日の服はこの間よりずっとお姫様みたいだから」

「それはドレスがお姫様みたいなんだよ」

「ドレスを着てるアイザが綺麗って話なんだけど……アイザって俺の言うこと信用しないよな」

 むす、と不機嫌そうにガルが呟くので、アイザは気まずそうに目をそらした。

「……そういうわけじゃないけど」

 ガルのことを信用していないわけじゃない。ガルが嘘をついているとは思わない。けれど、ガルは少し変わり者だとは思っている。

(だって、わたしがかわいいとか綺麗とか、おかしい)

 イアランが言う『かわいい』は兄だから。クリスがたまに言う『かわいい』は褒め言葉ではない。クリスは女子ではないけど女子特有の口癖のようなものだ。

 ガルの言う『かわいい』や『綺麗』は嘘偽りない感想だ。だからアイザはそわそわと居心地が悪くなる。

 ……女の子扱いは、慣れていないのだ。




「おまえ、何してんだ」

 タシアンと顔を合わせて早々、低い声でそう言われた。どうやら怒っているらしい、ということはアイザにもわかる。

 怒られる原因となると、心当たりはひとつしかない。

「え、やっぱり勝手なことしてマズかったかな。消えるなら後片付けの心配もないし大丈夫かと思ったんだけど」

 演出でもあったが、現実的なことも考えて花は消えるようにしたのだ。とはいえ、予定にないことをしたことは事実。怒られてもしかたない。

「そういうことじゃなくて、ルテティアで魔法を使うなんて何考えてるんだおまえは!」

「あ」

 タシアンは心配して怒ったのだ。アイザがまた、自分の魔力を削ったのではないかと思って。

 心配性な彼らしい。まだ忙しいだろうに、わざわざアイザを探して来たのだろう。

「大丈夫だよ、あれは光水晶に貯めていた魔力を使ったから。光水晶になかったとしてもルーがいるから、わたしが自分の魔力を削る必要はないし」

 自分の魔力を使うという手段は魔法使いとしては邪道も邪道だ。通常の精霊の魔力を借り受けて使うやり方を覚えたアイザには、自分の魔力を使うのはやりにくい方法でもある。

 じとり、とタシアンがアイザを見下ろす。体調不良を隠してないか探られているようだ。

「……ならいい」

「心配かけてごめん」

「心配するのはこっちの勝手だ。まぁ……ああいうことをやるなら、一言欲しかったな」

「思いつきだったからなぁ……」

 事前に相談できるはずもない。

「このあとはどうする?夜会に出るか?」

 まだ時刻は昼過ぎ、このあと夕刻から夜会が始まる予定だ。貴族たちは今頃休息をとっているのだろう。

「夜会には出ないよ。さすがにわたしが出るのは変だろ? タニアさんたちのところへ行こうと思っているんだけど……」

 結局王都に来てからまだタニアの店には顔を出していない。戴冠式のあとで王都の賑わいも最高潮だ。見て歩くのも楽しいだろう。

「それなら騎士団の通用口を使え。夕方までに帰るなら護衛はつけない」

「……あれ? いいんだ?」

 あれほど護衛護衛とうるさかったのに、とアイザは意外そうに目を丸くした。タシアンはちらりとガルを見て口を開いた。

「どうせガルもついて行くんだろ?」

「当たり前じゃん」

 即答だった。

 苦笑しながらも、アイザ自身もガルも一緒に行くつもりだったので何も言わない。

「二人で離れず行動するなら平気だろう。魔法も使えるんだろ?」

 タシアンの問いにアイザはこくりと頷いた。

 光水晶にはまだ魔力が残っている。あと数回は確実に使えるだろう。

「なら、祭り気分を楽しんでこい」

「うん!」

 今にも駆け出しそうな二人に、タシアンが苦笑いで「着替えてから行けよ」と声をかける。アイザとガルは顔を見合わせて思わずくすくすと笑った。

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