第26話 真実



「――あの話は、嘘だったのですか?」

 皇帝陛下と皇妃さまの御前から下がると、エスクードは皇太子さまの腕を掴んで、大広間の端に連れて行く。

 皇帝陛下が音楽を奏でるように指示したため、会場の人々はダンスを再開した。私たちに好奇の目はついて回るけれど、皇太子さまの御身分もあるから誰も気軽に近づいてはこない。

「あの話とは?」

 とぼけたような皇太子さまの返答にエスクードが焦れたように声を尖らせる。

「皇妃さまが殿下に花嫁を紹介されたいと」

 謁見の際には、皇妃さまの口からは一言もそれらしい言葉は出てこなかった。どういうことなのだろう? この後、時間を作るつもりなのかしら?

 心のうちで首を捻っている私たちを余所に、皇太子さまはエスクードに視線を返して告げた。

「……そういう者がいるかもしれないとは言ったが、それが母上だと、私は言った覚えはないが」

「…………えっ」

「お前が勝手にそう思い込んだだけだろう? 私が否定しなかっただけで」

 エスクードの唖然とした表情を前に、皇太子さまは軽く肩を竦めた。

 私は舞踏会の紹介状を渡された日のことを思い出す。

 何かを企んでいそうな皇太子さまにエスクードが疑いの目を向けて、そういう話になった。

 その後、アリスエールを亡くしてから、皇妃さまが世継ぎの心配をしていると話してくれたのはエスクードだった……。

 思い返してみれば確かに、皇太子さまは一言も、皇妃さまのことなど口にしていない。

 私やエスクードが勝手に勘違いしていたのっ?

 思わず息を呑む私たちに、皇太子さまは冷たい視線を向けてくる。

「母上には心配性の部分があるが、無理強いされる方ではない。それに父上の後を継ぐのは私だが、私の後を継ぐのは私の子供である必要はない」

「……殿下」

「一番問題が少ないから、皆がそれを望むだけだ。まあ、先のことはわからぬが、私は自分の後継問題を蔑ろにするつもりはない。誰が後を継ぐにしろ、その時が来れば問題なく後を継がせる準備をするさ。ただ、周りの者にもそれを踏まえておけとは言えぬがな」

 くいっと、皇太子さまが顎をしゃくった先には年頃の娘を紹介せんと、身構えているご夫人や紳士たちがこちらの様子を伺っていた。赤やピンク、淡い黄色や菫色といった色とりどりのドレスを身にまとった令嬢たちも期待を込めた視線を皇太子さまに向けている。と同時に、私に挑む様な一瞥を差し向けるのを忘れない。

 何だか包囲網がじりじりと狭まってきているような気がするのは、私の気のせいですか。

 ……き、気のせいじゃないみたい。

 今一センチ、あの人、前に出たっ! 隣の人も!

 目を合わせると今にも話しかけてきそうな――噛みついてきそうなと表現してもいいくらいの雰囲気なので、皇太子さまは逃げるように顔を逸らした。

 皇太子さまの憂いは、間違いなく存在している。ただ、皇妃さまが相手ではないのなら、相手にしなければいいだけの話のような。現在、皇太子さまは彼らの存在を眼中に入れていないわけだし。

 同じことを考えたらしいエスクードが、視線を皇太子さまに戻しながら渋面を作れば、

「……彼らを嫌っていたのなら、わざわざ出席せずとも」

「だから、私は初めからアリスの素性の手掛かりを掴むためだと言っていただろう」

 バッサリと切り返された。

「……そう、でした……」

 エスクードは小さく呻いて、誤解していた自分を罰するように目を瞑り、拳を自分の額に押し当てた。

「余計な気遣いをしてくれるから、本筋を見誤ったな」

 ふっと笑う皇太子さまは、優しい目でエスクードを見つめた。目を伏せていたエスクードは気付かない、一瞬。だけど、私の瞳にはハッキリと焼きついた。

 皇太子さまはエスクードが心配していることをあえてそのままにしていたのは、もしかして……。

 皇帝陛下と皇妃さまは、私のことを帝国民の一員と認めてくださった後、エスクードにも声を掛けていた。お二人は「息災で何より」と顔をほころばせ、前のように宮殿の方にも顔を出すように促していた。

 その様子を思い出して、私は答えを見つけた気がした。

 エスパーダの件で、こちらに出入りしにくくなっていたエスクードを引っ張ってくるのが、皇太子さまの真の目的だったんじゃないのかしら?

 私は自分が見つけた答えの成否を考えてみる。

 勘違いだったけれど、私はアリスエールを亡くして沈んでいる皇太子さまを社交界に引っ張りだすことで、皇妃さまが皇太子さまを元気づけようとしているんじゃないかと、考えた。

 同じことが、ここでも考えられる。

 皇太子さまの片腕として、またこの国一番の竜騎士と謳われているエスクードは、宮殿でもその気になれば、もっと地位の高い要職に就けるだろう。

 けれど、エスクードは責任感が強いから、弟の不始末を自分の監督不届きと責めて、表舞台から一線を退いた。いずれ皇太子さまが皇帝の座に就いた時、エスクードは帝都にお供するだろうか?

 エスパーダの問題が解決しない限り、やっぱり表舞台には出なさそうに思う。自分には上に立つ資格がないと言いだしそうだ。皇帝陛下からお言葉を賜っていた際もどこか居心地が悪そうにしていた。恐縮しているといった感じ。

 エスクードは生真面目で、責任感が強い人だ。そうして、面倒見が良くて優しいから、私を放っておけずに、久しぶりに宮殿に顔を出した……。

 私は利用されたのかな? 例えそうだとしても、悪い気はしないな。

 エスクードは皇太子さまのことを心配していて、皇太子さまはエスクードのことに気を配っていた。レーナさんもお城の皆も、それぞれ思う相手がいて。大切だからこそ、婉曲に、ときに見守るということ形でしか行動を移せないけれど、その優しさは本物だと思えるから、私の心はほんわかと温かくなった。

「――アリスの手掛かりについては、どうやら期待が外れたか」

「殿下目的以外の輩は、アリスに反応しているようには見えませんね」

 皇太子さまがぽつりと呟いて、エスクードは我に返ったように神妙な面持ちで辺りに視線を巡らせた。

 利用されたのかなと思ったけれど、皇太子さまは私のこともちゃんと考えていてくれたみたい。嬉しいやら、申し訳ないやら、もじもじしてしまう。

「意外なほどにな……。一年というのは、そう簡単に忘れさせるものか」

 ひっそりと吐き捨てられた言葉と共に、皇太子さまは遠い視線を誰もいない空間に投げた。

「――殿下?」

「彼女の面影があるアリスに、誰も何も言わない。気遣いか、それとも忘却か。どちらだと思う?」

 虚空から降ろされ焦点を結んだ深紅の瞳が、私とエスクードを見つめて問う。

 私の顔立ちはアリスエールに似ていると、エスクードを始めとしてお城の誰もが言った。

 それなのに、皇太子さまが亡くなった婚約者に似た女を連れていることをこの場にいる人たちは反応しない。私がアリスエールに似ていることにすら気付いていないようだ。

 皇太子さまの胸に刻まれた傷は、他人には見えない。アリスエールの存在が、皇太子さまのお城に住んでいる人たちと、ここにいる人たちとの間には大きな隔たりがあった。

 その事実に気づいてしまうと、胸の奥で心臓がぎゅっと締め付けられるような苦しさを覚えた。

 自分の中にある悲しみ。それを露わにしてしまえば、周りが心配するから、皇太子さまは気を張り、悲しみを表に出さないようにしていた。

 けれど、ここには悲しみを隠す相手がいなくて、思わず本音が口に出たようだった。

 エスクードは一瞬目を見張った後、

「他の誰もがあの子のことを忘れても、構わないと思います。俺や、殿下が忘れなければ」

 強い口調で宣言した。その声の強さに、皇太子さまは目を瞬かせる。

「そういうものか?」

「ここにいる者たちがあの子のことを思い出したとして、そこにどれだけ真実があると? 不治の病に亡くなった哀れな娘――そんな記憶でも、覚えていて欲しいですか?」

「……同情は喜ばないだろうな、彼女は」

「あなたに愛されて、最期まであなたを愛した、それがアリスエールのただひとつの真実です。他の誰にも肩代わりなどできない――そうでしょう?」

 エスクードがチラリと私を見てから、皇太子さまに確認するように問いかけた。無言で瞳を返す皇太子さまの答えはもう既に出ている。エスクードもそれを知っているから、笑って続けた。

「うっかり弱気になっていると、付け込まれますよ?」

 意味あり気の視線の先を辿れば、包囲網がまた狭まっていた。もう声を掛けられて、無視できない近距離だ。

 実際、目があった紳士が年頃のお嬢さんを連れて、こちらに大きく一歩を踏み出して近づいてくる。何かを告げようと口を開けた瞬間、

「アリス、踊ろうか」

 皇太子さまが慌てて私の手を取って、皆が踊っている広間の中心へと連れて行く。

「……ご機嫌いかがですか……ええっと」

 私の背後で紳士の声が戸惑いを交えて響いた。本来、皇太子さまにご挨拶しようとしたのだろうが、当人はその場から離れている。

 肩越しに振り返れば、代わりに声を掛けられたエスクードが頬を引きつらせて応対していた。横目で皇太子さまを睨んでいる。後で覚えておきなさい、と蒼い瞳が言っているようだ。

「ふん、せいぜい慌てればいい」

 楽しげな声で皇太子さまは私の腰に手を回して、音楽のリズムに乗せた。私はステップを頭の中で復習しながら、身体を動かす。

「人には強気で何とでも言えるが、あいつ自身はどうだ? そろそろ覚悟を決めないと、本当に横から攫われかねないというのにな。そうだろう、アリス?」

 皇太子さまが不意に、私に向かって話しかけてくる。

「まあ、今回のことでアリスの素性云々を気にしていたら、いつまでも状況が変わらないことにエスクードも気付いただろう。記憶が戻ることも当てにならないとなれば、もう我慢もしないか」

 くすりと、皇太子さまが笑って、私を見据えた。

 まるで私が言葉を理解しているのを見透かしたように語りかけてくるから、戸惑う。

 ――もしかして、私が言葉を理解できることを見透かされている? そういえばさっき、二人の会話に色々と反応してしまった気がするけれど、それだけで気づかれたと言うの?

 緊張にドキドキと鼓動が高鳴る私の耳元で、

「アリスも、覚悟を決めた方がいいぞ。あいつは何だかんだと言いながら、エスパーダとは双子だ。本気になったら、多分、この上なく面倒な求婚者になるだろう――そしたらもう」

 顔を寄せた皇太子さまが宣言した。

「無自覚なままではいられないぞ?」


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