循環するオービタル・ガールズ

学倉十吾

第1話

 ――西暦を刻む宗教崇拝的しきたりを文明がこぞって拒絶しはじめた、さらにその先の時代。

   敵性存在アーカイヴスの台頭によって、我々人類は地上の生存圏を剥奪されていた――。


                    ◆


 真球状にくり抜かれたコントロール・ルーム中央のシートに収まっているのは、全身空色をした少女だった。

 直径十メートル大のがらんどう内部を見渡せば、三六〇度全方位が天球儀型スクリーンで隙間なく覆われているのがわかる。搭載された光学デバイスから投影されたおびただしい数の視覚情報が重なりせめぎ合っている以外は、操作パネルも操縦桿の類も一切存在しない、異様なまでにシンプルな造形だ。

 ここコントロール・ルームは、無重力環境で運用される宇宙機のコックピットにしては不相応にだだっ広く、しかし宇宙客船の船橋ブリッジにしては少女たった一人だった。

 シートの背もたれを倒して仰向けになっていた少女が、無数のスクリーンから差し込む光を右手の甲で遮っている。長い空色の髪の房が、無重力下にほどけてゆくスローモーション。その途中でのけた手を、投影スクリーンの光源へとかざす。指の間からこぼれる多彩な光に、目をすぼめた少女の少し大人びた顔立ちが浮かび上がる。

 空色の少女は、人間に似かよっていながら人間とは明らかに異なる、不思議な特徴を持っていた。

 その筆頭が、耳だ。空色の髪の毛に見えた部分の一部は、獣の持つ三角耳を思わせる輪郭を描いて、頭部から後ろに向け伸びていた。髪と同様、空色の毛に覆われた大きな耳状器官が、本来の位置にある二つの耳とは別に、何かを知覚しては細かに蠢いているのだ。

 鮮やかな群青色の着衣に反して、彼女の肌はデジタル着色されたかのように正確無比な白さだ。淡く輝く輪郭像はどこか神秘的で、うっすらと透き通ってすらいる。それもそのはずで、いまこの空間内に在る彼女そのものが、文字通り身体を持たない、天球儀から投影された立体映像ホログラムの一種に過ぎないからだ。

 と、短い電子音を伴って投影スクリーンの一つが強調され、彼女宛に音声が届けられた。


【――ちゃんと起きてるか、エイミット?】


 トーンの低い女性の音声。姿の見えない声の主の方も、エイミットと呼ばれた彼女とそれほど年の離れていない少女のイメージを声色に含んでいる。

 シート上で半透明の足を組み、凛と意志の通ったルビー色の瞳を伏し目がちにしてから、彼女――エイミットは音声を発した。


『――ええ、いまは眠っていないわよ。どうしたのリリクル? なにか面白いモノでも見つけた?』


 まるでここに重力でもあるかのような身のこなしでシートから身を起こした彼女が、自分なりの社交辞令的な言葉を舌に乗せる。我ながらうんざりとさせられる言い回しだ、などと内心思ってしまう。何故なら自分たちにとって面白いものなんて、いまのこの世界では滅多に見つけられないはずだから。


【残念ながら、見つけたのは面白くないものだ。あらたな敵影を確認した。数は一隻、地上高度およそ五二四キロメートルを北極側に向けた軌道に乗って移動中だ。これから位置座標を送るが、敵は地球を一周したあと、お前の軌道と交差する可能性が高い。最接近まで予測で七〇分以内だ。用心してくれ】


『敵、ですって?』


 リリクルが提供してくれた情報よりもむしろ、そちらのニュアンスに意識が傾いてしまう。その証拠に、自分のやや呆れ気味な心情がこうして声色にまでにじみ出ている。だが、それも仕方のないことだ。この世界における自分たちの存在を規定するために必要な視点だと、エイミットはいつからか意識するようになっていたからだ。


【ああ。アーカイヴス――我々が倒すべき共通の敵だ】


『ねえリリクル、この前にも言ったじゃない。私たちもう、軍隊でも兵器でもないのよ? 自由で奔放で無軌道な共同体を標榜する私たちに、〈敵〉なんて時代錯誤な概念はめんどくさい、唾棄すべきよ』


 だから辛辣な言い回しを、ちょっと冗談めいたトーンに乗せてやる。

 でも実際に声に出してみてからおかしく感じて、何だか笑えてしまった。とは言え半分は本気だ。


【ふふっ、相変わらずナンセンスなことを言うのだな、お前というやつは。敵じゃなければ、我々を攻撃するアレを一体何と呼べと?】


 こちらの言い分に乗ってくれたのか、めずらしく声に愛嬌のある笑みを含ませたリリクルからの応答を聞いて、普段は滅多に見せない、苦笑いする彼女の顔が脳裏に浮かんできた。そんなこいつの顔をいますぐにじっと見つめて、とんがり耳を撫でてやったりして、とにかくうんと困らせてやりたくなった。

 だからエイミットは少し調子に乗って、不敵にこう宣言してやる。


『――害虫。私たちの楽園に湧く悪い虫は、一匹も残さず駆除しなくっちゃ』


 気勢とともにぴんと立つ、空色の耳。冗談めいた宣戦布告の文句を合図にして、投影スクリーンが描き出す映像がにぎわしくうごめいたあと、最後にたった一種類にまで収束する。

 映し出された最後の映像は、このコントロール・ルームの外に拡がる世界だ。帳の落ちた天球儀にまたたく、広大な宇宙空間とあまねく星々。そして眼下に、銀色の巨躯を横たえる固体惑星の姿が浮かび上がる。幾重もの電子的解釈を経て描き上げられたそれらが、ぼんやりと白く輝くエイミットの周囲を取り巻いている。

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