第7話 世界
世界と言う言葉を、どこまで規定して使えばいいのか――ストライクは考える。小説を書きながら。少女を主人公にした恋愛もからめた物語。ストライクの物語は十代の子供たちのために書かれ、その収入の一部は子供たちの教育に使われた。
ネットワークから外れてしまうと、子供は勉強を受けずに育つ。
強制的に脳にインプットする方法は危険であるが、いまだに政府のどこかでは行われている。
ストライクは生まれつき知識は大量に処理できる。
だが、時々起こる記憶の混濁が、彼を止める。
戦っているときは起きないようなのだと気付いた。
戦うときは戦略を立てることができた。
いつでも冷静にいられるには戦いに身を置くしかなかった。
この戦いを、文字にして脳を使えばいいのではないかと思った。
少女向けのほかにペンネームを変えて、惑星間の戦いの話をずっと執筆していた時期もある。
世界は私に開いているの。だから私も開いて世界を知るの。
クレアが、五歳のときに言った言葉を、ストライクは覚えていた。
娘の言葉はきらきらしていて、たくさんの星のようだった。
だからストライクはひっそりとノートを一冊作り、クレアが幼いころに言ったことを書き溜めていた。
ストライクの童話はそんな中から生まれているのだ。
実際に家族になってみて、子供を育ててみて。
ストライクの穏やかな性格に、クレアはよくなついた。
ノスタルジアにもなついているが。
二人のパパ、大好きと、今も言ってくれる。
だから、言ってもらえるように、大人としてきちんと歩きたいと思う。
まあ。
多少、自分に子供っぽいところがあることは、仕方がないことだと思うのだが。
世界を構築する人間たち。
この惑星でも人間は増え続ける。
だが、それを迎え入れているこの惑星そのものの思惑はどうなのだろうかとふと思う。
この惑星はひとつの大きな思考の渦巻きの中にいるように見えるのだ。クレアがそれを証明していた。クレアは、彼らの思考の向こう側に銀河を見るのだという。
この惑星にはこの惑星にしかない美しさがある。
海の中で七色にかがやく海洋人たちの群れ。
人間と彼らは時々接触するが。
彼らの能力は、人間のそれをはるかに凌駕する。
彼らは、みんなでひとつの思想を共有しているのではないかと言われている。
人間のもつ、彼らとの会話能力はせいぜい個々のものだ。
だが、彼らは言葉を、もっと言えば文字をもたないかわりに全体で考えているようなのだ。
人間側の能力者は少ない。
その少ないなかで、クレアはほかの人間より大きな力を持っている。
そのDNAはおそらくは彼女のオリジナルである、現大統領の持つものと匹敵するだろう。
だが、彼女のオリジナルが、能力のかぎりをつくしたクーデターにより大統領になったあと、世界は劇的に変化した。
確かに世界が安定したのだ。
そのなかで、クレアは育った。
彼女には、世界を変えるようなそんな大きな人生でなく、平和であたたかい人生を歩んでほしいと願う。
その反面、誰かに傷つけられるような人生であってほしくもない。
そのために自分の能力と、ノスタルジアの能力のある程度を彼女に学習させた。
それを後悔はしていないが。
クレアは素直に育ってくれた。
このまま次に出る大統領が世界をきちんと見られる人間なら、クレアは表舞台に立たなくてもいいだろう。
普通の幸せに育つ子になることを、オリジナルも望んでいた。
だが、人はうつろいやすい。今の生活に慣れてくれば、またあたらしい刺激をほしがる。
人の中には海洋人を研究したい人間もいる。
海洋人たちの中には人間の間に生きている者も多い。
そして、惑星に、ワープを使わずに流れ込む異星人たちも。
彼らの多くをこの惑星は飲み込んでいる。
消えてしまった地球はどうなってしまったのか。それも大きな話題にはなったが。
遠く離れたここでは、違法ワープを使った船が持ってくる情報が頼りである。
地球の美しさもかけがえのないものだったに違いない。
ストライクは、ボランティアの活動の一環として、ネットワークシステムを作ってる。
そこに載せるエッセイについて今日は考えていた。
「ただいま、パパ、ダッドは?」
「ああ、今日はベッドで寝ている、疲れたそうだ」
「ふーん」
「昨日は遅くまで一緒に仕事をしたのでな、寝不足だろう」
「パパは寝不足は大丈夫」
「ああ、大丈夫だよ」
「ダッド、一人で眠れるの」
「昼寝は大丈夫だ。夜は一人だと眠れないようだが」
「まったく、子供じゃないんだから、なんでパパが右に寝てないと眠れないのかしら」
「さあ、ノスタルジアはそういう体質なのだと、彼からは聞かされたが」
「ふーん」
ストライクとノスタルジアは、ベッドを共有している。
ストライクと一緒に眠るようになったのは、クレアを引き取ったあとの、仕事をあまりにしすぎた彼の不安をやわらげようと隣に眠ったときにさかのぼる。
そのころから、ストライクは大きな特注のベッドで寝ていて、ノスタルジアは寝心地が気に入ったのだと最初は言っていた。
そのうちに、いや、君が右側に眠ってるときは安心できるんだ。
というようになった。
最近でこそ昼寝くらいは一人でできるが、夜は、いったんはベッドに入っても、仕事をストライクが続けていると仕事に出てくる。
ストライクが仕事を終え、風呂に入るときも一緒にもう一度入り、一緒に眠らないと機嫌が悪い。
ストライクが右側に入り、ベッドに入ったのを確認して電気が自動で消灯すると、ノスタルジアはストライクの腕にくっついて、瞬くまに眠りにおちていく。
一体、彼のなにが自分を気に入っているのか――。
いつも考えているわけではないが、なぜなのかはわからない。
「パパ」
「なんだね」
「なんでダッドと一緒にいるの」
「……、好きだからだ、といえば、それが理由なのだろうと思うが、それ以上の理由もない」
ストライクは答える。
それ以上の絆や、彼でなければならない理由も持っていたが。
それはすべて、彼を好きでいつづけたという事実しか残さなかった。
彼のことは裏切らない。
彼もまた、自分を裏切らない。
ただ、そう互いに決めたわけでもないのに、それを守っている。
彼が深い失敗を持っていて、自分はそれを知っている。
だが、それがなんだというのだろう。
彼が彼であることの前に、彼が選んだことである。
それが彼を傷つけていて、それを取り除くことができなくても。
新しい道を歩むことはいつだってできる。
「そうなんだ」
「クレア」
「なに、パパ」
「クレアのことも愛している」
「うん、私パパのことも愛してるわ」
「ああ」
パソコンの前に座って、ストライクは最初の文字を打ち始めた。
友愛の心を持つことの重要性、他人を慮ること。
それらのことを、ストライクは考えた。
仕事ではないからこそできる活動もある。
「クレア」
「なあに」
「今日は私がごはんを作るから、ノスタルジアに、もっと寝ていていいと言ってきてくれるか」
「うん」
昼に寝ているときはたいがいまどろみくらいのところにいることが多い。
ノスタルジアも身体を鍛えているし、強くもある。
だが、睡眠に関しては、どうしてもストライクでないとダメらしいのだ。
ストライクも、まあ、仕方があるまいと思ってるのだが。
等身大のぬいぐるみとか買ってみようかな、熊とか。
と、先日行った動物園のおもちゃ売り場で言っていた。
冗談だと思ったが、案外本気なのかもしれない。
「言ってきたわ。もう少し寝てるって」
「わかった、では」
「うんじゃあ、今日はレトルトね」
クレアが笑う。
「冷凍のムール貝を出そう。フライパンで焼いて、パスタをゆでよう」
「わかった」
魚料理以外の料理は、あまり得意ではない。
ストライクは、魚が好きである。
海洋でとれる魚のうち何種類かは、地球からたまごで持ち込まれた。
海洋人たちが、いけすというものを人間から学び、彼らなりのいけすを作って、彼らのなかで、人間の恰好ができる者が、売りに出た。
彼らは、人間のことを学習している。
どうやら、クレアの友人にもいるらしい。
ノスタルジアは、ストライクの代わりに、パーティーに出る。ストライクの代理で。
ストライクが出るときは一緒についてくる。
しゃべりも闊達で、顔もあれだけいい男だ。
ノスタルジアのほうが主任だと思ってる人もすくなくない。
そう思わせてる人にはそう思わせればいい。ストライク。
ノスタルジアはそう言って人の悪い笑顔を作った。
ストライクはその顔にどぎまぎした。
いつもの笑いや、普段の彼には安らぎしか感じないが。
あの笑顔は不意打ちで恰好がいいと思ってしまう。
「クレア」
「なに、パパ」
クレアが冷凍庫を漁るのを見ながら言う。
「ノスタルジアのことは君はどう思う」
「んー、ダッドはねー、まじめだけど、崩したときのほうが女の子はキャーっていうわね」
「やはりそうなのだな」
「うん? どうしたの、パパ」
「いや、彼の大胆不敵なところが、時々」
「時々?」
「うむ」
考え込むストライクに、クレアが言った。
「あった、そのままパスタにつかえるムール貝」
「フライパンを用意しよう」
ストライクが言ってパソコンをしめ、リビングの隅の、彼の仕事道具の仮置き場に置く。
午前中は書斎か仕事場で使い、午後は食堂兼リビングで使い、食事のあとは仕事場に戻るか書斎にこもる。
「私が作ろうか、パパ」
「やってみるか」
「うん」
クレアが腕まくりをすると、キッチンに立った。
フライパンをあたためて中に貝を入れ、ふたをする。貝の香がしだして、しばらくすると、キッチンのドアからノスタルジアが顔をのぞかせた。
「おはよう」
ストライクが言う。
「ん、おはよう、食事か」
「うん、今作るから座って」
クレアが答える。
「ああ」
三人での食事が、そのあと始まった。
ストライクは考えたことをいったん棚上げにして、食事を楽しむ。
「いや、昔の夢とか見て」
ノスタルジアが言う。
「ん」
「ストライクも白髪とか出てきてるしさ、僕は白髪は最初からけっこう多いけど」
「ああ」
「でもまあ、よくここまで生きてきたなあと」
言いながら、パスタをからめる。
「おいしい」
「冷凍のやつだ」
ストライクが言い、全力で食事のほうに向かう。
「ああ、あれな」
ノスタルジアが言う。ストライクが嬉しそうにフォークをあやつっている。
「このあいだ行ったパーティの食事より旨いな」
などとノスタルジアが言っているのも遠くなる。
「クレア」
「なに」
「今度一緒にパーティーとか行ってみるか」
「んんんー。なんか怖そうだし」
「クレアでも躊躇するんだな」
「ダンスが下手なの」
「そうなんだ」
パーティーにも種類がある。
「そういうのがないやつで、僕がエスコートしてあげるから」
クスクス笑う。
「えー、だって、ダッドに寄って来る女のひと減っちゃうけどいいの」
「仕事での付き合いしかするつもりはないよ」
「ほんとパパ一筋なのね」
クレアがあきれる。
ストライクは、ムール貝に夢中で――食べるときは食べることにしか集中できないのだ。
二人の会話はあまり聞いていない。
「ストライク、いいだろう、クレアにドレス買っても」
「あ、ああ」
突然話をふられて答える。
「もう、パパ」
ストライクはある意味、ほんとになにごとにも、集中できる男だった。
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