第34話 戸惑い



「……アリィを蘇らせようとした? その過程で、アリスを巻き込んだと言うのか?」

 エスクードの問いかけに私は、少し前にエスパーダと交わした会話を繰り返した。

 話を聞くと、前髪の陰で眉間に皺が寄り表情が厳しくなる。

「――あの、馬鹿っ! 何を考えているんだっ?」

 エスクードは金の髪をかき乱して、ぎりっと、奥歯を鳴らす。死者の眠りを妨げることは許されるはずがない。そして、死した者は何があろうと還っては来ない。それは常識的に当たり前のこと。

 そんな当たり前のことが、エスパーダには通じない。それが腹立たしくてしょうがないんだろう。

「……寂しいんだと思う、エスパーダは」

 私はエスクードの怒りをそっと解すように、彼の腕に触れた。

「……寂しい?」

「誰も彼を理解してくれなかったから……。ううん、出来なかったから、ね。エスパーダは傍若無人で周りの意見を聞かないし」

「迷惑だけは人一倍だ。それでこちらが怒る理由もわからないと来る。両親も俺もあいつと正面から向き合うことを面倒臭がった……」

 エスパーダとは違い品行方正なエスクードに、彼の両親は期待しただろう。

 実際、エスクードは期待にそぐわぬ成長を見せ、皇太子さまの片腕となり、この国一番の竜騎士という誉れを得た。彼の周りには人が集う。

 半面で、エスパーダは孤独を深めたに違いない。すべては自分の行いに原因があるのだと、考えが及ばずに。

 エスクードはふっと息を吐いて、私を見つめた。

「俺たちは理解し合えない。……理解できないと、あいつを理解することを諦めた。そのことに問題があったんだな? エスパーダがアリィに執着し続けるのは」

 恋心にしか、エスパーダは活路を見いだせなかったのだろう。

 兄弟は別々の道を辿り始めた。でも、アリスエールを妻として迎えれば、少なくとも彼女は自分の傍に居てくれると考えたのだろう。

 だからエスパーダはアリスエールと結婚するために、サフィーロ家に養子に入った。けれど、思惑は外れ、アリスエールは皇太子さまと出会ってしまった。

「そう、あなたたちは――エスクードや皇太子さま、アリスエールは仲良くしていた。エスパーダは自分だけが仲間外れだと、疎外感を覚えたのでしょうね」

「仲間外れにされたと被害妄想か。自分が輪の中に入り込めない理由を理解できないから、責任は全部こちら。つくづく、馬鹿な奴だ」

 どうしようもないと、エスクードは肩を竦めて、私に視線を返した。

「多分、ここで俺がエスパーダを切り捨てたら、あいつはまた別のアリィを蘇らせようとするだろうな」

「そうね。理解するまで、教えてあげる人がエスパーダには必要なのだと思う。とことん、最後まで付き合えるような」

 私はエスクードを見上げた。

「双子だからな……俺が面倒を見るしかないか」

 唇の端に苦笑を滲ませながら、エスクードは言った。

「エスパーダはどこに?」

「……わからない。部屋を出て行ったの……」

 閉じられた扉を振り返れば、エスクードが「魔法で施錠されているな」と呟いた。

「この魔力を辿れば、エスパーダを見つけ出せる」

 ドアに顔を向けたエスクードの横顔は決意を固めていた。

 エスパーダのことを受け止める覚悟とでも言おうか、最後まで付き合うという決心だ。

 面倒見がいいエスクードのことだから、多分、そう決心すると思っていた。

「フレチャ、アリスのことを頼むな」

 私の背中に手を添えて、フレチャの方に押しやりながら、エスクードは部屋の中へと入って行こうとする。

 押された背中によろけながら私は身体を反転させて、エスクードの腕にしがみ付いた。

「私も行くわ」

 離れたくなかった。同時に、エスクードが心配でもあった。

 エスパーダは宮殿で、エスクードに対して手加減せずに魔法を放った。

 術のスピードをエスクードが上回れば、心配はいらない。けれど、万が一のことを考えれば、彼が怪我をしてしまう可能性もある。

 私がエスパーダを迎えに行けと唆しておいて、自分は安全地帯で待っているというの? そんなのは嫌よ。

 ついて行けば、やはり足手まといになるかもしれない。だけど、二人いればエスパーダの気を逸らす――撹乱することはできる。

 怒り狂って私を傷つけることもできたのに、エスパーダは私をそのままにして、逃げだした。私のアリスエールに似ているという部分が、エスパーダの怒りの中にも理性を留まらせてくれるかもしれない。

 それでエスクードを少しでも助けてあげられたら……。

「……アリス、危ないぞ」

 エスクードは斜めに私を見下ろして、慎重に声を吐きだした。

 来るな――とは、言われなかった。

 蒼い瞳を見上げて、わかっているという風に頷く。硬い指先が私の手に触れた。ぎゅっと握り込まれて、引っ張られる。

「行こう。今度こそ、守るよ。誰にもアリスを傷つけさせない。俺からアリスを奪うことなんて誰にもできない。エスパーダにも教えてやるよ、俺を怒らせたらどれほど怖いか」

 そう言って、エスクードは凄みのある顔で笑って見せた。

 初めて見る強気な笑顔に、ドキリと胸の奥で心臓が跳ねた。

 そんな一面もあるんだと、驚かされたと同時に――何気に、凄いことを言われた気がするんですけど!

 蒼い瞳は強気のままに、私を見つめる。何かを訴えるように、じっと。その視線の意味が何となく理解できるような……しちゃって、いいのかな。

 えーと、ええっと、ええっと……。

 どう反応していいのか、わからない――というより先に、熱が頬に上って顔が赤くなるのを実感した。

 つんつん、と背中を突かれ、私はフレチャを振り返った。ドラゴンは金褐色の瞳を瞬かせ、尻尾を左右に揺らした。

「キュッキュ」

 がんばれ、とフレチャの鳴き声は言っている。

 もう声を聞けば、自動的に言葉に翻訳できてしまう。もしかして、私の思考も同じように翻訳されて、フレチャには漏れちゃってる?

 私がエスクードを好きだってこと、知られている?

「キュー」と一声。

 うん、と言われた。肯定されてしまった!

 愕然と目を見張る私にフレチャは「キューキュー」と鳴いた。

 最初に会ったときからわかったよ、とフレチャは言う。

 私は思わず「そんなはずは!」と叫びそうになった。

 いやいや、そんなはずはないでしょ、フレチャ。……だって私が自覚したのは一時間前にもならないのに。

 え、もしかして、私は自覚がないままにエスクードに恋をしていたんですか?

「キュー」と再び一声。

 うん、と言われた。またまた肯定されてしまった!

 そうなの? 私、そうなの? 鈍感なの? ……確かに、元彼のこととか、鈍感だったと思うけど。皇太子さまにも鈍いとか、天然とか言われたけれど。

「――アリス」

 エスクードの声が間近に聞こえて、私は我に返った。答えを求めるような蒼い瞳が目と鼻の先にある。

「私――」

 開いた唇が渇く。喉が新鮮な空気を求めて喘ぐ。苦しい。

 想いを伝えたいと思ったはずなのに、いざその場を前にすると怖くなる。多分、もう答えは知っているのに……それでも恐れてしまう。

 まだ私はエスクードに自分の全部を話していない。実はあなたより三つも年上なのよ、とか。

 昔、エスクードがアリスエールを好きだったとしたら、彼は年下が好みなのかもしれない。その時点で、私は恋愛対象外に認定されてしまうかも。

 そんなことは、エスクードに限ってないと思う。思う、けど。

 不安になる。怖くなる。戸惑ってしまう。

 これが恋って奴ですか。恋愛の苦しみですか。今さらながら、私は何を学んできたのでしょう。わからない。二十九歳にもなるというのに、どうすればいいのかわかりません。

 誰か、ご教授お願いしますっ!

 支離滅裂に思考が錯綜し始める。

「行こうか」

 エスクードは私の混乱を察したように道を開けてくれた。

「今先行すべき問題は、エスパーダだ。それが片付いたら……アリス、話がある」

 繋いだ手にぎゅっと力が籠った。

「……うん」

 そのときは迷わずに告げようと、私は決意した。

 エスクードのこういう優しい気遣いが好き。包み込んでくれる寛容さが好き。

 今、私の胸に溢れる感情をそのまま、言葉にしよう。

 私は気持ちを立て直して、「そうね、行きましょう」と声を張り上げた。けれど悲しいかな、微妙に声が裏返った気がする。

 頭の上でエスクードの笑い声がくすりと、響いた。

 気付かれたと思った。完全に、知られている。私の動揺と気持ち。

 告白するより先に気持ちを知られているのって、何だか気不味いです、先生!

 ギクシャクとぎこちなく身体を動かす私の視界の端で、フレチャの尻尾が楽しげに揺れているのを見た。


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