第四話

 生徒たちは緊張した面持ちで、レナードの言葉を待った。レナードはぐるりと集まった生徒たちを一瞥して、笑みを深める。

 アイザも少し緊張して、静かに息を吐く。クリスはいつもどおりに涼しげな顔をしているし、ニーリーは余裕すらあるが、ナシオンはアイザと同じように緊張しているようだった。隣のガルを見れば、わくわくと楽しげな顔をしている。そんな様子を見ていると緊張は和らいでアイザも楽しむ気持ちが勝ってくるから不思議なものだ。

「今回の課題は『精霊が存在すると証明するものを森で見つけて持ち帰ってくること』だ」

 明かされた課外授業の課題に、ざわりと生徒たちがざわめいた。予想通りの反応なのだろう、レナードは生徒が落ち着くまで黙っている。

(精霊が存在すると、証明する……)

「……また捻くれた課題ね……」

 クリスがめんどくさそうに呟いた。これはおそらく、今までの課外授業を含めても異色な課題だろう。

 魔法科の生徒たちは困惑しつつも課題について考え始めているようだったが、武術科の生徒には課題の内容そのものが今一つぴんときていないようだった。こほん、とレナードはひとつ咳払いをして再び口を開く。その口上は教室で授業をしているときと変わらなかった。

「精霊は、確かに存在する。それは皆も知っているだろう。だが、なぜ我々は目に見えぬ精霊を存在するのだと断言できるのか? 考えたことはないかね?」

 何を言っているのか、と奇妙な顔をする生徒のなかで、アイザはなんとなく分かるような気がした。精霊の消えたルテティアからやって来たアイザにとって、精霊は当たり前の存在ではない。もしアイザの目が精霊を映し出すことがなければ、精霊の存在を心から信じることができたかどうか。

 目には見えない存在を、疑いもなく信じるには理由がある。

「当たり前に存在し続けるものなどいない。この授業で、精霊とは何か今一度考えてみなさい」

 アイザのように精霊を見ることができる人間もいる。魔法を使うときにその存在の気配を感じることができる人もいる。けれど大半の人間は、精霊の存在を欠片も感じることなく生きているはずだ。



「……まぁでも、そう難しい課題ではないですね」

 レナードの説明が終わり、生徒たちが動き出すなかでナシオンが呟いた。アイザたちのように相談を始める者もいればとにかく行動を、と森へ入りだす者もいる。

「へ? でも何を探せばいいのかもわからなくない?」

 ガルが首を傾げるが、クリスやアイザも特に心配はしていなかった。なるほど確かに武術科だけでは少し不利な課題だったかもしれない。

「この間の精霊学の授業でやったよな」

 ちょうど課外授業について話していたときだったのでよく覚えている。クリスは頷きながらも「でも」と口を開く。

「そうじゃなくても、わりと知ってる人は多いわ」

「精霊の足跡、精霊の揺り籠を探せってことですね」

 ナシオンは急いで森へ入っていく生徒たちを見ながら答える。

「……何それ?」

 ガルは眉を顰めた。ガルが知らないのも無理はなかった。彼は精霊学など受講していないし、ルテティアに精霊にまつわる伝承はほとんどない。

「精霊が歩いた植物の上には不思議な現象が起こる。花弁や葉の一枚だけが光っていたり、色が変わったり。それが精霊の足跡と呼ばれてる」

「精霊が一休みしたものにも同様に変化がある。それが精霊の揺り籠、ね」

 アイザとクリスの説明にガルは「へぇ」と理解したのかしていないのかわからない返答をするだけだ。周囲の生徒たちはどんどん森に入っていったようで、まだこの場に残っている生徒は少ない。

「と、なると今回は人海戦術で早く見つけたもん勝ちかな?」

 ニーリーが持ってきていた荷物を持ち上げて笑うと、クリスは「いいえ」と自信ありげに笑った。

「もっと効率良くいきましょう。ね、アイザ?」

「……言うと思った」

 はぁ、とため息を吐き出しながらアイザは足元のルーを見る。今の彼はアイザにしか見えない。

「手助けが必要か?」

 にやりと笑うようにルーがアイザを見上げた。

「必要ない。今回ルーの手を借りるとちょっとズルっぽいしな」

(課題が明かされたときにルーが見えていたら、毛をむしられていたかも)

 実際、あの一瞬でアイザのほうを見た生徒は何人かいた。精霊がいることを証明しろというのなら、そこにいるだろうとでも言いたげな顔をしていた。

(見えるように、見えるように……)

 アイザは細く息を吐き出しながら目を閉じた。精霊たちが、見えるように目を調整する。ルーと過ごすようになってから少しずつ慣らして、アイザは精霊を映す自分の目を調整できるようになってきていた。見えるように、けれど見え過ぎないように、と意識しながらそっと瞼を持ち上げる。きらり、と視界の端で輝くひかりに、アイザは懐かしくなった。

<――アイザ>

 精霊たちが見えるようになると、それらの声も聞こえてくる。アイザ、アイザ、と楽しげな声が耳に届く。

「準備はいいかしら、アイザ?」

 珍しく頭の高い位置にひとつに結ばれたクリスの金の髪が、振り返ると同時に揺れる。普段活発な印象のある髪型にはしないのだが、森の中で動き回りやすいようにしたのだろう。

「精霊が多い場所を狙っていけばいいんだろう?」

 既にアイザの目には精霊が見えている。森のほうにいる精霊は早くおいでとアイザを手招きしていた。

「それなら森の北のほうが多そうだ。ひかりが多い」

「北ね、じゃあとりあえずそっちに向かいましょ?」

 クリスは満足気に微笑み歩き出す。彼は手ぶらで、先頭を歩こうとするがニーリーがその手を掴んで先に進む。普段人の立ち入らない森の中は歩きにくい。アイザは一番最後に、先を行く皆を観察しながらゆっくりと歩く。

(……ガルって、魔力はないのに精霊が集まるんだなぁ)

 クリスやナシオンの周りにはちらほらと精霊がいる。魔法を使う人間の傍に近寄ってくるのは当然として、ガルの周りにはそのふたりよりも多くの精霊がいた。

<――森の愛し子は好きよ>

<――彼らは私たちの友だちだから>

 アイザの胸のうちの疑問に、耳元にいた小さな精霊たちが答えた。

(森の愛し子……獣人のこと、かな)

 ヤムスの森の精霊たちがガルを好いていたのは、あの森に住んでいた獣人だからなのだと思っていた。けれどもしかすると精霊は魔法使いに惹かれるのと同じように獣人を好くのかもしれない。

「アイザ? どうかした?」

 ぼんやりと考えごとをしていて出遅れたアイザを心配するようにガルが振り返った。

「いや、なんでもない」

「そう?」

 アイザが首を横に振って小走りでガルに追いつくと、ガルはするりとアイザの手を取った。出会ってからずっと、当たり前のように握られるその手にアイザはすっかり慣れてしまっている。

 精霊が見える状態は、正直疲れる。ふぅ、と小さく息を吐き出してガルの手を握り返した。

<――おかえりなさい、森の王>

<――ようこそ、アイザ・ルイス>

 森に入った生徒の数よりも遥かに多い精霊たちが、楽しげにアイザたちのもとに集まってくる。多少制御しているとはいえ、数の多い声と姿が次々にやってくると気力は削られた。

「おまえたち、少し静かに。我が魔法使いが困っている」

 見かねたルーが告げると、精霊たちの声は静かになった。

「……ごめん、ルー」

「いいや。見える魔法使い、というのは珍しいからな。彼らも気になるのだろう」

 精霊を見ることができる人間は少なく、またその中で魔法使いになるものもさらに少ない。精霊は魔力の高い魔法使いの傍に集まるし、見える人間に興味を持つ。二重の意味でアイザは精霊たちに注目されているのだろう。

「アイザ?」

 ルーが姿を消している今、ガルにはルーの声も聞こえない。ルーをとの会話も、一見するとアイザが独り言のように見えるだろう。

「大丈夫だ」

「……アイザの大丈夫ってあんまりアテにならない」

 ガルが眉を顰めながら深くため息を吐き出した。ぐ、と繋いだ手が強く握られる。

「同感だ」

「ルー」

 ぽつりと足元で同意するルーをアイザは睨みつけた。

「……リュースの周りにも同じように精霊は集まっていたが、奴には精霊が見えなかったからな。辛い時は素直に言いなさい。彼らもおまえを傷つけたいわけではない」

「……うん」

(きっと、精霊は人が好きなんだろうな)

 アイザの目に映る精霊は、常に楽しげだ。魔法使いの周りを飛び交い、森の中で憩い、言葉も交わせない人間に笑いかける。

「アイザ、もしかして調子悪いの? 休みましょうか?」

 クリスが心配そうに振り返りながら提案するが、アイザは笑って首を振った。

「平気だよ。久々に精霊が見えている状態だから、気疲れしてるだけ」

「本当に?」

 クリスがじとりとアイザを見つめてくる。可愛らしい表情とはいえないそれは、少し素が出ている。疑うような目に、アイザは心外そうに呟いた。

「……なんで皆わたしの言うことを信用しないんだ」

 ガルもルーもクリスも、とことんアイザの「大丈夫」を信用していないらしい。

「だってアイザだし」

「だってアイザだもの」

 同時にきっぱりと言い切るガルとクリスに、アイザは思わず笑ってしまう。

「……こんなときだけ仲良いな、ガルとクリスは」

「仲良くなんかない」

「アイザ、どう見たら仲良く見えるの?」

 また息のぴったりのタイミングで否定され、アイザは思わず吹き出した。

「アイザは精霊が見えてるんだよね? ちょっとズルっぽいけど聞いてみたら? なんか面白いものなーい? って」

 ニーリーと先頭を歩きながら提案してくる。

「反則技でしょ、それは……」

「誰も出来ないだけで反則ではないでしょー?」

 頬を引きつらせるナシオンに、ニーリーは頬を膨らませて言い返していた。アイザは自分の傍にいる精霊を見た。

(そもそも、この子たちはそんなもの知っているのかな……)

 人間にとっては珍しいものであっても、精霊にとっては特別なものでもないだろう。聞いてみるだけ、とアイザは口を開いた。

「何か、特別なものってこの近くにある?」

 変わった色の花とか、光っているものとか、とアイザが問いかけると、アイザの周りにいた精霊たちは顔を見合わせてから頷いた。


<――あるよ、すごくすごく特別なもの>



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