Step 2 東欧組曲

4話 『ハンガリー狂想曲』


法律事務所長の日記


1月某日 水曜日


 ルーマニアの古都を発ち、国境を越える。駅馬車を乗り継ぐのは初めてではない。けれども身体の節々が痛む。

 素晴らしい山と渓谷の風景の美しさとは裏腹に、私達には居心地の悪い国の思い出となった。

 なぜ彼らはあんなにもユダヤ人を嫌うのだ?レストランで起こった乱闘、とはいえあれは不可避というか、誇りを守るための行動であれば神もお許しくださるだろう。

 先に手を出したのは私達(いや、恥ずかしいが私自身だ)だが、大切な友人が侮辱されたとあって何もせずにいるのは臆病者か卑怯者だけだ。

 確かに兄上のおっしゃっていた通り、ワインと腸詰やそのほかの肉料理には申し分がなかったが、あの応対が通常のものなのだとしたら、唾棄すべき悪習としか言いようがない。

 思い出すのもはらわたがねじくれそうだ。

 ハンガリーに入ってほっとするもつかの間、旅の間に無くなったり消耗した品を買い揃え、手紙などを書いているうちに1日が終わってしまった。

 隣の部屋ではブレーズが大いびきを立てている。正確この上ない体内時計を持っているイアンと私は同室だ。この部屋割にしなかったら明日のカルロヴィッツ行き1便に間に合わなくなってしまうだろう。



1月某日 木曜日


 駅に迎えに来ていたのは、兄上に紹介された侯爵夫人の白豹人の家令だった。しかも本物の自動車でだ。

 北風から削りだされたようなセルビア出身の青年(といっても差支えないだろう)はゲオルギエと名乗り、ブレーズがさっそく「ゲオ公」と呼んで親しげに話しかけていたが、必要以上には口をきかなかった。

 今日はそれよりももっと重要なことがある。

 何よりも、本物の恋というものと出会ったのだから。

 5年前に未亡人となった城主、アヴドーチャ=セーチェーニ夫人。兄上がブダへ公演にいらしたときに知り合われたという彼女は、聞きしに勝る美女だ。私は一目で恋情を覚え、彼女のしもべとなる決心をした。

 ロシアの豪商の娘というが、美貌と知性にかけてはクレオパトラも足元にも及ばず、飾り立てない気性と優しさは聖母もかくやといえる。私たちが苦笑を禁じえないロシアのあの訛りも、彼女にあってはチャーミング(魅力)をより一層引き立てる宝石になる。

 しかし、彼女のとりこになっている男が大勢いる。困ったことには我が素朴なる友人ブレーズもそのうちの一人なのだ。

 銀の鈴をころがすような彼女の声。匂い立つ、それでいてはかなげな美しさには城内と城下の老若を問わず惹きつけられている。その魅力の網を免れているのは家令のゲオルギエとわが忠実なる友イアンだけだろう。

 こういう形でブレーズと反目するとは思わなかったがそれも仕方あるまい。


1月某日 火曜日


 私は彼女をとりまく男の中でも、頭ひとつ抜きん出ることができた!

 活発な夫人の習慣、私たちのここ最近の日課となった屋外のそぞろ歩きだが、天気が良かったので城下まで足を伸ばした。

 途中、ローマ時代の眼鏡橋にさしかかった所で、夫人が大切にしている白鳥の羽扇子が飛ばされて川に落ちた。私はすぐさま急流逆巻く川に降りて引き揚げた(運が良いことに、川底が窪んだ部分の渦に扇子がとどまっていた)。

 取り巻きの誰もが冬の川に入るのを尻込みしていたらしく、またイアンが余計にも泳げない私の行動を批判したため、夫人は彼女の最大の魅力、素直な感動をもって私を抱き締めてくれた。

 その時のセリフは「私の小さな騎士。貴方のように誠実な方は二人といないわ」だ。

 濡れた服も乾いてしまうぐらい身体が火照るような抱擁だった。

 だが好事魔多し、の諺は正しい。今や私の敵手となったブレーズもまた、今日彼女の魂へ一歩近づいた。

 私が流されないよう手をつかんでいて、私と同じく濡れてしまったイアンと私で服を着替えていると、朝から姿を見せなかったブレーズが戻ってきた。夫人が好きだと前日話題にした花、山に咲く白いケシを摘んできたという。

 まともな神経の持ち主なら眼がくらむ断崖に、天使がいたずらに植えたような小さな花だが、彼女に差し出されたブレーズの無骨な手を取る夫人はまさにマリアのようなほほえみを漏らした。

 「私の可愛いお百姓さん。貴方はこの世で一番勇敢なのね」と言われ、犬人は鼻息を荒くしていた。

 こうなったら私とブレーズの争いになる。明後日開かれる城下の騎馬競争で雌雄を決するほかない。

 イアンにどちらを応援するかと聞くと、私の方の幸運を祈る、と答えた。彼にとっては興味もなく、こんな争い自体くだらないことと見えているのかもしれない。夕食のときと寝る刻限まで図書室にこもっていたそうだから。



1月某日 水曜日


 夕食の席で、夫人が招待されている他の紳士貴顕に明日のレースではくれぐれも気をつけて怪我をしないでくれと懇願された。

 彼女の夫の死因が落馬であったこともあり、この人を悲しませまいと、このときばかりは彼女の愛を射止めんとする全員が承知した。

 ローマ時代の競技場跡で三周するレースだが、メンバーには一人一人「○○代表」という号がつけられる。行事が、そもそも求婚者のためのものではない。支配者たるローマ人が土着の民と親交を深め軋轢を薄めるために発案されたもので、およそ1500年続いている伝統だそうだ。

 たとえば私は「ウイーン代表」、ブレーズは「フォアアルル代表」、ほかにはドイツ人のメイドが名乗る「城内女中代表」やゲオルギエの「従僕代表」、酔いどれ警官の「3番地代表」といったものまで、とにかく名称は何でもよいのだ。

 この地方の誰もが楽しみにしている祝祭がなぜ真冬に行われているのかは分らないが、明日は晴れそうだし、絶好のレース日和となってくれるだろう。



1月某日 木曜日


 失ってしまったものはどう呼べばよいのだろう。もはやそれは恋ではなく、蒸発してしまったワインの残り香、もしくはそれに近いもののような気がする。

 生涯何度目の失恋かはわからない。だが私は、今日のことを忘れたくない。悔いもない。

 町長の審判でレースが行われた。総勢50名。中には馬ではなくロバやヤギにまたがった者までいた。

 角笛でスタートしてから1周目でロバ・ヤギ、警官とその他大部分が脱落、2周目終わりにはブレーズ、私、ゲオルギエの順に並んだ。

私とブレーズが激しい競りあいを演じたゴール寸前、ゲオルギエが落馬した。

 そして夫人が彼に駆け寄った。

 そんな一部始終を、ブレーズの後にゴールしながら私は見ていた。レースの結果などはもう意味がなかった。

 ゲオルギエを抱き起こした彼女の涙、ふりそそぐ真珠よりも貴重なもの。その全てを茫然と眺めているしかなかった。

 夫人は一番輝いていた。私は負けた悔しさよりも、その光景の美しさに見とれていた。

 ブレーズが最も哀れだったかもしれない。見事優勝して天に突き上げた拳をそのままに、トラックを凱旋してきた勝利の表情が、みるみるうちに落胆へと変わったのだ。

 出発は明日に変更した。夫人はひきとめてくれたが、そうするべきだし、私も一刻も早く旅立ちたい。



1月某日 金曜日


 私とイアンとブレーズは列車に乗り込んだ。寝台でそのままトルコ領へ向かうのだ。

 この長いようで短かった恋の思い出に浸っていると、ブレーズが窓の外を指して大騒ぎを始めた。夫人とゲオルギエが馬で来ているという。

 ふつうそういうものは知らぬふりをするのが恋の作法だと思うが、ブレーズが私にまで声をかけたので、私も汽車の窓から二人に別れのあいさつをする羽目になった。

 ほかの男のものとなっても、相変わらず彼女は美しかった。失望も後悔もともなわない失恋というのは初めてだ。

 走り始めた汽車に並走して、私たちを見送ってくれた。ブレーズはゲオルギエを変わらず「ゲオ公」と呼びながら、夫人を一生大切にしろと叫んでいた。苦笑する豹人は年相応の初々しさだった。

 ブレーズのように涙をかくさず見せるというのもときには良いものかもしれない。

 それから夫人が持たせてくれたトカイワインをブレーズと私とで浴びるように飲んだ。彼は瓶を抱えて泣きながら眠ってしまった

 私はいつもよりも酔いの回りが遅く、イアンに恋愛について水を傾けてみた。恋心を抱いたらどうするかという質問に対しての彼の答えはなかなか詩的だった。

 彼は

「人知れぬ森の中で穴を掘り、愛する人の名前を呼び続けます。やがてこの星の中心までその名前が沁み渡り、海の水にまでもうつるように。そうすればスプーンで一すくいしても大地からその人の名前があふれてくるでしょう。ひねもす波のしぶきも小さくその名を呼ぶでしょう。天から落ちる雨の一粒一粒も当たって砕け散るときに、声を合わせて叫ぶでしょう。そうすれば」

 そこで言葉を切ったので、この続きをせがむと「私の想いなどどうでもよいのです」と打ち切ってしまった。

 彼にこんなロマンチストな一面があるとは知らなかったので、その詩才を大いに褒めちぎった。誰に対しての口説き文句なのか知りたかったが、教えてはくれなかった。

 ワインの入ったグラスを揺らしながら訥々とつとつと語るイアンのトパーズ色の瞳は、私から見ても魅力的だ。

 もしかしたら私が知らないだけで、女性にはうんざりするほどもてているのかもしれない。

 しかし、こんな風に想われる、世界にたった一人のその女性はとても幸せだと思う。

 ブルガリアに着くのは明日の夜遅くになる。乗り換えに注意しなければ。

 温泉つきのホテルで、兄上にまた絵葉書を書こう。




5話 ブレーズのナンパ日記



1月◯日 日曜日


 温泉のあるホテルに泊まった。

 こじゃれた庭園の堀池っつーかなんつーか、まるで沈んだ神殿みてえだった。

 「やりい」ってしばらく泳いでたら、管理してる親父に怒鳴られた。一緒になって泳いでた先生もだ。

 イアンさんがなかなか上がろうとしないから変だと思ったら、おっ勃っちまってた。先生のハダカのせいだ。馬鹿みてえだと思った。

 アカスリとマッサージを受けた先生が

「うぎゃおわぇ」

 って変な声出した。あはは大げさだべ思ったらマジで痛かった。「あべべべべ」ってなった。

 きれいなねーちゃんがやってくれたらいいのに、力士レスラーみてぇにゴツいオッサンがひねくり回して背中の上から叩きまくるから痛ぇのなんのってたまんねぇ。

 でも毛皮は綺麗になった。

 デブがいきなり湯上がりの先生に抱きついた。先生の兄貴だった。変態だって勘違いしたイアンさんが「何をする」って殴った。痕がずっと残ってた。

 劇場のこけら落としで来たんだと。宿までおんなじなんて偶然にしても出来すぎだ。

 おら達も招待された。プラハでは居眠りしちまったから、今度はちゃんと起きとこう。


 兄貴はわりとデカくて人相も似てねぇ。「もしかしてタネが違うだか」って聞いたら先生が笑って、イアンさんが下品なこと言うなって怒った。

 名前はヴィルヘルムさん。オペラの役者さんだ。太鼓腹がすげえ立派。

 トルコ人のレストランで超美味え鳥の丸焼きを食った。肉がバターみてえにとろとろだった。「パスタいかがですか」っつうから、頼んだら、なんてこったパイだった。トルコ語ができるはずのイアンさんも知らんかったそうだ。美味かった。



1月□日 月曜日


 イアンさんが風邪ひいた。ホントは三人で行くはずだったけんど、先生が看病で残って、おらだけで劇を観に行った。イタリア語でわけわかんなかった。ヴィルヘルムさんはなんか悪役だった。舞台から声が超響いて、ボックス席がビリビリ震えてた。ひけた後で挨拶して、先生が来てねえことを伝えたら、かなり凹んでた。

 それからヴィルヘルムさんに連れられて、ヴィルヘルムさんの役者の仲間達と一緒に飲み歩いた。みんな酒には強かったが、中でもヴィルヘルムさんは食っては唱い、飲んでは出すはで大変だった。そのままホテルになだれ込んで先生とイアンさんの部屋に直撃した。

 普段おとなしいくせに時々荒っぽい先生がまたキレた。「病人がいるというのにわきまえなさい」だって。この間もそうだったけんど、先生はイアンさんには優しいんでねえかな。もしかしたら脈ありかもしれねえだな。

 ヴィルヘルムさんは「そんなに怒るんじゃない」って逆ギレした。で、先生に抱きついて冷てぇとか薄情とか騒いだ。ウソ泣きだとからかったらマジ泣きでびっくりした。



1月♪日 水曜日


 のんびり町歩きした。先生達は今日になってヴィルヘルムさんの舞台を観に行った。一昨日さんざん愚痴られたからだべ。

 町の真ん中まで行って、屋台で炙った羊肉を食った。

 市場でスリを捕まえた。財布を盗られたのが写真店の親父で、お礼にっつって記念写真をタダで撮ってくれた。

 できあがるまで一日かかるみてえだ。出発は明後日ぐらいだから間に合うだな。

 この国のあまっこはマジでめんこいだ。でも身持ちが堅くってナンパしてもなかなか引っかからねぇ。しまいにゃ兄貴とか出てきてヤバかった。



1月◇日 金曜日


 街でこないだ取っ捕まえたスリが、またいた。なんかヤクザもんによってたかってボコられてた。よくわかんねえけどかわいそうだから助けた。

 したら1日ずーっとくっついてきて、「おまえ、友達、好き」とか言ってきた。ナンパで覚えたぐらいじゃ言葉があんま通じなかった。妹も姉貴もいない、つーかみなしごだ。屋台でカボチャのふかしたのをおごってくれた。結構いいやつだ。ちょっと酒も飲んで話をした。いつかウィーンに来てえてこぼした。都会だから仕事はあるだし、堅気になんなら働き口を紹介するって約束しただ。

 ホテルに帰って先生とイアンさんとヴィルヘルムさんで晩飯食った。なんか先生にくっついてトルコに行きてえとか言ってたけんど、マネージャーみたいなのが来て「おふざけが過ぎると奥さまにご連絡しますから」っつったら、おとなしくなっただ。

 尻に敷かれてるらしくて、写真を見せてもらったら、すんげえ美人の奥さんだった。ちっこい赤ん坊と、あまっこのガキが一人、男のガキが一人いるつって、なんか自慢してた。奥さんと結婚する前はかなりのヤリチンだったんだと。で、またイアンさんに「下品な言葉をこういう席で使うな」って怒られた。先生たちは構わないって笑ってた。



1月▽日 月曜日


 イスタンブールに着いた。短距離の汽車はこれで最後だ。帰りは寝台特急で一本だ。

 宿に荷物を預けたら、イアンさんがトルコ語の辞書を買うってんで、いっとうでっけえ市場に行った。金細工のきらきらした通りとか、サフランとか果物の通りとか、ごちゃごちゃしとるけど面白かった。

 村のみんなに土産物を買った。「帰る前には香辛料を買っていこう」と先生が言った。おらはそんなにめんどくせえもんは作らねえだけど、先生は食いしん坊でいろんな料理も作れるから、なんか目ん玉がキラキラしてた。輸入とかの関係で、ウィーンより随分相場が安いらしい。

 それからまずはってんでぐるぐる街を歩いて、買い食いしたりした。

 こっちはパンにいろんなもんを挟んで屋台で売ってる。イカも美味えけどエビもいい。もしかしたら、ソーセージとか挟んでも美味えかもしれんだな。ウィーンにはまだこんな屋台はないだけど、できたらきっといい商売になるだぞ。

 こっちのあまっこは目が黒かったり茶色かったりで、いかにもアジア人って感じだ。恥ずかしがりな感じなところはソフィアの方と変わんねえ。ただあっちのほうが線が細えだな。

 明日は一人歩きしてまたナンパしてみるだ。




6話 イアンの雑記帳 『moj zauvijek vole』


 つまらない、くだらない記録ばかりだ。

 この旅では余録が多すぎる。



日付  1月C日


 先生が恋に破れた。通算十五回目になる。この二年間で二桁を越えた。

 先生が誰かに夢中になるたびに辛い。気が気ではない。そして、それが実を結ばず終わりを告げたあとには、虚しさと自己嫌悪と安堵が残る。そんなことを繰り返している。

 ブレーズもまた先生と同じ相手に失恋した。年がら年中女性の尻を鼻っ面で追っている犬人も、今度だけは真面目な恋を抱いていたようだ。

 ブルガリアへ発つ僕たちを、侯爵の位を持つ未亡人と、彼女の幸せな恋人となったセルビアの豹人が見送ってくれた。

 先生は平気な風を装っていたが、悲しんでいるのは分かっていた。いつもの癖で、右の耳をずっと倒していたから。

 それにしても、あの鈍感で無神経なブレーズに気持ちを知られたのはまずかった。

 彼は旅が始まってからというもの、ことあるごとに僕をせっついてくる。

 今日もソフィアへ向かう車中で「せっかく同じ部屋で寝とるだに、何をぐずぐずしとるだか」と酔っぱらって口走ったので、先生には気付かれないようにグラスを強い酒に替えて潰してやった。

 失敗だ。先生の手袋にキスをした、その一度きりを見られたばかりに。脳の中から記憶を洗い流す薬はないものだろうか。


 彼は半面、正鵠を射ている。ブレーズの言を借りるなら、僕は臆病者だ。

 機会はいくらでもあった。レースの全員の参加者の乗り物は無理であったとしても、あの家令とブレーズの鞍や鐙に細工するくらいはできたはずなのだ。

 あるいは、先生の敗けることを真に望むなら、先生の馬に眠り草を仕込むぐらいはするべきだった。

 「あなたの勝利を祈ります」などと心にもない言葉を口にして、物言わぬ書架に囲まれて不安と恐怖に苛まれるなど、以前の僕ならあり得ないことだ。

 臆病な嘘つき。そう言わざるをえない。

 ブレーズを眠らせて、しばらく先生と恋愛についての話をした。僕の恋にまつわる感情を、先生は「素晴らしく詩的で、みずみずしい若さがあって良いね」と評してくれたが、先生こそ純情そのものではないか。

 もっとも、駆け引きや計算の手練手管に長けていれば、今回のように哀れなピエロよろしく恋の舞台から退場するようなこともないだろうが。

 そんな人だから、僕は(空白)


 旅は色々なことが起こる。何をも損なうことなく終えられるとよいが。



1月E日


 ブルガリアに着いてまだ2日目だというのに、ひどい熱が出て寝込む。トルコ式温泉で変な入り方をし、身体を冷やしたからか。

 はじめは夕食の魚料理の小骨がノドに引っ掛かったのかと思っていたのだが、いつまでも刺すような痛みが引かず、めまいに襲われるに至りようやく感冒なのだと悟った。

 医者が帰ってからもついていようとする先生に「お節介は充分。部屋を替わって独りにして下さい」と言ったが、「偽りない気持ちなら、従おう。さ、私の目を見て言ってみたまえ」と、頭を撫でられた。僕は「子供みたような真似を」と黙るしかなかった。先生はずっと僕のそばで働いてくれた。

 こんなことがありえるのか。ありえていいのか。一体僕は何回先生に迷惑をかければいいんだ(引っ掻いたような傷によりページが破損しており、判読不能。インク飛散)



(以下、新しいペンが使用されている)



 僕は、辛い。

 先生の行動は、先生にとっては水を飲むように自然な好意に基づいていて、偽善も打算も無い。昨今流行りの慈善活動家のような、いびつな慈悲さえ。

 免罪符を求める者は他人に売った恩を絶対に忘れないものだ。

 先生は違う。

 明日になれば忘れてしまう。

 自分がいかに甲斐甲斐しく世話をしたか、丁寧に僕の汗をぬぐったか、食事の内容に気を遣ったか。

 それが、どうしても辛い。僕は先生にとって(インクが滲んでおり、判読不能)先生が(以下数行、激しい滲み続く)


(ページ裏、滲んではいるが『愛』または『歌』と推測される単語がある)


 こんなことばかり考えていてはいけない。

 この前から先生に迷惑をかけっぱなしだ。その上、それを憶えていて欲しいとは身勝手もはなはだしい。

 僕は絶対に忘れない。

 先生は隣のベッドに寝んでいる。もう深夜だ。気分は良くなったが、苦しい。先生の寝顔に、どうしようもなく(語尾が乱れ、途切れている)

 いや。駄目だ。もう先生を煩わせる訳にはいかない。



1月G日


 先生と二人で、先生の兄上のオペラを観に行った。

『フィガロの結婚』は五回目だが、プラハの時のようにブレーズのイビキの邪魔もなく堪能できた。

 芝居も素晴らしい出来だった。ヴィルヘルムさんは少なくとも舞台の上では平生よりまともな人間だ。

 休憩の時に、「フェルダー家の人間は変わり者が多いからね」と先生は言った。

 「先生を見ていれば分かります」と答えると、気持ち良さそうに笑って僕の胸を叩いた。まるで、親しい友にするみたいに。

 それだけで、なんと満たされた気分になったことだろう。

 それからの夕飯は、またしても賑やかなものになった。ヴィルヘルムさんは随分先生を愛しておられて、ワインに酔い、嫌がる先生に何度も接吻していた。子供の頃からギムナジウムに上がっても、それはもうなめるように可愛がっていたそうだ。奥様と結婚されていなければ今でもそうしていただろうという。

 しかし現在も、かなり暑苦しいかまいかたをしているように見える。

 二人が兄弟でなければ黙ってはいられなかった。

 ヴィルヘルムさんが、もがく先生を抱きしめるたび、キリキリ胸が痛んだ。

 この程度で冷静であるための努力をしなければならない。まったく不甲斐ない。

 疲れた。早くトルコへ行きたい。



1月K日


 東とヨーロッパを繋ぐ鉄道の終着駅。イスタンブール。変化に富んだ、見ごたえのある街だ。

 海峡は朝には珊瑚、昼には緑柱石、ゆうべには瑠璃色に変化する。色彩の幻惑と言うにふさわしい。

 道は石畳で舗装され、空の青、家々の白壁とも相まって絵画のように調和がとれている。そしてヨーロッパ式とアジア的な要素が溶け合い、摩訶不思議な雰囲気を醸している。

 ここ数日、先生の兄上が一緒にいて騒がしかったが、これでようやくまた落ち着く。

 市場でトルコ語の辞書も買った。先生が「パスタ事件」と呼ぶあの失敗の愚は二度とくりかえすまい。

 こちらの人々は私達のような外国人にも馴れていて、時々ドイツ語や英語、さらにはロシア語で、あちこちの売り場で声をかけられた。

 先生にすすめられたので、僕も絵はがきを一葉購入した。先生は、旅に来て家族に一枚も出さない法はない、としたり顔をしていた。

 あの父にどんな言葉をかければよいのだ。それに、書いたところで鼻を鳴らして読みもせずデスクにうっちゃってしまわれるのではないだろうか。

 先生はあちこちの友人やサロンのマダム、御家族のためにと幾十枚も買い込んでいた。ブレーズさえ、自分の村と行きつけのカフェ(あれはむしろ酒場か)に出すらしい。

 あまりいい文面が浮かばなかった。曖昧を嫌うたちだから、元気でいること、仕事も順調であること、父の希望である独立はまだ尚早ということだけ記した。

 「手紙なんぞ時間と金の無駄」という父の怒声が聞こえるようだ。

 先生のように、生い立ちの貧困こそあれ魂を豊かにするすべを知っている人もいれば、根っからの吝嗇けちで他人は自分のために働かせるものだと考える、父のような者もいる。

 ソフィアでヴィルヘルムさんから聞かされた、幼少の頃のあだ名。『禿のマクシミリアン』と囃された理由。

 兄上のためとはいえ、自分の毛皮を刈り込んで売り払い衣装代をつくるなど僕には考えられない。僕がぬくぬく玩具で遊んでいた時分、そんなことをしていたとは。

 先生の兄上との絆が深いのはそのせいもあるのだろう。それでもやはり、人前で臆面もなく31才の弟に唇を重ねようとするのはおかしいと思うが。



1月O日


 昨日、僕と先生は、ホテルマンから紹介された穴場のローマ遺構へ行った。

 ガラタ橋から予約していた…とはいっても骨董的雰囲気のあるエンジンつきの漁師船でおよそ40分で、目的の島に着いた。

 船長がオーストリア銀貨でもよい、むしろそちらがありがたいというのでチップ込みで三枚与え、夕方になる前に迎えに来るよう言い渡し、僕と先生は二人きりで探険をはじめた。

 無知な漁師は言わずもがなだが、ホテルマンの説明も間違っていた。そこには、後期ギリシアの祭祀跡に神殿がほぼ原型をとどめた状態で残っていたのだ。

 先生は「ひゃっほう」と、まるで少年に戻ったように両手を振り回して駆け巡った。見ている僕が恥ずかしくなるほどのはしゃぎようだった。

 この遺跡にはギリシアの美術の精髄が、まるで缶詰のように戦火や略奪をこうむることなく保存されていて、その価値を現代の経済で換算すれば帝国の一地方財政を丸々まかなえるのではないかとも思われた。

 「私は法律家でなければ歴史家になりたかったんだよ」と石像をスケッチしながら先生は笑った。

 「そうなら、散らかりっぱなしの書類の山も、ウィーン随一の駆け込み寺も存在しないわけですね」と口が滑った。

 だが、そんな世界に僕は居たくない。先生と出会えない、そんなところには。

 「君には苦労をかけてばかりだね」と先生は苦笑した。全く馬鹿馬鹿しい。的を外している。

 ホテルに用意させた弁当を平らげ、ワインで喉を潤しくつろぐ間に、急に天候が崩れた。雨風に加え稲光が閃き、慌てて漁師達の使う掘っ立て小屋に避難した。幸い雨風をしのげたので、僕達はそのまま朝までそこで過ごした。

 薪が少なく、火を絶やさぬようだましだましくべて、先生は僕やブレーズよりも寒さに弱いので、一つ毛布に二人でくるまった。

 先生は「こんな中年男では気味良くないだろうが、我慢してくれ」と謝り「おっしゃる通りですが、先生に風邪をひかせるわけにはいきません」と、僕は嘘をいた。

 我慢するのは、度しがたく汚い情欲を抱く僕だった。

 「じゃあ互いに恋人を想おうじゃないか。ほら、目を閉じて」などと、新しい恋を得てもいないのに先生は言った。

 僕は肉体の反応をおさえるため目をつぶっていた。寝たものと勘違いした先生が、額を僕の肩にこすりつけるようにしながら先に眠ってしまった。

 まざまざと思い出す。和やかで無防備な寝姿。暖をとるためという抱擁の口実。何枚かの服を通しての先生の柔らかな感触と、ぬくもり。滑らかな吐息。興奮で危うく大胆な行動に出るところだった。

 あれは、先生にとっては幸福な未来の伴侶のヴィジョォン想像であり、僕には赦されぬ想いが叶えられた一夜のイリュゥジョォン幻想だ。

 誘惑の苦痛、先生を腕の内にした喜悦に気も狂わんばかりだった。

(インクのためらい染み。書き出し一行、三重線が引かれており判読不能。辛うじて『額に』『一回こっきり』と読める文字がある。)

 朝、起こそうとした先生に僕は激しく抱きついたらしい。良い夢を見たせいだ。

 僕は大学の教授で先生が生徒だった。そして二人は(空白)いや。幻想にも至らない。妄想だ。

(数行分の空白)

 ブレーズが船頭をけしかけ、朝ぼらけの内に救援に駆けつけてくれた。彼にしては珍しく気が利いて、パンとチーズを少々とワインも持参していた。

 僕は両方とも不要だった。「やっぱり調子を崩したのかね」という先生に「今はいらないんです」と言ったら、「君がそんな風に笑うのは初めてじゃないか」と驚かれた。

 先生はきょとんとし、ブレーズは「ははあ、さては昨夜ゆんべお二人さん、しっとりすっぽり」と下卑た含み笑いをした。すぐ黙らせたが。

 胸が一杯というのは、なかなか気持ちがいい。



2月I日


 ウィーンの新聞をロビーで読んでいた先生がいきなり叫んで、ホテルの電話ボックスに駆け込んだ。

 しばらくして真っ青になって出てきて、「午後の特急でウィーンに戻るぞ」と、部屋に上がって荷造りを始めたので、慌てて私とブレーズもそれにならった。 予定よりずいぶん早い帰国になった。

 先生はそれから本当に一言も話さなかった。

 イスタンブール駅でウィーン紙を買った。先生が読んでいた記事の特定はできなかったが、一面に写真付きの記事が載っていた。クラリモンド=ベグという犯罪者の死刑が確定したらしい。まさかこれが理由ではないだろうが。

 先生の、あんな追い詰められた厳しい表情は、逆境の弁護席にあっても見たことがない。

 聞きたいのだが、張りつめた雰囲気がそれをはばむ。

 心ここにあらずといった風に、食事すらとらない(あの先生が!)。それでも僕が差し出すと、パンとワインを少しだけ口に入れてくれた。

 僕のことは近くに感じてくれているようでホッとした。

 しかし、何か予感に胸が騒ぐ。古い言い方だがウィーンの方角に暗雲が垂れ込めているような、そんな予感だ。


 旅の中でも、イスタンブールは一番居心地のよい土地柄だった。

 出自の差別がない。海軍首脳はギリシャ系、宰相はユダヤ系、皇后はロシア人とまったく分け隔てがない。文明国を気取るヨーロッパが未踏の真のコスモポリタンが存在するのだ。

 ルーマニアのように、ユダヤ人であることで不快な待遇を受けない。

 オーストリアもこの点だけは見習うべきだ。


 最近、僕はどうかしてしまった。

 くだらないことで笑い、嫉妬し、悲しむのだから。

 本当に、くだらないことだらけだ。

 人を想うということは。


 moja ljubav

 moj zauvijek vole

 Maximilien


(原文一部にクロアチア語使用。このほかには一部にフランス語を含む)

19ZZ年 寄贈

無記名のスクラップノートより

ニューヨーク エリスアイランド 

移民博物館蔵

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