魔ものならぬ和もの溢れる女子寮の管理人任されたんだけど
明石竜
第一話 大福餅降って和もの溢れる旅館にご招待!?
漫画家、ラノベ作家、声優、イラストレーター、ゲームクリエイター、プロゲーマー、アニメーター……etc.将来はこういったエンタメ業界の職業に就きたいっ!
↓
そうだ、プロになれる技術を学べる学校に進学しよう!
こんな風に志した中高生の多くにとって、それを実現させるうえでの最難関は親への説得である。家庭環境によっては東大合格よりも遥かに難しいことだと言えよう。
「あかんに決まっとるやろっ! アホかあんたはっ! そんな変なとこは金持ちの道楽やっ! だいたいあんたマンガなんか描いたことないやろ」
「だから描けるようになれるように描き方を学びに行くんだって!」
「そんな甘い心構えの子ぉが漫画家なんかになれるわけないやろっ! 漫画家なれる子ぉはそんなんわざわざ他人から教わらんでも独学でやるんよ。小学生の時から」
「……」
ってな感じで阪神間とある文教地区に住む押部翔一(おしべ しょういち)も母に私立高校芸術科マンガ・アニメコースへの進学を猛反対され、中学の頃仕方なく勉学に励んでやって、東大・京大合格者を毎年多数輩出する県立伝統進学校普通科に不本意入学してやったわけだ。
☆
将来に向けて、高校生のうちから手に職をつけようと地道に技能を磨くことは、立派な行為だろうけど時と場合によっては感心されないのは当然である。
五月下旬のある日、押部翔一(おしべ しょういち)は改めてそのことを痛感した。
「今授業中やろ、なにお絵描きして遊んどうねん」
二時限目古文の授業中、教科を受け持つ三十代後半の女性教師、衣笠先生に険しい表情で詰め寄られ、B5判大学ノートを没収されたのだ。ビキニや下着姿の可憐な少女たちの自作イラストがたくさん描かれた。
さらに「こんなくだらんもん描いて」と教卓へ戻るさいに仏頂面で呟かれてしまった。
はっきり言われたし。他にも授業に関係ないことしてるやつ何人かいたのに、なんで俺だけ? 後ろの方だし窓際だし、教卓からは見えにくいはずなのになぁ。っていうかなんで真ん中の列の前の方でマンガ読んでた奴がバレてないんだよ?
心の中で理不尽さを嘆いた彼は次の休み時間には、
「あの子エロいの描いとったやろ」
「ばりアニヲタ君向けの絵ぇやったよね。押部、あんなん描いとんや。なんかきしょい」
こんな教室内での女子の会話を廊下で小耳に挟んでしまい、ちょっぴり落胆。
ジャニタレとかネイルアートとかに嵌ってるおまえらの方もだろ。
心の中で強気にこう反論しておく。
お昼休みには、
「……うちの高校から、この大学へ進む子はここ数年一人も出てないよ。押部くんは成績良い方なんだから、勿体ないよ。数学が特に高得点だし、理工系も向いてると思うよ」
面談で進路希望調査について、クラス担任で地歴・公民科の鯛先生(二十九歳、♀)からやんわりと苦言を呈され、ややしょんぼり気分に。
難関国公立の進学指導に力入れてるだけあって、やっぱあまりいい顔されなかったか。
翔一は第一志望から第三志望まで私立大の芸術系学部にしていたのだ。
いつもより良くないこと続きだった翔一は放課後、ノートを返却してくれるよう職員室にいる衣笠先生のもとへ恐る恐る交渉しに行ってみたが、
「認めませんっ!」
ムスッとした表情できっぱり申され失敗。そんなわけで夕方四時十分頃。親友のほとんどいない翔一は不愉快な気分で独りで自宅への帰り道を歩き進んでいくのだった。
あの気難しいおばさんの独身拗らせた腹いせには困ったものだな。最初の授業の時、太宰治と芥川龍之介と森鴎外と志賀直哉と川端康成と三島由紀夫の作品が特に好みだって自己紹介してたし、絶対萌え系の絵に強い嫌悪感示してるよな……甲ノ夢高の芸術科入れてたら、同士がいっぱいいてもっと楽しい高校生活送れてたはずだよなぁ。校則も緩いみたいだし。あの時母さんにもっと強く反発してたら良かったよ。
俯き加減でこんな不平不満を心の中で呟いていたら、
「いっ、てぇぇぇーっ!」
街路樹の枝にぶつかってしまい、額にジンジン痛みが走る。さらにその振動からか、この木の上からある物体が落下し彼の脳天をコツンッと直撃した。
「あいたぁっ!」
泣きっ面に蜂かよ。俺、今日は本当に不運続きだな。いったい何が落ちて来たんだ?
なんとも惨めな翔一は涙目で地面に目を遣る。そこにはなんと、直径五センチほどの大きさの大福餅があった。可愛らしい蜜柑色りぼんで結ばれた、四角く透明な箱に包まれたままの状態だった。
なんでこんなものが木の上にあったんだ!?
翔一はそれを拾い上げ、怪訝な表情で見つめる。
次の瞬間、彼の身に予期せぬことが起きた。
「親切なお兄さん、ありがとうございます。私、さっきそのみかん大福ちゃんを食べようと箱を開けようとしたら、カラスさんにパクッとくわえられていっちゃったんですよ」
いきなり背後から一人の女の子に、ゆったりとした口調で声をかけられたのだ。
「えっ、俺!?」
翔一は恐る恐る後ろを振り向く。そこにいた子は丸顔ぱっちり垂れ目、細長八の字眉、ほんのり茶色な髪を和風なアジサイ柄のシュシュで二つ結びに束ね、肩にかかるくらいまで下ろしていたのが特徴的だった。少し痩せ型で、服装は胸ポケットの付いた白地長袖ワイシャツに、えんじ色チェック柄スカート。移行期間中の制服姿と思われる。
「こんにちはーっ、はじめまして。私、摂蔭(せついん)女子高等学校一年の幸岡千景(こうおか ちかげ)って言います。あのっ、藪から棒ですが、もしよろしければ、あなたのお名前聞かせてくれませんか?」
その千景と名乗った子は翔一に顔を近づけ、にこやかな表情で問いかけてくる。翔一は緊張からか額から冷や汗がつーっと流れ出た。ドクドクドクドク心拍数も急上昇する。
「おっ、俺の、名前は、押部翔一、だけど……」
翔一は言葉を詰まらせながら思わずフルネームで答えてしまった。
「翔一くんっていうんですね。醤油餅が食べたくなっちゃうお名前ですね」
千景は不○家のペ○ちゃん人形のように舌をぺろりと出した。
「……」
翔一はどう反応すればいいのか分からず戸惑ってしまう。
「翔一くん、みかん大福ちゃんを救って下さり、本当にありがとうございました。私の大好物なんです♪」
千景はにこやかな表情のまま、翔一が右手に持っていた箱を掴み取る。そしてそれを肩に掛けていた通学鞄に仕舞った。
「どういたし、まして」
なんだ、この不思議な子は?
翔一はただただ呆然と立ち尽くす。
「その制服、神六丘(しんろくおか)高校、神高(しんこう)のですよね?」
「うっ、うん。そうだよ」
「やっぱり♪ ますます気に入っちゃいました。何年生ですか?」
「いっ、一年」
「私と同学年ですね。あのっ、翔一くん。私から、ちょっとお願いしたいことがあるの」
千景は急に真剣な眼差しになり、学ラン姿の翔一の目をじっと見つめてくる。
「なっ、何かな?」
翔一の心拍数はますます高まった。
千景はちょっぴり俯き頬をほんのり赤らめて、すぅと息を大きく吸い込んだ。
そして、
「翔一くん、私、あなたに一目惚れしちゃったの。真面目そうで誠実そうで、賢そうで心優しそうなところに、すごく好感が持てたの。あのっ、これからいっしょに暮らして下さいっ!」
周囲に響き渡る大きな声で、なんと翔一に告白して来たのだ。
「えっ!? いっ、いっしょに、暮らしてって……」
翔一は当然のごとく動揺の色を隠せなかった。
「今から翔一くんを、私のおウチへご案内しまーすっ!」
「うわっ!」
そんなことはお構いなしに、千景は右手をぎゅっと握り締めてくる。マシュマロのようにふわふわ柔らかい感触が、翔一の手のひらにじかに伝わって来た。
「こっちです、こっちです」
「わっ、わわわわわ、ちょっ、ちょっと」
翔一は千景にグイグイ引っ張られていく。
千景の背丈は一五〇センチ台後半くらい。今年四月の身体測定時で一六五.一センチだった翔一よりも小柄だが、彼は完全に力負けしてしまっていた。
「あっ、あの、手を、離してくれないかな?」
「嫌です。せっかく出会えたのに。絶対離しませんっ!」
千景は翔一の方を振り返りながらそう告げて、翔一の手をさらに強く握り締めた。
「そっ、そんな……」
下手に抵抗して痴漢だとか叫ばれでもしたら非常に困る、と危機感を抱いた翔一は千景にされるがままにされるしかなかった。
ここは神戸市内とある文教地区の一角。
あれよ、あれよという間にマルーンの車体で知られる阪急電鉄の踏切を通り抜け、さらに北の方角へ。急な坂道を駆け上がりつつ閑静な住宅街を走り抜け、青々とした木々に囲まれた五十段ほどの緩やかな石段を駆け登らされ、ついには山がすぐ背後に迫った所まで連れて行かれた。
「ここでーす。私のおウチ♪」
千景はようやく手を離してくれる。
「……よっ、羊羹!?」
翔一はゼェゼェ息を切らしながら、すぐ目の前に聳える建物を見上げて驚く。
窓ガラスは所々に見受けられるものの、三通りほぼ均等に塗り分けられた外壁が翔一から見て左から順に抹茶羊羹、栗羊羹、白餡羊羹そっくりな形をしていたのだ。齧ったらその味がしそうなくらいに。
屋根瓦は桜色。まるで桜の花の塩漬けが散りばめられているかのようだった。
「雅で美味しそうな建物でしょ? ようかんだけど和風なの。三階建てで中はごく普通だよ。さあ、翔一くん。どうぞこちらへ」
「わわわ」
翔一は再び千景に右手を握り締められ、ズズズッと引っ張られていく。
「ただいまーっ!」
千景は練り込まれた栗を模した形と色の横開き玄関扉をガラガラッと引くと、元気よく帰宅後の挨拶をした。
「おかえり、千景ちゃん」
数秒待つと、奥から一人のお婆さんが現れた。
「お婆ちゃん、この神高の男の子を、新しい管理人さんにしよう!」
千景は翔一の右手を握り締めたまま、元気な声で伝える。
「へっ、へっ!?」
翔一は目を大きく見開いた。
「千景ちゃん、そちらのお兄さん、かなり動揺してるよ。事情はちゃんと説明してあげたのかい?」
お婆さんはにこにこしながら二人のいる方へ歩み寄ってくる。
「あっ、いっけなーい私ったら。ごめんね翔一くん」
千景はてへっと笑う。
「あっ、あの、ですね……」
翔一は棒立ちのまま、口をパクパクさせていた。
「お兄さん、翔一ちゃんって名前なのかい。汗ようけかいとるね。きつい坂上って来て疲れたろう? ちょっと休憩していきな」
お婆さんに手招かれる。
「いっ、いえ。その、俺は……」
翔一は慌て気味に断ろうとしたものの、
「翔一くん、上がって、上がってーっ!」
「わわわわわ」
千景にまたも右手をぐいっと強く引っ張られ、無理やり上がらされてしまった。
翔一と千景は玄関先で靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。
目の前はロビーとなっていた。
外観とは対照的に、特に奇抜さは感じられなかった。
なんか、旅館っぽいな。
翔一はそんな第一印象を抱く。
「翔一ちゃん、千景ちゃん。ここへお座り」
お婆さんに案内されたのは玄関入って左側に見える、高級そうな桐座卓をコの字型に囲むように抹茶色のソファーが並べられてある場所。座卓のすぐ横には四六V型液晶テレビも置かれていた。右側には食事スペースなのか、わりと大きめの漆塗りダイニングテーブルと、それを囲むように木製椅子が六つ並べられてあった。
ソファーに翔一と向かい合うようにお婆さん、翔一のお隣に千景が座る。
「翔一くん、こちらのお婆ちゃんのお名前は辰馬照子さん。お歳は九三歳だよ」
千景は自慢げに紹介した。
「はじめまして、翔一ちゃん」
照子さんは翔一に優しく微笑みかける。このお方は髪の毛こそ綿菓子のように真っ白であったが、顔にはあまり皺は無く背筋もぴんと伸びていた。身のこなしも機敏で声も元気溌剌としていて、とても九三歳とは思えない若々しい風貌だった。
「はっ、はじめ、まして」
なんだよ、これ。新手のキャッチセールスか? だったら早く逃げないと……。
翔一はおどおどしながらも、ぺこりと頭を下げた。
「お客様ですかー?」
奥からもう一人、中学生くらいのヨーロッパ系外国人だろう女の子が現れた。三人のいる方へ歩み寄ってくる。
「そうだよ、翔一くんっていうの」
千景は嬉しそうに伝えた。
この女の子の背丈は一五〇センチ台前半くらい。卵顔でおでこが広く、ブルーの瞳に縁無しのまん丸な眼鏡をかけていた。髪の色はクリーム色。和風な桜の花のチャーム付きりぼんで三つ編み一つ結びにしていて、見た目から優等生っぽさが感じられた。
「いらっしゃいませ、翔一お兄さん」
「あっ、どうも」
爽やかな笑顔&流暢な日本語で挨拶され、翔一は頭を少し下げて会釈した。
「翔一ちゃん、礼儀正しいねえ」
照子さんは感心する。
「いえいえ。俺、それほどでは……」
翔一はすぐに謙遜した。
「翔一ちゃん、学ランは暑かろう? 脱いでリラックスしな」
照子さんは笑顔で勧めてくる。
「いっ、いえ。俺、これでちょうどくらいですから」
本当は暑いけど、いざという時に逃げにくくなるからな。
翔一は警戒して、身に着けていた制服の冬服学ランを外そうとはしなかった。学校指定の通学鞄も左手に持ったままだった。
「どうぞ」
女の子が丹波の黒豆茶と炭酸せんべいを座卓に運んで来てくれた。翔一の目の前にコトンと置く。
「あっ、ありがとう」
あとで法外な高額請求されたりしないだろうな。
翔一は礼を言うもそんな不安がよぎり、手をつけようとはしなかった。
「わたし、ヤスミン・クースタスと申します。オーストリア出身です。私立摂蔭女子中学の三年生で、理科部とかるた部と茶道部に所属しています。日本語は三歳の頃から習っていまして、漢検準一級と日本語能力検定N1持ってます。わたしの日本語能力は一般的な日本人中学生よりも高い自信がありますよ」
この女の子はヤスミンというらしい。ちょっぴり照れくさそうに自己紹介したあと、照子さんのお隣に腰掛けた。
「きみも、この旅館っぽい所に住んでるの?」
翔一は恐る恐る質問してみた。
「はい。わたしと家族は五年前の三月に故郷から京都に移住し、わたしは中学に入学した時から家族と離れてここに住むようになりました。ここは、今は旅館ではなく摂蔭女子中学校・高等学校の生徒寮として利用されてるの。全校生徒一四〇〇名くらいいるうち二割程度が寮に入ってますよ。ただ、みんな同じ寮というわけではなく、いくつかの提携寮に分散させているんです。ここ鶸梅(ひわうめ)寮のようにこぢんまりとした寮から、百名以上収容出来る大きな寮までいろいろありますよ」
「そっ、そうなんだ」
ヤスミンの説明で、翔一は腑に落ちたようだ。
「そんで、おらがこの鶸梅寮の現管理人なのさ。翔一ちゃん、おら、見ての通り高齢だろ? 卒寿もとっくに過ぎていつポックリいくか分かんねえから、管理人の後継者となる若い子を探してたのさ。まあ、おらもまだまだ引退しないけど。少なくとも百まではね」
照子さんはにこにこ笑いながらおっしゃる。
「お婆ちゃんは十五歳以上から七〇歳くらいまでの人を募集してたんだよ」
千景は説明を加えた。
「学校のホームページに、求人広告を出そうかと思ってたとこなのさ」
照子さんはさらにこう伝えた。
「そうなん、ですか」
翔一はぽかんとなる。
その直後、
ミャーォ。
奥からネコの鳴き声も聞こえて来た。
ほどなく四人の前に姿を現す。
白、黒、茶、三色の毛並み。
三毛猫だった。
千景の方へとことこ駆け寄ってくる。
「この子は鶸梅寮のペットでマスコット的な存在の、大五郎っていうの。私は大ちゃんって呼んでるよ。メスだけど大五郎、男の子の名前みたいで面白いでしょ。お婆ちゃんが若い頃大人気だったお相撲さん、高見山大五郎の名前から取ったんだって。今四歳だよ」
千景は嬉しそうに紹介する。
その大五郎と名付けられた三毛猫は、千景のお膝の上にちょこんと乗っかった。千景は頭を優しくなでてあげる。
「三毛猫は、ほぼ百パーセント、メスだよな」
翔一は的確に突っ込んだ。
「オスの三毛猫なんて、おらも九〇年以上生きて来たけど一度たりとも見たことねえな。ここは旅館として大正時代から長年経営してたんだけど、震災で一度全壊したんだ。建て直したさい元の姿を再現したんだけど、客足が震災以前に比べると大幅に減ってしまって経営が苦しくなってね。そんで、平成十年度からは摂女の提携寮として使うようになったのさ」
照子さんはこの寮の沿革を簡潔に語る。
「震災って、阪神淡路大震災のことですね。俺がまだ生まれる前だな」
「あの日はたまたま休館日にしてて、宿泊客がいなかったのがまだ幸いだったよ。ところで翔一ちゃんは、あの伝統名門の神高生なんだってね」
「はい」
翔一は少し俯いて緊張気味に答える。
「おら、翔一ちゃんを喜んで採用するよ。まさに求めていた人材ぴったりだ」
照子さんはにっこり笑いながらおっしゃった。
「えっ…………えええええええええええええええっ!!」
すると翔一は目を白黒させ驚愕の声を上げた。
「とりあえず、一ヶ月くらい試しに管理人体験をしてみないかい?」
照子さんはとても嬉しそうに誘いかけ、翔一の肩をポンッと叩く。
「あの、それって、俺を、ここの旅館、ではなく寮の管理人として、雇うということ、なんです、よね?」
翔一は唇を震わせながら、言葉を詰まらせながら質問する。
「その通りさ。住み込みでね」
照子さんはにこやかな表情で告げた。
「……ってことは、俺も、ここで、暮らせということなんですか?」
翔一はきょとんとなった。
「おう、鶸梅寮はかわいい子満載だよ」
照子さんは笑いながら答える。
「翔一くん、鶸梅寮の新しい管理人さんになって、なってーっ」
「わたし、翔一お兄さんなら大歓迎ですよ。あの名門の神高生ですし、かなり真面目そうなお方ですし」
千景はもちろんのこと、ヤスミンもそれを強く望むような言葉をかけた。
「今日は木曜かいね。引越しの準備もあるだろうし、翔一ちゃん、ご両親の許可が取れたら、来週月曜から来てくれないかい?」
「えっ、あっ、はい」
翔一は思わず承諾の返事をしてしまう。
「やったぁ♪ 翔一くん、寮生はもう一人いるよ。中学二年生の阪谷彩織(さかたに さおり)ちゃんっていう子、呼んでくるね」
千景はそう伝えると、ロビー隅にある昔ながらの箱階段を駆け上がり二階へ。
「彩織ちゃん、あの男の子が新しい管理人さんになってくれるよ。お顔見せてあげて」
「……」
千景がお部屋の出入口を引いてこう叫ぶと、彩織という子はお部屋から出て来て、階段の所からロビーに向けてぴょこっとお顔を出す。無言のままぺこりと頭を下げて、すぐにお部屋へ戻っていった。
あの子か……。
翔一はその子と一瞬だけ目が合った。一五〇センチに届かないだろう小柄さ、丸っこいお顔とくりくりしたつぶらな瞳。ほっそりした体つきで、ボサッとした墨色の髪を水色リボンでポニーテールに束ねていたことが確認出来た。
「彩織ちゃんは人見知りの激しい子なの」
ロビーへ戻って来た千景は手短に紹介する。
「あの、そんな繊細な子がいるのに、俺みたいな、今日初めてここを訪れた者が管理人をして、大丈夫なのでしょうか?」
翔一は不安げに問うた。
「大丈夫だよ、翔一くん」
「彩織さんは、きっと翔一お兄さんのことを気に入ってくれると思いますよ」
千景とヤスミンは自信たっぷりに言う。
「翔一ちゃんなら、彩織ちゃんとも絶対上手くやっていけるさ」
照子さんも同じく。
「そうで、しょうか? あっ、そういえば俺の高校、アルバイト原則禁止なんですけど……」
翔一は不安そうな表情を浮かべた。
「今はそうなってるのかい。ほな、ボランティア活動としてやったみたらどうかね?」
照子さんは優しく微笑みかけた。
「そう、ですね。ボランティア活動は推奨してるみたいなので、学校と両親から、許可が取れれば」
「翔一くん、上手く説得してね♪ 健闘を祈るよ」
「うっ、うん」
千景にウィンク交じりでお願いされ、翔一はよく考えずに引き受けて良かったかなっと感じたようだ。
*
「こんな場所だったんですか。俺んちから三キロくらいだな。では、失礼します」
翔一はあのあと、照子さんから鶸梅寮の見取図、アクセスマップ、仕事内容の説明などが記載された書類を受け取り、ここをあとにした。
まさか、こんなことになるとは……人生何が起こるか分らないものだな。寮生も女子寮モノの漫画やアニメに高確率で出てくる俺の苦手なビッチ系や酒豪で気の強い姉御肌の子がいなくて、俺好みの垢抜けない純真無垢な感じの子ばかりだったし、管理人体験やってみたいなって感じたよ。外観も風流で和風で芸術的だし。こんなお誘いが来るなんて、俺、神高入ってよかったかも。
翔一はこれまで十五年と半年ちょっとの人生の中で最高とも言える高揚感を味わいながら、徒歩で自宅へ帰って行く。
☆
「ただいま」
夕方六時半過ぎ、翔一は鶸梅寮から四〇分ちょっとかけて自宅に帰り着くと、
「おかえり翔一、やけに遅かったけど、アニメのお店とかに寄り道してたんやろ?」
母にやや呆れられた。
「アニメの店じゃないって。あの、母さん、父さん。俺、女子生徒寮の管理人やらないかって誘われたんだけど……」
翔一は否定するや恐る恐る両親に報告する。
「えっ!? どういうことなの?」
「女子生徒寮の管理人?」
両親は目を丸くしたが当然の反応だろう。
「帰る途中に、俺と同じ学年の女子高生にここに誘われて、それで……」
翔一はそう伝え、私立中高一貫校の物理教師である父に、照子さんからいただいた書類を手渡した。
「本当に生徒寮の、管理人をするのか!?」
父はけっこう驚いていた。
「来週月曜からボランティアで一ヶ月ほどやってみないかって。この鶸梅寮っていう寮、摂蔭女子中・高の提携寮の一つみたい」
翔一がそう伝えると、
「摂蔭!? そこってなかなかの名門校じゃないか。そこと提携してる生徒寮なのか。危ない所じゃないし、誘われたんならやってみたらどうだ」
父の表情に笑みが浮かんだ。
「生徒寮の管理人って、高校生でも出来るの!?」
「現管理人の辰馬照子さんっていうお婆さんが大丈夫だって言ってた」
「翔ちゃんはそのボランティア、やってみたいの?」
「うん、まあ。評定も上がって大学受ける時、推薦で有利になりそうだし」
「翔ちゃんにやる気があるんなら、母さんは許すけど。でも寮の管理人さんって、生徒達の相談相手とかにもなってあげんといかんし、対人能力が相当いるやろ。人付き合い苦手な翔ちゃんが出来るわけないと思うんやけど」
母はかなり心配になったようだ。
「まあ母さん、ここを見ると翔一にとって良い社会勉強になるかもしれないじゃないか」
父は柔和な笑顔で言う。仕事内容が説明されてある書類には求める人物像:品行方正、素直で正直者、誠実、地道な努力を怠らず真面目で心優しい人。と書かれてあった。
まさに翔一のことだ、父は感じたのだ。
私立摂蔭女子中学校・高等学校は、父が勤めている学校のライバル校らしい。入学難易度も同じくらいではあるが、父の勤めている学校はスポーツ万能な活発系、摂蔭の方には真面目で大人しい文化系の子が多く集まる傾向にあるという。
そう聞かされた翔一は、より期待感が高まった。自室に入るとさっそくスマホで鶸梅寮の電話番号に連絡する。
『それはよかったよ。翔一ちゃんの学校にもおらの方から事情伝えておくから。じゃ、月曜日にね』
最初に出た照子さんと、
『翔一くーん、楽しみに待ってるからねーっ!』
続いて代わった千景も大喜びしてくれた。
翔一は電話を切ると、
女の子にこんなに嬉しがられたのは生まれて初めてだよ。
ちょっぴり感激しながらベッドに寝転がり、
けっこう広いんだな。
鶸梅寮の見取り図を確認する。玄関があるのは南側。寮の一階、ロビーの奥には北に向かって廊下が伸びており、西側に台所と談話室、東側に共同トイレ、管理人室、書斎が南側から順に並んでいる。廊下をさらに奥へ進むと両側に中庭が見えて来て、そこを十五メートルほど突き進むと平屋建ての別館へ辿り着く。そこは大浴場となっていて、外観は和食仕様。握り寿司を模っているとのこと。
客室は本館二階と三階にある。各階四屋ずつの全八屋。どのお部屋も広さ十畳ほどの和室だ。寮生三人は二階の客室を利用しており、千景が201、ヤスミンが202、彩織が203号室。生徒寮といえば相部屋がイメージされるが、ここでは珍しく一人一部屋ずつ用意されていた。
鶸梅寮の内装は大正五年の旅館創業当時からほとんど変わりないものの、建て直すさい建物の一部を旧来の木造から耐震性の強い鉄筋コンクリート造りに変えたらしい。
外観は二〇〇五年に白漆喰塗り杉板張り&抹茶色屋根瓦から、和菓子、和食、和ものを模ったものに改装したそうだ。
☆
午後八時頃、鶸梅寮。
「翔一くん、早く来ないかなぁ。楽しみだなぁ」
「とっても誠実で心優しそうな人だったわね。わたしも一目で気に入っちゃった♪」
千景とヤスミン、そして彩織も、大浴場の湯船にゆったり足を伸ばしながらくつろいでいた。浴室には、一度に十数人は入れる大きな檜風呂が備え付けられてあるのだ。
「彩織ちゃん、新しい管理人さんになってくれる翔一くん、すごく良さそうでしょ?」
「……分かんない」
千景の問いかけに、彩織は困惑顔でこう答えた。
※
「アイス、アイス♪ これからはアイスが美味しくなる季節だねえ」
千景は風呂から上がり脱衣場で体を拭くと、そのまま台所に駆け込み冷蔵庫の前へ。中から抹茶味のアイスキャンディーを取り出しロビーへ向かい、ソファーに座ると同時にパクッと齧りつく。
「千景ちゃん、翔一ちゃんが来たら、そんなはしたない格好のままうろついたらいけないよ」
照子さんはにこにこ微笑みながら、抹茶アイスを美味しそうに頬張る千景に優しく注意した。
「はーい」
千景はてへりと笑う。バスタオルを一枚、膝上から肩の辺りにかけて巻いただけの姿だった。
「わたしも気をつけなくては」
「あたしも気をつける」
同じような格好でロビーに現れたヤスミンと彩織は、ちょっぴり反省する。
三人とも脱衣場へ戻りパジャマを着込んだあと、またロビーへ。
その途中、千景はもう一度台所へ寄り、戸棚にあった鯖缶を持って来ていた。
「大ちゃん、エサだよ。おいでーっ」
ミャァー♪
千景が鯖缶を開け床の上に置くと、大五郎が一目散に駆け寄ってくる。
大五郎は鯖が、ネコにはありがちだが一番の大好物なのだ。
「大ちゃん、美味しい?」
千景がにこやかな表情で話しかけると、
ミャァーンと、大五郎はとても幸せそうな表情で返事をした。
「そうか、そうか。鯖好き大ちゃんだねぇ」
千景は大五郎のふわふわした胴体を優しくなでてあげた。
「千景ちゃん、なかなかの逸材を見つけて来たね。いまどき滅多にいないよ、あそこまで純朴で人柄の良い子」
照子さんは柔和な笑みを浮かべる。とても嬉しそうだった。
「私、一目見て不思議な魅力を感じたの。翔一くんは普通の人とはオーラが違うなぁって」
千景はてへりと笑う。
☆
午後九時半頃。
「わたしのとこの寮、来週から新しい管理人さんが来るよ。照子お婆さんも引き続き管理人は続けるけどね」
自分のお部屋へ戻ったヤスミンは、同じクラスの親友で自宅生の南中柚陽(みなみなか ゆずひ)という子にスマホで連絡した。
『本当!?』
その子がけっこう驚いていることが電話越しにでも分かった。
「もうどんなお方か拝見したんだけど、とても真面目そうで心優しそうな若い男の人だったよ」
ヤスミンは嬉しそうに伝える。
『若い男の人って! 大丈夫なん? 女子生徒寮の管理人を任せて』
「絶対大丈夫よ。照子お婆さんがすごく気に入って採用を決めたんだもの」
『照子婆ちゃんがっ! それじゃ、性犯罪起こしそうにないまともな人かな?』
「まともな人に決まってるわっ! なんてったって現役神高生だもの」
柚陽の浮かべた疑問に、ヤスミンは満面の笑みで自信満々に答えた。
*
「お母さん、来週からね、鶸梅寮に押部翔一くんっていう新しい管理人さんが来てくれることになったの♪」
『それはよかったね。千景とっても嬉しそうね。声が弾んでるわ』
「うん! とっても嬉しいよ。お婆ちゃんもヤスミンちゃんも大ちゃんもすごく喜んでた。お婆ちゃんお墨付きのとってもいい人だから、彩織ちゃんもきっと喜んでくれるはずだよ」
千景は城崎にある実家にスマホで連絡。
*
《マリノ、あたしと千景お姉ちゃんとヤスミンお姉ちゃんの住んでる寮、なんか新しい管理人さんが来るみたいだよ。来週の月曜日から》
彩織も同じクラスのお友達、胸永茉莉乃にラインで知らせた。
《上垣先生、来週の月曜日から、鶸梅寮に管理人さんがもう一人増えるみたいです》
そしてもう一人、クラス担任にも異なる文面で送信した。
翌日金曜日、翔一は学校からもボランティア活動の許可を得た。
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