第36話 許し願うは



 エスパーダの唇から物騒な脅し文句が漏れて、エスクードは初めて口を開いた。

「――お前に、俺は殺せない」

 静かに、それが絶対の事実であるように、揺るがない声で告げる。

「何、言ってんだっ? 幾ら兄貴でも、そいつら五体を相手に勝てるかよっ?」

 エスパーダの声に触発されたゴーレムたちが滑るように床の上を動く。黒い影の包囲網が狭まり、腕を伸ばしてエスクードを捕まえようとした。

 迫る腕をエスクードは剣で下から薙ぎ払った。腕は鋭い一閃に斬られたように見えた――刹那、再びくっ付いてそのままエスクードに掴みかかる。

 エスクードは肩の位置を落とし、掴みかかる腕を避けた。でも、別の方向から違う腕が伸びてくる。

「――くっ」

 ゴーレムたちの交差する腕を寸前で避けながら、エスクードは影たちの間を駆け抜ける。エスパーダへまた一歩近づかんとしたとき、後方から伸びてきた腕に払われ、彼の身体は肩から床に転がった。

「エスクードっ!」

 倒れた彼に拳が迫る。

 エスクードは床に手をついて身体を跳ね上げ、その勢いでゴーレムの腕を蹴った。靴の爪先がゴーレムの腕を、粘土を引き千切るように分断したけれど、直ぐにくっ付く。

 でもエスクードはしなやかな動きで身体を反転させると、床を蹴って再びエスパーダに走り寄る。

 一体のゴーレムがエスクードの前に回り込んで立ち塞がり、両腕を組んで一本にまとめ、彼の頭に拳を叩きこもうとした。他の四体のゴーレムが周りを囲って、逃げる隙間がない。

「エスクードっ!」

 悲鳴を上げるしか出来ない私の声を、突如としてガラスを粉砕する音がかき消した。

 耳を聾するほどの音の洪水に目を見張れば、ガラス張りの一面をぶち破って、フレチャが侵入していた。

 砕かれたガラスの破片は陽を反射させて、キラキラと舞い散る雪のように、幻想的な雰囲気を作り出す。そこへ荘厳なエメラルドの鱗に覆われた大きなドラゴンが現われる。

 振り上げられた尻尾が鞭のようにしなり、エスクードの前に立ち塞がっていたゴーレムを薙ぎ倒した。

 剣や蹴りといったものではなく、丸太のような一撃はゴーレムの身体の半分を攫った。影は払われ、残りの半分は薄くなり空気に溶けた。

「フレチャ、頼む」

 エスクードはフレチャの背に手をつくと、向こう側へと跳んだ。反対にフレチャがズンと大きな身体を前に出し、残り四体のゴーレムに尻尾攻撃を食らわせる。

 空気を唸らせながら繰り出されたフレチャの一撃に、ゴーレムたちは霧散した。

「くそっ! 卑怯だぞっ! この化け物がっ! 巨大化したトカゲの癖に、オレの邪魔をするなっ」

 エスパーダは、唾を吐き散らさんばかりにフレチャに悪態をつく。

 フレチャはその意味がわかっているのか、いないのか。脅すように大きな口を開けて、牙を覗かせた。

 エスパーダは怯えて壁際に後退した。

 その姿を見て、フレチャの尻尾がゆらゆらと左右に揺れる。その動きの意味が私にはわかった。フレチャは楽しんでいるわっ!

 フレチャの陰から踊り出たエスクードは一気にエスパーダとの距離を詰めた。

 魔法を繰り出そうとする腕を抑え込み、襟首を掴んでエスクードはエスパーダに顔を寄せた。二人の金髪が乱れて交わる。

 鏡を一枚、間に挟んだかのように双子は睨みあったまま、顔を突き合わせた。

「――お前に俺は、殺せない。殺させない」

 よく透る声でエスクードは静かに告げた。

「お前にこれ以上、罪を重ねさせない。いいか、よく聞け――エスパーダ」

「なっ?」

「お前がこれからどこへ逃げようと、俺はお前を追いかける。地の果てに逃げると言うのなら、地の果てまで追いかける」

 怒っている……のだろうか。

 言葉だけを聞けば、剣呑だ。でも、エスクードの横顔は静かに自分の片割れを見つめている。

 その静穏に呑まれたように、エスパーダは反論する気勢を失っていた。

「お前が間違いを犯そうとするのなら、俺がそれを正す。お前には何一つ、罪を犯させない。――一つもだ」

「……な、何を言って」

「わからないか。わからないなら、わかるまで繰り返してやる。お前がこれから何処へ行こうと、何をしようと、俺はお前を見てる。……お前、本当に俺たちがお前を見つけられなかったと思っていたのか?」

 語りかけながらエスクードの横顔が一瞬だけ歪んだ。

 苦い――痛みとでもいうような、感情の色が彼の精悍な横顔に過ぎるのを、私は静かに見つめた。

「お前、本当に上手く隠れていたつもりだったのか? こんな館をお前一人の手で用意できたわけがないだろ? 金の流れ、人の噂――そういったものを集めれば、お前を見つけることなんて殿下の人脈を使えば造作なかった」

 エスクードの告白にエスパーダは瞠目する。

「――何っ?」 

「お前を追わなかったのは、そうすればお前を罰せずに済むからだ。だから俺たちは……お前を追わなかった。お前があれ以上のことをしなければ、「禁術」に手を染めなければ――アリィがいない以上、お前もそこまでする必然性はないはずだからと、殿下は水に流していいとおっしゃった……だから俺たちはお前を放置した」

 放置――要するに、切り捨てたということだろうか。温情ともとるのだけれど、エスクードの表情はそれを認めていない。

 エスクードの横顔に見えた苦さは、そのことに対しての後悔かもしれない。

 この場所に――孤独の中に、エスパーダを置き去りにしてしまったことに対しての。

 エスクードの心情を思うと、ひりひりと胸の奥が焼きつく。私は願わずにいられない。誰か、彼の後悔を許して欲しい。

 人はいつだって、正しい方へ真っ直ぐに歩いて行けるわけじゃない。迷ったり、遠回りしたりする。

 私もエスクードも、皇太子さまも……そして、エスパーダも。

 遠回りでも、どんなに時間が掛かっても、いつかそこへ辿りつくから――お願い、今は不器用な私たちを許して欲しい。

「いいか、エスパーダ。アリィはもういない……彼女はお前が知っている通り、病で逝った」

「くそっ! オレを騙そうとしたって」

「お前を騙す利点がどこにある? あの子はもうどこにもいない。お前がどれだけ探しまわったところで見つからない。探したければ探せばいい。そう言える相手に、何をどう騙す?」

「…………っ!」

「正直に言う。俺は……お前が面倒だった。お前は人のことを何とも思っていない。アリィのことも殿下のことも、何一つとして理解しようとしない」

「理解ってなんだ? どうしてあいつのことを理解してやらなきゃなんねぇだっ!」

 衝撃から我に返ったエスパーダは声を張り上げ、形勢を立て直そうとしているようだった。そんな弟の前に、エスクードは静かに告げる。

「そんなところが、俺には面倒だった。何で、いちいち教えてやらなければならないんだと」

 エスクードにしてみれば、自分が理解できていることを理解できないエスパーダが不思議だったのかもしれない。

 双子なのに、同じ物を見ているはずなのに、互いに考えていることが理解できない。

 でも、それはエスパーダも同じだったと思う。

 だからこそ、自分を理解してくれないエスクードを敵とみなしたのだろう。

「多分、俺たちは――俺はお前から逃げた。お前をわかろうとしなかった。わからせようとしなかった……結局、俺もお前も同じ穴のムジナだ」 

「何をわけわかんねぇこと言ってんだっ? ……手を放せよっ」

 エスパーダはそう言って、エスクードの拘束から逃れようとする。

 流し込まれた情報に混乱しているのか、自分が魔法を使えることを忘れているのかもしれない。それとも、もう逃げる気を失くしているの?

 エスパーダの蒼い瞳は、どこか迷子のように頼りない。

 アリスエールの死を実感しているのだろうか。もう縋る相手がいないことに困惑しているのかもしれない。

 そんな弟にエスクードは告げた。

「わからないというのなら、繰り返し言う。俺はもうお前から逃げない。いいか、エスパーダ――俺はいつでもお前を見てる。もう、お前を一人にしない」

「…………なっ?」

「一人にしない。お前が逃げても、何処へでも追いかけて行くし、お前がうるさがっても、何度でも説教を繰り返してやる。それが嫌なら、お前は諦めて……帰ってこい」

 エスクードの声が強く、だけど優しく響いた。

「皇帝陛下と殿下には、俺から慈悲を請う。お前のこれからのすべてに俺が責任を持つことで、お許し頂けるようにお願いする。勿論、お前も反省してくれなければ困るが――どうせお前のことだから、わからないと言うんだろ。そう言い続ける間は、俺は説教し続けるからな。聞く耳を持たないなら、お前の耳を引っ張って耳元で叫んでやる」

 いつの間にか胸倉を掴んでいた手が解かれ、エスクードはエスパーダを正面から見据えて告げた。

「いいか、もうお前は――一人なんかじゃない」

 孤独に寂しがっていた人間に対して、

「一人になんかにさせないから、覚悟しろ」

 それはすごい殺し文句だった。


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