第三話

 学生が門の外へと出るときには門番に簡単な用件を伝える必要があるが、そこはクリスがにっこりと微笑みながら「課外授業が終わったので商業区でお昼ごはんを食べようと思って」と当たり障りのない言い訳を作った。焦っている今のガルには真似到底できない。

 学生特区の外に出ることはたやすい。問題になるのはアイザが連れて行かれたであろう王城の中へ入ることだ。

「どうすんの? おまえがいれば顔パスでいけんの?」

「アホか。俺は王子であることをまだ認められていないんだぞ。門番だって俺の顔を知らない」

「はぁ!? じゃあどうすんだよ!」

「バカ犬。俺が今まで一度も帰ってないと思うのか」

 はぁ、と呆れたようにため息を吐き出してクリスはガルを睨んだ。

 クリスが王族であることは、ごく一部の人間の他には秘されている。それはもちろん、王城の門番程度には知らされていない。だが王族と認められていなくても、クリスは王と王妃の子である。学園に通いながら一度も顔を見せていない――ということはない。

「……どうにかなるんだな」

 門番に見える範囲で全力疾走するわけにもいかず、こそこそと話しながらクリスとガルは急ぎ足で商業区の雑踏に紛れる。

「当然だ。おまえ、俺を誰だと思ってる」

「ムカつく奴」

「……おまえな」

 クリスは呆れたように顔を歪ませた。バカ正直にもほどがある。ここでクリスの機嫌を損ねたらどうなるか――なんてガルの頭にはないのだろう。はぁ、と溜息を吐き出しながら案内するようにガルの腕を引っ張る。もう門番の目も届かない。自然と二人は駆け足になっていた。

「非常時に使う隠し通路がある。いつもそこを使っているんだ」

「それ、俺に話していいの?」

 隠し通路は隠されているからそう呼ぶわけで、誰に隠しているのかと言われればそれは誰が考えても分かる。王族以外に、隠されているのだ。

「バカにするな。話していい人間とそうじゃない人間の区別くらいつく」

 きっぱりとクリスに言い切られて、ガルは口籠もった。そこまでクリスに信用されているなんて露ほども思っていなかった。

「おまえはアイザのことで頭がいっぱいで、どうせあとから思い出そうと思っても無理だろ」

 バカにするようなクリスの笑みに、ガルはせっかく上がったクリスの評価を早速落とすことになった。

「そこまでバカじゃねぇよ!」

「バカなのは否定しないのか」

 昼間の商業区にはちらほらと人がいるが、学生の姿は少ない。クリスとガルが口論しながら走っているのも、友人同士のじゃれ合い程度にしか見えないだろう。

「と、こっちだ」

 クリスが脇道に素早く入る。その方向は王都へ抜ける道とは違っていた。

「学生特区を出て王都に行くんじゃないのかよ」

「誰がそんなこと言った」

 そこは人が一人通れるほどの幅しかない。クリスは迷いなくずんずんと進んで行くのでガルも怪訝そうな顔をしながらも大人しくついていった。

「これまでの王族も、成人までの試練としてその大半がマギヴィルに通ってきた。王都のなかにあり、かつ警備が厳重だからうってつけなんだろうな」

 行き着いた先は行き止まりだった。

「おい、行き止まりだぞ?」

 ガルが首を傾げると、クリスは足元を指差した。そこにはまあるい蓋がある。

「……だから、隠し通路のひとつもマギヴィルへ通じている。マギヴィルで危険があった場合に逃げ込むことができるようにな」

 クリスが動く様子はないので、ガルがしゃがんでその蓋を開けると、そこには地下水路へと通じる階段があった。じっとりとした湿り気のある空気が漂ってくる。

「行くぞ」

 道を知っているクリスが先に階段を下る。ガルは蓋を閉じながらそのあとに続いた。

「《きらめく精霊へ乞い願う。ひかりよ集え、常闇のなかに彷徨う我らを照らせ》」

 外の光が消え失せて真っ暗になる寸前に、クリスの声が反響した。ふわりふわりと光がクリスやガルを包む。シルフィはその光に近づいて楽しげに笑っていた。

「なんか迷いそうだな」

 淡い光に照らし出される周囲をきょろきょろと見回しながらガルは呟いた。

「……おまえ一人ならな」

 窮屈で風の気配が薄い地下水路は、ガルの鼻も平凡に変えてしまうらしい。水の匂いと、カビの匂いなどで他の匂いを感じにくいのだ。

 水路の脇の狭い道を壁に沿って歩く。足元は滑りやすく、油断すれば水路へと落ちて流されてしまいそうだ。


 ――それからしばらく時間感覚さえ狂いそうな入り組んだ地下水路の中を進んだところで、クリスは腰ほどの高さまでしかない小さな扉の前で立ち止まった。これまでにも似たような扉はいくつかあった。地上へつながるものであったり、別の水路へとつながるものであったり様々らしい。

「……そとの風がちかくにいる」

 ガルの肩に座っていたシルフィがポツリと呟いた。

「ああ、正解だ」

 クリスは胸元から小さな鍵を取り出すと、錠前に差し込んだ。カチリ、と小さな音が響く。

 扉の向こうには階段があった。その上から爽やかな吹き込む風は、地下の水の仄暗い気配を孕んでいない。

「この上はもう王城の門の中だ」

「え、もう?」

 すんなりと王城への壁を越えたことにガルは驚いて目を丸くした。ルテティアでの一件がまだ記憶として真新しいせいで、こんなにも簡単にことが運ぶとは思っていなかったのだ。

「マギヴィル学園と王城はけっこう近いからな。普通なら学園の外門を出て王都の通りを抜けて王城の正門から入るから、無駄に長く感じるだけだ」

「こんなに近いならおまえ城からこっそり通えばいいじゃん」

 そうすればアイザと同室でなくてもいい。ガルはまだクリスとアイザが同室なのが納得いかないように、思い出してはぶつぶつと文句を言っている。

「門番になんて言って夜に出るんだよバカ。学生証で通行履歴も残るんだぞ」

「そこらへんは上手くやれよ、さっきみたいにさ」

「人をペテン師みたいに言うな」

 不服そうにクリスが階段をのぼっていく。階段のなかほどまできたところで、シルフィがハッとしたような顔をして小さな翅を震わせた。

「――だれかいる」

 緊張したシルフィの声に、それがこちらにとって嬉しい人間が待ち受けているわけではないことを知った。ガルが気配を探るように集中すると、確かに見知らぬ人間の匂いがした。

「数は」

 クリスが警戒するように声を低くする。ガルは出口を見上げながら答える。外の風が運んでくる気配に、はっきりと断言した。

「一人。全然動かないから、俺たちを待ち構えてるみたいだ」

 ガルの返答に、そうか、とクリスが小さく答えた。翠の瞳がガルと同じように出口を見て、そして諦めたように笑みを零した。

「それならたぶん、知り合いだ。……まぁ、残念ながら味方ではないけどな」




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