World's End Online

@yuki2968

第一章 全ての始まり

破滅へのプロローグ

『このネカマ野郎が!』

 チャットに浮かんだ文字からは声が聞こえなくとも烈火の如き怒りの片鱗がありありと見て取れた。

 普段の、温厚で困ったことがあれば優しく聞いてくれる頼りがいのあるギルドマスターからはかけ離れた罵声に怯む。

 ……違う。そんなつもりは最初からなかった。ほんの少しのすれ違いがあっただけなのだ。

 現実には友達と呼べる相手なんていなくて、だけど孤独に過ごすのは寂しくて、生まれて初めてオンラインゲームに手を出したのは半年ほど前になる。

 右も左も分からずあたふたとしていた時に声をかけてくれたのが彼だった。

 フランクな会話の仕方なんて分からず、出来るだけ丁寧な敬語を心がけたのがいけなかったのだろうか。

 コミュニケーション初心者だった自分が仲良くなったからといって砕けた口調に変われる筈もなく、型にはまった敬語キャラとして受け入れられていたと思っていたのに。


『今まで散々騙しやがって! 踊らされる俺達はさぞ滑稽だったろうよ!』

 早く弁明しなくてはと思いはしても、指が震えて上手く動いてくれない。こんな状態では正確にキーボードを打てるはずもなく、それ以前に弁明の文面すら浮かんではいない。

 きっと、少しでも現実を忘れたいという一身で女キャラを選んだのがそもそもの間違いだった。

 まさか女キャラを使って丁寧語で話しているからリアルも女性に違いないなんて勘違いをされるとは思いもしなかったのだ。

 ここはゲームの中で、リアルのことなんて関係ないと思っていたから。

 性別はおろか、何歳で何をしているのかといった情報を口にした事もなかったのに。

 誰も何も聞かなかったのは、みんな自分と同じように、リアルから隔絶したゲームの世界に浸りたいからではなかったのか。


『男の癖に男に甘えるとかキモすぎんだよ、つか晒すから。さっさと引退しろゴミ虫が!』

『フレ全員で潰すわ。悪いけど俺が声かければBAN間違いないから。つかそれ以前に迷惑行為だしな、ゲームのルールすら守れないなんて頭おかしいんでちゅねwww』

『ネカマっぽいとは思ってたんだよ』

『つか平日繋いでる時点でニートだろ』

『ネカマでちやほやされたいとか頭おかしいわwww』


 糾弾の声をあげるのはギルドマスターに留まらず、気付けば同席していたメンバーが次々と異口同音の非難に沸き立つ。

 かつて現実でも似たような目にあってこの世界に逃れてきたのに、この世界でも同じ結末を辿るのかと思うと涙しか出てこなかった。

 結局自分はどこに行っても受け入れられないのだろうか。

 ようやく居場所を見つけたと思ったのに、少しは仲良くできる相手を作れたと思ったのに、彼らはみんな女性だと思ったから優しくしてくれたに過ぎない。

 それってつまり、自分には欠片一つも魅力がなかったということではないか。

「はは、はははは……」

 誰もいない現実の自室に乾いた自嘲の笑い声が響く。もういい。このまま何も言わず言われた通りに引退してしまおう。そう決めた瞬間。


「さっきから聞いてりゃ随分と一方的だな。自分から男だって言った奴のどこがネカマだよ、それともリアルの性別を聞いて女だって言われた奴がいるのか? お前らが思い込んでただけだろ? 勝手に勘違いして勝手に盛り上がって勝手にキレてるだけじゃないか」

 ただ一人、何も言わず視界の隅に立っていた男キャラクターの一人が味方をしてくれた。

 あまり付き合いがあったわけではない。同じギルドであっても接続時間帯が噛み合わなくてじっくり話したこともなかった。

 でも、何度か一緒に狩に行った時は細かいところまで良く見てくれる優秀なタンクだなぁと感心した記憶がある。

 普段から良く話す人たちから口々に非難される中、接点の少ない彼が自分のことをちゃんと見てくれていて、なおかつ庇ってくれたのは本当に嬉しかった。

 これがゲームで良かったと、思わず潤んでしまった顔を見られなくて本当に良かったと思ったくらいだ。

 たったそれだけで心の中に巣食っていた諦観や悲観が綺麗に吹き散らされる。

 彼の言うとおりネカマをするつもりなんて最初からなかった。ただ性別を口にする機会がつい今しがたまでなかっただけに過ぎない。

 勘違いさせたことを謝って弁明すればきっとみんなも分かってくれる。

 ……だけどそれは、儚い夢に過ぎなかった。


「は? お前何言ってんの? ネカマの援護とかマジ受けるんですけど」

「勘違いさせたのはこいつだろ。勝手に勘違いしたとか的外れすぎなんですけどwww」

「大体男が女キャラ使う時点でネカマみたいなもんだろ。きもい死ね」

「なになに、もしかしてまだ騙されてるの? リアルでモテないからってネカマに最後の望みを託すなよwww」

「つかお前も仲間なんじゃね。自作自演とか臭すぎ」


 まるで示し合わせたかのように揃って謂れのない誹謗中傷を投げかける。

 自分が何か言われるのは良い。だけど、自分を庇ってくれた彼が非難されるのだけは看過できなかった。

 ここで何もせずに黙っていたら本当に無価値な人間に成り下がってしまう。

 勇気を出して違うのだと訴えた。彼は今回の件に無関係だし、自分にも騙すつもりなんてなかったのだと。

 しかし帰ってきたのは言葉ではなく、彼を含めたギルドの強制退会措置だった。


 それからと言うもの、某巨大掲示板にあることないこと書かれたせいか結構な頻度で見知らぬ誰かから誹謗中傷のメッセージが送られてくるようになった。

 スレ上の書き込みは誇張に誇張を重ねたせいで時折否定のレスが入ったのだけど、その瞬間に真っ赤な複数IDがレスバトルを繰り広げるせいで誰も触りたがらなくなった。

 今にして思えばギルドぐるみの自作自演だったのだろうけれど、その頃の自分はまだそんな文化にも親しみがなくて心底うんざりとしていた。

 ここまでされて始めて彼らが恐ろしく利己的で自己中心な人達であったのだと気付かされたのである。


 オンラインゲームは他にもある。移り済もうと思えばいつでもできた。この教訓を生かせば今度こそ平和に楽しめるはずだ。

 だけど少しでも時間を見つけては同じゲームにつなぎ続けていた。あの時に庇ってくれた青年へどうしてもお礼と謝罪をしたかったからだ。

 フレンドを交換していなかったせいでギルドを退会させられてからは連絡手段がなく、立ち寄りそうな街や狩場を片っ端から探し続ける日々。

 もしかしたらもう辞めてしまったのかもしれないと頭の片隅では思っていても諦められなかった。

 彼もこのオンラインゲームをそれなりに楽しんでいたはずなのに自分のせいで台無しにしてしまった。

 その罪悪感は直接言葉を交わさない限り晴れることはないだろう。


 何を書かれても何を言われても変わらず繋ぎ続けたせいか、掲示板への書き込みや誹謗中傷のメッセージはより過激な内容に変わっていった。

 どこどこにいた。また男を漁っている。リアルタイムでストーカーでもしているかのごとき執着心には掲示板の住民ですら呆れを通り越し辟易していたようだ。

 もっとも、そのおかげで青年と再会できたのだから皮肉なものだ。

 なんでも書き込みを見て自分がまだ繋いでいることを知ったうえ、ストーカーじみた報告のおかげで探し回らずとも居場所を把握できたらしい。


『続けるならキャラを作り直したほうがいい。良ければ手伝うが?』

 探し回っていた相手が突然目の前に現れ、オマケに助言とパワーレベリングの申し出までされて混乱の極致だったのは今でもいい思い出である。

 深呼吸を重ねてから落ち着きを取り戻すと、ずっと考えていた文面を打ち込む。

『いえ、違うんです、ずっと探してました。庇ってくれてありがとうございます。それから、迷惑をかけてしまって本当にごめんなさい』

 罵倒されるか、受け入れてもらえるか。返事を待つ間は戦々恐々としていたのだけど、彼の返事は予想していたものとかけ離れたものだった。

『まさかとは思うが、それを言うだけの為に繋いでたのか?』

『はい』

 謝罪を受け入れるでもなく、なんてことをしてくれたのだと罵倒するわけでもなく。

 待てども待てども帰ってこない返事からは困惑の感情が透けて見えた気がした。


『あんた律儀すぎるだろ……。ネトゲじゃ些細なことでも晒しや粘着に発展するもんなんだよ。いちいち構ってたら神経がいくらあってもたりねーって』

 たっぷりの間をおいた後、わざわざ『呆れる』のキャラクターモーションを実行しつつ諭される。

『晒されて初めて一人前なんて言われることもあるくらいだ。どうせ何もできないんだし好きに言わせておけばいいんだよ』

 青年の言わんとしていることは理屈の上でも理解できる。

『納得できません』

 いつの間にか手が動いていた。

 悪意を持つ匿名の相手をどうにかする方法なんてない。自分は隠れてありもしない妄言をさも真実のように垂れ流し誹謗中傷の限りを尽くすなど卑劣にも程がある。

 まして、本人以外の『傍にいる誰か』を狙う行為だけはどうしても許せなかった。


『納得できないって意見には同意するが、どうにかできる問題じゃないんだって。今回みたいな直結絡みは特にさ。犬に噛まれたと思って諦めるしかない』

 青年は大人なのだろう。他人のせいで不利益を被ったのは確かなのに責めるどころか慰めてくれる。

 それがなおさら気に食わなかった。彼に悪い点なんてあるはずないのに、この状況を受け入れてしまっていることが。

『絶対許せません』

『気持ちは分かるが、掲示板に突撃とか罵詈雑言を言い返すとかは止めとけ。火に油を注ぐようなもんだ。気にしてないってスタンスを貫くのが一番効果的なんだよ』

『相手にしなければいつか飽きるだろうってことですか?』

『まぁそんなところだな』

 言い返したところで効果が薄いのは分かってる。青年の口にした対応が模範とされていることも。

 でも、だからって傍若無人な振る舞いを相手が満足するまで耐え続けるだけではあまりにも理不尽ではないか。

『大人ぶって、一歩引いて、いつかを願って、何もせずに眺めてるのはただの怠慢じゃないですか! 飽きられる前に取り返しのつかない事態になることだってあるんです』

 考えずとも指が勝手に動く。ふつふつと湧き上がる怒りは身に覚えのあるものだった。

『ちょっと落ち着けって。現実ならともかく、匿名性のネットでどうにかできる手段なんてないんだ』

 一転して攻撃的になった発言に青年が引いているのもわかる。結局のところ、この憤りは独善的なものでしかない。

 無関係の青年への誹謗中傷が許せない自分と、割り切って考えている青年とで考えが一致するはずがなかった。

 わかって貰おうとは思わない。だけど譲るつもりもない。引きこもりの自分が言うのも難だけれど、この世には逃げられない時もあるのだ。


『決めました、絶対に復讐して見せます。彼らだけじゃなくて、そういう人たち全員に』

 心の中のスイッチが切り替わる。かつて燃え盛っていた、しかし役目を終えたことで冷え固まったはずの感情が、少しずつ、だけど確実に勢いを強めていた。

『は、はぁ!?』

 青年が驚くのも無理なかった。

『復讐って言っても何するつもりなんだ』

 具体的には決まっていない。ただ、彼らが自分たちと同じように多数の人間からあらん限りの排斥を受ければそれでいい。

 すぅっと頭の中が冷え込んでいく。解を求めて脳みそがフル回転を始めるのが分かった。

 彼らは掲示板に嘘を書いていた。脚色を加えていた。何故か。そのままではインパクトが足りないと考えたからだ。

 彼らの妄想では自分が最初から女だと言って憚らず多数の高額アイテムを媚びへつらって受け取ったらしい。

 女性を演じてアイテムを貢いで貰うのは分かりやすい悪だから。

 その割には『ネカマに騙される自分たちの見る目がないだけじゃんwww』という煽り文句にはすさまじい数のレスを返していた。

 要するにその通りなのだ。騙すネカマも悪だが、ほいほいと引っかかる男共も間抜けという意味では変わらない。

 だから必死に相手が悪で自分達はただの善良な被害者、何も悪くないと騒ぎ立てる。


『ネカマについて詳しかったりしますか?』

 疑問に答えるどころかわけのわからない質問をされて流石の青年も困惑したようだ。

『もし何か知っているなら教えてほしいんです』

『いや、概要くらいなら知ってるけど、というか全然話が分からん。どうして急にそんなことを知りたがるんだ?』

 決まっている。頭の中で朧げに浮かんだ復讐の為に必要な知識だからだ。

 一刻も早く行動に移したかったものの、同じ被害者である青年にはそれを知る権利があるのも確か。

 もしかしたら骨子にもなっていない計画を少なからず補強してくれるかもしれない。

 例え止められても、呆れられても構わなかった。心のスイッチはすでに切り替わっている。勝手にしろと言われずとも勝手にするつもりだ。

『誰にも気づかれないくらい完璧なネカマになって、ああいう人たちをみんな纏めて騙すんです』

『……お、おう。それで?』

『はい、ある程度の人数を騙したところでですね……』

 最初はやっぱり呆れながら、しかし続けるにしたがって青年の表情が真剣に、口元が楽しそうに曲がってくる。


『それで最後に、ざまぁwwwネカマに騙されて今どんな気持ちwwwねぇねぇ今どんな気持ちって煽ってやるんです!』

『……馬鹿げてるとしか言い様がねぇよ。けど、成功すりゃ確かに面白いな。ああいう手前をぎゃふんと言わせたいと思ったことがないわけじゃないし。なぁあんた、この計画、俺にも協力させてくれないか?』

 途中からそうくるだろうと思っていた。なにせ食いつき具合が半端じゃなかったから。もしかすると彼もこういった手合いに関して色々と憤慨していたのかもしれない。

『喜んで。でも何を手伝ってくれるんですか?』

『そうだな、ネカマとして鍛えてやるよ。なにせ俺はネナベだ、教師としてこれ以上の適任はいないだろ?』

 予想だにしなかった言葉に唖然とする傍ら、青年が親指を立てるモーションを返す。

『さしあたってキャラクターネームから決めないとな。何か候補はあるか?』

 名は体を表すと言うし、適当ではなく何かしらの意味を持たせたい。かといって意味を持たせ過ぎたあまり不自然になるのも、すぐにそれと分かるようなのもダメだ。

 条件に該当する候補は後で調べなければいけないけど、一つだけ思い当たるものがあった。

『えっと、セシリアなんてどうでしょうか』

 音楽と盲人の守護聖人として知られる名前だ。一時の享楽を楽しむ現実の見えていない人達とそれを守護する聖人。けれど最後に処刑されてしまう。

 キリスト教徒には有名な名前だけれど、宗教感の薄い日本ではあまり知られていないのもポイントが高い。

 青年にもそれを説明しようと思ったのだけれど。

『そいつは確かに皮肉が効いてるな』

 彼はこの名前に込められた意味を正確に理解できたらしい。一体どういう人間なのだろうか。ほんの少しだけリアルが気になったものの、今はそれどころではないと思考を振り切った。


 全ての直結厨に制裁を。

 あまりにも壮大で馬鹿馬鹿しい復讐劇が幕を開けた瞬間だった。

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