十章05:幼狐は、紅を差し頬を染めて

 どうやらゾディアックの目論見は、フローベルの秘めたる力を開花させる、ただそれだけだったらしい。やがて彼女がアンジェリカを抱いて姿を消すと、最上階には僕とフローベルだけが残されていた。


「まったく……理事長も人が悪いですわ。まさかこのあたくしを焚き付ける為に一芝居うってくるとは……」

 ぐぬぬと唸りながら歩くフローベルは、しかして憑き物が取れたかの様に清々としても見える。


「ですけれどまあ、胸のつかえは取れた訳ですから、結果オーライというヤツですわ」

 ――ね、あたくしのララト。と続け、呟いたフローベルが僕の腕に抱きついてくる。


「はあ、信じられないよ……昔はあんなに暴力的だった委員長が、今じゃこんなにデレデレなんて」

 アカデミア時代の、人を足で使うあの鬼の様なフローベルを脳裏に描き、僕はやれやれと溜息をつく。


「意地悪ですわ……その事はお忘れ下さいまし。アレは募るこの想いを、どう表せばいいか分からなかっただけで……」

 しゅんとしょぼくれるフローベルは、俯いて頬を染める。


「えー、聞こえないなあ。何だろう、アレって」

 あえて耳の遠い振りをする僕に「もう!」とフローベルはふくれっ面を見せる。


「好き好き大好き! そう申し上げたましたわ! 先刻も、今も、これからも、ずっと!!!」

 廊下に響くほどの大声に、改めて顔を真っ赤にし、フローベルは「そう、ずっと……」と、消え入りそうに呟く。


「委員長が最初っからそんな風にお淑やかだったらなあ……僕だって普通になびいていたかも知れないのに」

「それを言うのは卑怯ですわ! も、勿論……あたくしに問題があった点は否定しようがございませんけど」


 はあと肩を落とすフローベルだったが、次の瞬間には「ですけど、ララトが一夫多妻の国の長になったという事は、あたくしにもまだまだチャンスがあるって事ですわ」と、自らに言い聞かせる様に頷いている。


「まあチャンスというか、表向きは政略結婚の装いを保てるだろうなあ……さっきも話したけど、僕の正妻はベルカの皇女、ソルビアンカ・M・メザノッテで、エメリアじゃあない。他にもエルジア首魁の嫡女、タマモ・カイ・ナインテイルズとも関係を結ぶ可能性がある。その流れからすると、ナヴィク指折りの名門で、且つプロフェゾーレの一角を担うヴァンテ・アン家――、つまり君と関係を結ぶ事は……」


「ああもう! どうして男ってのはこう、理屈で凝り固めないと動けないのかしら? いいじゃございませんの。あたくしはララトが好き。ララトもあたくしを嫌いでない。ならそれはもうマリアージュですわ!」


 随分と論理の飛躍にも思えるが、フローベルは信じて疑わないといった表情で僕の目を見つめている。


「だいたいタマモって、あの彼方此方かなたこなたうるさいロリのチビっ子でしょう? あんなじゃじゃ馬に妻の座を先取りされるなんてたまったものじゃございませんわ! さあララト! 今すぐに結婚なさい。いいえ、婚約だけでも結構! なんなら初夜のお手つきでも!」


 こいつはいつからこんなに積極的になったのかと、堰を切ったかのような思いの丈をぶつけてくるフローベルに、僕はたじろぎつつも平然を装う。


「ならばそうしよう。フローベル。今すぐ僕の后になれ」

「なっ……い、いくらなんでも唐突ですわ……」


 いやいやこれは。あの高慢ちきな委員長がこうもしどろもどろとするのは見ていて楽しい。嗜虐心をそそられるというか……ついついもう少しもう少しと弄り倒したくなる趣がある。


「それもこんな廊下で……んっ……誰かに見られでもしたら……ああっ」


 冷静に考えずとも、そもそもお嬢様中のお嬢様と言って良いのが眼前のフローベルだ。それが好意と感度倍増のお陰様で、ほんのちょっとした刺激ですら嬌声を上げる。どうやらこんな愉悦は中々無い。だがそんな気の緩みが、小さな来訪者の存在を見落とす端緒となったらしい。情事まがいの暫しのいとまを、制す様に声が響いた。




「――彼方ら、何を昼間から乳繰ちちくり合っておるのじゃ!」

 見ればたったいま噂に上がったばかりの、タマモ・カイ・ナインテイルズが大鎌を携え佇んでいる。ああそう言えばと頭を抱える僕だが、今日の面会を前に、各国要人らの結界認証を解いておいた事を失念していた。おまけに先刻、フローベルらと最上階に入った時点で、監視役のケイには休憩を申し付けているのだ。


「なっ? なんですのッ!!!」

 ぎょっとして僕から離れるフローベルが、タマモの姿に一層驚く。


「むむっ! そなたはナヴィクの! 暇なものじゃな! 武芸の稽古も疎かに、イケメンとチュッチュイチャイチャなど!!!」

 タマモから感じた違和感だったが、なるほどと僕は得心する。レイヴリーヒの素顔を知らない彼女にとって、目の前に立つ男は素性の知れぬ男に過ぎない。


(どういうことですの……?)

(ああいや……あいつは僕の素顔を知らないんだ)


(あら、素顔も好かれて良かったじゃあございませんの。イケメンの旦那様?)

(やめてくれ。タマモとはまだそういう関係性じゃあないんだから)


 小声で喋る僕たちを訝しむ様に、タマモはずんずんと距離を縮めてくる。


「やあやあ。これはエルジアの美少女殿下。陛下ならば只今自室にてお休み中です。お呼びして参りますので、暫しこちらにてお待ち下さい」


 そう僕が誘うのは、私室の隣の后の部屋。「えっ」と驚くフローベルを他所に、タマモはまんざらでも無いといった様子だ。


「ふむ! 従僕め心得ておる! 確かに此方は彼方と夫婦になるつもりは無いが! 無いのじゃが! ……こうして相応の待遇を受けること自体は否定せぬぞ!」


 まったく単純なヤツだと内心で僕は溜息をつき、フローベルにその場を預けるや急ぎ仮面を付け、皇帝レイヴリーヒとして舞い戻る。




「うむ! 遅いぞ彼方! うっかり居眠りしかけておった所じゃ! ……所じゃったがの! ほれ、どうじゃ?」


 しかし僕の杞憂きゆうは何処へやら。タマモはというと鏡台の前でフローベルに髪を結わえられ、意外にも満悦の笑みを浮かべている。


「ほう」

いじゃろう! 愛いじゃろう! のう! これなら此方も、やんごとなき后の気配がムンムンなのでは?!」


 紫色のボブカットはお団子に丸められ、何も言わずに黙っていればお人形の風情程度は醸し出している。恐るべくはそれをそつなくこなすフローベルで、流石にかのツインドリルを、日々自身でメンテナンスしているだけの事はあると……僕は一人頷いて感嘆する。


「なるほどな。中々に良いではないか。流石は我が妻、タマモ・カイ・ナインテイルズ」

「じゃからのう! 此方は彼方と夫婦になるとは、まだ一言も申してはおらぬに!」


 だけれど顔を真っ赤にして否定するタマモを「女は、感情に正直に生きてこそですわ」とフローベルが諭す。


「し、正直などと! なれば此方は、先刻見た銀髪のイケメンが好みじゃ! のう、彼方の従僕であろう?」


 大慌てで否定するタマモが可笑しくて、フローベルはくすくすと笑みを零し、僕は僕で仮面の奥で笑いをこらえる。


「な……なにがおかしいのじゃ? 廊下で乳繰り合っていたでおろうに?」


 狐に化かされた様な表情でキョロキョロするタマモに「そうだな」と僕が返す。


「そうですわね。ですからタマモ様も、しっかりと花嫁修業をお積み遊ばせ」


 ああそう言えばと僕が思い出すに、このフローベルは外向けの演技は完璧な人種なのだ。アカデミア時代も、僕に対してだけはやたら高圧的だった事を除けば、周囲への物腰も柔らかな、正真正銘、良家の息女。それゆえに厄介であった事は疑い得ないが、こうして改めて目の当たりにさせられると、中々みやびなものだなあと感心させられる。


「そうじゃのう……ううむ、しかし此方は、お主の様に背も高くないゆえ。どうにもレディの威厳が出ぬのじゃ……」

 しゅんとしょぼくれるタマモが、ちらちらとフローベルを見て溜息をつく。確かに社交界の華とでも呼ぶべきフローベルと、チビっ子がプンスカしているだけのタマモとでは、その佇まいに雲泥の差が横たわる。


「ふふ、気に病むことではございませんわ。あたくしとてまだ修行の身。何も身長だけが全てではございませんもの。家督を継ぐ者としての立ち居振る舞い。あるべく挟持きょうじ。いつ如何なる時でも淑女たらんとする心意気……エト、セトラ」


 おいおいさっきまで、てんでデレデレだったじゃないかと内心で僕は毒づくも、異論を挟む余地の無いフローベルの巧みな話術に、やむを得ず舌を巻く。


「……此方ももう少し淑やかにならねばならんかのう。今まで鎌を振り回すしかしておらんで、ならばせめて武芸ではと思うたのじゃが、それも黒星続きでの……」


 どうやら本人は、要所要所での敗北を、相当気に病んでいるらしい。先ずはエメリアへの圧敗。次いでRIPへの惜敗。ひとえにそれは、彼女自身のバトルスタイルに起因している部分もある訳なのだが、だからこその悩みとも言えるだろう。


「いいですことタマモ様? 民の上に立つ者は、外に向けては常に笑顔で居なければなりませんわ。いついかなる時も、たとえ己の心がズタズタに引き裂かれたその時であろうとも……さ、鏡を見てお笑い下さいまし。元気に快活に、世は全て事も無しと、ただ無為に朗らかに」


 いつの間にかヘアセットを整えられたタマモは、ふと目を上げて、自らの変容に目を見開く。


「おおう……まるで此方が此方では無いようじゃ……お人形のようじゃの……」

 身を乗り出してペタペタと鏡を触るタマモは、次に自分の頬をつねり、それが自身である事を確かめる。


「かわいいぞタマモ。もちろん、普段のお前もとうぜん愛らしいが、こうして朱を塗り紅を差すとまた一段の輝きだ」

 褒める僕に紅の何倍も顔を染め、タマモが頭から湯気を出す。


「と、当然じゃ! むむ……褒めても何も出ぬというからに」

 言うやひょいと椅子から飛び降りたタマモは「此方も明日エルジアに発つからの。今日は彼方に、稽古をつけて貰おうと参ったのじゃ!」と、僕とは目を合わせずに目を伏せながら告げる。


「あら、それは丁度良い時宜ですわね。陛下……あたくしも同席いたしますわ。参りましょう。兵士たちの鍛錬場に」


 フォローするように破顔するフローベルは、果たしてそれなりにタマモへの興味を惹かれたのか、或いは内心で別の事を図っているのか計り兼ねたが……どのみちタマモとの一戦は回避のしようもない。だから僕は「ああ」と頷くと、二人を引き連れ階下へと降りたのだった。

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