Épisode 6 頑張れ優利菜ちゃん! 運命を左右する期末テストついに始まる

「ただいまママ」

「おかえり優利菜。明日のテスト、全力を尽くすのよ」

「うん! もちろんだよ」

 期末テスト初日前日、授業は午前中までだったため、優利菜はお昼過ぎに帰って来た。昼食に母が用意してくれた甘口カツカレーを食べたあと、自室に向かう。

「優利菜君、いよいよ明日からだな」

「優利菜さん、今日は明日ある科目の最終確認をしていきましょう」

「ユリナちゃん、オールナイトは逆効果だよ」

「ユリナフタレン、体調は万全かな?」

「優利菜お姉ちゃん、塾行き回避目指して極限まで頑張ろうね。塾なんかへ行かされたらぼくと遊べる時間が少なくなっちゃうもん」

 お部屋に入るといつものように、教材キャラ達がテキストから飛び出して来た。

「うん、頑張るしかないからね」

優利菜はわりと乗り気で机に向かう。明日行われる科目は化学基礎、保健、数学Aだ。

「ユリナフタレンは保健好き? 保健って、性教育分野があるでしょ」

 化能蒸は興味津々な様子で問いかけてくる。

「その分野は高校ではまだだよ。今回の範囲は現代社会と健康の単元の前半部分だから」 

 優利菜が素の表情でこう答えると、  

「なぁんだ。性教育じゃないのかぁ」

 化能蒸はちょっぴりがっかりした。

「化能蒸君、メスブタ臭はきついが純情な乙女である優利菜君をからかっちゃダメだぜ」

「あいだぁーっ! からかってないのにぃ」

 瑠偉に背後からパチーンッと背中を思いっ切り叩かれ、化能蒸はかなり痛がる。

「こいつはしごきに最適だぜ」

 瑠偉は、優利菜が今日学校から持ち帰った体育実技副教材の剣道が載っているページから竹刀を取り出したのだ。

「あの、瑠偉くん。まさか、それで私を……」

 優利菜は顔を引き攣らせながら質問した。

「もちろん。優利菜君、サボったら、これで思いっ切りパッチンするからなっ♪」

 瑠偉は竹刀を優利菜の肩の上に乗せて、にこりと楽しげに笑う。

「てっ、手加減してね」

 優利菜はびくびくしながらお願いした。

「ルイソロイシンに叩かれたくなかったらさっそく化学、化学。今日はオレっちが作った直前対策予想問題集を解いていこうぜ。そういやユリナフタレン、中学の頃、フレミングの左手の法則ってのを習ったでしょ? フレミングには右手の法則もあるの知ってる?」

「知らないよ」

「やっぱりか。高校物理の範囲だからな。左手の場合、中指が電流、人差し指が磁界、親指が導体にかかる力の向きなんだけど、誘導起電力の向きの場合だよ。指はそれぞれ直角にしてね」

 化能蒸は優利菜の強引に右手のその指を反らしてくる。

「いっ、痛いよ化能蒸くん」

 優利菜は苦しそうな表情。

「すまんねえユリナフタレン、これも学習のためだからちょっとだけ我慢してくれ。フレミングの右手の法則は、中指が起電力の向き、人差し指は磁場の向き、親指が導体の動く向きだぜ。もう少しきれいな垂直に」

 化能蒸は構わず真剣な表情で指をいじくり続ける。

「いたたたぁっ」

 優利菜はさらに痛がる。

 次の瞬間、ポキッ! と、乾いた音が響いた。

 その約二秒後、

「いったぁぁぁぁぁぁぁあいぃぃぃぃーっ!」

 優利菜はかなり大きな叫び声を上げた。

「あっ、優利菜さんの右手が尋常でない形に!」

 睦月は焦りの声を上げる。

「捻挫した場合、冷やすと効果的だって保健の教科書に書かれてあるよ」

 指偶真はそれを眺めながら冷静に説明した。

「では、早急にそうしなきゃ」

「そういや睦月君、怪我を治せるという治癒魔法的な設定が備わってなかったか?」

「そんな設定もあったんだ! どうりで私が体罰で受けた痣とか、痛みも一晩寝たらすっかり消えてたわけだ。助かるよ、睦月ちゃん、早く治してぇ~」

「あの、優利菜さん、大変申し上げにくいのですが、わらわの力で即座に治癒出来るのは打撲、切り傷、刺し傷のみで、捻挫や骨折、風邪は不可能なのです」

睦月は優利菜に向かって深々と頭を下げる。

「そっ、そんな、いたたたぁ~」

 優利菜は大変苦しそうな表情。

「すまねえ、ユリナフタレン。やり過ぎた」

化能蒸がぺこんと頭を下げて謝罪したその直後、

 ドスドスドスドスドスと、小刻みな低い音が聞こえて来て、

「どうしたの!? 優利菜ぁ」

 ガチャリと扉が開かれ母がお部屋に入って来た。優利菜のことが心配になり、急いで駆け上がって来たようだ。

教材キャラ達はすぐさま自分のテキストに隠れて見つからずに済んだ。

「ママ、私、フレミングの法則を、確かめようとしたら、右手の指を捻挫して」

「優利菜ったら、フレミングは左手でしょ。これは、病院行った方がいいわね」

 痛がる優利菜の姿を眺め、母はにこにこ笑う。

「うっ、うん。いたたた……」

 こうして優利菜は母に連れられ、近所の外科医院へ。

      □

約一時間後。優利菜は右手親指、人差し指、中指に包帯が巻かれた状態で家に帰って来た。

「ごめんなさい、ユリナフタレン」

 優利菜が自室に入った瞬間、化能蒸は土下座で謝罪した。彼はとても気にしている様子であった。

「優利菜お姉ちゃん、化能蒸お兄ちゃん無限大に反省してるから許してあげて」

「ゲノムくんも悪気があってやったわけじゃないから」

 指偶真とリオは減刑を求めてくる。

「あの、化能蒸くん。私怒ってないから。むしろ新しい知識を教えてくれて感謝してるよ」

 優利菜は、しょんぼりしてしまった化能蒸に優しく話しかけた。

「ほっ、本当か?」

「うん」

「ありがとう、ユリナフタレン」

 化能蒸は頭をくいっと上げ、立ち上がると優利菜にきゅっと抱きつく。

「ユリナちゃん、toreranceだね。さすが大和撫子」

 リオに感心気味に褒められ、

「いやぁ、それは関係ないと思うけど」

 優利菜は苦笑いする。

「さあ優利菜君、さっそく勉強再開だ。椅子に座れっ!」

「わっ、分かった」

瑠偉から命令されると優利菜はパブロフの犬のごとく条件反射的に椅子に座った。左手にシャーペンを持ち、やりにくそうに化学の問題を解いていく。

「優利菜君、怪我をしてるからといって、甘やかすことはしないからな。きっちり制限時間内に解いてもらうぜ」

「えっ、それはやめて欲しいな。左手だと書きにくいのに」

「ダメだ! これも予期せぬ状態に陥った時の耐性を付けるためだ」

「入試当日に、風邪を引いたり怪我をしたりしたからといって、日にちを変更することはもちろん、時間延長も認めてくれないですからね」

 睦月は真剣な眼差しで忠告する。

「そっ、そうだね。学校のテストでもそうだもんねぇ」

 優利菜はハッと気付かされた。

 こうして優利菜は、その後も明日ある科目を厳しく鍛え上げられていった。


       *

 

ついに迎えた翌日、期末テスト初日。

「優利菜ちゃん、どうしたの? その手」

 朝、いつもより三〇分くらい早く迎えに来てくれた実帆は、心配そうに接してくれた。

「その……」

「フレミングの法則を確かめようとしたら捻挫したのよ。全治一週間だって」

 優利菜が伝える前に、母はにこにこ顔で伝える。

「そうなんですか。痛そう。優利菜ちゃん、字はちゃんと書ける? おトイレは一人で大丈夫?」

「まあ、なんとかね」

「優利菜ったら、フレミングなのに左手じゃなくて、右手を捻挫させたのよ」

「おば様、フレミングの法則には右手のもありますよ」

「あらま、そうなの?」

 実帆から知らされたことに、母は少し驚く。

「化学や生物では使いませんけど」

 実帆はにこやかな表情で付け加えた。

「そっか。じゃっ、いずれにせよ間違えたのね。左手じゃ書きにくいけど、ノルマは一番たりとも下げないわよ」

 母はにやりと笑う。

「ママ、これくらいの怪我、全然ハンディじゃないよ。昨日左手で書く練習、いっぱいしたからね。左手でも、絶対百位以内に入ってみせる! じゃあ、行ってくるね」

 優利菜はきりっとした表情で強く宣言した。 

「頑張れ優利菜ちゃん。それじゃ、行ってきます、おば様」

こうして二人は学校へ。


「ゆりなっち、どないしたんその手ぇ?」

「捻挫ではありませんか?」

 やはり千陽と学恵が心配してくれた。千陽はテスト期間中だけは早めに学校に来るのだ。

「右手捻挫しちゃって、左手で書かなきゃいけないから、ちょっとハンディになるな」

 優利菜は困惑顔で呟く。

「全力を尽くせ。ドゥーユアベスト。うちも昨日は全然勉強出来ひんかった。新作アニメのチェックが忙しくって」

 千陽はにこにこ笑いながら優利菜を励ます。

「やっぱ誘惑に負けちゃったのね。私は、今回はテスト終わったあとにまとめて見ることにするよ」

「おう、ゆりなっち。烈學館行き回避のために本気モードになれたみたいやね」

「まあね。でも、左手じゃ答書くのにちょっと時間かかっちゃうよ。数Aが一番鬼門だなぁ。図を書かなきゃいけない問題絶対出るだろうから」

優利菜は苦笑いで伝え、自分の席に着く。そして一科目目化学基礎のテスト範囲の最終確認をし始めた。

時間は刻々と過ぎていき、八時半のチャイムが鳴ってまもなく、

「みんな、出席番号順に座ってるか?」

 担任の赤阪先生がやって来た。机の中に物が入ってないか、携帯電話の電源は切って茶封筒に入れ机の上に出すようになどの諸注意をしたあと、一科目目化学基礎の問題用紙と解答用紙を裏向きに配布していく。

八時四〇分。チャイムが鳴り、

「それじゃぁ始めて」

赤阪先生からのこの合図で試験開始。

クラスメート達は問題用紙、解答用紙を表に向け、問題を解き始めた。

教室内に、シャープペンシルの走る音が聞こえ出す。 

それから数分後、優利菜のお部屋。

「優利菜さん、左手でも上手くやれているようですね」

 睦月は嬉しそうに、優利菜の懸命に頑張る様子をモニター画面で眺めていた。

「よかったぁ。オレっちすごく心配だったぜ」

 化能蒸はホッと胸をなでおろした。


 豊中塚高校一年三組の教室。

「優利菜ちゃん、どうだった? ちゃんと書けた?」

 九時半過ぎ。一科目目終了後、実帆はすぐに優利菜の席へ近寄って来てくれた。

「まあ、なんとか」

「よかったぁ。わたしホッとしたよ」

「あの、実帆ちゃん。今回は化学、前より難しかったよね」

「うん。難易度上がったよね。わたしもあまり出来なかったよ。じゃあ、またあとでね」

 実帆は困惑顔で伝え、自分の席へ戻っていく。

「ゆりなっち、今回はうち、化学四〇くらいしかないと思う」

 入れ替わるように、千陽も近寄って来た。

「理系志望なのにさすがにそれはかなりまずいでしょ」

 楽天的な千陽に、優利菜は呆れ顔で突っ込む。

「まあ、夏休みから本気出せばなんとかなるっしょ」

 千陽はにこにこ顔で主張する。

 学恵は自分の席から動かず、次の科目のテスト範囲内容の最終確認をしていた。

続いて行われた二科目目、数学A。

やっぱ時間かかっちゃうなぁ。

 優利菜は慣れない左手で懸命に樹形図やベン図を記述、描写していく。

三科目目保健も、優利菜は左手でなんとか無事に乗り切れた。

      ※

「ユリナフタレン、今日あった化学のテストの問題用紙貸してー」

 午後一時前、優利菜が帰宅し昼食を取り終え自室に足を踏み入れると、化能蒸が駆け寄って来た。

「もちろんいいよ」

 優利菜は快く通学カバンから取り出し、化能蒸に手渡した。

「今から解答速報作るね。お詫びを気持ちも示したくて」

 化能蒸はそう言うと、学習机の上にその答案と白紙のA4用紙を置き、椅子に座る。シャープペンシルを手に取ると、さっそく白紙用紙に問題を解き始めた。

「あたしも数Aの解答速報作るぅーっ。優利菜お姉ちゃん、テスト頂戴」

 指偶真も化能蒸の真似をし始めた。

それから十五分ほどのち、

「出来たぜ、ユリナフタレン。今回は難易度少し高かったね。学年平均おそらく六〇切るぜ。オレっちにとっては楽勝だったけど」 

 化能蒸は文字や化学式、図でビッシリになったA4用紙を優利菜に手渡す。

「……どんな答を書いたかあまり覚えてないけど、平均点絶対ないよ」

 優利菜はちょっぴり落ち込んでしまった。

「優利菜お姉ちゃん、はいどうぞ」

 指偶真からも渡された。

「数Aも、たぶん平均ないな」

 優利菜はますます落ち込んでしまう。

「優利菜さん、思ひくづほっちゃ駄目です」

「ユリナちゃん、ネガティブシンキングは入試本番ではフェータルになるよ」

「優利菜君、まだ主要科目のうち二科目が終わったに過ぎねえじゃねえか。自分は絶対百位以内に入れるんだって気持ちでいなきゃダメだぜ」

 瑠偉が爽やか笑顔で優しく頭をなでてあげると、

「分かってはいるけどね」

優利菜の不安はほんの少しだけ和らいだ。

二日目は古典と家庭科が組まれてある。

「ユリナちゃん、Tomorrow is another day.だよ。今日のことはもう忘れて、明日頑張ればいいんだよ」

「そうですよ優利菜さん、明日に向けて古典の直前対策をしましょう」

「分かった」

リオと睦月に励まされ、優利菜は自ら机に向かう。彼女は二日目以降、テストの出来が悪くとも、ネガティブな気持ちにならないよう心掛けた。


       ※


期末テスト四日目終了解散後、優利菜、千陽、学恵の三人は近くに寄り添う。

「今日は現社と生物で楽だったけど、明日が一番嫌だなぁ。数Aと英語、どっちも私の苦手科目だし」

「ワタシは数学は一番好きだけどね」

「数学が得意な子の脳の構造は理解出来んわ~。うちは全科目苦手やから」

「千陽、それはやばいよ。私も頑張らないと」

「今日は四日やね。ジャ○プコミックの新刊とジャ○プSQ、今日発売やから駅前の本屋にいっしょに買いに行こう!」

「えー、あと一日だけなんだし、終わってからでいいでしょ。今日買うと、絶対気になってテスト勉強に集中出来なくなりそうだし」

 千陽の誘いに、優利菜は眉を顰めながら意見した。

「うちは明日の試験完璧に捨てとるし。うち目当てのやつは人気作やから明日には売り切れとるかもしれへんし」

けれども効果なし。千陽の意思は全く変わらず。

「そういうのはたくさん入荷されるから、むしろいつでも手に入れ易いでしょ」

 ほとほと呆れ果てる優利菜に、

「あのう、優利菜さん。ワタシもいち早く新刊読みたいですし、いっしょに買いに行きましょう」

 学恵も申し訳無さそうにお願いして来た。

「……学恵まで。それじゃあ、行こっか」

 優利菜は五秒ほど悩んだのち、こう意志を固めた。

「みんな、お目当てのもの買ったら長居はせずにまっすぐおウチに帰って、しっかりテスト勉強しなきゃダメだよ」

 困惑顔で見送った実帆をよそに、三人は学校を出ると、最寄り駅の方へと向かっていく。

「いかんな優利菜君。これでは」

「帰ったらたっぷりお仕置きが必要だね。bamboo swordでおしり叩き百発の刑で良いかな?」

 あのやり取りをモニター越しに眺め、瑠偉とリオはむすっとなった。

「優利菜君だけじゃダメだな。優利菜君の貴重な学習時間を阻害しようとしているあの千陽君というこけしみてえな面の悪友と、学恵君という出目金みてえな面のメスブタも懲らしめねえと」

 瑠偉はにやりと微笑んだ。

「さすがルイくん、受講生のフレンズにも厳しい」

「くくくっ、いよいよこのシャルロット君自慢の発明品を使う時が来たぜ」

 瑠偉は怪しげな笑みを浮かべながらそう言うと、自分用のテキストからサランラップのようなものを取り出した。それを適当なサイズに千切り、テレビ画面にぴたりと貼り付ける。

「瑠偉お兄ちゃん、それなぁに?」

「ルイソロイシン、また妙なのを出したなぁ」

「ひょっとして、アレかな?」

 指偶真、化能蒸、リオの三人は興味津々。

「これをテレビ画面に貼り付けるとテレビの中に飛び込めるようになって、映っている場所へ移動することが出来るんだぜ」

 瑠偉は自慢げに伝える。

「どこでもドアみたいなものだね」

 指偶真はにこにこ顔で突っ込んだ。

「そんな感じだな。ちょっとお手本を見せてやろう」

 瑠偉がテレビ画面に手を入れた瞬間、

「いてっ!」

「どうしたの? 千陽」

「何かあったのでしょうか?」

 優利菜達のいる場所はこんな現象が起きた。

「なんか、いきなり後ろから髪の毛引っ張られたみたいなんよ」

 千陽はそう伝えながら後ろを振り返ってみた。

「ありゃ? 気のせいかな?」

 しかし誰もいなかったことに千陽は不思議がる。

「たぶんそうでしょ」

 優利菜は素の表情で即突っ込み、

「ワタシはおそらく、カナブン的な昆虫に衝突されたのだと思います」

 学恵はほんわか顔でこう推測した。

「あー、あり得るよね。チャリ乗ってる時とかたまに顔にぶつかってくるし」

 千陽は朗らか気分で微笑む。

「学恵、さすがの推理だね」

 優利菜は感心していた。

 しかし学恵の推理は間違いだった。瑠偉が千陽の髪の毛を後ろから引っ張ったのだ。

 三人は当然、それに気づくはずはない。

「これぞ『後ろ髪を引かれる思い』だな」

「瑠偉さん、それは誤用です。後ろ髪を引かれるとは、心残りがしてなかなか思い切れないことです」

「おう、そうだったか。睦月君、さすがは国語担当だな」

 睦月に指摘され、瑠偉は少し照れた。

「これもまたグレートインベンションだね」

「シャルロットロコフォア、すご過ぎるぜ。さすが東大院卒ニート」

 リオと化能蒸は開発者をかなり絶賛していた。

「さてと、先回り地点を映して、さっそくお仕置き開始だっ!」

 瑠偉はそう告げて、映像を別の地点に切り替えた。続いて優利菜が中学時代に使っていた理科の資料集のとあるページを開き、開かれた方をテレビ画面に向ける。そして背表紙をトントントンッと手で叩いた。

優利菜、千陽、学恵の三人が橋の上に差し掛かり、

「それにしてもラノベ読んでる子って、クラスでうちらの他にほとんどいないよね」

「金銭的なこともあるのでしょう。ラノベを二冊買うお金で、ジャ○プコミックが三冊買えるからね」

「でも、図書室にもいっぱい置いてあるけどなぁ。実帆ちゃんに頼んでもっと宣伝してもらおうかな」

こんなオタク的会話を弾ませていたところ、

「あっ、あのう、優利菜さん、千陽さん、前、前」

 突然、学恵の顔が蒼ざめた。

「どうしたの学恵?」

「んっ?」

 優利菜と千陽も前を見てみる。

「「「……」」」

 瞬間、三人の顔が凍りついた。

彼女らの目の前に、とある野生動物が現れたのだ。

ガゥオッ! それは大きく咆哮した。

百獣の王、ライオンであった。性別は、鬣が目立つオス。

「ひいいいいいいぃっ。こっ、これは、夢でございますよね?」

「うひゃああああああああっ!」

「なっ、なんでこんな所にあんなアッフリカンな動物がおるんよぅ? あり得へぇん」

 三人は慌てて全速力で逃げ出した。烈學館を見に行って講師から見下ろされた時以上に速かった。五〇メートル9秒5を切るくらいのペースだ。

「日本国内には野生のライオンは生息していないはずなので、王子動物園か天王寺動物園から逃げ出したとか?」

 学恵は顔を蒼ざめさせて逃げながらも、冷静に分析してみる。

 ライオンも当然のように追って来た。三人とライオンとの距離はみるみるうちに詰められていく。 

「いい気味だな臭そうなメスブタ共。さてと、そろそろ助けてやるか」

「本当にそろそろ戻した方が良いぜ。ユリナフタレンにはそんなに罪はないし、チヒローレンツ力とマナエタノールに対するお仕置きもやり過ぎだと思うぜ」

「早急に回収しないと、かなり騒ぎになっちゃいますよ。というか、優利菜さん達の身が危険に晒されます。あのう、瑠偉さんがライオンさんを元に戻すのですよね?」

 睦月は深刻そうに問う。

「……えっと、おれさま、怖いから、誰か、やってくれねえか?」

 瑠偉は決まり悪そうにハハッと笑った。

「ぼく、ライオンさんは大好きだけど、檻がなかったら怖いよぉ」

「オレっちもあいつと戦う勇気は無いぜ。犬歯が発達してて鋭い爪を持ってるからなぁ」

「I think so too.It‘s very dangerous.」

 指偶真は若干怯え顔で、化能蒸とリオは苦笑いで言い張る。

「こうなったら、助っ人を呼ぶか。またボブ君に頼もうかな。同じ肉食系のようだし」

「瑠偉お兄ちゃん、あのおじちゃんは絶対ダメェェェーッ!」

 指偶真はむすっとした表情で要求した。

「あのショタコンに頼んでも、absolutelyやってくれないよ」

「幼いオスが大好きな時点で、怖がりだと思うぜ」

 リオと化能蒸は自信満々に主張する。

「確かにそうだな。それじゃぁ国語便覧に載ってる連銭葦毛なる馬に助けもらうか」

「瑠偉さん、余計大変な事態になりそうなので、絶対やめた方がいいと思います」

 睦月は困惑顔で意見した。

「その案も却下か。こうなりゃ強そうな奴……世界史Aの教科書から強そうな野郎を召還すれば。プロイセン王のフリードリヒ2世は、鯛焼きみたいな面で頼りなさそうだな。うーん……ナポレオン1世にするか、ルイ14世にするか、カール大帝にするか、フェリペ2世にするか、スレイマン1世にするか、ボリバルにするか、トゥーサン・ルヴェルチュールにするか……でも、どいつも日本語通じねえだろうし、それに、半端なく怖そうだぜ。とりあえず、こいつでいいか。日本人だから言葉も通じそうだし」

 瑠偉は世界史Aの教科書をパラパラ捲って見つけたとあるカラーページを開き、手を突っ込んだ。

「やっぱり、すげえ重いぜ」

 三〇秒ほどかけて、お目当ての人物をなんとか引っ張り出すことに成功した。

「きゃあっ!」

 瞬間、睦月は思わず両手で目を覆った。

「ムツキアズマ、褌付けてるんだしそんな反応しなくても」

 化能蒸はにっこり笑いながら突っ込む。

「Oh,Sumo Wrestler!」

「お相撲さんだぁっ! 勝率何割くらいかな?」

 リオと指偶真は興味津々に、現れた人物の姿をまじまじと眺める。

「ペリーに対抗して力士が米俵を運んでいる図から取り出してやったぜ」

 瑠偉は得意げに伝えた。

「……どこでぇ、ここは?」

 力士は目を丸め、米俵を持ったまま周囲をぐるりと見渡す。かなり戸惑っている様子であったが当然の反応だろう。

「力士のおじちゃん、ここは二十一世紀の日本だよ」

「力士君、落ち着いて聞いてくれ。ここはてめえがいる時代から一六〇年くらい先の世界なんだ。元号は安政ではなく平成、江戸は東京って知名になってるんだぜ」

「ほへっ!」

 指偶真と瑠偉からの説明に、力士はさらに驚きを増し、ひょっとこのような表情になる。

「キミに倒してもらいたいやつがいるんだ。そこに映ってる、ライオンなん……」

 化能蒸がそう言い切る前に、

「ひっ、ひえええええええ! はっ、箱が、しゃべったでげす。うわわわぁぁぁーっ!」

 力士は顔面を蒼白させ、ドスーン、ドスーンと大きな地響きを立てながら、部屋から逃げ出してしまった。

「何の音?」

 リビングにいた母は不審に思い、廊下に出てみた。

 瞬間、

「うぉっ!」

 力士とばったり出会ってしまった。

「きゃっ、きゃぁっ! 何ですか? あなたは?」

 母は驚き顔で尋ねる。

「こっ、こちとら、江戸っ子の力士でぃ。さっきまで、船に米俵を運んでいたんでぃ! でもよぉ……」

 力士はひょっとこのような表情をして強い口調で説明する。

「はぁ? 何言ってるの? あなた。警察呼ぶわよ。ひょっとして、最近このおウチの食べ物漁ったり、光熱費を使ったりしてる泥棒?」

 母は優利菜を叱り付ける時のように険しい表情で問い詰めた。

「こうねつひ、ってなんでぃ?」

「とぼけるんじゃありません。あっ、こらっ、待ちなさい!」

「ひいいいいい、これやるから見逃して欲しいでげすぅぅぅぅぅーっ!」

 力士は母の様相に恐れをなし、片手に持っていた米俵を投げ捨てて玄関から外へ飛び出した。

「あらまっ、案外いい泥棒さんね」

 母はにこっと微笑んだ。

 力士は図中では両手に抱えていたが、取り出される際一つ落っことしたらしい。

 優利菜の部屋にて、

「面白いおじちゃんだったね」

「うん。質量数どれくらいなんだろう? 百キログラムは優にありそうだぜ」

指偶真と化能蒸は満足げな笑顔、

「役に立たなかったね、あのスモウレスラー」

「根性が予想と全然違ってたな。あいつは肉ばっか食ってそうだけど草食系男子か」

 リオと瑠偉は呆れ顔でさっきの力士の印象を語る。

「まだ坪内逍遥さんすら生まれていない幕末から、いきなり二十一世紀の世界に飛ばされたのですから、あのような素っ頓狂な反応をされても無理は無いと思います」

 睦月はほんわか顔で意見する。

「幕末なら、科学もけっこう発達してたと思うんだけどな。あっ、ユリナフタレン達、もうかなりやばい状況になってるぜ。オレっちが助けに行って来るよ」

 化能蒸は早口調でそう言って理科の資料集を手に抱え、テレビ画面に飛び込んだ。

「焦眉の急ですね。わらわもお手伝いします」 

 睦月もあとに後に続く。

「化能蒸お兄ちゃんと睦月お姉ちゃん、大丈夫かな?」

「あの子達ならabsolutely無事にライオンを二次元に戻せるよ」

「化能蒸君、睦月君、頑張ってくれ。大怪我したら、世界史Aの教科書からナイチンゲールを召還してやるから」 

 残る三人は固唾を呑んでモニター越しに見守る。

その頃、優利菜、千陽、学恵の三人は高さ三メートルくらいのブロック塀に突き当たってしまっていた。

袋小路だ。

すぐに引き返そうとしたが時すでに遅し。ライオンはもう、三人の一メートル以内まで迫って来ていた。

「ひいいいいいっ、ラッ、ライオン様。どうか、ワタシ達の側から離れて下さいませぇ」

「どっ、どうしよう、どうしよう。マッ、ママァ。助けてぇーっ!」

「まなえ、ゆりなっち、うちら、死ぬ時は、いっしょよ」

 三人はブロック塀に背中を付けて、手を繋ぎあってカタカタ震えていた。ライオン目線からだと真ん中に学恵、右に千陽、左に優利菜という配置。

 グゥアゥオッ! ライオンが三人の目と鼻の先まで迫り絶体絶命のピンチに陥った。

その時、

「ユリナフタレン、助けに来たぜ」

「優利菜さん、助けに来ました」

 化能蒸と睦月が正義のヒーローのごとくタイミングよく登場した。

「哺乳綱ネコ目ネコ科ヒョウ属のライオン、オレっちと勝負だぜ」

 ガオォッ! ライオンは化能蒸の方を振り向く。

「あの、皆さん、これを付けて目隠しして下さい。強い光が出るので」

 睦月は三人に長い黒い布を手渡した。

「分かった、睦月ちゃん」

「どっ、どなたか知りませぬが、ありがとう、ございます」

「どっ、どうも。こうすれば、ええんかな?」

 三人はすぐさま言われたとおりにした。

「ライオンさん、やめて下さぁーい!」

 睦月はそう叫ぶと、顔を般若面に変化させた。

 ガゥオ! ライオンはびくーっと反応し、思わずあとずさる。

「二度と使わないと決めていたのですが……」

 睦月は瞬く間に元のお顔の形へと戻った。

「ユリナフタレン、あとは任せて」

 化能蒸はそう告げると姿を消し、ライオンに気づかれないようにさらに近づく。再び姿を現すと、ライオンの背中に乗っていた。すぐさま理科の資料集をライオンの背中に押し付ける。

 するとライオンはあっという間に二次元の世界へと戻っていった。

 化能蒸と睦月もそそくさここから退場し、優利菜のおウチへ戻っていった。

「なあ、ゆりなっち、まなえ、二次元からそのまま飛び出したような子が、いたよね?」

「はい、ワタシの目にも見えました。さっきの出来事は、夢ではないでしょうか?」

千陽と学恵は、ぽかんとしていた。

助かったぁ、っていうかあのライオンさん、私の理科の資料集から出したのかな?

 正体を知っている優利菜は冷静だった。

「そんじゃ、危機は去ったことだし、気を取り直して買いに行くか」

「そうですね。今日は非常に貴重な体験が出来て、よかったです」

「あら、あら」

 それからすぐに何事も無かったかのように通常精神状態に戻った千陽と学恵の反応に、優利菜は笑いながら突っ込んだ。

 こうして三人は予定通り、お目当てのコミックスを買いに駅前の大型書店へ向かうことに。

       *

「すまねえ、多大なご迷惑をかけて。おれさまは切腹物だ」

 化能蒸と睦月が優利菜の自室に戻ってくるや、瑠偉は深々と頭を下げて謝罪。

「いやいや、べつに謝らなくても。オレっち、ライオン退治、けっこう楽しかったし」

 化能蒸は嬉しそうにしていた。

「瑠偉さん、もう二度とこういうお仕置きの仕方はやらないで下さいね」

 睦月はぷくぅっとふくれた。

「大変申し訳ない」

 瑠偉はもう一度謝罪の言葉を述べて、睦月からも許しを得たのだった。

「この様子じゃ、ルイソロイシンのお仕置きは効果なかったみたいだな」

 書店にてお目当ての本を物色する優利菜達三人の姿をモニター越しに眺め、化能蒸は楽しそうに微笑む。

        *

「優利菜君、遊びに誘惑されただろっ! このメスブタがっ!」

 優利菜が帰宅して自室に入った瞬間、いきなり瑠偉に竹刀で頭をパチーンッと叩かれた。

「いったぁぁぁぁぁぃ!」

 優利菜は両目を×にして両手で頭を押さえる。

「ちなみに遊びは、古語では詩歌・管弦・舞などを楽しむことをいう場合が多いですよ」

 睦月はにっこり笑顔で伝えながら手をかざし、優利菜がさっき受けた痛みを取り除いてあげた。

「ユリナちゃん、明日はmost importantな英語があるんだよ。ロスした分、しっかり取り戻さないとね。シッダウン!」

「分かった、分かった。今すぐやるから」

 優利菜は容赦なくリオに力ずくで椅子に座らされ、明日ある科目のテスト勉強を始める。

「優利菜お姉ちゃん、いよいよ明日で期末テスト終わりだよ。もう一息」

 指偶真はそんな優利菜を優しく励ましてあげた。数学Ⅰの教科書と、数学ⅠA問題集とノートを右手に抱え、コンパスの針を左手に持ったまま。

        *

 その日の夜、利川家の夕食団欒時。

『次のニュースをお伝えします。今日正午過ぎ、大阪府豊中市内の路上を褌姿で走っていたとして、公然わいせつ罪の現行犯で住所不定、自称力士、龍右エ門容疑者を逮捕しました。調べに対し龍右エ門容疑者は、こちとら生まれは越中国礪波郡戸出村。米俵を運んでいたら、突然しゃべる箱とか、鉄で出来たイノシシとか、ペリーの船よりもでっけぇ建物があるべらぼうな場所に着いちまったんでぃっ! などと意味不明な供述をしており……』

「あっ、こいつ。今日ウチに入って来た泥棒だ」

 夜七時台のこのニュース画面を見て、母は反応する。

「泥棒に入られたの!? ママ、大丈夫だった?」

「怪我は無かったのか?」 

優利菜と父は心配そうに尋ねた。

「当然よ。ママはそんなやつくらいで怯まないわ。実際すぐに逃げちゃったし。吉本のお笑い芸人さんかな? とも思ったわ」

 母は嬉しそうに、自慢げに語った。

        *

「優利菜お姉ちゃん、計算間違え多過ぎぃっ。ケアレスミスは大学入試では命取りになるよ」

「いたたたぁっ、指偶真くん、コンパスでほっぺた突くのやめてぇ~」

夕食後も、優利菜は引き続き厳しく指導される。

「優利菜君、喝だっ!」

「いったぁーっぃ」

 社会科担当の瑠偉も竹刀を手に持ち、指導に加わる。彼は優利菜が社会科以外の教科を勉強させられている時も、常に副教官として勤めているのだ。それだけ優利菜の学習指導に強い責任感を持っていることの表れだろう。

「乳首はNGかぁ。ヒトのメス以外の動物の乳首は学校の教科書でも普通に解禁なのになぁ」

「でも、シャルロットくんによると昔は出してたみたいだよ」

 化能蒸とリオは優利菜が誘惑に負けて今日買ってしまった雑誌に夢中。

「……」

 睦月は漫画の方を熱心に黙読していた。

教材キャラ達はすっかりあの力士のことを忘れてしまったようなのだ。

 同じ頃、

「べらんめぇっ!」

 そのお方は取調室で、やり切れない思いを江戸弁で、でっけぇ声で叫んだのであった。

 

     ☆  ☆  ☆


英文法、リオくんが作ってくれた予想問題集と全く同じのが三分の一くらいあったな。最初のリスニングもけっこう聞き取れたし、長文問題も半分以上は解けたと思うし、七〇点くらいは取れるかも。

最終日、一科目目の英語、優利菜はかなり高調だったようだ。八〇分の長丁場でも集中力がほとんど途切れなかった。

最後の科目、数学Ⅰのテストが終わり回収されたあと、

「やっとテスト終わったぁ! 五日間めっちゃ長かったわ~。これで思う存分遊べるよ。あとは授業昼までやし、もう気分は夏休みやーっ!」

 千陽は優利菜の席を振り向き、陽気な声で話しかけてくる。

「百位、超えられるかなぁ」 

 優利菜は不安な気持ちでいっぱいだった。数学Ⅰはあまり出来なかったのだ。

「ゆりなっち、もう終わったことやし、気楽に行こうや。テイク、イット、イージー」

 千陽は優利菜のポンッと肩を叩き、勇気付けようとしてくれた。


 優利菜は今日の帰りに外科医院へ立ち寄り、包帯を外してもらった。テストが終わってようやく右手が自由に使えるようになったのだ。

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