妖魔紀行譚(ようまきこうたん)

真風玉葉(まかぜたまは)

第1話

 ひどい頭痛をともなって夢うつつの状態でいた。

 真っ暗な世界で上も下もわからない状態のまま手足をじたばたさせていると、不意に目が開いた。目の前の光景がゆがんでいて、現実感がない。

 布団の上で寝返りをうちたいが体がいうことをきいてくれない。金縛りか。

 優はひどい汗をかき、苦しみもがきながら、重たい体をようやく起こした。その途端、さらにズキンと頭痛がひどくなった。

 枕元には開封済みの薬の包装が多数散らばっていて、優は昨夜睡眠薬その他精神薬を大量服薬し死を願いながら眠りに落ちたことを思い出した。

 頭痛とめまいがひどいものの、こうして目が覚めたということは、生きている。すなわち死ねなかったということだ。

 見た目にも貧相な冴えない中年男が、世をはかなんで楽になりたかったのだが、願いは叶わなかったようだ。ただでさえ気だるそうな疲れた顔立ちは、脱力感でさらにだらりとしていた。

 優は布団をはぐると立ち上がった。が、めまいで転んだ。死ねなかったが、まともではないらしい。震える手で枕元のペットボトルに入った水を飲む。ぬるい。

 再び優は布団の上に寝転がった。体がだるくて、起きていられないのだ。頭で何か考えようとするが、頭痛のせいでなにも考えられない。ただひとつの言葉だけはハッキリと浮かび上がっている「死にたい」。

「死にたい」という言葉が頭の中でグルグルと回っているうちに、また現実と夢のはざまを揺れ動いていった。

 何時間か経過した後、ようやく頭痛とめまいから解放された。しかしまだ体はふらついている。テレビをつけると午前中のバラエティー番組をやっていた。まるで別世界の出来ごとにしか感じられず、優はすぐにテレビを消した。

「死にたい」

 再び頭に強く浮かび上がる言葉に突き動かされるように、優は立ち上がった。立ち上がったもののどうしていいのかわからなかった。とりあえず部屋を出る。県営団地の共用部分に出ると、人気のない寂れたコンクリートの建物が魔窟のようだった。

 優は階段をあがっていった。一番上の階まで行くと踊り場から辺りを見回してみた。四階建ての県営団地の一番高いところからの眺めは、目の前に裏山の崖があるためお世辞にも良いとは言えなかった。

 そんなに高くない手すりから身を乗り出してみる。風が体に当たる。優は何かをつかもうとさらに身を乗り出し、宙に手を伸ばした。その瞬間優は落下した。

「死にたい」

 またその言葉が浮かんだ。浮かぶということは死んでいないということだ。優は植え込みの木に引っかかっていた。体中擦り傷ができたがそんなものはどうでもいい。身をよじると木から地面の芝生の上に落ちた。死ぬどころか重症にもなっていない。軽症だ。今飛び降りた四階の踊り場を見上げてみる。下から見ると大した高さではなかった。

 優は植え込みの木を見上げた。ズボンのベルトを外し、適当な高さの枝に引っ掛けて自分の首に巻きつけた。そして体重をかけた。

 だが、枝が折れてしまい芝生の上でお尻を強く打っただけだった。優は半泣きしながらなぜか笑いがこみ上げてきた。

「死にたい、でも死ねない」

 生きるということは死ねないということである。死ぬのが怖い者もいるだろうし、やり残したことがあるから今死ぬわけにはいかない者もいる。優のように死にたくても死にきれない者もいる。

 ただ優の場合「生きることもできないが、死ぬこともできない」のだった。世間の底辺にいる疲れ果てた中年の優にとって、この世は生きていくにはつらすぎる世界だった。生きる価値を見いだせないということは、この世に存在する意義もない。消えてしまえばいいと思うのだが、消しゴムで消せるほど簡単ではない。

 団地のすぐ近くに池がある。聞いた話では先の大戦のときの防空壕の跡が落盤して、穴があいたところにいつの間にか雨水が溜まり池になっているのだった。また周りを山に囲まれたこの辺り一帯の土地は低く、より一層雨水が集まりやすいのだった。池は意外と深いため、危険防止のため周りを柵が囲ってあり危険注意の看板まである。

「死にたい」

 優は取りつかれたように柵を乗り越えると、池の中に入っていった。意外と深い。しかし体が浮いてしまい、思ったほど体が沈んでくれない。優は水底に潜ると何か手応えがあり、そのままその何かにしがみついた。

 しかし、その何かが水底からはがれると、軽石のように水面に浮かび上がってしまった。大量の水を飲んだ優はむせながら池のほとりにたどり着き、疲れ果てたように倒れ込んだ。

 どれくらい意識を失っていたのか、気が付くと優は池のほとりで寝ていた。そして水底でしがみついていたものを抱きしめていた。それはほぼ正方形をしており、薄い板状のものだった。表面には何か文字のようなものが彫られている。明らかに人工物である。

  優は急に興味をひかれ、石板を持って自分の部屋に戻った。

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