第6話 赤か白か



 泣きたいような気持ちを胸の奥に隠しながら、私は舞踏会の招待状を皇太子さまの胸に押しつけた。

「――アリス?」

 返ってくる深紅の瞳に、私は手を横に振った。

 出られません――と、意思表示。実際、踊れないんだから、皇太子さまのダンスのパートナーになんてなれやしない。

「心配するな、ドレスはこちらで用意する」

 皇太子さまは眉をひそめ、手を動かして言う。

 いや、そんなこと問題にしていないしっ!

 というか、私が踊れないということをこの人たちは疑わないんだろうか。こちらの世界の人は誰でも踊れるの?

 私はキョロキョロと辺りを見回して、執務机の上にあるペンをとる。インク壺にペン先を浸して、招待状の端に覚えた文字を綴る。

「踊れない」という文字をカクカクとした書体で並べた。

 そうしながら、この国の言葉を書き留めた単語帳を持っていると、もう少し意思の疎通がはかりやすいかもと思った。

 英単語を覚えるのに使ったような小さなメモに、日常的に使う単語を記していれば、筆記用具なしにこちらの意思を伝えられる。なるだけこちらの意志を早急に伝えないと、色々と面倒だ。

 早速、今夜辺りから作ろうと決意しながら、皇太子さまに書いたものを見せる。

 私を舞踏会に連れ出すという計画を諦めてくれるといいのだけれど……それは虚しい期待だと、皇太子さまの表情が変わらないことに薄々感じた。

「何だ、そんなことを心配しているのか。大丈夫だ、アリス」

 何が大丈夫なのだろう。簡単に安請け合いしないで欲しい。こちらは胃がきりきりと痛くなってきているというのに……。

 私に重ねられた存在を知ってしまったせいか、何だか胸の内がもやもやする。さっきから、エスクードは置いてきぼりをくったような顔で、黙っていた。皇太子さまと交わした会話が尾を引いているのだろう。

 私がこっちに来なければ、二人とも「アリス」の思い出を綺麗なものとして、昇華できていたかも知れない……。そう思うと、本当に申し訳なくなってくる。こちらで平穏に暮らしたいっていう願いも、おこがましく思えてきた。

 俯く私の手を取り、皇太子さまはエスクードを指差し、ジェスチャーで語った。

「ダンスは、エスクードに教えて貰うがいい」

 その言葉に、私はマジマジとエスクードを見つめた。竜騎士という役職のイメージが強いせいか、私は何となくエスクードはダンスや社交界なんて苦手な気がしていたんだけど……踊るの? 人に教えるくらい、上手いの?

「――――」

 疑惑の目で見つめてしまったせいか、エスクードはムッとしたように唇を引き結ぶ。

「大丈夫だ、アリス。エスクードは我がアールギエン帝国の社交界でダンスマイスターの称号を得た、ダンスの名手だ」

 皇太子さまがこれでもかという風に腕を振って、伝えてくる。

「一時期、社交界ではエスクードに女性たちが群がって大変だったぞ。エスクードのリードに身を任せれば、ウドの大木も可憐な花の妖精に早変わりしたものだからな」

 私はそれを脳内で翻訳して、目を丸くした。

 ――ダンスマイスターって、何?

「エスクード、そういうわけで、アリスのことを頼んだぞ」

「殿下を楽しませるために、アリスにダンスを教えろと?」

 エスクードは少し不機嫌な声を吐き出した。

 彼が踊ることに対して意外な顔をしたので、怒ったのかな。そんなにダンスに自信があるんだろうか。

「ふん、一応、お前にも招待状は用意してある。一曲くらいなら、アリスとのダンスを許してやっても良いぞ」

 皇太子さまは偉そうに胸を反らした。あの、それは私が決めることじゃないんですか?

「いいでしょう、引き受けましょう。ただし、三曲は踊らせて貰います」

「私のアリスを横取りする気か」

「いまだにアリスは、殿下のものではありません」

「ふん、言うようになったな。良かろう、三曲だ。それ以上はまけん」

 びしりと、指を三本突き立てて、皇太子さまは宣言した。いや、ですから、そういうことは私が決めるべきなのでは?

「我が侭な人だ。まあ、いいでしょう。アリスのダンスコーチ、引き受けます」

 どういう条件で引き受けているのよっ!

 私は思わず叫びそうになって、慌てて自制をした。今の会話はジェスチャーがなかったので、状況的に私は理解できないはずなのだ。ただ、「ダンスが踊れない」という事実に困惑顔を浮かべて、おろおろと二人の間に視線を彷徨わせるくらいしか、私には許されていない。

 喋れないという設定はそのままでも、少しだけど言葉を理解できるということを周りに教えておけば良かったと、心の底から後悔した。

 そうすれば、拒否権を発動する機会は得られただろう。口を――喋れないんだけど――挟むタイミングが見つけられない私を余所に、二人は会話を続ける。

「やけに簡単に引いたな。さてはエスクード、お前、アリスのドレス姿を見たいんだな?」

 皇太子さまが深紅の瞳を軽く眇めて、エスクードに視線を向ける。

「おや、殿下は見たくないのですか?」

「見たいに決まっているだろう。だからこそ、アリスを誘ったのだ」

「アリスの素性を探すのが目的ではなかったのですか」

「そんなことは二の次だ」

 皇太子さまが言いきった事実に、私は眩暈を覚えた。ええっ? 何か、話が違いますっ!

「そうだろうと思っていました」

 エスクードが鼻を鳴らして納得する。って、納得するのっ?

「まあ、別に構いません。しかし、ドレスは白でお願いします」

 真面目な顔つきでエスクードが皇太子さまに進言した。

 ……何考えてんの、この人。ここに来て、エスクードの意外な一面が見えてきた。むっつりスケベじゃないけれど、……一人前に、女の人は好きらしい。

 硬派で武骨な騎士様のイメージが崩れるわ……。でも、よくよく考えれば、女の私に屈託なく笑いかけてきたところから、それなりに女性のお相手はできるってことよね。奥手ということはないらしい。

「この清純派好みが。私としては赤を推奨したいんだがな」

「派手な赤はアリスには似合いませんよ。清楚な装いが彼女の魅力を引き出してくれます」

「甘いな、エスクード。一見、少女に見えるアリスの、脱いだら大人な妖艶さを醸し出すのはやはり赤だろう」

 皇太子さまがチラリと私の胸元に視線を流した後、拳を握って力説する。

 何を勝手に妄想して、人の服を脱がしているんですかっ!

 脱いだって、私の体型は変わりませんっ!

 むしろ、減りま――って、何を言わせるのっ!

 それと、二十九歳の女を少女とか言わないでください……。詐欺罪で、訴えられます。

 というか、この人たち、私が解かっていないと思って、好き勝手に喋っている。それとも何? 私が実は言葉を理解していることを知っていたりするのっ? からかわれている?

 顔に血が上らないよう、必死に感情をセーブする。クールに、クールに。私は何も理解できないという建前があるんだから、反応しちゃ駄目よ。

 ……二人の会話を翻訳するのを止めたらいいのかもしれないけれど、それはそれで怖いので、私は必死になって二人が口にする言葉を自分が知っている語彙に当てはめていく。

「それでも、白は譲りたくありませんね」

「主に逆らうか」

「男のプライドを賭けて、譲れないものもあります」

 エスクードと皇太子さまは、蒼と深紅の瞳の間に静かな火花を散らす。

 こんなところでプライド賭けて、どうするの?

 数秒、睨みあった後、皇太子さまが肩を竦めた。

「貴様の熱意に負けた。わかった、アリスのドレスは白ということで――」

 負けるの? ええっ、今ので譲っちゃうの?

 ……この二人のやり取りが、今一つわからない。私の翻訳が間違っているのかしら。

「胸元は大胆にカットするぞ。やはり、神秘の谷間は美人の必須条件だ」

「大変、よろしいかと思われます。ついでに、背中も大胆に見せるのはどうでしょう?」

「うむ、それも良いな」

 二人は私に着せるドレスの話で盛り上がる。会話が進んでいくにつれて、身体のラインがハッキリし、布地の面積が少なく、かなり際どいものになっていく。

 それはもう、ドレスじゃなく……水着じゃないですか? 一応、スカートは付いているみたいだけど……上半身は、ビキニのブラが思い浮かぶ。

 私が踊るのは……フラダンスやベリーダンスじゃないわよね?

 身体の内側から冷や汗が吹き出してくるのを念力でせき止めながら、私は決意を固めた。絶対に、そんなドレスは着ない。

 ――断固、拒否!

 恥ずかしいドレスが出来上がったら、それを理由に舞踏会の出席を拒否しよう。悪いのは、変なドレスを着せようとする二人なんだから、私の良心も傷まないはずだ。

「ドレスの準備は任せるがよい、アリスを可憐に飾ろうぞ」

 二人の話に出てきたドレスを想像すれば、可憐という表現には結びつかないんですけど。

「エスクード、舞踏会までにアリスの踊りの方を頼むぞ。特別に、これから七日、お前の仕事を免除してやる」

「それを理由にご自身の仕事を停滞させたりしないでしょうね?」

 エスクードが鋭い視線で確認すれば、皇太子さまはひらりと手を振った。

「見逃せ。貴様も仕事より、アリスのドレス姿の方が気になるだろう? 踊れないアリスをさすがに舞踏会には連れだせないからな」

「致し方ありませんね。舞踏会が終わったら、残業が続きますが、ご覚悟を」

「アリスのドレス姿を拝んだ後だ。あっという間に、仕事なんぞ、片付けてくれるさ」

「期待しています」

「任せろ」

 皇太子さまは気前よく胸を叩いた。

 なんか、違う。なんか、思いっきり間違っている気がするんだけどっ!

 その間違いを訂正する間もなく、私はエスクードによって皇太子さまの執務室から連れ出された。


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