第5話 ふたり
舞踏会の招待状を片手に、目の前が暗くなっていた。
私が躍ったことがあるダンスなんて、会社で強制参加させられた地元のお祭りの盆踊りか、後夜祭でのフォークダンスか、体育の授業で踊った創作ダンスくらいよ。
こっちの中世風異世界で、舞踏会に盆踊りはないだろう。フォークダンスも舞踏会とで踊るかしら? イメージとしては優雅なワルツしか浮かばないんだけど……。
第一に、私の手掛かりを見つけるという目的すら、参加するだけ無駄だ。
私は舞踏会参加拒否を告げるべく皇太子さまとエスクードを振り返って、困った。
――どうやって伝えたらいいの?
私は表向き、こちらの言葉を理解していないことになっているし、実際問題、喋れない。
口をパクパク、金魚みたいに動かすしかできない私を余所に、二人は会話している。
「アリスのためとおっしゃるのですか?」
確認するエスクードに、皇太子さまは唇の端を片方吊り上げ、ニッと笑う。
何だか、悪戯を企んでいるような笑顔を前に、エスクードの唇からため息がもれた。それからキッと唇を横に引き結んで、威圧感のある声で皇太子さまに迫った。
「何を企んでいるんです?」
「別に、たいしたことではないさ。花を紹介してこようとする者たちに、私にそんなものは無用だと、手っ取り早く教えるには私の花を皆に見せつけるのが良いだろう?」
花と、遠回しな物言いで言っているのは女性のことよね。要するに、社交場で私を連れて歩くことで、他のお嬢さん方から逃げようと? そういうこと?
二十四歳の皇太子さまだから、そろそろ結婚話が持ち上がってもいい頃合いだろう。いえ、もう既にそういう話が出ていて――それが嫌で、私をパートナーにしようと?
皇太子さまにはお世話になっているから、私で役に立てるのなら、役に立ちたいと思う。けれど、今回の件は私の処理範囲を超えていた。
無理よ、踊れないもの。第一に、この世界の人たちに比べたら、童顔で子供に見えかねない私を連れていたら、皇太子さまの趣味が疑われるでしょう。さすがに二十歳以下に見られることはないとしても……そう祈りたいけれど……ダンスもまともに踊れない女って、貴族の社交場では――貴婦人失格じゃない?
別に女と見られなくても構わない。私自身、見染められることなんて望んでいないし、私なんかを見染める酔狂はいないと思うけど。
お世話になっている皇太子さまの評判に傷をつけることになったら、居た堪れない。
皇太子さまの手に繋がれたままの、私の右手が再び持ち上げられ、手の甲に殿下の唇が微かに触れた。
それは挨拶のキスだというのはわかっているけれど、心構えもできていないところにいきなりだったので、私は絶句した。
「――アリス、私とダンスを踊っておくれ」
伏せた顔を持ち上げ、微笑むその面の妖艶さに私は頬を引きつらせた。
踊れませんと言ってしまえば、それで解決するとは思えないけれど。
言葉を知らないはずの私が否定することが、何より先にできない相談だった。
このまま、なし崩しに舞踏会に出席?
何とか回避する方法はないのかと、エスクードに目を向け、救いを求めた。
甘えるのは嫌だけれど、舞踏会に出て赤っ恥をかくことになったら――エスクードや皇太子さまに迷惑を掛けることにもなる。
そのことを心配すると、じくじくと胃が痛くなってきた……。染み付いてしまった習性は、誰も知らない場所へ来ても治りそうにない。
皇太子さま、ご冗談は止めにしませんか?
「結局、アリスを盾にしようとしているのではないですか」
「盾ではなく、真実、私の花になるかも知れない。ここにいるアリスを気に入っているのは、事実だ。それはお前も薄々気づいているだろう?」
「…………殿下」
エスクードが少し苦しそうに、顔を歪めた。
「前回の二の舞にならねば良いと思う。だが、惹かれてしまうものは止められない。だから、エスクード、お前がアリスを本気で思うなら、彼女の心を繋ぎとめておくのは今のうちだ。私が本気になったら、例え、お前を苦しめるとわかっていても、想いは止めない」
流暢に流れるこの国の言葉を必死に追って、脳内で翻訳する。
今一つ、翻訳に自信がない。だって、この会話の意味するところって……私?
でも、さっきもアリスって言いながら、私ではない人のことを話しているみたいだった。
つまり、アリスはアリスでも、私とは違うアリス?
この世界では、大抵の人が私のことを「蒼天の君(アスール・シエロ)」と呼ぶ。でも、エスクードと皇太子さまからお声が掛かるときは「アリス」と聞こえた。二人が短く呼んでいるせいで、「アスール」が「アリス」と勝手に私の耳がそう聞いているのだと思っていたけれど。
二人だけ、他の皆とは違って、意図的に「アリス」と呼んでいるのだとしたら……皇太子さまとエスクードは、私に違うアリスって人を重ねているの?
浮かんだ疑問に対して何となく、符号が合う。パズルのピースがはまっていくみたいに、私のなかに一枚の構図が描かれる。
私を悲しげに見つめたエスクードや皇太子さまの瞳――どこかで見たことがあると思ったのは、私自身の目だ。
両親を亡くしたばかりの頃、私は暗い翳を瞳のなかに宿していた。
そんな自分を鏡に見るたびに、どうして自分だけが生きているのだろうと、苦しくて、切なくて。生きていることが辛かった。
鏡のなかに見たそれは、大事な人を亡くした、その喪失に癒されていない目だ。
癒されているのなら、悲しい目はしない。懐かしそうに思い出に目を細めるはずだから。
二人は大切な人の面影を私に重ねて…………だから、優しくしてくれたわけだ。
どこの誰ともわからない人間を本来、この国の未来を担う皇太子さまのお傍に近づけちゃいけない。護衛騎士という立場を考えれば、そんなことはできないはずだ。
でも、エスクードは私を皇太子さまに引き合わせ、皇太子さまは私をこの城に置くことを承諾した。
そこには二人にとって縁のある面影があったから。
私の容姿が、その人に似ていたのだろうか。
――多分、そうだろう。
一目でわかる特徴で、簡単に無視できないことだからこそ、気になってしょうがない。色々と世話を焼いてくれたんだ。
エスクードが私の素性をやけに熱心に探すのも、もしかしたその人の繋がりを求めてだろうか。
…………なん、だ。
優しくされていたのは、私ではなかったんだ。
エスクードの世話好きの性格は、本物だと思う。けれど、見ず知らずの人間に警戒を解くほど、竜騎士として無能でもないと思う。その辺りのことを考えてみれば、ただの親切にしては、施しが過ぎると思っていたけれど、裏はあったんだ。
ガッカリとはいかないまでも、拍子抜けするほどの落胆はあった。でも、顔には出さない。
両親を亡くしたばかり頃の私はまだ、感情を表に出せた。
その後、辛気な顔をするなと諌められ、私は暗い瞳を、表情を、見せないように気を使った。
アルバイトで接客をすることもあったから、ゼロ円スマイルはいつしか得意になった。表情の作り方も覚えた。一人でも大丈夫だと周りに思わせるには、暗い顔なんて見せていられない。
だから私は動揺を悟られないよう、何も聞いていないよう――二人の会話を聞いていたなんて気づかれないよう、「何を話しているの?」と問うように首を傾げる。
今の会話から察するに、二人の間にいた「アリス」は両方から想われていた。そして、それは決して秘められたものではなかったのだろう。
エスクードが「殿下のアリスではない」と言っていたことから、本物のアリスは皇太子さまの想い人だったのかもしれない。
……ああ、だから皇太子さまは、「アリス」以外の他の女性と踊りたくないのだとわかった。
恐らく、本物の「アリス」がいなくなってまだ、心を誰かに移すには月日が経っていない。私がこちらに来て一年が経つけれど……似た面影を持つ女が傍にいたら、忘れられるものも忘れられない。
けれど、王宮で開かれる舞踏会に皇太子という立場上、出席しなければならない。苦肉の策で考えたのが――身代わりだ。私を「アリス」の身代わりに仕立てる。
そんな皇太子さまのお相手に想いを寄せたエスクードのことを、皇太子さまは知っている。そして、今回、私に「アリス」を重ねているらしいエスクードに忠告する辺り、三角関係はドロドロしたものではなかったらしい。
まあ、エスクードにはドロドロの愛憎劇なんて似合わない感じだけど……。
そっか、好きな人がいたんだ。
どうやら、それは私によく似た人らしいけれど……。
皇太子さま、エスクードはただ好きな人の面影があった私に優しくしてくれただけで、私が好きなわけじゃないですよ――心で、そう訴える。
そして、皇太子さまが私を好きになるはずもない。
だって私は二人が知っている「アリス」とは、違うもの。皇太子さまの想いに応えたアリスは恋ができる女の子だったと思う。
でも、私は無理だ。誰かと恋をすることなんてできない。
だから、私は二人の「アリス」にはなれない。身代わりにすらなってあげられない。
平素を装いながら、私は目の奥が熱くなるのを実感した。
ごめんなさい、二人とも。
私はどうしようもなく「役立たず」だ。
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