第4話 招待状



 エスクードの美形ぶりは精悍で、いわゆるハンサムという言葉がピタリとくる。

 そんな彼の主である皇太子ディナスティーア・グラナード・アールギエンさまは――いつも思うけど、名前が長い。なので、皇太子さまと呼んでいるわけだけど――美貌という表現を使いたくなる綺麗な顔立ちをしていた。

 雪花石膏みたいな白い肌、漆黒の艶やかな髪はストレートで背中まである。それを首の後ろで一つにまとめていた。瞳は深紅だ。こういう瞳の色は、あちらでは見ないからびっくりした。でも、宝石みたいで綺麗だと思った。ルビーでも、最高級品のピジョンブラッド。品のある高貴な顔立ちに、相応しい色合いだろう。

 エスクードより、ちょっとだけ線が細い印象だけど、負けずに背丈があるので女性っぽい感じはしない。それでもエスクードのような男っぽさがなく、中性的。

 膝丈の上着はエスクードが着ているのとよく似ている。こういうのを何と言うんだったかな? 確か、ジュストコール? 十八世紀辺りのヨーロッパを舞台にした映画などで、見かける衣装だ。

 エスクードの服はシンプルで飾りも少ないけれど、皇太子さまは身分が身分だけに、金糸銀糸で細やかで優雅な模様が刺しゅうされていた。上着の下に着たベストも、ボタンに宝石が飾られている。シャツは袖口からひらひらフリルが見えるドレスシャツ。

 映画では男性の衣装は半ズボンに白のストッキングという出で立ちだったけれど、こちらの男性は細身のズボンに長靴という組み合わせ。

 ただでさえ長身なのに、さらに足が長く見えるから、八頭身どころか九頭身はあるような美麗な立ち姿は、有名な画家が描いた絵画のなかに収まっていてもおかしくないような、端麗さがある。背後に花を背負わせても似合いそうだ。

 思わず、ため息がこぼれる。こんな綺麗な男の人がいたら、女をやっている自分が惨めになってくる。

 とはいえ、私は今さら、女であることを主張しませんけど。

 大体、外国人風の容貌のなかに日本人顔の――ほら、日本人は幼く見えるとか言うじゃない――私は生まれついての童顔も相まみえて、子供にしか見えない。そんな私が女を主張したってね、可笑しいだけだ。

 それでいて、皇太子さまはエスクードより二つ年下の二十四歳。私より五つも年下だ。

 私、ここの人たちに何歳くらいに見られているだろう? 二十歳以下だったら、相当に冷や汗ものだ。絶対に、実年齢を明かせない。墓場まで持っていく秘密になる。

 皇太子さまは手の動きで、ちょっといやらしい仕草を見せつつ言った。

「アリス、こっちへ来なさい。そこのオジさんは、むっつりスケベだ」

 私が理解できる言葉と皇太子さまのジェスチャーを、脳内で翻訳するとそんな意味になる。

 むっつりは私が追加した。エスクードの性格上、はっきりスケベはあり得ない。はっきりスケベっていう表現が有りなのかは、謎だけど。

 それにしても、オジさん?

 エスクードをオジさんって言ったら、私は立派なオバさんだ。

 十代はよく、二十歳過ぎたらオバさんとか言うけれど。

 実際に三十路間近になった私としては、オバさんという言葉に過剰反応してしまう。

 若い人たちにしてみたらね、もうオバさんでしょうけど。女捨てても、二十九歳。オバさんはまだ勘弁して欲しい。

 顔をしかめた私を見て、エスクードがギョッと驚いたように目を剥いた。

「アリスっ! 殿下の言葉を真に受けるな、俺はスケベじゃないっ!」

 慌てたように、エスクードが両手を振って、否定する。

 ……若いなと思った。反応するのは、そっちなんだ。

 オバさんに拘ってしまった自分がちょっぴり、切ない……。

 私は笑って、「そんなこと、思っていないから」と首を頷かせた。それでもエスクードは思うところがあったらしく、皇太子さまを睨む。

「殿下、アリスにおかしなことを吹き込まないでください」

「おかしなことか?」

 皇太子さまは唇の片端を釣り上げニヤリと笑って、エスクードの鋭い眼光を受け止めた。

 綺麗な顔立ちだけに皮肉な笑みが凄味を与え、逆にエスクードが怯む。

「エスクード、お前の態度はハッキリ言ってわかりやす過ぎるぞ。まあ、対象は気づいていないみたいだが」

 深紅の瞳が私を見据えて、こちらはニッコリと笑う。

 動きがないので、今のはエスクードに対しての発言で、私に向かって言ったものではないんだろう。

 私はわからないふりをして、首を傾げて視線を返した。

 傍らで、エスクードが小さく舌打ちした。皇太子さまのお言葉が彼の何かに触れたらしい。図星だったのか、誤解に困っているのか。苛立ちをあらわにするエスクードは珍しい。

 横を振り返った私に、エスクードは苦笑を返して、小さく首を横に振った。額でさらさらと金髪が揺れる。

「気にするな」と言っているのだろうと、解釈する。

 私は気にしないことにして、執務室に置かれたテーブルにティーセットを置いて、カップに紅茶を注ぐ。

「――まったく眼中に入っていないのではないか?」

 背後で皇太子さまの声が聞こえた。短い会話だし、口調がゆったりしているので、意味は理解できた。何の話だろう? 私はこちらの言葉を理解していないことになっているから、耳にした会話など理解できないと素通りするふりするしかなく、テーブルの上のセッティングを続ける。

 エスクードが覇気のない声で皇太子さまに応えた。

「今はそれでいいですよ。アリスの素性を見つけることが先決です。……もしかしたら、彼女を待っている誰かがいるのかもしれない」

 あれ、私の話なのかな? 誰かって、両親のこと? 親はいないんだけど、伝える術がないことが困る。エスクードの声が憂いを帯びて深刻そうだから、安心させてあげたいんだけど。

 でも、親のことはあまり言いたくない気もする。同情されると、それはそれで辛い。

「誰かいたとしても、アリスは覚えていないのだから、大した障害ではなかろうよ。それより、そんなに悠長に構えていると、横から掻っ攫われるぞ」

「攫われる? 誰に……」

「――例えば、私とか」

「なっ?」

 驚いたエスクードの声に思わず振り返ったら、間近に深紅の瞳があった。

 整い過ぎていると言っても過言ではないような綺麗な顔立ちが、近くに迫って、私の手を取った。

「アリス、私のパートナーにならないか?」

 グイッと腕を引っ張られ、気がつけば腰を抱かれていた。

 右手は手のひらを合わせて指を絡め、腕は伸ばされ、まるでダンスを踊るみたいな姿勢に私は目を白黒させる。

 いきなり、これは?

「殿下、アリスは殿下のアリスではありませんよっ!」

 エスクードが慌てたように言う。同じ発音のものが二つ重なって、ちょっと翻訳が怪しくなる。

「承知しているさ、だからお前に譲ろうとしたが、こちらのアリスもアリスで、愛らしい」

「――アリスは」

「エスクード、最初にアリスを重ねたのはお前ではないのか?」

 皇太子さまが横目にこちらに歩み寄ってこようとしているエスクードを見据えて口を開けば、ショックを受けたように彼は立ち竦んだ。

「俺は……」

「お前が惹かれた部分に、私が同じように惹かれたとしても、何の不思議があろう?」

 皇太子さまの目が私に注がれた。真っ直ぐな視線は私を透かして、別の何かを見ているような気がするんだけど……。

 深紅の瞳の奥に、翳りの様なものを感じる。

 ……凄く、切なくて。どこかで、見たことがあるような……瞳。

 深紅の瞳の魔力に取り込まれたように、動けなくなった私の鼓膜をエスクードの絞り出した悲鳴のような声が叩いた。

「…………俺はっ!」

 エスクードの蒼い瞳を振り返ると、こちらも悲しい色を瞳の奥に宿していた。

 ――何だろう? 少なくとも、私に向けられるいつもの優しく見守ってくれるような視線とは趣が違う。

 その悲しげで切ない視線は、私とは違う誰かに向けられたもの?

 アリスとアリス。

 同じ音に聞こえたそれは、それぞれ別の存在を指しているのだろうか。

 困惑する私に皇太子さまが気づいたらしい。腰に回した手を離し、右手をゆっくりと降ろしながら言った。

「案じろ。パートナーというのは、そのままダンスの相手だ。七日後に宮廷で開かれる舞踏会に、アリスを連れて行こうかと思ったのさ。どうだ?」

 皇太子さまが執務机に片手を伸ばして、そこに置いていたハガキ大のカードを取った。二本の指先の間に挟んだそれを私に差し出してくる。

 エスクードが文字を教えてくれたので、カードに記されている招待状の意味はわかった。

「……踊りの」

 茫然とエスクードが呟いているのを見ながら、皇太子さまは言った。

「今まではアリスの記憶が戻るのを待っていたが、もう一年になる。私は別段、アリスの記憶が戻らずともいいと思っているが――」

「それは……」

「お前が納得しないだろうと思ってな。ならば、アリスを公の場に出して、情報を集める。多くの者が集う舞踏会なら、誰かアリスのことを知っている者がいるかもしれぬだろう?」

 皇太子さまは自信満々に提案をしているけれど――ない、それはない。

 手掛かりは絶対に、見つからない。

 だって、私はここの世界の人間じゃないもの。どう足掻いたって、見つかりっこないし。

 というか、ダンスのパートナーっていうことは踊るのよね? 踊らなきゃダメ?

 それは――むり、ムリ、無理。絶対に、無理だわっ!

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