第二話 提案

 ナナカ・ミマサカが着替えを行うため部屋を追い出されたツキヒコは、客室の近くにある空き教室にいた。椅子と机は教室の後方に寄せられているので、部屋の中央部分には床だけの空間が広がっている。


 少しだけ空いている窓から入ってくる風にカーテンが軽く揺れていた。普段、人がほとんど出入りしていないせいなのか、少し埃っぽい。そんな空き教室の中、ツキヒコは一人でケータイをいじりながら時間を潰していたわけではない。すぐ目の前には話し相手がいた。ナナカのSP――もとい、裏切り者であることを告白したココロ・サエグサだ。


「予想外ですよ」ココロは言った。「てっきり冷静さを失ったあなたは、わたしを締めあげて人質の居場所を聞いてくると思っていましたから」


 自分が手を出されるという想定を余裕たっぷりに口にするココロ。その裏側にはたとえ襲い掛かられても問題はないという自信が見て取れる。実際、ツキヒコが彼女に襲い掛からなかったのはその自信が脅威だったからだ。相手はカテゴリーAのエリート。カテゴリーのランクは能力の強さであって、実戦の強さではない。だが、ミマサカ機関において最重要人物ともいえるナナカ・ミマサカのSPをしているのだから、実戦力が心許ないわけがない。そう判断した本能が身体を抑えていたような気がしていた。


「信じたくはありませんが、あなたは向こう側の人間なんですね?」


 ツキヒコの問いに、ココロは笑顔でうなずく。


「サスペンスドラマで崖に追い込まれた犯人みたいに包み隠さずにお答えすると、あなたの妹さんとお姉さんをさらったのはわたしです。さらに、あなたに手紙を送った人間を殺したのもわたしですし、ムロブチを殺したのもわたしです。殺しのコンボの出来上がりですよ」


 ココロの言葉には反省や後悔や罪悪感が一切感じられない。あるのは愉悦だけだ。


「ココロさん。あなたはナナカさんのSPなんですよね? SPは志願制と聞いています。なのに、どうしてナナカさんを裏切るようなマネを? ナナカさんへの忠誠心はないんですか?」

「ありませんね」ココロは即答した。「そもそもわたしはナナカ・ミマサカに近づくためにSPになったんですから。守ろうとしたわけではありません。元々、あなたの言う向こう側の人間なんです。だから裏切ったわけじゃありませんよ。裏切りは嫌いです。忠誠こそが最も美しいと思っていますよ」


 裏切りではなく、元々与えられたミッションをこなしていただけ。ココロはそう言いたいのだろう。自分は当然のことをしているだけだ、と。


「どうしてナナカさんに近づいたんですか?」

「敵の勢力にスパイを送る文化は昔からありますよ。不思議なことじゃありません」

「はじめからナナカさんの命を狙っていたんですか?」

「すぐにどうこうしようという計画はありませんでした。とりあえずウィルスみたいに内部に潜入して情報を流すというくらいの感じです。まあ、潜入した時に大きな仕事がないということは珍しくありません。そもそもスパイの仕事は大きな仕事をしなければならない時にすぐに動けるよう準備をすることですから」

「今回がその大きな仕事ということですか」

「そうですね。これでやっとあのわがままご主人様から解放してもらえそうです」


 ココロの話を聞いて、ツキヒコには怒りが生じていた。だが、それと同時に生まれていた感情があった。それは落胆である。ナナカとココロのやりとりは本物の仲の良い姉妹を見ているようだった。それが嘘だったということに気持ちが重くなる。そんなツキヒコの気持ちを歯牙にもかけずにココロは言う。


「では、あまり時間もないので話を進めましょうか」


 ココロはゆっくりと教卓の方へと足を進めた。


「わかっていると思いますが、わたしはあなたの監視係です。監視というか結果を見届けることがメインですが。あなたがナナカさんを殺す。それを確認したらあなたを妹さんたちのいる場所へ案内する。それがわたしの仕事です。よかったですね、わたしを殺さなくて」

「あなたが妹たちがいる場所へ案内する保証はあるんですか?」

「そんなものはありませんよ。それに必要もありません」


 教卓へとたどり着いたココロは、教卓の中に手を入れてあるものを取り出した。拳銃だ。その拳銃は丁寧に手入れをされているのか、それともまだ誰かを傷つけたことがないのか、指紋一つついていないのではないかと思うくらい綺麗だった。拳銃を手にしたココロはツキヒコの前までやってきてそれを手渡す。


「これでずどんといっちゃってください。屋台の射的よりも簡単ですよ。的を地面に落とす必要はありませんから」


 何も言わずにツキヒコは拳銃を受け取った。ツキヒコにとって拳銃は珍しいものではない。だけど、今、手にしている拳銃からはいつもと違う感触が伝わって来て思わず床に落としそうになってしまった。


「どうしてナナカさんを殺すんですか?」

「わたしにはわかりません。クライアントの指示に従っているだけですから。まあ、計画的殺害の動機は怨恨か大義か私欲のどれかなので、今回もそんな感じだと思いますよ」

「クライアントって、あなたは誰かに雇われているんですか?」

「はい。わたしはフリーの諜報員ですから。カオスのメンバーというわけじゃありませんし」

「カオスのメンバーじゃない?」

「ええ」


 そこまで言ったココロはチラリと時計を見てから言った。


「おっと。少し話し過ぎてしまったみたいですね。わたしとしてはもう少しこの楽しいひと時を過ごしたいと思うのですが、そろそろ潮時みたいです」


 廊下から足音が聞こえてくる。おそらくナナカが着替えを済ませたことを伝えにやってくるココロの同僚の足音だろうとツキヒコは思った。

 ココロが言う。


「これからナナカさんは児童の授業を見学し、その後、一緒に給食を食べてから体育館へ移動してスピーチを行います。あなたがナナカさんの心臓を撃つタイミングは体育館でナナカさんがスピーチをしている時です。的はほとんど動かないのですから外す心配はないでしょう。ちょっと指に力を入れるだけで済むはずです。終わったら素早く体育館を出て裏門へ向って下さい。そこに車を用意しておきます」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る