アイスグリーン
@taira3000
第1話 アンチエイジング
顔の肌荒れに触れる。若い頃は、ニキビをつぶしてもまったく問題なかった。
赤く腫上がり、どんどん周りを巻き込んで熱を持つ。そのままにしておくと、やがて白血球の死骸が無惨にも白い膿となって、今にもはちきれんばかりに肌に小山を作る。そっと触るだけで、白い液体がドロドロと流れ出すこともあれば、
勢い余って鏡にその液体がビシャッとかかることもあった。
膿が出てしまえば、あんなに熱を持っていたのが嘘のように腫れはひいて、
そこは何もなかったかのように、他の面積と同じ様態になる。
それでよかった。
若い頃は。
最近は、つぶしても腫れはなかなか引かず、引かないばかりか跡になって私を悩ませた。また、面白いもので、最近は赤く腫れるがそこまで熱を持たない代わりに、白い膿にもならず、ずっとずっと肌の上でくすぶっているやつもいた。
そして若い頃、綺麗さっぱりと跡もなく消えてくれていたと思っていたニキビ達は、体温が下がるとシミのようなものとなって顔中に浮かび上がってくるのであった。
深夜、仕事を終えタクシーに乗り込む。晴美は今日何をしたかを考えていた。
誇れるようなことは何もしていない。携帯のメモ機能に今日何をしたかを言葉にしてみようとするが、出て来ない。
本当に何をしていたか思い出せないのだ。いや、思い出せないのではなくて、思い出すに足らないことを延々と繰り返すのが自分の仕事だったと携帯を閉じて、流れ行く景色を眺めていた。表参道の交差点から渋谷方面に向かう車の中、その景色は同じようにずっとずっと続いていき、その先には何もないような気がしていた。
「疲れた。」
自宅に着いてポツリとつぶやく。
冷蔵庫を開ける
「何もない。」
ポツリともう一度つぶやいた。
お腹の中に何もないと、そこにぽっかり空洞があって、不安に襲われる。
何かを詰め込みたくもなるし、その空洞にむかって叫びたくもなる。
晴美は最近、お腹をいっぱいにしないと不安で夜眠りにつけないようになっていた。
また、夜中目が覚め、もう一度眠りにつこうとおもっても、さっきまで満たされていたお腹がもうすっからかんで、やはり空洞になってる気がしてしまう。
もう一度”埋め立て工事”を自分に施して、やっと眠りに落ちることができるのだった。
最近の楽しみといえば、夜眠りに落ちるまで、重たくなったお腹を身体にあずけ、「もしもあの時」を考えながら眠りに落ちることだった。
夢や希望を持って生きてきた。お陰で人が羨むような仕事にもつけた。容姿だって人並み以上だと自負している。170 を超える長身と細長い手足、大きな目に艶のある黒髪は晴美の自慢のパーツであった。
カタカタとパソコンを、シンとしたオフィスで鳴らしながら、ふと窓に目をやると東京の街が一望できる。どこぞの海外のオイシイオーガニック茶をすすりながら、ここまで来たかーと自分がえらくなった気分にもなる。
キレイな友達にオイシイ食べ物、ステキな職場、イチリュウの服に鞄に靴に。揃えれば揃えるほどまだまだ足りない気がして、自分自身が見えなくなるまで埋め立ててきた。
この世界には魑魅魍魎だらけ、気がつくと自分に負け、自分を見失ってしまう。
「篠宮さん、聞いてるの?」
聞こえてないふりは相変わらずへたくそなままだった。
「はい、なんでしょう!」
「こちら上田さんにギフトとして差し上げるから、綺麗に梱包して、この住所に送って頂戴ね。朝はご迷惑になるだろうから、一時に着くようにしてちょうだい。2時でも三時でもなくいちじね」
ひとせだい前のような、せいこちゃんかっとのような月影先生のような、
黒髪の上司が、わーわーと言っている。彼女は笑うと眉間に瘤のようなものが見える。同僚に言わせるとあれはシリコンで彼女は整形なんだそうだ。
瘤を見つめ、顔に異物を埋めてしまうまでになった彼女もまた、この世界の被害者なのかもと思うと、行く先を見ているようで自然と顔がこわばる。
果たして、本当に一時じゃないと駄目なのだろうか。そんなことはない。
そんなことを思っていると、矢継ぎ早に
「それから、今からに木元さんがいらっしゃるから、お飲物お願いね。」
そのクシャッと笑ってお願いされた顔の中で、異物だけが異物らしく冷静に彼女の顔の上に居座っていた。綺麗に白髪染めされた黒髪とひっぱりすぎて、ピンとこわばった顔は笑顔とかけ離れたものだった。
「わかりました!」
笑顔で返答する。
「とりあえず佐川さんに一じジャストタイムビンお願いして、木元さんはブラッドオレンジジュースをいつもお飲みになるけど、今日はストックあったかな、あ、そうだパッキンの発注も今日かけなきゃいけないんだっけそれと、、、」
「しのみやさーん、お茶ー!」
「はーい!」
「しのみやさーん、返却受けてー!」
「はーい!」
「しのみやさーん、伝票まだー?あれ急ぎだから最優先でお願いー!」
「はーい!」
「シノミヤサーン」「シノミヤサーン」「シノミヤサーン」
この世界の末端のさらに末端の住人の私の名前は、物のように連呼され、
物扱いされ、奴隷ですらない。
名前を呼ばれるたびに何かが削られ、何かが私を奪っていく。
それでもここを辞めないのは、末端の末端であっても誰もが知っているようなブランドにくっついていたいという欲からなのであって、やはり私も欲のために自分を見捨てたもはや物に成り果てようとしている、この世界の住人の一人なのだ。
この世界は時が止まって見える。流れは早いが、時はとまっているのだ。
けれど、時間は実際とまってはいないし、そうやって見せるために、みんな工事をして、ダイエットをして、見えないコルセットをぐるぐる巻いて、
「この前10年ぶりにパスポートを更新したんだけど、10年前と顔がこんなに変ちゃってほんとにやんなっちゃうー」
と、自慢げに10年前と変わらない写真を、工事が成功したことを、流れのなかで流れに抗って止まっていることを誇示したいのだ。
それに合いの手ように、
「えー全然かわらないじゃないですかーすごいですー!」
言っている私も私で彼女の工事の一端を担っているのだ。
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