第二章:森に棲む精霊

第一話

 物珍しい編入生にもすぐに飽きるに違いない。アイザの予想は見事に裏切られた。

 アイザとガルがマギヴィル学園にやってきて一週間ほどになる。アイザに向けられる無遠慮な視線は変わらぬままだ。

(もう一週間だぞ……?)

 しかしアイザは自分に向けられる好奇の目よりも、未だ姿を見せないルームメイトのことで頭がいっぱいだった。

 どうやらアイザが不在のときに部屋には戻ってきているらしい、ということはここ数日の彼女の私物が消えたり動いたり、シャワールームを使った痕跡などから察することができる。つまりクリスティーナ・バーシェンは学園にいないというわけではなく、寮の部屋に、アイザの前に姿を現さないということだ。

(嫌われるも何も、知り合ってすらいない……なんだっていうんだ……)

 ルームメイトの不在も二日連続となった時点でセリカに相談した。何か起きていたら一大事だからだ。

 しかし。

『クリスティーナ・バーシェン? ちゃんと授業に出ているわよ?』

 そこで事件に巻き込まれたわけではないのだと知った。

 アイザが驚いたのを察したのか、セリカは苦笑して続けた。

『んー……あの子、少し身体が弱くてね。医務室にいることも多いの。寮の部屋に戻ってないのもそんな感じだと思うから、あまり気にしなくていいわよ』

 なるほど病弱なのか、と一度は納得したが――

(これは、どう考えても避けられてる)

 ルームメイトなのにもう一週間も顔を合わせていないというのは、どんな事情があるにせよ異常だろう。向こうもアイザがやってくることは知っていたはずだ。それならば、いくら病弱であろうとどうにかはじめましてと挨拶くらい交わそうとするのではないか。

 避けられる理由が、まったく身に覚えがないのも問題だった。会ったこともないのだから当然だが、こちらとしても対処しようがない。

 黙々とどうするべきか、と考えながらアイザは次の授業のために足早に廊下を歩く。次は一般教養だから東棟だ。たぶん武術科の生徒も一緒だろう。

 友人と呼べるようなものは、まだいない。だからアイザは、他の女子生徒のように仲の良い子と一緒に移動することもないし、授業はひとりで受けている。ルームメイトのことで頭がいっぱいだったこともあるし、何より自分から友人を作るように動けるような性格ではないのだ。

 未だにアイザは『この奇妙な時期にやってきた編入生』であり、マギヴィルに途中編入するくらいなのだから優秀なのだろうという生徒たちの予想を見事に裏切って魔法の基礎から学んでいる。

 アイザが二階の廊下を歩いていると、外から楽しげな声が聞こえた。窓から覗いてみると、深緑の制服に身を包んだ少年たちが大声で笑っている。

「……ガル」

 その中心には、アイザのよく知る少年の姿があった。

 ガルは持ち前の明るさと人懐っこさですぐにたくさんの友人を作っていた。寮で、また学園でガルの姿を見かけたときに彼がひとりでいたことはない。

(あんなに友だちがいるのに)

 ガルは食事は必ずアイザととったし、学園から寮までの行き帰りもわざわざアイザを待って一緒に歩いた。学園から寮まで、たった五分ほどの距離にも関わらず。アイザが図書館で自習するからと言えばついてきたり、または時間を潰してくると言って何をどうしてもアイザと一緒に帰るつもりらしい。

 鬱陶しいとか、息苦しいとか、そういうことはない。一切ない。ガルのゆるやかな束縛は、決してアイザを縛り付けるようなものではなかった。

(……どうして、わたしにかまうんだろう)

 ガルの友人はいい人ばかりで、ガルが彼らよりもアイザと一緒にいることを選んでも嫌な顔ひとつしない。けれど客観的に考えても違う科で異性のアイザよりも、同じ科で同性の彼らのほうが話だって合うし盛り上がるのはないか。アイザといるとき、ガルは楽しそうに笑っているけど、本当に楽しいと感じているんだろうか?

 一緒に来ないか。そう言ったのはアイザだ。あの短くも濃密な日々で、アイザにとってのガルは随分と大きな存在になった。だから、できることなら新しい土地でも彼と一緒にいたかった。

 アイザにはガルが必要かもしれない。けれど、ガルにとってのアイザは、いなくてもなんら問題ないように思える。

「あっ! アイザー!」

 外にいるガルがアイザを見つけて手を振った。どき、と心臓が跳ねたあとに、笑いながら手を振っているガルと一瞬目が合う。心の中の後ろ暗い感情が見透かされそうで、パッとすぐに目を離す。

 抱えている教科書やノートをぎゅっときつく抱きしめて、アイザは気づかなかったふりをしてそのまま立ち去った。




「アイザ、さっき手ぇ振ったんだけど気づかなかった?」

 タイミング悪くアイザが向かっていた授業は数少ないガルと同じ授業だった。先に教室についていたアイザのもとにガルがやってくる。

「……どこで?」

 分かっていたがアイザは気づかなかったふりを貫こうと問いかける。ガルは意外と聡いところがあるから、目線は教科書に落としたままだ。

「ここ来る途中。アイザが二階の廊下にいるの見えたから、外から呼んだんだけど聞こえなかったかな?」

(……聞こえてたよ)

 そもそも、ガルが気づくよりも先にアイザがガルを見つけたのだから。

 ガルのような耳がなくても、彼の笑い声はよく響く。赤い髪は人混みのなかでも鮮やかに存在を主張する。そのまま人に飲み込まれるようなアイザと違って、ガルは人の注目を集める人だ。

「わたしはおまえみたいに耳がいいわけでもないしな」

 それに、眼鏡にも慣れてないんだ、と呟いた。これは事実だった。慣れない眼鏡は妙に視野が狭くする。煩わしいひかりが見えなくなったのは助かるが、弊害がないわけではなかった。

「んじゃ次はアイザが気づくようにもっとデカイ声で……」

「やめろ恥ずかしい」

 大声で名前を連呼されるとは、なんの罰ゲームだ。

 ガルは空いていたアイザの隣に座ってにひひ、と笑っている。この教室までガルと一緒に来たであろう友人たちは席が空いているあたりでまとまって着席していた。

 そのなかにいるヒューと目が合うと、彼は挨拶代わりにアイザに手を振ってくれる。同じように手を振るとガルが「ん?」とヒューたちのほうを見た。

「なんでヒューに手振ってんの?」

 アイザと遠くに座るヒューを何度か見て、ガルは不思議そうに問いかけてくる。なんでもなにも、とアイザは苦笑した。

「目が合ったから」

 そしてヒューが手を振ってきたから。それ以上に理由なんてない。

「ふーん」

「……ほら、授業始まるぞ」

 とんとん、とガルの教科書を指先で叩いたところで、先生が教室に入ってきた。


 なんであんな子が、わざわざ編入してまでマギヴィルに通ってるの?

 基礎も知らないような子が――。


 ここ数日聞こえてくるようになった魔法科の女子生徒を中心としたアイザを勘ぐるようなひそひそ話は、もちろん本人の耳に届いている。わざと聞こえるように話しているのだろう。

(どちらにせよ、授業中にする話じゃないよな)

 まだ基礎しか学んでいないし、優秀なわけでもない。それはアイザも自覚しているし、好きに言えばいいと思う。アイザは魔法を学びに来たのであって、友人を作り仲良しこよしとじゃれあうためにわざわざ国境を越えたのではない。

 アイザが聞こえているということは、当然ガルにも聞こえているのだろう。隣に座るガルを横目で観察しても、それらの声に反応しているようには見えない。ときどき眠そうにしていることはあるが。

 ガルは人の悪意にも敏感のようだから、気づいていないわけではないと思うのだが。

 授業が終わると生徒は散り散りと次の授業へ、または空き時間を潰しに消えていく。


「――なぁ、アイザ」

 すっかり生徒がいなくなった教室で、ガルが低い声でアイザを呼ぶ。金の目がまっすぐにアイザを見つめていた。


「なんか、困ってることない?」

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