第二話

 真剣な眼差しで問いかけてくるガルに、アイザはただ、ああやっぱり気づいていたんだな、と思うだけだった。

 ――困っていること。あるといえばあるし、ないといえばない。女子生徒たちの反応は正直どうでもいいことだし、ルームメイトの不在も困っているといえばそうだが、しかしガルに相談したところで解決する話でもない。むしろ騒ぎ立てられても困るだけだ。だから、今までも何も言わずにいた。

「……特には、何も?」

 だから結局、アイザの答えは否しかない。

 ガルはアイザの返答に眉を顰めた。彼にしては珍しい反応である。

「……アイザってなんでいつもそうなの?」

 低く、獣が唸るような声だった。ぞくりと背筋を得体の知れない何かがはしる。

 怒っている、とアイザは思った。……ガルが、怒っている。

「なにが……」

 気に障ったんだ、なんでそんなに怒るんだ。すぐさま怒鳴り散らすわけでもない、静かなガルの怒りはそれだけ大きなものなのだろう。困惑しながらアイザが問うと、それよりも先にガルは乱暴に言葉を重ねる。

「もっと人に頼っていいし甘えていいのに、なんでもかんでもひとりで片付けようとする。アイザの悪い癖だ」

 苛立ちを隠そうともしない批難に、アイザは言葉を呑んだ。

(なっ……)

「そ、それを言ったらおまえはかまいすぎだろう!」

「そんなことないだろ」

 むす、とガルが不満げに言い返してくるが、ここはアイザも引けない。そんなことない、なんて抜かすということは、彼には自覚がないというわけだ。

 確かにアイザは人に頼ることは苦手だ。自分でできるものなら自分でやる。今だってそうだし、今までもそうしてきた。それで誰かに迷惑をかけたわけじゃないのだから、批難される意味がわからない。

「そんなことあるから言ってるんだろうが!」

 食事は朝昼晩と必ず一緒だし、学園への行き帰りも一緒。同じ授業であればガルはアイザの隣に必ずやってくる。どうやってアイザを見つけ出すのか不思議なくらい、ガルは生徒たちのなかに埋もれたアイザの傍へやってくる。

「こんなにべったりしなくたってわたしはひとりで平気なんだから、新しい友だちをもっと大事にしろよ!」

「俺はただアイザと一緒にいたいだけだよ!」

 アイザにつられるようにして吐き出されたガルの声は、大きく教室のなかに響いた。は――とアイザは一瞬目を丸くして、そしてじわじわと顔に熱が集まってくる。

(は……!?)

 ガルの言葉に他意はない。彼は絶対に深い意味なんて考えていない。けれど、これではまるで愛の告白みたいじゃないか。

「あー……ちょいと、おふたりさん。よろしいかね」

 言い返せずに言葉を詰まらせていると、教室の入り口からヒューが顔を覗かせていた。割って入ってきた第三者にアイザはますます恥ずかしさで死にたくなった。このタイミングからいって、どう考えてもヒューはふたりの会話を聞いていただろう。アイザも気まずさを察してか、ヒューは苦笑して言いにくそうに続けた。

「なんだ……その、ガル、次の授業に遅れんぞ?」

 助け舟を出してくれているのだろう。ヒューがガルを手招きしているが、ガルはまったく動く気配がない。

「そんな場合じゃ――」

 ない、と口を開いたガルにアイザはつい「バカ!」と反射的に怒鳴った。授業をサボるのはもちろん、遅れるなんて論外だ。アイザやガルは、普通に入学したのではない。タシアンからわざわざ紹介状を得てマギヴィルに通えているのだ。

「授業には! ちゃんと出ろ! タシアンに迷惑がかかるだろうが!」

 未だに火照る頬を意識しないように、わざとらしすぎるくらいに大きな声でガルの背中を押す。そのままヒューが苦笑してガルの腕を掴んだ。

「ちょ、アイザ!」

 ガルが離せと暴れ、抗議するように叫ぶがアイザも鋭く言い返した。

「話ならあとにしろ!」

 ついでとばかりにどん、と強く背を押してガルを教室の外へと追い出す。

「ほれ行くぞー」

 ヒューとケインに引きずられるようにしてガルは連れて行かれた。それを見送ると、アイザは疲れたようにため息を吐き出した。肺の中で溜まっていた重い息を吐き出して肩を落とす。幸い、アイザはもう授業がないので慌てる必要はなかった。

(つかれた……)

 人のいなくなった広い教室で、アイザはどかりと腰を下ろした。今すぐに移動する気力がない。この時間はここも空き教室になるのだろう。しばらくこのまま座っていたとしても誰にも文句は言われまい。

(ああでも、図書館で勉強しようと思っていたんだっけ……)

 今日の授業の復習と、明日のための予習をしたかったのだ。未だにルームメイトの帰ってこない部屋は妙に落ち着かず、図書館や寮の自習室を利用する頻度が高くなっている。

 こてんと机に頬をくっつける。冷たい机が火照った頬にはちょうど良かった。

「いやあれは、犬が飼い主にくっついているようなもんだろ……」

 思い返してみても、甘ったるいものではない。

 ――けれど、そう。

 誰かに傍にいたいのだと、一緒にいたいのだと、そんな風に望まれることはなかったから、胸をくすぐるような、そんな気分になる。そう願うことが簡単なことではないと、知っているからなおさらだ。

 誰かに何かを望むことは、難しい。

 だからこそあんな風にまっすぐに願いを口にできるガルが、アイザには眩しかった。




 図書館は静謐さに包まれている。

 動揺した心はその静けさに癒されるように落ち着きを取り戻した。復習も予習も終えて一息つくと、そろそろ授業が終わる刻限だ。いつもだったら、ガルがアイザを探しに来る頃合いである。

(話ならあとで、と言ってしまったし、迎えに来るだろうな……)

 けれど話をしたところで平行線を辿るだけだと思う。そしてこの短時間でガルの頭が冷えているとも思えない。

 先に帰ってしまおうか、とも思うがアイザを探し回る彼の姿を思い浮かべるとそれも躊躇われる。

(まぁ、落ち着かせるにもここじゃダメだな)

 ただでさえガルは静かな図書館でうるさいと叱られかねない騒がしさなのだ。頭に血がのぼっている状態ならなおさらである。ノートや教科書をまとめてアイザは席を立つと、図書館をあとにした。図書館に来るまでにベンチがいくつかある。そこにいればガルもすぐにアイザの姿を見つけるだろう。


「……あんたがアイザ・ルイス?」


 名を呼ばれて振り返ると、そこには魔法科の女子生徒が三人、アイザを睨むように立っていた。

「……そうだが?」

 あまりうれしい用件ではなさそうだな、とアイザは心のうちで苦笑した。今そんな顔を表に出せばますます状況は悪化するだろう。真ん中に立っていた少女が、見下しながら口を開いた。豊かな金色の髪がまるでアイザの濃灰の髪を嘲笑うように風に揺れる。

「いったいどんなコネを使ってマギヴィルに編入したのよ。ここはね、あなたみたいな素人同然の子が通えるような場所じゃないのよ?」

 ――素人同然、という言葉に反論はできないが。

「コネも何も、正しく紹介状をいただいて編入試験を受けた上で、マギヴィルの生徒をやっているんだが?」

 アイザは何ひとつ間違った方法はとっていない。紹介状にしても、王太子のイアランの名では書かれたものではないのだから少女の言うような強制力だってないだろう。

「魔法の基礎も知らないような子がぬけぬけと通えるようなところじゃないのよ、ここは!」

 今度は右に立っていた少女が甲高く声を上げる。

「おかしな話だな。ではあなたたちはマギヴィルに来る前から自在に魔法を操れたと? それこそ学園に通う必要なんてないと思うが」

 妙に注目されていることは知っていた。それが、あまりいい意味でないことにも気づいていた。自分が同性に嫌われやすいであろう、ということもうすうす察していた。周囲を観察し考察するのはアイザの得意な分野だ。

「あなたみたいに武術科の男を侍らせているような子は魔法科にはいらないのよ!」

 ヒステリックに振り上げられた手に、打たれる、とアイザは思った。こんな荒事に慣れていないこともあって、頭で認識しても身体はついてこない。左の頬を叩かれて、衝撃で眼鏡がかしゃん、と地面に落ちた。

「ちょっと、これただの眼鏡じゃないんじゃない」

 アイザよりも先に拾い上げた女子生徒のひとりが、眼鏡をまじまじと観察する。一見しただけではただの眼鏡であっても、よくよく見ればそれが魔法具であることは、マギヴィルの魔法科に通う生徒ならわかるはずだ。

「ちょ――返せ!」

 学園長から借りている大事なものだ。乱雑に扱われて壊されでもしたらたまらない。

 アイザの慌てた様子に、女子生徒はにやりと笑った。眼鏡という防壁を無くしたアイザの目に、魔法のひかりが飛び込んでくる。ここ数日、忘れていた騒々しいひかりの世界。

「《うるわしの風の精霊、森への届け物を運び出して》」

「っ……!」

 眩いひかりは、アイザの視界を奪う。

 アイザが気づいたときには、女子生徒の手の中から眼鏡は消えていた。アイザの瞳に、その手のひらから魔法の残滓のように淡いひかりが学園の傍の森へ伸びているのが見える。

「くそっ……!」

 すぐに追いかければ精霊を捕まえられるかもしれない。いや、そうしなければ学園長から借りた眼鏡の行方はわからなくなってしまう。

「ちょっと! 森は許可ない立ち入りは禁じられてるのよ、知らないの!?」

(――その森に人のものを吹っ飛ばしたのはおまえだろうが!)

 女子生徒に腕を掴まれすぐに駆け出すこともできなくなる。アイザはチッと舌打ちして腕を掴まれたまま上着を脱ぎ去った。

「ちょっ……!」

 再び捕まる前にアイザは全速力で走る。魔法の残滓はまるで足跡のように森に伸びていた。



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