第三話 家庭学習指導本格始動! 真面目にやらなきゃ体罰もあるぜ

午前八時二六分頃、昇子達の通う鴎塚中学三年三組の教室。

「昇子さん、あの通信教育で悲惨な目に遭ったみたいだね。ワタシも欲しいなぁって思ったんだけど、ホームページからして詐欺の香りがしたから引き留まったの。問い合わせ先が書かれてなかったから、逃げられるかもって感じたの」

 学実は登校してくるなり昇子にこんな風に伝えてくる。彼女のホッとしている様子が朗らかな表情からよく分かった。 

「しょこら、世の中こういうこともあるって」

 帆夏は爽やか笑顔で慰めるように昇子の肩をポンッと叩く。

「……そっ、そうだね」

昇子は昨日あれからあった出来事を話そうかなっと思った。けれど、信じてもらえるわけは無いだろうと感じ、黙っておくことにした。

 今日の一時間目は家庭科。三年生が今学習しているのは幼児の生活と家族に関する分野だ。

「このページを捲ると可愛らしい厚紙工作が迫り出してくる飛び出す絵本、皆さんも幼い頃に楽しんだと思います。遊び心があって懐かしいでしょ?」 

 小顔でぱっちり瞳、ほんのり茶色な髪をフリルボブにし、お淑やかそうな感じの四十代女性教科担任はそれを教卓からクラスメート達に向けて見せた。

あの教材、厚紙工作どころか、生身の人間が、飛び出して来たんだけど。

「灘本さん、どうかしましたか?」

「……あっ、いえ、なんでもありません。すみません」

 昇子はロダンの『考える人』のような格好をしていたため、教科担任に心配されてしまった。昇子の席は教卓に近いため目立ちやすいのだ。

二時間目は体育。体操服については今回から完全夏用。男女とも同じ柄で、学年色黄色のラインと校章の付いた白地半袖クルーネックシャツと青色ハーフパンツだ。今日は男子は体育館で器械運動、女子はグラウンドでハンドボールをすることになっている。

女子体育三年担当の先生は四角顔ぱっちり瞳ショートヘアー、背丈一七〇センチ近い三十代前半の爽やか系だ。強面筋骨隆々な男子体育三年担当の先生とは対照的に、特に厳しく注意してくることもない優しい先生でもある。

準備運動のランニング。昇子、森優、帆夏、学実の仲良し四人組はそれをいいことに、いつもと変わらずみんな同じようなゆっくりペースでおしゃべりしながらダラダラ走っていた。

「うちんちの庭に生えとうびわと梅、今年ももうすぐ収穫やからばり楽しみやー」

「梅は美味しいよね。私、梅干しは嫌いだけど、甘露煮とかジャムとかキャンディーとかは大好きだな」

「青梅を生のまま食べると、果実に含まれる青酸配糖体のプルナシンやアミグダリンが、同じく果実中のエムルシンと呼ばれる酵素と、体内の腸内細菌が持つβ‐グルコシダーゼとの働きによって加水分解されて猛毒のシアン化水素、いわゆる青酸が発生して中毒症状を引き起こす場合もあるよ。よほど大量に食べない限り大丈夫だけどね」

「まなみがさっき言うたこともううちの耳からすぅと抜けていったわ~」

「学実よくそんなの覚えられてるね。さすが。ねえ、森優ちゃんは梅は梅干しと甘露煮とジャムとキャンディー、どれが一番好き?」

「わたしは……うーん、甘露煮かなぁ」

 昇子の質問に、森優は少し悩んでからゆっくり口調で答えた。

その直後、彼女の身に異変が――。

「森優ちゃぁん、大丈夫? 熱中症?」

「もゆ、大丈夫? 頭打ってない?」

「森優さん、しっかりして!」

急にその場にパタッと倒れこんでしまったのだ。昇子、帆夏、学実の三人は中腰になり、森優の顔色を心配そうに見つめる。いつもはきれいなピンク色をしている唇が白っぽく変色していた。頬も青白くなっていた。

「あっ……みんな」

森優は幸いすぐに意識を取り戻した。

「大丈夫?」

 昇子は心配そうに話しかけてあげる。

「うん、平気、平気。ちょっとくらっと来ただけだから」

 森優はこう答えて、すぐに自力でゆっくりと立ち上がった。

「よかったぁ。でも、保健室には行った方がいいよ」

 昇子は真顔で強く勧める。

「保健委員さん、安福さんを保健室へ連れて行ってあげてね」

 女子体育の先生はこう呼びかけた。

「その子今日欠席です」

 すると女子生徒の一人が叫んで伝える。

「あらまっ」

 女子体育の先生は苦笑い。まだ出欠確認をする前だったので気付けなかったのだ。

「先生、私が連れて行きます。あの、森優ちゃん、一人で歩ける? おんぶしよっか?」

 昇子は少し緊張気味に、森優に話しかける。

「なんか悪いけど、その方が楽そうだし、そうさせてもらうよ」

 森優は元気なさそうな声で伝えた。

「しっかり掴まってね」

昇子は森優の前側に回ると、背を向ける。そして少しだけ前傾姿勢になった。

「ごめんね、昇子ちゃん」

森優は申し訳なさそうに礼を言い、昇子の両肩にしがみ付いた。

「いいよ、いいよ。気にしないで。んっしょ」

 昇子は一呼吸置いてから森優の体をふわりと浮かせる。

おっ、重ぉ~い。

 途端にそう感じたが、もちろんそんな失礼なことは口に出さない。

「昇子ちゃん、本当にごめんね、迷惑かけちゃって」

「べつにいいよ、気にしないで」

森優ちゃんの胸、また一段と大きくなったような……。

 むにゅっとして、ふわふわ柔らかった。

 森優のおっぱいの感触が薄い夏用体操服越しに、昇子の背中に伝わってくるのだ。

急ごう!

 同性だけどなんとなく罪悪感に駆られた昇子は早足で歩こうとする。けれども足がふらついてしまい結局ゆっくりペースに。今いる場所から保健室までは距離にして百メートルちょっと離れていた。昇子は森優を落とさないように、慎重に歩き進んでいく。

「灘本さん、友達思いね」

 女子体育の先生は深く感心する。

「これは百合展開期待出来るかも♪」

「昇子さん、頑張って」

 帆夏と学実は温かく見送ってあげた。

       *

「失礼、します。生頼(おうらい)先生、あの、この子が、体育の授業中に、貧血で、倒れました」

 昇子はやや息を切らしながら保健室の、グラウンド側の扉をそーっと引いて小声で伝え、森優を背負ったまま中へ入った。

「生頼先生、失礼しまーす」

 森優は元気無さそうに挨拶する。

「いらっしゃい。灘本さん力持ちね」

 養護教諭、生頼先生は二人を爽やかな笑顔で迎えてくれた。ぱっちり瞳に卵顔。さらさらした黒髪を黄色いリボンでポニーテールに束ねている三〇歳くらいの女性だ。今保健室には、この三人以外には誰もいなかった。

「じゃ、下ろすよ」

「ありがとう」

 昇子は森優をソファの前にそっと下ろしてあげた。

森優はソファにぺたりと座り込む。

「安福さん、これをどうぞ」

生頼先生は、保健室内にある冷蔵庫から貧血に効くという栄養ドリンクを取り出し、森優に差し出した。

「ありがとうございます」

 森優はぺこりと一礼してから丁重に受け取る。瓶の蓋を開けると、ちびちびゆっくりとしたペースで飲み干していった。

「安福さん、今日は早退した方がいいわね」

「いえ、わたし、少し休めば大丈夫ですよ」

 森優は元気そうな声で答えてみるが、

「ダメだよ森優ちゃん、今日は早退した方がいいよ」

 昇子はすぐに引き止めた。

「でも、授業休んじゃうと、今日習うところ、ノートが取れないし」

 森優は困惑顔で言う。

「私が取ってあげるから、心配しないで」

「大丈夫かなぁ?」

「大丈夫だって。私、今日は授業、ちゃんと真面目に聞いてノート取るから」

「本当?」

「うん、本当」

「灘本さん、心配されてるのね」

 生頼先生はにっこり微笑む。

「まあ、私、普段授業中寝てしまうことが多いですし」

 昇子はてへっと笑った。

「今日の給食、わたしの大好きなびわゼリーが出るの。食べたかったなぁ」

「それも私が届けてあげるよ」

「本当!? 嬉しい! 頼むよ、昇子ちゃん」

「任せといて」

「二人ともとても仲良いわね。安福さんは、貧血になったのは今回が初めてかな?」

「はい。わたし、テスト期間中は睡眠時間削って勉強してて、水泳の授業も近いからダイエットしようと思って、ここ一週間は朝食もほとんど食べてなかったからかな?」

 森優は照れ気味に打ち明けた。

「原因は非常に良く分かりました。安福さん、朝食を抜くのはダメよ。保健や家庭科の授業でも小学生の頃から再三言われてるでしょ」

 生頼先生は爽やかな笑顔で忠告する。

「はい。今後は気を付けます。もうあんなしんどい思いはしたくないので。それにわたし、食べること好きなので、それを我慢したことでストレス溜まっちゃったのも良くなかったですね」

 森優はてへっと笑った。

「安福さんの身体測定のデータ見ると標準体重よりちょっと少ないから、少々増えたってダイエットはする必要ないからね。敏感になり過ぎて太ってないのにダイエットしようとする子が本当に多くて……」

 生頼先生はパソコン画面を見つめながら、ため息まじりに助言した。この学校の生徒達全員の身体測定データが、専用ソフトに保存されてあるのだ。

「凄い! データベース化されてるんだ」

 昇子は興味を示し、画面に顔を近づけた。

「あんっ、昇子ちゃん。見ちゃダメェッ!」

 森優はとっさに背後から昇子の目を覆った。

「あっ、ごっ、ごめん森優ちゃん」

 昇子が謝罪すると、森優はすぐに手を放してくれた。

「灘本さんも、自分の体重お友達に知られたら嫌でしょう?」

 生頼先生は昇子が目を覆われている間にデータ画面を閉じてあげた。

「確かにちょっとは。ごめんね森優ちゃん、私、もう戻らなきゃ」

 昇子は森優にぺこんと頭を下げて謝り、保健室から出て行く。

その頃、昇子のお部屋では、

「ショウコちゃん、あのキュートな女の子ととても仲良さそうだね。きっと百合フレンドだね」

「オレっちもそう思う。エッチはもう済ませたのかな?」

「おれさまはごく普通の親友関係だと思うぜ」

「ぼくもーっ! 昇子お姉ちゃん、彼氏はまだいなさそうだね」

「わらわは、幼馴染同士の関係だと思います」

 教材キャラ達がみんなテキストから飛び出しベッドの上に座り込んで、テレビ画面を眺めていた。昇子の学校での様子を、モニター越しに観察していたのだ。

「それにしてもこのグッズはベリーワンダフルインベンションだね。上空からのイメージだけじゃなく建物内部のイメージが見られるなんて」

 サムはとある加工品に感心する。

「これさえあれば、地球上の任意の地点のライブ映像を映し出すことが出来るんだぜ。ストリートビューと、衛星カメラの合体版かな? これは洸君の発明品なんだぜ」

 玲音は自慢げに説明する。学習机の本立てに置かれていた地球儀と、テレビ端子とが一本の緑色ケーブルで繋がれていたのだ。

「ド○えもんのひみつ道具みたーい。ぼくの数学のテキストにはそんなの組み込まれてないよ」

「ヒカルシャトリエ、レオングストロームに良い物体持たせてくれたな。未来的技術だ。音声が入ってこない欠点はあるけど」

 流有十と摩偶真は羨ましがる。玲音の入っていた社会科テキストには、他に開発者安居院洸の発明品も任意のページにいくつか詰められてあるのだ。ただし普通の人、そして玲音以外の四人にも単なる白紙のページにしか見えない。取り出すことも玲音しか出来ない仕様になっている。

「あっ、あの、いいんでしょうか? 盗撮なんかして?」

 伊呂波はおろおろしながら、玲音に問いかけてみる。

「……法律的に、良くないとはおれさまも思うけどよぉ、その、昇子君の学校での様子が気になっちまってな」

 玲音は俯き加減になり、バツの悪そうに言い訳した。

 その直後、ドスドスドス。と廊下を歩く足音が教材キャラ達の耳元に飛び込んで来た。

「ショウコちゃんのマミーが来るようだね。みんな隠れて!」

 サムは注意を促す。彼がテレビの電源も切った。

 サムを先頭に他の四人も自分のテキストの中に素早く身を引っ込める。

 一番動作の遅かった伊呂波が引っ込んでから約二秒後に、扉がガチャリと開かれ、母が昇子のお部屋に足を踏み入れて来た。

「昇子ったら、また散らかしちゃって。変なコードまであるし……これ、昇子がやりたがってた教材かな? これも散らかってるってことは、ちゃんと勉強したのかな?」

 母はため息まじりながらも少し嬉しそうに呟きながら、床に散らばっていた教材を学習机の上に積み重ね、掃除機をかけて部屋から出ていった。

「マミー、重ねたら出にくくなっちゃうよ。Are you all right?」

 一階へ降りていったことが確認出来ると、サムは英語のテキストからぴょこっと飛び出す。そして他の教科のテキストを一冊ずつ分けて床に並べてあげた。

 他の四人はすぐに飛び出してくる。

「甚だ重たかったです」

 伊呂波はホッとした表情で告げた。彼女が一番下になっていたのだ。

「ショウコイルのママ、よりによって一番質量の大きそうなサ無極性分子を一番上にしていくとはね」

「ボッ、ボク、そんなに重たくないよ!」

 摩偶真に指摘され、サムはムスッとなる。

「アメリカナイズな食生活送ってるっていう設定になってるくせに」

「そんな設定ないもん!」

 サムはそう主張して、摩偶真の髪の毛を引っ張る。

「いたたたたたぁっ、やったなぁーっ、サ無極性分子」

 摩偶真はサムのほっぺたをぎゅっと抓って対抗した。

「二人とも、幼い子どもみたいなケンカはやめろ」

 玲音は穏やかな表情でなだめてあげる。

「だってマグマくんがぁー」

 サムは抓られながら言い訳する。

「鹸化はしてないぜレオングストローム。カルボン酸の塩もアルコールも生成されてねえだろ」

 摩偶真は髪の毛を引っ張られながら反論する。

「訳の分からんこと言ってないで、いい加減にしろっ!」

 玲音は二人の頭をゴチンっと叩いた。

「Ouch!」

「いったぁーいっ。分かったよ。やめるよレオングストローム」

「ボクも大人気なかったな」

 すると二人はすぐにケンカをやめた。二人とも玲音のことを少し恐れているのだ。

「摩偶真お兄ちゃん、サムお兄ちゃん。昇子お姉ちゃんのその後を見た方が面白いよ」

 流有十の手によってまたテレビが付けられると、教材キャラ達は再びモニター画面に食い入る。その頃、昇子のクラスでは三時間目理科の授業が始まっていた。

眠いけど、なんとか取らなきゃ、森優ちゃんに迷惑掛けちゃう。

森優のために、一生懸命シャーペンを走らせノートを取る昇子の姿に、

「ショウコちゃん、leave school earlyしたモユちゃんのために頑張ってるね」

サム達はまたも感心させられた。

        ☆

「ただいまー」

「おかえり昇子、お部屋はもっときれいにしなさいね」

「分かってるってママ」

 昇子は途中、森優のおウチに寄りノートと今日配布されたプリント類と、約束通り給食で出されたびわゼリーを届けて、夕方五時半頃に帰って来た。

手洗い、うがいを済ませて二階に上がり、 

いない、よね? 今朝は姿を見かけなかったし。

昇子は恐る恐る自室の扉を開けると、

「Welcome home! ショウコちゃん」

「おっかえりーっ、ショウコイル」

「おかえりなさいませ、昇子さん」

「おかえり、昇子お姉ちゃん。今日の数学の授業は楽しかった?」 

「おかえり昇子君、汗臭いぞ」

 教材キャラ達がみんな揃って爽やかな表情で出迎えてくれた。

「……夢じゃ……無かったの。昨日の、出来事は……」

 昇子は顔をこわばらせる。

「だから現実だって。ショウコイル、もう認めちゃいなよ。オレっち達はキャラデザのヒカルシャトリエの空想と現実の二面性を持っているのだ。光が波と粒子の二面性を持ってるのと同じようにね」

 摩偶真がにこやかな表情を浮かべながら、肩をポンポンッと叩いてくる。

「……わっ、分かった。認めるよ、もう」

 昇子はついに観念してしまった。その方が精神的に楽だと感じたからだ。

「あのう、ショウコちゃん、今日貧血で倒れた、いつもいっしょに学校に通ってる素敵なお友達がいるんだね。What‘s her name?」

 サムが問い詰めて来た。

「あっ、あの子は森優ちゃんっていうんだけど……ていうか、なんで知ってるの?」

 昇子は当然のように驚く。森優のことはこの五人に一度も話したことはないからだ。

「これで、ショウコちゃんのスクールライフを眺めていたんだよ」

 サムはテレビ画面を指し示す。

 昇子の通う学校校舎の映像が映し出されていた。

「何これ?」

 昇子はケーブルの方にも目を向けた。

「このケーブルは、地球上のどの地点からでもライブ映像を映し出すことが出来る洸君の発明品だぜ」

 玲音はどや顔で得意げに説明する。

「すっ、凄いな、あの人。どういう原理で、こんなことが?」

 昇子はかなり驚いている様子だった。教材キャラ達がテキストの中から最初に飛び出て来た時と同じくらいに。

「それが、洸君自身にもよく分からないみたいだぜ。小学校時代に好きだった男の子のおウチを覗きたいなという願望が、発明しようと思った動機だとは言ってたけど」

「……これ、非常にやばくない? 盗撮でしょ」

「昇子さんもそう思いますよね?」

 伊呂波は真顔で同意を求めてくる。

「そっ、そりゃそうでしょ」

「ショウコイル、これでモユリア樹脂って子のおウチ内部も見られるぜ」

摩偶真はそう言うとリモコンボタンをピッと押し、映像を切り替えた。

「こっ、これは――」

 昇子は思わず顔を画面に近づけた。

 森優のお部屋の一部の映像が映し出されたのだ。ピンク地白水玉模様のカーテンで水色のカーペット。窓際に観葉植物。学習机の周りにはオルゴールやスイーツアクセサリー。ゴマフアザラシ、モモンガ、コアラなどの動物やゆるキャラの可愛らしいぬいぐるみ、着せ替え人形なんかがたくさん飾られてある、じつに女の子らしいお部屋だった。何度か森優のお部屋を訪れている昇子には特に目新しくは映らなかったが、こんな視点で観察したのはもちろん初めてのことだ。

「ショウコイル、モユリア樹脂がおウチでどんな風にして過ごしているか知りたいでしょ?」

 摩偶真はにやっと微笑む。

「ダメダメダメッ!」

 昇子は冷静に判断する。

「あっ、モユちゃんっていう子、今からurinationかfecesするみたいだよ」

 サムは画面を食い入るように見つめる。

「わあああああああっ、ダッ、ダメダメダメッ。法律的に」

「ショウコちゃん、見たくないの? 同性でしょ?」

「同性だからこそ見たくないのっ!」

 昇子は慌ててテレビの電源を切った。また映像が切り替わり、トイレで下着を脱ぎ下ろしている森優の姿が映し出されていたのだ。森優の穿いていた水玉模様のショーツを、昇子はほんの一瞬見てしまった。

「あーん、もっと見たかったのにぃ」

「オレっちもーっ。腎臓で血液から濾過され、膀胱に溜められた老廃物が排泄される重要な人体現象だもん」

 サムと摩偶真はふくれっ面で駄々をこねる。

「これは、プライバシーの侵害だよ」

「すまねえ昇子君、つい〝知る権利〟の方に意識を片寄せ過ぎちまって。これからは必要最低限の生活面だけを見るようにするぜ」

 昇子に困惑顔で注意され、玲音は申し訳なさそうに謝る。

「いやぁ、全く見なくていいんだけど」

 昇子は対応に困ってしまう。

「レオンくんがショウコちゃんのことを知る権利があるって言ってたから、ショウコちゃんのお部屋、勝手にinvestigateさせてもらったよ。面白いコミックやラノベ、けっこう持ってるね。ボクもコミックやラノベ大好きだよ」

「ショウコイルって、三次元のオスやメスの裸が載ってる本は一冊も持ってないんだな。ベッドの下も調べたんだけど、収納ケースが置いてあって、中に服とゲノムならぬゲームが入ってただけだし」

「ショウコちゃんはヒカルちゃんと同じくwholesome girlだね。いい子、いい子」

 摩偶真とサムは機嫌良さそうに話しかけてくる。

「あのう、あんまり私の部屋、荒らさないでね」

 昇子は悲しげな顔で注意しておく。

「昇子お姉ちゃん、このテレビ、テレビ番組は見れなかったよ。どのチャンネルに変えても受信出来ませんって出た。これじゃあド○えもんもクレ○ンしんちゃんもちび○る子ちゃんもサ○エさんも妖怪○ォッチも見れないよう」

 流有十は昇子の袖を引っ張りながら不満そうに伝えた。

「そりゃあ放送用のアンテナ繋いでないからね。このテレビはDVD・ブルーレイ視聴専用なんだ。繋ぐのは高校合格してからってママと約束してる。今は深夜アニメ、帆夏がDVDかブルーレイに録画して来たやつをこのテレビか学校のパソコンで見てる状態だから、早く生で自由に見られるようになりたいよ」

 昇子は苦笑いを浮かべて切望する。

「それじゃ昇子お姉ちゃん、受験勉強ますます頑張らなきゃいけないね」

「うっ、うん」

「ショウコちゃんは、ビデオゲームはやらないの?」

 サムが質問してくる。

「ビデオゲームって、テレビゲームのことだよね。中学に入ってからはほとんどやってないな」

「そっか。でもそれは良いことだよ。ショウコちゃんは今、受験生だもん」

「そうだね」

まあ、テレビゲームしてた時間が、アニメ雑誌やラノベを読む時間に取って代わっただけなんだけど……。

「ねえショウコイル、モユリア樹脂今度はお風呂に入るぜ」

 摩偶真は昇子が他の事に意識が移っていたのをいいことにまたテレビをつけ、森優のおウチ内部を観察していた。

「うわっ、こらこらっ、ダメでしょ」

 今度は森優が脱衣場で服を脱いでいる様子が映し出されていた。昇子は慌てて主電源を消し、摩偶真の頭をパシーンッと叩く。

「いたたたぁっ、ひどいよショウコイルゥ」

 摩偶真が頭を押さえながらそう言ったその時、

「昇子ぉーっ、ご飯よぉー。今日灘本先生、職員会議で遅くなるからいらないって」

 一階から母の叫び声が聞こえてくる。

「分かったーっ。すぐ行くぅ」

 昇子は返事をしたのち、

「森優ちゃんがお風呂入ってるとこ、ぜぇぇぇったいに、覗いちゃダメだよ。伊呂波ちゃんもね」

 サム達の方を向いてこう念を押し、部屋から出ていった。

「これはチャンス! モユリア樹脂の入浴シーン、思う存分覗くぞぉーっ!」

 摩偶真はすぐさま嬉しそうにテレビをつけ、森優のおウチの浴室を映し出した。

 ちょうど風呂イスに腰掛け、長い髪の毛をシャンプーでこすっている最中だった。

「おううう! モユリア樹脂は、この歳でまだシャンプーハット使ってるのかぁ。シャンプーハットの材質はEVA樹脂、シャンプーは弱酸性のものかな? 下の毛もけっこう生えてるね。陽樹林だな。ショウコイルはまだ裸地から草原への遷移段階だったぜ」

「森優お姉ちゃん、おっぱい大きいね。体積量りたぁーい!」

「ナイスバディだね、モユちゃん」

「森優君って子、昇子君以上にメスブタ臭がきつそうだな。将来太りそうな体つきしてやがるぜ」

 サムと玲音も画面に食い入る。森優は体をバスタオルで隠すことなく全裸姿だったのだ。

「皆さん、鬼の居ぬ間に洗濯はダメですよ」

 伊呂波は困惑顔で注意した。

「まあいいじゃんイロハロゲン」

「出た! 日本のことわざ。ちなみに英語では、When the cat‘s away,the mice will play.だよ。でもショウコちゃんは鬼って感じが全然しないよ」

「そうだな。ショウコイル、怒っても全然怖く無さそうだし」

「昇子君は大和撫子っぽいぜ」

「ぼく、昇子お姉ちゃんの優しそうなところが大好きぃーっ!」

 伊呂波以外の四人は森優の入浴シーンを眺めながら、楽しそうに会話を弾ます。

「皆さん、止めた方がいいですよ」

 伊呂波は再度注意するも、

「大丈夫だってイロハロゲン。イロハロゲンもいっしょに観察しようぜ」

「伊呂波君、べつにいいじゃねえか。ヒンドゥー教徒のガンジス川での沐浴に通じるものがあるし」

「今ちょうどお体ゴシゴシrubbingしてるいいところなのに。このあとは湯船に浸かってくつろぐという日本ならではのシーンが楽しめるんだよ」

「伊呂波お姉ちゃん、眺めてると森優お姉ちゃんといっしょにお風呂入ってる気分になれるよ」

 四人はこう言い訳して、尚もテレビ画面に集中する。

「ねえ、皆さん……今すぐ、そういうことはやめなさいっ!」

 伊呂波は眉をへの字に曲げて、命令形で少し強めに言った。

 すると次の瞬間、

「ごっ、ごっ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい伊呂波お姉ちゃぁん」

「ひいいいいいいい、すっ、すまねえ、イロハロゲン」

「すまんっ、伊呂波君」

「アッ、アイムベリーソーリー。I‘m very afraid of you.Your face was much more fearful than a portrait of Beethoven.It equals namahage.」

 四人はびくびく震えながら慌てて謝った。摩偶真はとっさにテレビの電源を消す。流有十は泣き出してしまった。

伊呂波の顔が今しがた、般若面に急変化したのだ。しかも元の顔の大きさの五倍くらいまでふくれ上がっていた。

伊呂波の顔はそれから瞬く間に何事も無かったかのように元の可愛らしいお顔へと戻った。

「わらわは、怒りがある程度ふくれ上がると、こんな風になっちゃう設定になってるんです。きっと国語の学習内容に《能と狂言》があるせいだよ。昇子さんには絶対こんな醜い姿見られたくないです。穴があったら入りたいよぅ」

 伊呂波はとても照れくさそうに顔を真っ赤に火照らせで呟いた。

「「「「……」」」」

 伊呂波の恐ろしい風貌を見てしまった四人は、すっかり反省したようである。


「覗かなかった?」

夕食を取り、お風呂にも入り終えた昇子は再び自室へ戻って来た。

「あの、昇子さん。この人達、みんなで森優さんのお風呂、覗いてましたよ」

 伊呂波は困惑顔で、四人を指し示しながら告げ口する。

「やっぱり……」

 昇子はムスッとなった。

「ショウコイル、すまんね。もう金輪際やらないから。たとえウラン238の半減期くらい長い時間が経とうとも」

「アイムベリーソーリー、ショウコちゃん。湯船に浸かるシーンがどうしても見たくって」

「昇子お姉ちゃん、ごめんなさーい」

「昇子君、もう二度とやらないから。おれさま、次こういうことしたら大石内蔵助のように切腹するか、ソクラテスのように毒杯を仰ぐぜ」

 四人は昇子の方を向いて深々と頭を下げた。

「昇子さん、ご覧の通り皆さんは大いに反省しているので、許してあげて下さい」

 伊呂波は昇子の目を見つめながら頼み込む。

「まっ、まあいいけど。今後は、絶対にやらないでね」

 昇子はこう注意して学習机の前に立った。机に貼られた時間割表を眺めながら、昇子は明日行われる授業の教科書・副教材、ノートを通学鞄に詰めていく。整え終わったちょうどその時、昇子のスマホ着信音が鳴り響いた。今放送中の深夜アニメのOP主題歌であった。

 電話がかかって来たのだ。

「森優ちゃんからだ」

 番号を確認すると昇子はこう呟いてベッドに腰掛け、通話アイコンをタップする。

「もしもし」

『あっ、昇子ちゃん。ノートとプリントと、給食のびわゼリー届けてくれてありがとう』

「どういたしまして。お体は、大丈夫?」

『うん、おウチ帰った後いっぱい休んだからもう平気。すっかり元気になったよ。あのね、昇子ちゃん、すごく言い辛いんだけど……全部同じ色で書かれてるから、どこが要点なのか分かりにくいよ。字も、読みにくくて』

「ごめん、森優ちゃん。私の、書き方、良くなかったね」

 昇子は電話越しにぺこぺこ謝る。

『いいの、いいの。昇子ちゃんが、一生懸命取ってくれたことが良く分かるから。気にしないでね』

 森優は慰めてくれた。

「本当に、ごめんね。あっ、あと、連絡だけど、時間割変更で、明日も家庭科があるよ。六時間目に。帰りのHRで古塚先生が言ってた」

『あの、そのことは、家庭科の授業でも連絡してたよ』

「えっ! そうなの?」

『昇子ちゃん、聞いてなかった?』

「うっ、うん。考え事してて」

『昇子ちゃん、授業中は集中して先生のお話聞かなきゃダメだよ。テストに出る大事なポイントもお話ししてくれるからね』

「分かった。次からは気をつけるよ。じゃっ、じゃあ私、そろそろ切るね」

『あっ、待って昇子ちゃん』

「なっ、何?」

 昇子はぴくっと反応した。

『あの……今度の土曜、明後日だけど、いっしょにショッピングに行こう』

「えっ!」

 森優の突然の発言に、昇子はどきっとした。

『あの、今日の、お礼がしたくて……』

「あっ、そっ、そう? それじゃ、いっ、いいけど」

 昇子はやや躊躇う気持ちがありながらも、一応引き受けてあげた。

『ありがとう。それじゃ、またね、昇子ちゃん』

「うっ、うん」

こうして昇子は電話を切った。

「ショウコちゃん、今のが、百合フレンドのモユちゃんだね? How long have you been dating with Moyu?」

「うわっ!」

 昇子はかなり驚く。

 すぐ真横に、サムがいたからだ。現在完了進行形で質問もして来た。

「森優ちゃんは百合フレンドじゃなくて、ごく普通の幼友達よ。物心つく前からの」

「幼馴染、つまりChildhood friendなんだっ! Wow! イロハちゃんの予想した通りだね。ねえ、ショウコちゃん、ワタシはモユと知り合って十二年になります。を英語で言ってみて。ヒント、現在完了形を使うんだ。学校で習ったばっかりの単元でしょ?」

「えっと……アッ、アイハブ、ビーン、ノウン、モユ、トウェルヴ、イヤー」

「ノーノー、ダメだよ。You are wrong.I have been known Moyu for twelve years.だよ。リピートアフタミー」

「アッ、アイハブビーンノウンモユ、フォアトウェルヴイヤーズ」

「Good!」

 昇子が棒読み英語で言ってみると、サムはウィンクをして指でOKサインをとった。

「あっ、どっ、どうも」

 サムくん、三次元化してもやっぱけっこうカッコかわいいな。

 昇子ちょっぴり照れる。

「Hey、幼馴染ってことは、You have ever taken a bath with her,haven‘t you? いっしょにお風呂に入ったこともあるよね?」

 サムは付加疑問文を用いてさらに質問してくる。

「そりゃ何度もあるけど、サムくん、なんてはしたないこと聞くのよ」

 昇子は俯き加減で答えた。

「アイムソーリー」

 サムはてへっと笑う。

「ねえショウコイル、こういう本好きみたいなのにモユリア樹脂と百合関係じゃねえの?」

 摩偶真は本棚から取った、女の子同士で抱き合っている表紙絵の百合系コミックスを昇子の眼前にかざす。

「私、百合系の漫画は大好きだけど、現実では百合なんかじゃないよ! あっ、あのさ、玲音くん。昨日、社会科の資料集から民族衣装を取り出してたけど、他の教材からも、写真や図に載ってるやつを取り出せるの?」

 昇子は頬をカァッと赤く火照らせ照れくさそうに否定し、玲音の方に話しかけた。

「もちろん出来るぜ。教科書借りるぞ」

 そう自信たっぷりに言うと玲音は、昇子が学校で使っている理科の教科書を開いて手を突っ込んだ。そして中から、石英を取り出した。

「うわっ、すげえ。本物だ」

「玲音お兄ちゃん、すごーい!」

「レオンくん、マジシャンみたい」

 摩偶真、流有十、サムは大きく拍手する。

「あれ? でも中の写真はそのままだ」

 昇子は不思議そうにその教科書の該当箇所を見つめる。

「おれさまが取り出したものは、コピーされたものだからな。何度でも複製出来るぜ。今度は英語の教科書から、登場人物のマイク君を取り出してやろう」

玲音は得意げな表情で、今度は三年生用の英語の教科書に手を突っ込む。

数秒後、

「Ouch!」

 中から男性の叫び声がした。

ほとんど間を置かず、金色の髪の毛が飛び出て来た。

 玲音がさらに引っ張り上げると顔、首、胴体、足も姿を現す。玲音は本当にマイクという登場人物を取り出して来たのだ。

「What‘s happen? Where’s here? Why am I here?」

 引っ張り出されたマイクは周囲をきょろきょろ見渡す。彼はとてもびっくりしている様子で、かなり戸惑っていた。

「やっぱ英語かぁ」

 昇子は冷静に突っ込む。彼女はあの光景を先に目にしているので、もはやこんなことが起こってもあまり驚かなかった。

「ノープロブレムだよ。マイクはprobably中学課程の範囲を超える用法は使用してこないから。英語の得意な日本人高校生よりもボキャブラリーはずっと乏しいと思うよ」

 サムはこう推察する。

「Who are you?」

 マイクはサム達と昇子のいる方に目を向け、中一レベルの英語表現で質問して来た。

「やっほー、マイクエン酸。オレっち、原子摩偶真だぜ。英語ならI am Harako Magma.かな?」

「マイクおじちゃん、はじめまして。ぼくの名前は流有十です。十歳、小学四年生です。趣味はお絵描き、特に好きな食べ物はトーラス構造になってるドーナッツと、回転楕円体に近いお饅頭です」 

 摩偶真と流有十は嬉しそうに自己紹介した。

「ルートくん、マイクは老けて見えるけどボクやショウコちゃんと同級生ってことになってるよ。おじちゃんじゃなくて、お兄ちゃんって呼んであげた方がいいかも」

 サムは笑顔で伝える。

「そっか。ごめんね、マイクお兄ちゃん」

「Oh! very cuty boy! I‘m very happy to meet you.」

 上背一八〇センチくらいあるマイクは中腰姿勢で流有十の顔を眺めながらそう叫び、目を大きく開いた。

「サムお兄ちゃん、マイクお兄ちゃんさっき何って言ったの?」

 流有十は興味津々に尋ねる。

「とてもかわいい男の子だね、キミと会えてボクはとても幸せだよ。だって」

 サムはにこにこしながら教えてあげた。

「わぁーっ、嬉しいなーっ! ぼくも幸せーっ」

 流有十は満面の笑みを浮かべる。

「Root,I fell in love with you at first sight.Shall we s○x?」

 マイクはこう告白すると突然、流有十にガバッと抱きついた。

「……うっ、うわぁぁぁん。こっ、怖い、このおじちゃん」

 押し込まれ壁際に追い込まれた流有十は途端に怯え出す。

 マイクにほっぺたをぐりぐり引っ付けられて、さらには耳元にフーッと息を吹きかけられたのだ。

「ちょっと、何してるのよ」

「マイク君、流有十君嫌がってるからやめろっ!」

 昇子と玲音は慌ててマイクの背後に詰め寄る。

「Get out of the way!」

「ぐぇぇぇっ!」

「いたたたぁっ、強いわ、この男の子」

 瞬間、マイクに蹴り飛ばされてしまった。

「Mike,Stop body contact to Root at once!」

 サムは強い口調で注意した。

「No way!」

 けれどもマイクは聞き耳持たず。

「In place of Root,Hug me!」

「I’m not interested in middle age‘s man like you at all.You are,so to speak,ugly slug.」

 マイクは腐った生魚でも見るかのような目つきで、命令して来たサムに向かって言う。

「なんだってぇ! 失礼だね、このショタコン」

 サムはぷくぅっとふくれる。こぶしもぎゅっと強く握り締めた。

「今マイク、何って言ったの? 早口で分かりにくかった」

 昇子が質問する。

「おまえのような年増には全く興味ない。おまえはいわば、醜いナメクジだ。だって。I‘m pissed off! I‘m as old as you! My birthday may be later than you! ショウコちゃん、be interested inは~に興味があるっていう重要英熟語だから、しっかり覚えておいてね。否定文にはnotだよ。これを覚えたらハ○ヒの名台詞が英語で言えるよ。あともう二つ重要英熟語、not~at allは全く~ない、so to speakはいわば、例えて言うなら、っていう意味なんだ」

 サムはマイクを睨み付けながらも、ちゃっかり昇子に英熟語を教えてあげる。

「I‘ll marry Root in the near future.If the sun were to rise in the west,I wouldn’t change my mind.」

 マイクはスキンシップをやめようとはしない。

「やめてやめてやめてぇぇぇぇぇぇぇ~」

 流有十は大声で泣き叫ぶ。

「ボクは近い将来、ルートと結婚するんだ。仮に太陽が西から昇っても、ボクは決心を変えないよ。だってぇーっ。Pervet! Fuck you! Peice of shit! You are Homosexual! ショウコちゃん、marryはtoとかwithを付けずに目的語を取るよ。marryだけで~と結婚するっていう意味になるんだ。あと高校レベルかもしれないけどsooner or later覚えなきゃいけないから今教えとくね。If主語were to動詞の原形で、もし仮に~したら、……だろうという意味だよ。この表現はIf主語should動詞の原形よりも、さらに実現可能性の低いことについての仮定に使われるんだ」 

 サムの怒りはさらに増した。けれどもマイクの会話中に出て来た重要英語表現はしっかり解説することを忘れない。

「あっ、あのうマイクさん。流有十さんとても怖がっているので……」

 伊呂波も彼の暴挙を止めさせようと説得に加わる。

「Really? Root,Please don‘t be afraid to me.If you marry me,I‘ll buy anything you want to.」

 マイクは一応、日本語も理解出来ているようだった。彼は流有十に優しく微笑みかける。

「マイクおじちゃん、早くやめてぇぇぇぇぇぇぇーっ!」

 しかし逆効果。流有十はますます大泣きしてしまった。

「Why?」

 マイクはハハハッと陽気に笑いながら問いかけ、再度頬を引っ付ける。

「ロリコンのマイクエン酸、ルートルエンいじめちゃダメだぜ」

 摩偶真はこう注意すると直径十センチくらいの鉄球に変身し、マイクの脳天にゴンッと直撃させた。

「Ouch!」

 マイクに衝撃が走る。両目が☆になった。

「引っ込め! 引っ込め!」

 摩偶真は元の姿に戻ると英語の教科書を素早く拾い上げ彼のいたページを開く。そしてマイクの脳天に押し付け、中へと戻してあげた。

 これにてマイクのZ軸成分が0と化し、二次元座標への変換が完了した。

「ああ、怖かったよぅ。ありがとう、摩偶真お兄ちゃぁぁぁーん」

 流有十はえんえん泣きながら礼を言い、摩偶真にしがみ付く。

「どういたしまして。マイクエン酸は有害なホモサピエンスだったね。オレっちも対象外みたいだったし。マイクエン酸の質量を全てエネルギーに変換した方よかったかな? 質量×光速度二乗で、とんでもないエネルギーになっちゃうから不可能だけどな」

 摩偶真はにこにこ顔で物理学的に説明する。

「マイクってやつ、何がMike is the kindest boy in our class.だよ。教科書の本文と全然違うじゃないかっ。To tell the truth,Mike is not only lolita complex,but also crazy.」

 サムはまだぷっくりふくれていた。

「マイク君は、肉食系男子ってことか」

 玲音はぽつりと呟く。

「肉食系男子って、ティラノサウルスみたいだな。犬歯も発達してるのかな?」

 摩偶真はすかさず突っ込みを入れた。

「ボク、肉食系の男の子は苦手だなぁ。ショウコちゃんみたいな優しい女の子がいい」

 サムはそう告げて、昇子の手をぎゅっと握り締めた。

「えっ、あっ、あの……」

 昇子の頬は酸性を示すリトマス試験紙のごとく赤くなる。

「ショウコちゃん、照れてるぅ。You are cute!」

 サムはにこっと微笑みかけた。

「そっ、そんなことないって」

 昇子は必死に否定しようとする。

「昇子君、表情でバレバレだ。あのさ、英語の教科書にもう一人出てくるイギリス人男の子キャラ、ビル君も引っ張り出してみようか? handsome boyって書いてあるから」

 玲音は微笑みながら問いかける。

「玲音お兄ちゃん、もう止めてぇ! また変なおじちゃんだったら嫌だよぅ」

 流有十はげんなりした表情で伝えた。

「この教科書に出てくる女の子、メアリーとジェーンとスーザンはきっと悲しい目に遭わされてるね」

 サムはため息まじりに告げる。

「二次元平面上では本文通りのいい子かもしれないぜ。三次元空間上の女の子はオタクを嫌うひどい性格のメスブタが多いのと同じようにな」

「それにしても怜音くん、今日もスカート穿いちゃって、女の子の格好するのが好きなんだね」

 昇子はくすっと笑う。

「あぁ? スコットランドの文化をバカにしてんのか? このメスブタ。こいつはキルトと言ってだな、スコットランドの“男の”民族衣装なんだぜっ!」

 怜音は険しい表情で昇子を睨みつけながら強く主張した。

「ごめんなさーい。私、そのこと知識としてはかなり前から知ってたよ。でも実際見るとなんかおかしくて笑っちゃう」

 昇子はアハッと笑う。 

「異文化に偏見持ちやがって、国際人としては失格だな。こいつはおれさまの愛用ファッションなんだ。さてと、昇子君、今からは家庭学習の時間だっ!」

 怜音は険しい表情を浮かべたまま、昇子の後ろ首襟をガシッと掴んだ。

「えっ、いっ、今から?」

「当然だ。受験生に休息日なんてないぞっ!」

 戸惑う昇子に、玲音はきりっとした表情で言う。

「昇子お姉ちゃん、勉強を一日サボったら、元の学力を取り戻すのに一週間はかかるよ」

 流有十は笑顔で忠告する。

「さあショウコちゃん、シッダウン!」

「わわわ」

 昇子はサムの手によって無理やり学習机の椅子に座らされた。

「まずは学校で出されたホームワークからだよ」

「宿題は、今日は出てないよ」

「昇子君は、宿題が出てなかったら家庭学習はしなくてもいいと思ってるのか?」

「そりゃそうでしょ」

 玲音の質問に、昇子はにっこり笑いながら答えた。

 次の瞬間、

 パチーッン!

 と乾いた音が鳴り響く。

 玲音が昇子のほっぺたを思いっ切り引っ叩いたのだ。

「……なっ、何するの?」

 昇子は突然のことに動揺していた。徐々に泣き出しそうな表情へと変わっていく。

「愛の鞭だっ!」

 玲音はやや険しい表情で答えた。

「ショウコちゃん、ホームワーク無くても授業の予習復習は当たり前だよ。ボク達、今日からショウコちゃんを志望校へ合格させるために、シビアに学習指導していくからね。怠けたら体罰もあるよ♪」

 サムはにこやかな表情でさらっと告げた。

「えっ……」

 昇子はびくっとなる。

「学校では体罰は禁止されてるようだがな、おれさま達は容赦なくやるぜ」

「なんてったってボク達は非実在だから、仮にショウコちゃんが再起不能になるまでボコボコにしても、killしちゃってもcrimeに問われないもんね」

 サムはにこりと笑った。

「それ、婦女暴行罪だよ」

 昇子はさらに表情がこわばり恐怖心が増した。

「だからおれさま達は法律の適用外なんだって。真面目にやれば体罰はしねえから。昇子君、姿勢を正せっ!」

「ちゃんとseriousにやらないと、瀬戸内寂聴やかつての峰岸みなみちゃんみたいに坊主頭にしちゃうぞ」

「いっ、いたたたぁ~」

 玲音に両サイドからほっぺたをつねられ、サムに髪の毛を引っ張られながらくどくど説教され、昇子の恐怖心はさらに高まった。

「ショウコちゃん、まずはデスクの上をちゃんと片付けようね。ボク達がやってあげようとは思ったけど、それじゃあショウコちゃんのためにならないからね♪」

 サムはにこにこ顔で注意する。

「わっ、分かったわ」

 昇子はびくびくしながら素早く手を動かし、散らばっていた教科書、プリント類などを集め、隅の方へ寄せてスペースを設けた。

「それじゃ昇子お姉ちゃん、数学の特訓からやろう」

 流有十は数学のテキストを学習机の上にポンッと置く。

「でっ、でも、テキストは白紙じゃ……」

「大丈夫だよ。捲ってみて」

「わっ、分かった」

 昇子は不思議に思いながらも、流有十に言われた通りにしてみる。

「あれ? 問題文が、ちゃんと載ってる」

 昇子は現れた数式を凝視する。

「昇子お姉ちゃん、シャーペン持ってさっさと解いて。標準時間は五分だよ」

 流有十はそれを昇子に手渡した。

「わっ、分かった」

昇子はそこにある問題を解き始める。中学に入ってから最初に習う単元であろう正の数負の数、文字の式に関するものであった。

「昇子お姉ちゃん、答は合ってるけど遅ぉい! もう一回やり直し」

 流有十が開かれているページに手をかざすと、昇子がさっき書き写した文字が跡形も無く消えてしまった。

 さらに、問題が一新され数値まで変更された。

「こんな能力も使えるのかぁ」

 昇子はあっと驚く。

「問題文は自在に操れるよ。すごいでしょ? サムお兄ちゃんも玲音お兄ちゃんも伊呂波お姉ちゃんも摩偶真お兄ちゃんもみんな同じ能力が使えるよ。テキストが最初白紙なのは、受講生の学力に合わせて演習問題のレベルを調整するためだよ」

 流有十はてへっと笑う。

「そっ、そうなんだ」

「昇子お姉ちゃん、感心してる暇があったら、さっさと問題解き始めて」

「わっ、分かった」

昇子は流有十に命令されるがまま、同じ単元に関する問題を解いていく。

「さっきよりは早くなったけどまだ遅いなぁ。もっと頑張ってね、昇子お姉ちゃん。次は単元変えるね」

 流有十は手をかざす。またも昇子の書いた文字が消え、問題が一新された。

昇子は続いて、一次方程式と比例式に関する問題を解き始める。

 数分後、

「時間オーバー、それに、計算間違いも多いよ。次はこの単元の問題解いてね」

流有十がまたまた注意してくる。ぷっくりふくれて不機嫌そうだった。

「わっ、分かった。今度は図形かぁ。私、図形は特に苦手なんだよなぁ」

 昇子は一問目の次の中から点対称な図形を選べという問題から悩んでしまう。

「昇子お姉ちゃん、手を休めちゃダメェェェーッ! 平面図形・空間図形は一年生の時に習ったでしょ?」

「あいたぁーっ!」

 流有十にコンパスの針でほっぺたをプチュッと突かれてしまった。

「昇子君は、一年生の最初の頃はテストの成績良かったみたいだけど、どんな勉強方法してたんだ?」

「その時も、テスト前日から、一夜漬けでやってた」

 玲音から突如された質問に、昇子はかなり怯えながら答える。

「昇子君、入試ではそんなやり方じゃ通用しないぜ。一夜漬けで身につけた知識は、ほとんどすぐに忘れちゃうんだ。本当の実力は身についてないってことを肝に銘じておけっ!」

「はいぃ、分かりましたぁぁぁーっ」

 きつい口調で厳しく注意された昇子は体罰されないようにと、必死に思考回路を巡らせシャープペンシルを動かし問題に取り組む。全部で十題あるうち八題目を解いている途中、

「あっ、あの、私、おトイレ、行きたくなったんだけど……」

 昇子は椅子に座ったまま足をくねくねさせ始めた。

「玲音お兄ちゃん、昇子お姉ちゃんがおしっこだって」

 流有十がにこにこ顔で伝える。

「ダメだ! 認めん。講義中のトイレ行きたいは、逃げるための常套文句だからな」

 玲音は厳しい表情で告げた。

「そっ、そんな……」

「おれさまは心優しいからな、思春期の女の子な昇子君にここで漏らせっていう羞恥プレイは強要せん。これにすれば大丈夫だ」

玲音はにこっと笑い、理科の資料集に手を突っ込む。そしてペットボトルを取り出し、昇子の目の前にかざした。

「でっ、出来るわけないでしょ」

 昇子は当然のように拒否した。

「ショウコイル、チャック開けるね。あっ、パジャマだからついてないのか。じゃぁ、直接脱がしちゃえーっ!」

 摩偶真は昇子の側により、パジャマズボンを引っ張ろうとする。

「ボクも手伝うよ」

 サムも加担してくる。

「やっ、やめてーっ。あなた達のやろうとしてること、強姦よ。レイプだよ」

 昇子は全身をぶんぶん振り動かし必死に抵抗する。

「ショウコちゃん、このままじゃおもらししちゃうよ」

「ちなみにペットボトルのペットとは、ポリエチレンテレフタレートのことだぜ。エチレングリコールとテレフタル酸との脱水縮合により作られるのだ」

 けれどもサムと摩偶真の方が優勢だ。

「あっ、あの、玲音さん。厠には、行かせてあげた方がいいのではないでしょうか?」

「玲音お兄ちゃん、昇子お姉ちゃんがかわいそうだよ」

伊呂波と流有十が説得すると、

「……それじゃ、特別に許可してやるか」

 玲音は数秒悩んだのち、こう告げた。伊呂波君にあの恐ろしい姿に変身されては困る、と感じての判断だった。

「よっ、よかったぁー」

 昇子はガバッと立ち上がり、部屋から飛び出し一階にあるトイレへ駆けていった。

本当に、漏れちゃうとこだったよ。

 トイレの扉を閉めようとした。

 その時、

「Wait! ショウコちゃん」

「おれさまもお供するぜ」

 サムと玲音に阻止され、中に入り込まれてしまった。

「なんでついて来たのよ? パパとママに見つかったら面倒なことになるでしょ。っていうか覗きは犯罪よ」

 昇子は顔をしかめ当然のように困惑する。

「先輩として後輩の面倒を見るのは当然だからな」

 玲音はさらりと言う。

「えー、やめてよぉ」

「昇子君はおれさまとサム君と、家庭学習時間中はいつもいっしょだ。そばに付いてなきゃいけないんだ」

「レオンくんはoldestだから、学習指導責任者なんだ。ボクもショウコちゃんと同級生だし」

 昇子の要求に聞き耳持たず、玲音とサムは真剣な表情で主張した。

「ねっ、ねえ。出て行ってよ」

 昇子は足をくねらせながら悲しげな表情でもう一度お願いする。

「それは不可だ。だってそうすると、昇子君絶対逃げ出すだろ?」

 玲音は困惑顔で問い詰める。

「逃げないよ」

「全く信用出来んな」

「ショウコちゃんのstudyをabandonmentさせちゃうと、ボク達、学習教材として失格だから」

 サムは強い責任を感じているようだった。

「私が用足すとこ覗こうとする方がよっぽど失格だよ……もっ、もう限界だぁ~」  

 とうとう耐え切れなくなった昇子はパジャマズボンと水玉ショーツをいっしょに脱ぎ下ろし、便座に腰掛けて両手を膝の上に添え、用を足し始めた。

「メスブタがし尿を出す場面なんて見たいわけないだろ。センターピボットの散水を見た方がよっぽどおれさまの性欲が満たせるわっ」

「ショウコちゃん、ボクもショウコちゃんのexcretion見ないようにするよ。I am a gentleman.だもん」

 玲音もサムも扉の方を向いてくれていた。 

「昇子お姉ちゃんのおしっこ、きれいな放物線を描いてるかな?」

「うひゃあああああっ! ちょっ、ちょっと、流有十くん、見ちゃダメッ!」

 いきなり横から、いつの間にか入って来た流有十に覗かれ昇子は思わず仰け反る。顔を真っ赤にさせながら慌てて恥部を両手で覆い隠すと残りの分も出し切った。

「昇子君、どうぞ」 

 玲音が爽やかな表情で三十センチほどの長さに千切り取ったトイレットペーパーを手渡してくる。

「余計なお世話よっ! 玲音くんのエッチ! もうっ!」

 昇子は頬を赤らめたまま不機嫌そうにサッと受け取り、お小水で濡れた恥部を拭き拭きして後処理を済ませるとすぐにレバーを引いて水を流す。

「昇子お姉ちゃん、ぼくもおしっこぉ」

「それじゃ、すぐに済ませて」

「分かった」

 流有十は幾何学模様のズボンとトランクスをいっしょに下げて、ちっちゃな男の象徴を出すと用を足し始める。

「あの、昇子お姉ちゃん、ぼく、そんなに見られると恥ずかしいよぉ~」

「さっきの仕返しよ」 

 昇子はにやりと微笑み、横からじーっと覗き込む。

「昇子君、酷いメスブタだな」

「You heartless woman!」

「あなた達ほどじゃないでしょ。私、手を洗ってくるから。流有十くんも、おてて洗った方がいいよ」

「気遣ってくれてありがとう、昇子お姉ちゃん」

 流有十は嬉しそうににっこり微笑む。

「どういたしまして。三人とも、少しだけここで待っててね」

 昇子は強く注意を促した。言うまでもなく両親にバレたらかなり厄介なことになると感じたからだ。

 洗面所は幸い、トイレのすぐ隣のお部屋にある。移動距離はごくわずかだ。

ママとパパも、今いないね?

 トイレから廊下に出た昇子は注意深く、周囲をきょろきょろと見渡した。

 安全確認が出来るとトイレに戻り、流有十のもみじのように小さな手を引いて連れ出す。

 そして洗面所へ誘導した。

「早く手洗い済ませてね」

「うん!」

 流有十は蛇口を捻り、

「水冷たくて気持ちいい」

 無事、手を洗い終えた。

「おてて拭いてあげるね」

 昇子は手拭いを流有十の手に押し当て、そっと拭いてあげた。

「ありがとう、昇子お姉ちゃん。優しいね」

「あの、流有十くん。声が大きいよ。見つからないように、部屋に戻ってね」

「うん」 

 昇子からの指示に流有十は小声でそう答えて、足音を立てないように一段七秒くらいのペースでゆっくりと階段を上がっていく。

 その時、

「あら昇子」

「マッ、ママッ!」

リビングの方から母が突然現れ、昇子はびくーっと反応した。

「どうしたの? 昇子」

 母の方も少しびっくりしていた。

「何でもない。いきなり現れたから驚いただけ。ママは、何しに来たの?」

「灘本先生に用事があるのよ」

 母はそう伝えながら昇子の前を通り過ぎ、階段の方へ近づいていった。

えっ!

 昇子は焦りの表情を浮かべる。

 さらに悪いことに、トストストスと、父が二階の廊下を歩く音まで聞こえて来た。

非常にまずいよ、これは。なんでこんなあまりにタイミング良く。

 昇子の心拍数は急上昇する。

どっ、どうしよう。昇子お姉ちゃんのパパとママがぼくという極限値に近づいてくる。はさみうちになっちゃうよぅ。

 流有十も予想外の事態にかなり焦っていた。

こうなったら――。

 ふと、流有十はこの窮地を乗り切るグッドアイディアが浮かんだ。すぐに実行する。

「灘本先生、ちょっとパソコン借りるわね」

「うん。分かった」

あっ、あれ? 見つからなかったの?

 昇子は両親が何事も無かったかのように階段ですれ違ったことに、当然のように不思議がる。

パパ、おトイレには、まだ行かないでね。

 昇子の願いが届いたのか、父はリビングへ。ほどなくしてテレビの音声が聞こえてくる。

よぉし、パパしばらく動かないな。

そう確信した昇子は階段を見に行った。

「昇子お姉ちゃん、ぼくもう少しで見つかるところだったよ」

「うわっ!」

 昇子は思わず仰け反る。階段から転げ落ちそうになった。

 突然壁の中から流有十が姿をにゅっと現したのだ。

「そんな所に隠れてたんだね」

「さっきはぼく、壁に複素数平面を作って隠れてたの。そこは普通の人には見えない、観測されない平面なの。だから昇子お姉ちゃんのママにもパパにも、ぼくの存在が認識されなかったの」

 流有十はにこにこ顔で嬉しそうに説明する。

「なんか、よく分からないけど、とにかく見つからなくて良かったね」

「うん! じゃあ昇子お姉ちゃん。お部屋に戻っておくね」

 流有十が自室に戻ったことが確認出来、

「よかったぁー」

 とりあえずホッと一安心した昇子は、サムと玲音を迎えに行くため再びトイレの方へ。

「あっ、あの」

 ドアノブに手をかけ、扉を開けた。

 その瞬間、

「Oh! もう、ショウコちゃん。ノックくらいしてね。Etiquetteだよ」

 サムに叫ばれた。

「あっ、ごっ、ごめんなさぁーいっ!」

 昇子は慌てて謝り扉を閉めた。そして自分の部屋へと戻っていく。

 サムが仁王立ちで、気持ち良さそうに用を足している最中に出くわしてしまったのだ。

 サムが穿いていたアルファベット柄のトランクスも昇子の目にしっかりと焼き付いてしまった。

やってしまった。でも、悪いのはサムくんの方だよ。

 自分の非は認めない昇子が自室の扉を開くと、残る三人は昇子の所有するマンガやラノベを読み漁ったり、携帯ゲーム機で遊んだりしていた。

「あっ、あのう、もう一度言うけど、あんまり私の部屋を荒らさないでね」

 昇子が優しく注意すると、

「ごめんなさい昇子さん。すぐに元の位置へ戻します」

「了解、ショウコイル」

「昇子お姉ちゃん、すぐお片づけするね」

 三人は快く応じてくれた。

「さてと、問題の続きやらないと」

 昇子が椅子に座り、シャープペンシルを手に持った。

 その時、

「ショウコちゃぁん」

「もう、昇子君ったら。シャイな子ね」

サムと玲音の声がするのとほぼ同時に、部屋の扉がガチャッと開かれた。

「ごっ、ごめんなさぁーいっ!!」

 昇子は反射的に謝る。

「べつにボク、気にしてないよ。I don‘t mind at all that I was peeped by you.」

 サムは頬をピンク色に染めながら自分の気持ちを英語で伝える。

「おれさまもサム君の後に用を足したぜ。昇子君、なんで逃げたんだ? メスブタならこういうシチュエーション大喜びすると思ったんだが」

 玲音が不思議そうに尋ねて来た。

「するわけないでしょ」

 昇子は困惑顔で主張する。

「ショウコイル、オレっち以外はごく普通に排泄行為をするからね。この四名は三次元空間上では現実のヒトのメスと同じだから。オレっちの場合は、飲食物は体内でエネルギーに変換されるからする必要ないけどな」

 摩偶真はにこにこしながら自慢げに語る。

「ド○えもんじゃん」

 昇子はすかさず突っ込んだ。

「ぼくもド○えもん大好き♪ 昇子お姉ちゃん、数学の話に戻るね。ぼく、昇子お姉ちゃんが学校にいる間、数学の中間テストの問題も拝見したけど、簡単過ぎだよ。問題集から数値もそのまま出されてるのが三分の一くらいあったもん。こんなので九〇点百点取ったって意味がないよ。問題を作った先生も手を抜き過ぎ。採点で楽をしようと思ったんだね」

「えっ、かなり難しく感じたんだけど」

 流有十の不満そうな指摘を昇子は即反論する。

「それは昇子お姉ちゃんに基礎力があまりついてないからだよ。入試問題は今まで見たこともないような問題が出るの。数値変えただけで解けなくなるようではダメだよ」

 流有十は昇子を見上げながら苦言を呈した。

「理科もワークからのコピーがかなり目立ってたぜ。ショウコイルの偏差値は四九.九か」

「国語も、ワークからそのまま出されている問題が多く感じました。学年平均も七五点もありますし」

「社会科は本当に酷かったぜ。市販の教材のコピーで大半を締められてるからな。平均も七八点って。昇子君は九一点取ってるけど、学年順位は六三位だし。得意教科みたいだけど、これじゃダメだな」

 摩偶真、伊呂波、玲音の三人は昇子のクラスで今日配布された二学期中間テスト個人成績表を眺めてため息をつく。昇子の総合得点学年順位は二五八人中一一四位だった。

「確かに社会科百点いっぱいいたな。あのう、もう十一時過ぎてるし。そろそろ」

 昇子は目覚まし時計の針を眺める。かなり眠くなって来ていた。

「ダメだっ! まだ今日の分ほとんどやってないぜ。高校受験を控えた中学三年生は家庭学習一日最低五時間はやらねえと」

 玲音は厳しく注意する。

「ショウコイル、ほら見て。モユリア樹脂も家庭学習頑張ってるぜ」

 摩偶真に指摘され、昇子はテレビモニターに目を向ける。

 森優が机に向かって、一生懸命数学の練習問題を解いている姿が映し出されていた。

「ほんとだ」

 昇子は食い入るように見つめる。普段ののほほんとした表情とは違い、真剣な表情をしていた。

「こちらは昇子君の頭が良さそうで気の弱そうなお友達、神頭学実君の様子だぜ」

 玲音がリモコンを操作すると、学実のおウチ自室が映し出された。彼女もまた、机に向かって英語の演習問題を解いていた。

「学実も、天才かと思いきや、やっぱ陰で努力してるんだね」

 昇子は感心しながら呟く。

「その通りです。学実さんも、森優さんも、長年刻苦勉励し続けて、あれだけの高い学力を身に付けたんですよ。テスト前だけ勉強すればいい、なんていう昇子さんのような浅はかな意識の持ち様とは違うのです。真の学力というのは、一夜漬けで身につくようなものでは到底ありません。昇子さんは、一、二年生の頃に一夜漬けで覚えたことを、今もう一度やって解けますか?」

「……それは、自信ないなぁ」

 伊呂波からの質問に、昇子は俯き加減で答えた。

「そうでしょう昇子さん。楽をして成績が上がるなんて、そんな甘い考えではいけませんよ」

「学問に王道なしは、ユークリッドの有名な言葉だよ、昇子お姉ちゃん」

 流有十は得意げに教える。

「さあ、ショウコちゃん。次は英語を頑張ろう。ショウコちゃん一番の苦手教科みたいだから、重点的にやろうね」

「分かった!」

 昇子は急にやる気がみなぎって来た。椅子に座るとさっそくサムが調節した問題を解いていく。

     ☆

まもなく日付が変わる頃、

「ショウコちゃん、スペル間違えてる!」

「いったたたぁ、ほっ、ほっぺたそんなに強くつねらないで」

 時折、サムから体罰を受けながら。

「昇子お姉ちゃん、ぼく、もう眠いから、寝るねー」

「わらわも眠いので、寝ます。子の刻以降に起きているのは辛いです。おやすみなさい」

「オレっちも眠くなって来たぜ。夜行性じゃないからな。ショウコイル、あとは頑張ってねー」

 睡魔に負けた流有十、伊呂波、摩偶真は自分のテキストの中へと飛び込み就寝。


0時二〇分頃。

「昇子君、夏にぴったりの夜食だぜ。元気が出るぜ」

 英語の特訓中、玲音が学習机の上に、あるメニューを置いてくれた。

 タイ名物、トムヤムクンだった。

「ありがとう玲音くん。これも社会科の資料集から取り出したんだね」

「その通りだ。食べ物だって取り出せるんだぜ」

「ショウコちゃん、これ食べてLet‘s breathe for a moment.」

「じゃあ、いただきます」 

 昇子は一旦シャーペンを置き、お皿に浸されてあったレンゲを手に取る。そしてお汁と具をいっしょに掬って口に運び入れた。

「かっ、からぁー」

 瞬間、両目を×にし舌をぺろりと出す。

「昇子君、辛いのは苦手か?」

「うん」

「すまねえ。ちょっと待ってろ」

 玲音はトムヤムクンを資料集に戻し、代わりにタイ名物のデザートを取り出した。

「ありがとう」

 机の上に置かれると、昇子は備え付けのスプーンで掬いお口に運んでいく。

「美味しい?」

 サムがにこやかな表情で尋ねると、

「うん。けっこう甘くて」

 昇子は笑みを浮かべながら答える。幸せそうに全て平らげた。

「さあショウコちゃん、もう少しだけ頑張ろう。毎日コツコツ努力すれば、一時凌ぎではない本当のacademic abilityが身に付くからね」

 サムはウィンクする。

「分かったよ、サムくん。私、一生懸命頑張るから」

 やる気が引き立った昇子は、再びシャープペンシルを手に取った。

「ショウコちゃぁん、助動詞willの後ろは動詞の原形がくるって決まり、もう忘れたの?」

「うぎゃっ!」

 その後も何度かサムに腹部をグーで殴られるなどの体罰を受けながら、英語の今日の分を学習し終えた頃には午前一時過ぎ。昇子はようやく寝させてもらえた。

まさか、体罰されるなんて思いもしなかったよ。叩かれた所がズキズキする。物理的な暴力が振るわれない分、烈學館の方がマシなんじゃないの? ……でも、エッチなことはして来なかったし、優しくも励ましてもくれたし、それに、顔もしぐさも声もすごく萌えるし、これからもあの子達に教えてもらいたいなって感じたな。

 お布団の中で、昇子はそんなちょっぴりMっ気が芽生えて来た。彼女が眠りに付いてから数分のち、

「昇子さん、傷を治しておきますね」

 眼鏡を外した伊呂波が国語のテキストから飛び出て来て、昇子に向かって両手をかざした。

 すると昇子の顔や腕、下腹部、足に出来た痣が瞬く間に消えていったのだ。

「昇子さんの寝顔、いとらうたしです。わらわは体罰に加担しないので、ご安心下さいね。おやすみなさい」

 伊呂波は小声でそう伝えて小さくあくびをし、自分のテキストへと戻っていった。


             ☆


 翌日夕方。昇子が帰宅して自室に足を踏み入れると、

「ショウコちゃん、いよいよ明日はモユちゃんと百合デートだね」

 サムが嬉しそうに話しかけて来た。

「だから私、百合じゃないって。ところで、今日席替えがあったんだけど、森優ちゃんと、帆夏と同じ班になったよ。うちのクラス、女子が男子より二人多いから、一組だけ女の子同士で隣り合うんだけど、当たるとは思わなかったよ」

 昇子は不思議そうな表情で教材キャラ達に伝える。

「ショウコイルのクラスが移動教室中に、オレっちが忍び込んで籤に細工したのだ」

 摩偶真は自慢げに語る。

「えっ!」

「ショウコイル、嬉しいでしょ? モユリア樹脂のお隣になれて」

「いや、そんなことは……むしろ、すごく気まずかったよ」

 昇子は俯き加減で言った。

「ショウコちゃん、現在進行形で照れてるよ」

 サムはにこにこ微笑みかけ指摘する。

「照れてないって。というか摩偶真くん、勝手に学校入っちゃダメだよ」

 昇子は困惑顔で注意した。

「まあいいじゃん。オレっち、マナミトコンドリアもショウコイルと同じ班にしようとしたんだけど、ミスしちゃったよ」

 摩偶真はてへりと笑う。反省の色は全く見られなかった。

「摩偶真さん、わらわ達は〝家庭学習用教材〟ですよ。基本的にお外へは出ず、受講生の自室と家庭内に引き篭っているのが役目ですからね」

 けれども伊呂波ににこっと微笑みかけられると、

「分かりましたのだイロハロゲン。今後は緊急の場合を除きショウコイル宅内部から外へは出ません」

 摩偶真は本能的に反省の色を示したのだった。

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